松田聖子さんとの家庭問題に悩まされ続けた神田正輝さんですが、その苦労が報われる日がやって来ました。2017年4月に、一人娘である神田沙也加さんが結婚を発表しています。
この記事では、神田正輝さんの私生活に関する話題についてまとめてみました。
この記事の目次
神田正輝のプロフィール
本名:神田正輝(かんだ まさき)
出身地:東京都港区
生年月日:1950年12月21日
身長:178cm
デビュー時期:1976年
最終学歴:日本大学芸術学部映画学科卒業
所属事務所:石原プロモーション
現在では、20年以上に渡り司会を務めている旅行番組「朝だ!生です旅サラダ」のイメージが強い神田正輝さんですが、1970年代中盤から1990年代にかけては、役者をメインに大活躍をした1流の俳優です。
1976年に「大都会 -闘いの日々-」の九条浩次役で役者デビューを果たした神田さんは、1970年代後半には、「ゆうひが丘の総理大臣」や「俺たちは天使だ!」といった大ヒットドラマで主要キャストを務めています。
1980年代に入ると、伝説の刑事ドラマ「太陽にほえろ!」に、西條昭役で7年間レギュラー出演した他、「くれない族の反乱」といった当時の人気ドラマにも多数出演するなど、神田さんの俳優人生は好調そのものでした。
1990年代に入っても、1990年に朝の連続テレビ小説「凛凛と」に佐伯昌之役で出演した他、1995年には、時代劇「とおりゃんせ〜深川人情澪通り」の主役・笑兵衛役を務めるなど、司会業に活動の軸を移すまでの間、神田さんの役者の仕事が途切れることはなく、良いキャリアを築けていたと言えます。
1985年に結婚をした後、1997年に離婚をした松田聖子さんとの家庭問題がクローズアップされ続けた影響か、芸能人としての神田さんの実績は、一部で過小評価されている向きがありますが、神田さんは、デビュー以来40年以上に渡り、芸能界の一線に居続けている売れっ子芸能人です。
神田正輝と松田聖子との結婚前や結婚生活について
神田正輝と松田聖子の結婚前
神田正輝さんといえば、その芸能人生を語る上でどうしても話題にあがってしまうのが、松田聖子さんとの結婚生活です。神田さんにとっては、良い思い出ばかりとはならない結婚生活となりました。
アイドル時代は、「聖子ちゃんカット」が社会現象となるなど、ファッション面でも影響力が強く、神田さんとの結婚後は、男性スキャンダルで週刊誌やワイドショーを賑わし続けた時期もありました。
そんな時代を象徴するスーパースターだった松田さんですが、神田さんとの結婚前は、郷ひろみさんとの交際でワイドショーを賑わしていました。1985年1月に、松田さん自らが破局会見をすることで、郷さんとの恋愛騒動は幕を引くこととなりましたが、ある疑惑が残っています。
神田さんと松田さんが交際することになったのは、1985年4月に公開された映画「カリブ・愛のシンフォニー」での共演がきっかけと言われていますから、この破局会見をした時には、すでに神田さんと松田さんの交際はスタートしていたのではないでしょうか?
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神田正輝と松田聖子、破局会見から半年も経たずに結婚
神田正輝さんと松田聖子さんが結婚した時期に関しては、1985年6月24日となっています。松田さんによる郷ひろみさんとの破局会見が同年の1月という急展開ぶりから、「出来婚だったの?」と思う方もいるでしょうが、2人の娘として有名な神田沙也加さんは、1986年10月1日生まれなため、「出来婚」というわけではなかった模様です。
日本中の注目を集めた2人の結婚でしたが、神田さんにとっては、ここからが苦労の日々の始まりとなります。
結婚・出産後も歌手活動を続けていた松田さんでしたが、日本で頂点を取った次はアメリカだということで、当時上り調子だった日本経済の勢いそのままに、アメリカ進出を計画します。それ自体は悪いことではないのですが、アクティブに活動をする松田さんには、常に男性スキャンダルがついて回ったことが、神田さんや娘である沙也加さんの苦悩の原因となりました。
神田正輝と松田聖子の離婚原因とは?松田聖子のゲス不倫癖がすごい?
