青山学院大学箱根駅伝チームの選手だった皆渡星七さんが21歳という若さで病気により亡くなりました。
この記事では皆渡星七さんの実家の家族や小学校、中学校、高校、大学にかけての陸上選手としての詳しい成績、病気の診断を受けた後も箱根駅伝出場を目指していた事や死因についてまとめました。
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皆渡星七のプロフィール
皆渡星七のプロフィール
生年月日:2004年2月2日
没年月日:2025年2月19日(21歳没)
出身地 :大阪府豊中市
身長 :178cm
皆渡星七(みなわたり・せな)さんは、陸上競技、特に駅伝の名門として知られる青山学院大学の駅伝チームに所属していた陸上選手です。
2025年度は青山学院大学3年生として箱根駅伝出場を目指していましたが、2025年2月19日に悪性リンパ腫という病気により21歳という若さで亡くなりました。
皆渡星七の実家の家族
出典:https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/
皆渡星七さんの出身地は大阪府豊中市である事が明かされており、小学校、中学校は豊中市の公立校を卒業している事から実家は大阪府豊中市である可能性が高いです。
皆渡星七さんの出身中学校は豊中市立第四中学校である事がわかっており、その学区内に実家があると推測されます。
また、皆渡星七さんの出身高校は阪府大阪市東淀川区にある関西大学北陽高等学校であり、2025年2月24日の告別式も大阪府内で催されている事から、現在も実家は大阪府内にあると思われます。
皆渡星七さんの実家の家族については、皆渡星七さん本人がSNS(note)にて、母親と父親、妹について言及されているので両親と本人、妹の4人家族であった可能性が高そうです。
毎日1時間かけて会いに来てくれる母、仕事後に急いで駆けつけてくれる父、ドラクエⅢのリメイクをお見舞いに持ってきてくれるセンスの塊である妹
皆渡星七さんの妹さんは2022年頃まで陸上をやっていた皆渡星良さんという方ではないかと見られていますが確定情報ではありません。
皆渡星七さんは、2025年1月に血液のがんと呼ばれる病気「悪性リンパ腫」と診断された事を新たにメディアプラットフォーム型のSNSである「note」を開設して公表されていました。
皆渡星七さんはnoteにてがんになっても箱根駅伝出場を目指したいとの想いを綴り、その理由の1つに家族に希望と元気を届けたいという気持ちを挙げていて、実家の家族をとても大切に想われていた事が伝わります。
がんになっても諦めない、””あなた””に、少しでも希望と元気を届けられれば幸いです。又、闘病を支えるご家族や友人、駅伝ファンの皆様にまで届けられればそれはもう最高です。
皆渡星七の小学校は実家のある豊中市内の可能性が高い
出典:https://www.toyonaka-osa.ed.jp/
皆渡星七さんの出身小学校はわかっていませんが、出身中学が実家のある豊中市の公立校である「豊中市立第四中学校」である事から、その学区である「豊中市立中豊島小学校」、「豊中市立豊島小学校」、「豊中市立緑地小学校」のいずれかの公立小学校出身である可能性が高いと見られています。
皆渡星七さんは小学生の頃は実家のある豊中市の「HRJ服部緑地ジュニア陸上クラブ」に所属し、阪小学生陸上競技会にて800メートル競技に出場して8位の成績を残しています。
皆渡星七の中学は豊中市立第四中学校
出典:https://jice.homemate-research.com/
皆渡星七さんの出身中学校は実家のある大阪府豊中市内の公立中学校「豊中市立第四中学校」である事がわかっています。
皆渡星七さんは中学時代から陸上競技で活躍しており、1500メートルと3000メートル競技で2018年度の大阪中学20傑(上位20名の有力選手)に選ばれています。
また、第45回豊中市中学校駅伝競技大会に第1区走者として出場し9分11秒で区間1位の記録を残しています。
