バルセロナ、アトランタオリンピックと2大会連続でメダルをもたらした女子マラソン界のパイオニア・有森裕子さんですが、恩師の小出義雄さんが2019年4月に亡くなり注目を集めていました。
この記事では、有森裕子さんが結婚した旦那・ガブリエルさんとの離婚原因や子供の有無など現在までの情報について詳しくまとめました。
この記事の目次
有森裕子のプロフィール
本名: 有森 裕子(ありもり ゆうこ)
種目: マラソン
生年月日: 1966年12月17日
出身地: 岡山県岡山市
身長: 165cm
体重: 48kg
有森裕子さんは元女子マラソン選手でプロランナーの草分け的存在でした。
1992年のバルセロナ五輪では銀メダル獲得、1996年のアトランタ五輪でも銅メダルを獲得し、ゴール直後のインタビューで「メダルの色は、銅かもしれませんけれども……、終わってから、なんでもっと頑張れなかったのかと思うレースはしたくなかったし、今回はそう思っていないし……、初めて自分で自分をほめたいと思います」と涙ながらに語った姿が感動を呼びました。
そして、2007年2月の東京マラソンを最後に現役を引退し、現在は日体大客員教授、日本陸上競技連盟の理事などを務めています。
有森裕子の結婚歴~元旦那・ガブリエルとの離婚原因や子供について
有森裕子、1998年1月にガブリエルと結婚
アトランタ五輪後にガブリエルと結婚した有森裕子
有森裕子さんは銅メダルを獲得したアトランタオリンピックから半年後となる1997年2月に、アメリカ・コロラド州ボルダーにある語学学校のパーティに参加し、そこでガブリエルさんと知り合い交際を始めました。
そして、1998年1月14日に有森裕子さんとガブリエルさんはボルダーにて結婚式を挙げました。
有森裕子、結婚翌月の会見でガブリエルが「I was gay」とカミングアウト
結婚の翌日に涙の別居会見
ガブリエルさんのゲイ発言が話題に
その後、日本での披露宴も予定していましたが1991年にガブリエルさんが日本で起こした金銭トラブルが発覚して騒動に発展。結婚の翌月に有森裕子さんとガブリエルさんはボルダーで記者会見を開きましたが、その席でガブリエルさんが突然「I was gay(私はゲイだった)」と告白したため話題となりました。
アトランタ五輪マラソン銅メダリストの有森裕子(31)が、涙で別居会見した。有森はこの日、1月14日に結婚したばかりの夫ガブリエル・ウィルソンさん(32=学校職員)とともに当地のホテルで会見。「これ(別居)が、立ち直るためのラストチャンス」と話した。初めて公の場に現れたガブリエルさんは、金銭トラブルの事実を認めるとともに「昔、私はゲイだった」と告白した。
有森裕子と、2011年7月にガブリエルと離婚
有森裕子さんとガブリエルさんが揃って最後にテレビに登場したのは2007年の現役最後のレース「東京マラソン2007」で、その翌年10月4日に有森裕子さんの父親が亡くなりましたが、葬儀にはガブリエルさんも出席していました。
しかし、その後一周忌や三周忌にはガブリエルさんの姿は見当たらず、時を経て2012年6月26日に2011年7月に離婚していたことが判明しました。
2人の知人は、本誌の取材に対し「実は有森さんはガブリエルさんとしばらく話し合いを続けた結果、離婚という結論に至ったと聞きました」と証言。そこで所属事務所に確認の連絡を入れると「プライベートなことなので、こちらからお話することはございません」としていたが、本誌発売前日に「昨年7月に離婚いたしました」という本人コメントを出し、事実を認めた。
有森裕子、離婚原因はガブリエルの金銭問題とゲイ発言?
有森裕子さんとガブリエルさんの結婚は両親から猛反対されていたようで、それに抗うように結婚に踏み切ったものの、ガブリエルさんの抱えていた金銭問題やゲイであることが離婚の原因になったのかもしれません。
「お父さんが亡くなって、彼女は今後の人生を冷静に考え直したのかもしれません。ガブリエルさんとの結婚は、両親が大反対したことで、半ば意地で押し切った面もある。父の死を契機に、お互いに無理しない生き方を選んだのでは……」(2人を知る人)
すぐに離婚すると思われていた夫婦でしたが、意外にも結婚生活は10年以上続いています。金銭問題やゲイであること以外にも離婚の原因はあるのでしょう。
有森裕子とガブリエルの間に子供はいる?