松田聖子のゲス不倫について
松田聖子さんの記念すべき?最初の「ゲス不倫」相手に関しては、1980年代を彩ったアイドル仲間である近藤真彦さんでした。2人のNYでの密会がバレた1989年2月当時、近藤さんは中森明菜さんと交際中だったため、「不倫×浮気」の「ゲス不倫」の典型例として大反響を呼ぶことになりました。
順調に歌手活動を続けていれば、1990年代以降も松田さんを上回る活躍があったかもしれません。
この「ゲス不倫」劇に関しては、騒動から半年も経たない1989年7月に、中森さんが自殺未遂騒動を起こすなど、様々な方面に波紋が広がりました。とはいえ、当時は大らかな時代でしたから、この騒動で松田さんや近藤さんが活動を自粛するなんてことにはならず、逆に中森明菜さんの芸能生活が暗転するきっかけの1つとなってしまいました。
松田聖子、ゲス不倫の末に暴露本まで出された
松田聖子さんの次なる「ゲス不倫」スキャンダルは、今度はグローバルにアメリカ人相手となりました。こちらの「ゲス不倫」に関しては、語学教師という肩書のジェフ・ニコルスさんとの間で生じた騒動となりますが、結構なイケメン青年であるニコルスさんだけに、最初から語学教師以上の意図を持って雇ったのではないかという疑念が生じないこともないです。
松田さんが、「結婚したい」だの甘い言葉でニコルスさんを誘惑していたことが、ニコルスさんの復讐心を余計に燃え上がらせたかのかもしれません。破局後の1994年と1995年に、ニコルスさんは松田さんとの関係を綴った暴露本を計3冊出版しており、こちらもワイドショーや週刊誌が騒然となる大騒動となりました。
松田さんは、1994年12月にリリースしたシングル「輝いた季節へ旅立とう」が40万枚近いヒットとなり、同年の紅白歌合戦に出場しています。
ちなみに、この騒動で神田正輝さんも離婚を決意したと思いきや、松田さんのイメージ回復アピールに付き合わされるなど、「お人好し過ぎるのではないか?」という状態で、松田さんに振り回されていますね。
「当時、聖子は“夫婦仲は大丈夫”とアピールするため神田正輝とツーショットでアメリカから帰国。成田で待ち構えていた報道陣の一人が『ジェフ君を訴えますか』と質問したんですが、後日、神田が言うには、自分が質問に答えようとしたら、聖子がすごい力で手を引いたそうなんです。『平然とした表情のまま引っ張るんだから、聖子って怖いよね』って言ってました」
松田聖子のゲス不倫、逆セクハラ騒動にまで及んだ
ジェフ・ニコルスさんの暴露本騒動に巻き込まれたため、「もうゲス不倫はコリゴリ」となるかに思われた松田聖子さんですが、実は裏で新たな「ゲス不倫」が進行していました。次なるお相手は、ニコルスさんと同じ白人男性のアラン・リードさんでした。
松田さんのバックダンサーを務めていた男性であり、1994年には松田さんのプロデュースで歌手デビューまで果たしています。1994年頃に松田さんと「ゲス不倫」をしていたと言われている人物ですが、リードさん曰く、聖子さんに関係を迫られても2年間は拒否し続けたらしいので、目ぼしい「ゲス不倫」相手としてロックオンされたのは、ニコルスさんとの交際期間中だったのかもしれませんね。
「当時の聖子さんは、成城の自宅の隣りに一戸建てを借りて、大胆にもそこにアラン君を住まわせていました。理由は、彼のバックダンサーという仕事のバックアップが名目でしたが。沙也加ちゃんはまだ子供でしたが、面倒は実母に任せっきりで、母乳は冷凍保存して聖子さんの実母が与えていたとか」
ちなみに、松田さんは、後にリードさんから「逆セクハラ訴訟」を起こされており、この「ゲス不倫」に関しても、最後はトラブルで終わったとは言えそうです。
神田正輝は離婚後も女難続きだった?長谷川理恵との交際
神田正輝、長谷川理恵との交際も発覚
神田正輝さんと松田聖子さんの結婚生活に関しては、一時期は仮面夫婦の代名詞扱いだったこともあるほど取り繕った関係が続いていましたが、1997年1月にようやく離婚という形で終わりを告げます。
その後の神田さんですが、芸能活動では同年の4月から「朝だ!生です旅サラダ」の司会業を始めた他、2010年には、モデルの長谷川理恵さんとの交際も発覚しています。
ちなみに、神田さんと長谷川さんとの交際は、2012年2月に、長谷川さんが自身のブログに破局を発表するという結末で終わっています。さらには、同年の6月に、長谷川さんが妊娠4ヶ月の状態で実業家・楠本修二郎さんと結婚したため、長谷川さんの二股交際まで世間に発覚するという、世間を呆れさせたサプライズまでありました。
神田正輝、元彼女・長谷川理恵に暴露本を出された
長谷川理恵さんとの交際における神田正輝さんの本当の災難は、破局後に待っていました。結婚と時を同じくして、長谷川さんが自叙伝という形で過去の男性遍歴を書き連ねた暴露本を出したためです。
神田さんとの交際が騒がれていながら、破局後数ヶ月で他の男性と「出来婚」をしたことに対する弁明が、長谷川さんにも必要だったのだと思います。自叙伝上では、結婚を熱望する長谷川さんに対して、のらりくらりと言い訳をしてはぐらかす男のように描かれていた神田さんですが、あまりに事情が見え透いた長谷川さんの言い分は、世間から支持されることはありませんでした。
モデルの長谷川理恵さん(38)が結婚を機に出した自叙伝が、ネット上やメディアなどでバッシングを受けている。赤裸々な恋愛体験談が反感を買っているためだが、事務所では「きちんと読んでもらえれば、思いが分かってもらえるはず」と説明している。
神田正輝は女運が悪いが長女・神田沙也加との関係は良好だった?