皆渡星七さんは中学の陸上部に所属しながら大阪府豊中市服部緑地公園を拠点とする有力陸上クラブチーム「陸王アスリートクラブ」にも所属しており、中学3年時の第14回豊中市少年・少女駅伝競走大会の中学生男子の部で優勝し1区・区間賞に輝いています。
陸上界の音速の貴公子になれ! 皆渡星七(みなわたり・せな) 陸王クラブ 中学生男子の部(優勝)1区・区間賞 第14回豊中市少年・少女駅伝競走大会(1月26日 スカイランド原田) pic.twitter.com/hPlvxQJjYK
— 千里のおかちん (@senriaclub) January 26, 2019
皆渡星七さんは中学時代から長距離の有力選手として地元では知られていたようです。
皆渡星七の高校は関西大学北陽高等学校
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皆渡星七さんは中学卒業後は、強豪陸上部で知られる私立の「関西大学北陽高校」へと進学しています。
皆渡星七さんは関西大学北陽高校時代は陸上部に所属し、インターハイや全国高校駅伝への出場はなかったものの、高校2年生時に高校陸協長距離記録会の5000メートル競技で1位となる14分37秒76を記録し、2020年の大阪府高校駅伝では1区を担いタイム30分59秒で区間2位を記録(チームは途中棄権)。
高校3年生時の大阪府高校総体陸上(インターハイ大阪府予選)では2021年の織田記念陸上にて5000メートル競技でタイム14分15秒91の記録で6位となりましたが、続く大阪府高校総体陸上(インターハイ大阪府予選)の5000メートル競技ではタイム15分53秒11で17位に終わっています。
その年の大阪府高校駅伝では再び1区を担い、タイム30分42秒にて区間2位(チームは総合3位)の記録を残しました。
続く近畿地区高校駅伝では区間37位と成績を落としましたが、皆渡星七さんは高校を通じて優秀な記録を残し長距離選手としての注目度を上げました。
皆渡星七の大学は青山学院大学経営学部経営学科
皆渡星七さんは関西大学北陽高校を卒業後は、駅伝の強豪である「青山学院大学」の経営学部経営学科へと進み陸上競技を続けています。
大学時代の皆渡星七さんは、1年生の時から精力的に多数の長距離競技大会に出場しました。
大学1年時は、2022年4月の日本体育大学長距離競技会5000メートルでは11位(14分19秒33)、1500メートルでは9位(3分50秒75)を記録。
2022年6月のU20日本陸上競技選手権では1500メートルで11位(4分5秒18)と6位(4分0秒58)を記録。続く2022年11月のMARCH対抗戦ではタイム28分54秒52で見事優勝を飾っています。
大学2年生時は、2023年4月の絆記録挑戦会5000メートルにて15位(14分12秒55)、日本体育大学長距離競技会1500メートルにて6位(3分48秒59)を記録。
2022年6月のU20日本陸上競技選手権では1500メートルで10位(3分50秒75)と6位(3分51秒18)を記録。続く、日本体育大学長距離競技会5000メートルでは14分18秒78で4位を記録しています。
さらに、2023年11月のMARCH対抗戦10000メートルでは3位ではあったもののタイムは28分49秒30と2年生時のタイムを更新しています。2024年1月には公認奥球磨ロードレース大会ハーフハーフマラソンにエントリーし、1時間6分10秒のタイムで16位に入っています。
大学3年に進学後は、2024年4月の日本体育大学長距離競技会5000メートルで14位(14分6秒54)、6月の日本体育大学長距離競技会で5位(13分51秒38)、男鹿駅伝(大学の部)にて第2区を担い37分17秒で区間2位を記録しています。
しかしその後、2024年11月に皆渡星七さんは血液のがんと呼ばれる病気「悪性リンパ腫」と診断されて休養を余儀なくされ復帰を目指されていましたが、2025年2月19日に21歳という若さで帰らぬ人となりました。
皆渡星七は次の箱根駅伝では復路の主力になると原晋監督に期待されていた
皆渡星七さんは悪性リンパ腫という病気と診断されてからも箱根駅伝出場を目指されていました。
青山学院大学陸上競技部・男子長距離ブロック監督の原晋さんは皆渡星七さんについて「次の箱根駅伝では復路の主力になる」とコメントし期待されていました。それだけに皆渡星七さんも悪性リンパ腫になった事は無念であったろうと思います。