神田正輝の長女は神田沙也加
神田正輝さんの長女であり、唯一の子供である神田沙也加さんですが、松田聖子さんとの間の確執は有名です。近年では、沙也加さんが松田さんの話題を一切出さないなんてほどに冷戦状態なことは、度々マスメディアの話題になっていました。
では、父である神田さんとの仲はどうなんだという疑問に関しては、良好な関係にあると言えます。元々、沙也加さんを自分の都合で振り回すだけだった松田さんと違い、神田さんは沙也加さんのために、プライベイトを犠牲にしていたことで知られています。
「沙也加は聖子の両親と同居していましたが、聖子が渡米するたびに面倒を見ていたのは神田でした。40代の男盛りだったのに、仕事が終わるとまっすぐ沙也加のもとへ行き、彼女が寝るまでつきっきりでした。スキャンダルまみれの聖子を母に持ちながら、沙也加がまっすぐ育ったのは、父親の愛あってこそなんです」
離婚後は、親権などは基本的には母親側に行くという日本の事情から、松田さん側に引き取られた沙也加さんですが、神田さんと疎遠になるということはなかったようですね。
神田正輝、長女・神田沙也加の結婚に大喜び?
芸能関連の仕事は好調だったものの、私生活では良い話題の少なかった神田正輝さんですが、2017年4月に、娘である神田沙也加さんが結婚を発表するというオメデタイ話題にようやく恵まれることとなりました。
神田さんも、沙也加さんからは色々な報告は受けていたようで、沙也加さんのインスタグラム上で神田さんらとの3ショット画像が公開されるなど、良い父娘関係が築かれていることが伺えます。
神田沙也加結婚!父交えた3ショットで公表も「ご報告したかったタイミングではなく…」 https://t.co/XnDhmjUkYp
— いたばっち (@happyhope11777) 2017年5月1日
しかし、残念ながら、神田沙也加さんはその後に村田充さんと離婚しており、子供は誕生しています。
神田正輝の再婚問題や現在の彼女~三船美佳と熱愛疑惑も
娘である神田沙也加さんの結婚に関しては、「孫が見たい」とにこやかに語っている神田正輝さんですが、気になるのはご本人の再婚問題です。元々、女性運がないものの、女性自体にはモテる神田さんが再婚をしなかった理由に関しては、娘である沙也加さんのためでした。
「神田さんは沙也加さんが結婚して幸せになるまでは、自分は結婚できないといっていたんです。聖子さんが神田さんと別れた後、歯科医師と再婚したとき、沙也加さんが精神的にまいっちゃったことがあったというんですよ」
そのため、神田さんは、以前はマスメディアでの対談などでも、再婚の意思はないと語っていましたが、沙也加さんの結婚をきっかけに、何か方針が変わるのかどうかが注目だと言えます。
元々、スマートで温厚な性格である神田さんは、女性芸能人の相談相手になることも少なくないようで、「朝だ!生です旅サラダ」で共演している三船美佳さんとの間で、熱愛疑惑なんて出たことすらあります。
親しい女性が多い神田さんだけに、沙也加さんの結婚式を見届けて、ほっと一安心した後で、今度は自分の幸せを考える機会もあるかもしれませんね。
まとめ
最近の神田正輝さんに関しては、自身が所属する石原プロモーションの解散問題に関して、内部で意見が対立しているなどといったゴシップ報道などもあり、まだまだ気苦労が絶えることはなさそうな気配ではあります。
好調な芸能生活とは裏腹に、私生活では幸せとは呼べない人生を送る期間が長かった神田さんだけに、早く孫の顔を見るなり再婚するなりで、ほっと一息をつける幸せな人生を送ってほしいものです。