皆渡さんは2年だった前回の箱根駅伝で16人の登録メンバーに入った。7区登録から当日変更で出番なしとなったが、原監督が「次の箱根駅伝では復路の主力になる」と期待していた逸材だった。 3年に進級した今年度も順調に成長し、昨年6月、5000メートルで13分51秒38の自己ベスト記録を更新。全日本大学駅伝(同11月)の登録メンバー16人にも名を連ねた。
皆渡星七さんは2023年11月に悪性リンパ腫と診断されチームにもそれを伝えられていたようですが、2024年1月2日、3日の第101箱根駅伝では青山学院大学が2年連続となる優勝を飾りました。実はこの大会直前のチームミーティングに皆渡星七さんが入院先の病院からリモートで参加されていたそうで「走れることは当たり前ではありません。箱根駅伝、頑張ってください」とチームメイト達を鼓舞していたという事です。原晋監督は箱根駅伝優勝を果たした後「皆渡君の力があって勝つ事ができた」と力を込めて話されていました。
皆渡星七さんは箱根駅伝後の2025年1月19日に「note」を開設し自身の「悪性リンパ腫」の病気の公表を行いました。診断は2024年11月という事でしたが箱根駅伝後の発表となったのは、下手に騒がれてチームの仲間達に余計な負担をかけたくないという皆渡星七さんの配慮であったのだろうと推測されます。
皆渡星七の死因は悪性リンパ腫という病気
ここまででも触れているように、皆渡星七さんの死因は「悪性リンパ腫」という病気でした。
「悪性リンパ腫」という病気が皆渡星七さんの死因として公式に発表されたわけではありませんが、皆渡星七さんは2025年1月19日に自身の「note」にて「昨年の11月に ”悪性リンパ腫” と診断され、現在も治療を続けています。」と公表されていたため、死因は「悪性リンパ腫」によるものと見て間違いないと思われます。
皆渡星七さんは悪性リンパ腫からの復帰を目指す自身の情報を発信する事で、家族や友人など応援してくれる人との関係を深めたい、周囲を勇気付ける力になりたい、それをする事で自分の力にもなるといった気持ちからnoteを開設されたようです。2025年1月21日に2度目の投稿がされましたが、これが最後の投稿となり2月19日に亡くなった事が発表されました。
皆渡星七さんの死因になったと考えられる病気「悪性リンパ腫」ですが、 国立研究開発法人国立がん研究センターが運営するがん情報サービスのサイトで以下のように説明されています。
悪性リンパ腫は、白血球のうちリンパ球ががん化する病気です。悪性リンパ腫は、100種類以上の病型(病気のタイプ)があり、がん細胞の形態や性質によって、大きくB細胞リンパ腫、T細胞リンパ腫・NK細胞リンパ腫、ホジキンリンパ腫に分かれます(表1)。なお、B細胞リンパ腫とT細胞リンパ腫・NK細胞リンパ腫を合わせて非ホジキンリンパ腫と呼ぶこともあります。
「悪性リンパ腫」には様々な病気のタイプがあると説明されていますが、皆渡星七さんがどのようなタイプのものであったのかは明かされていません。
まとめ
今回は、青山学院大学陸上競技部の箱根駅伝チームの選手で2025年2月19日に21歳という若さで亡くなった皆渡星七さんについてまとめてみました。
皆渡星七さんの実家は大阪府豊中市で家族は両親と妹の存在が明かされています。
皆渡星七さんは小学校の時に「HRJ服部緑地ジュニア陸上クラブ」に所属して本格的に陸上競技を始め、「豊中市立第四中学校」では陸上クラブチーム「陸王アスリートクラブ」にも所属して長距離種目の選手として注目度を上げました。
その後、「関西大学北陽高校」を経て「青山学院大学」へと進み、長距離選手として箱根駅伝出場を目指し努力を重ねられていました。
皆渡星七さんは青山学院大学陸上競技部監督の原晋さんからも「次の箱根駅伝では復路の主力になる」とコメントされるなど期待の選手でしたが、2024年11月に血液のがんと呼ばれる病気「悪性リンパ腫」と診断され、それからわずか3ヶ月の2025年2月19日に亡くなりました。死因は特に公表されていませんが「悪性リンパ腫」によるものと見られています。