有森裕子さんとガブリエルさんは10年以上結婚生活を送りましたが、子供はできませんでした。
そもそも、結婚直後から別居していることやガブリエルさんのゲイ発言もあり、
子供が出来なかったことは何ら不思議ではない気もします。
また、有森裕子さんは離婚後は独身を貫いています。
有森裕子は女子マラソン界の草分け~小出義雄と出会い才能が開花
有森裕子が恩師・小出義雄に出会うまで
有森裕子は生まれながらにハンデを背負っていた
有森裕子さんは生まれた時から足の付け根の関節が外れていたため、幼少期はずっと矯正バンドをつけており、普通の子に比べて足の自由がききませんでした。
さらに小学校2年生の頃にダンプカーに足首を轢かれて大怪我をしてしまい、走るということに関しては人よりも劣っていてマラソン選手になるという素養は人一倍どこにもありませんでした。
有森裕子さんは高校時代にインターハイや国体に出場するなど目立った成績は残せませんでしたが、唯一有森裕子さんが高校入学の年からスタートした全国都道府県対抗女子駅伝では3年連続補欠登録をされるという記録だけが残されています。
その後、高校の陸上部顧問の推薦を得て日本体育大学に進学しましたが、生まれた時の股関節脱臼による体のバランスの悪さから怪我が絶えず、2年生まで目立った成績が残せず悩んでいました。
有森裕子さんはトライアスロンに転向しよう時期もありましたが、マラソン界に戻る決意。しかし、結局大学生活ではマラソンで成績を残せなかったことから、有森裕子さんは父親が教師だった影響もあり、体育教員を目指し始めました。
そして教育実習期間中に有森裕子さんは何気なく出場した記録会で自己ベストに次ぐタイムを出して自分の走りに自信を取り戻し、教師の道を辞めて実業団に入る決意をしました。
当時小出義雄さんがかんとくを務めていたリクルート社は世間を騒然とさせた「リクルート事件」の渦中でしたが、有森裕子さんは小出義雄さんに師事を仰ぐべく熱心に自己アピールをし、その熱意が買われたことでマネージャー兼選手という形で同社陸上部に入部を許されました。
有森裕子が小出義雄と掴んだ2つの五輪メダル
落ちこぼれだった有森裕子をメダリストに育てあげた小出義雄
大学まで何の成績も残していなかった有森裕子さんは、他の優秀な選手らに比べて「駄馬」と呼ばれていました。
しかし誰よりも不屈の闘志を持っていた有森裕子さんに眠る才能は小出義雄さんによって引き出され、リクルート社の陸上部に入部して1年で大阪国際女子マラソンでフルマラソン初出場にして日本新記録を樹立しました。
その翌年の大会ではさらに上回る2時間28分1秒のタイムを出し日本最高記録を更新、その勢いを保ったまま出場したバルセロナオリンピックで銀メダル、さらに4年後のアトランタオリンピックでも銅メダルという2大会連続メダル獲得の快挙を成し遂げました。
こうして日本女子マラソン界のレジェンドでパイオニアとなった有森裕子さんですが、世代交代するように高橋尚子さんが小出義雄さんの元で才能を引き出され、シドニーオリンピックで金メダルを獲得、世界記録も樹立(その後更新される)して新たな伝説を引き継ぎました。
有森裕子の恩師・小出義雄が2019年4月に死去
日本の女子マラソン界を下支えした小出義雄が死去
有森裕子さんの恩師である小出義雄さんが、2019年4月24日に80歳で亡くなりました。
小出義雄さんの愛弟子で長ある有森裕子さんは生前の思い出について涙ながらに語りました。
「(思い出は)山ほどありすぎて…。全然走れない私に困り果てた姿、練習メニューを一生懸命考えてくれた姿…。けんかもしょっちゅうしました。手のかかる選手に困っていた監督の顔がよく浮かびます」
「あまりにも足が遅かったが、諦めない精神は買ってくれた。『タイムはいいから、出すメニューは一日かけてもこなせ』と、性格に合わせた練習メニューの出し方、伝え方をしてくれた」
けがが多かった有森さんは故障して落ち込んだとき、監督の言葉に救われたとも。「『物事に意味がないものはない。どんなことが起きても、せっかく(故障したのだから)と(プラスに)思え』といわれて故障に立ち向かえた。監督からの一番の言葉だった」と感極まった。
引用:サンスポ – 有森裕子さん、小出さん訃報に涙「監督と出会えてラッキーだった」/マラソン
有森裕子の現在~スポーツ団体理事や客員教授としてスポーツ界に貢献
指導者、理事など幅広く活躍してきた有森裕子
有森裕子さんは2002年にスポーツ選手のマネジメントやイベントなどスポーツビジネス全般をプロデュースする会社「RIGHTS.(ライツ)」の取締役として経営に参画しました。
2007に現役を引退した有森裕子さんは、同年3月12日に日本陸上競技連盟の理事に就任、自らが体の先天的なハンデを背負っていたことから知的障害者や地雷で足を失った人々などに走ることを通して喜びを知ってもらう支援活動を続けてきました。
そうした国際的な活動が国際オリンピック委員会から認められ、有森裕子さんは2008年3月20日には「スペシャルオリンピックス日本」の理事長に就任し、2010年には日本人として初となるIOC女性スポーツ賞を受賞しました。
また、2014年1月31日には日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の非常勤理事に就任するなど、有森裕子さんはスポーツ界で幅広い貢献を続けています。
有森裕子についてまとめると…
・有森裕子は1998年1月にガブリエルと結婚、結婚翌月の会見でのガブリエルのゲイ発言が話題をさらった
・有森裕子とガブリエルは結婚の翌月から別居、2人の間に子供はいない
・有森裕子とガブリエルは2011年7月に離婚、原因は不明だが金銭問題やゲイ発言も一端と見られる
・有森裕子は現在、スポーツ団体の理事や大学の客員教授として精力的に活動している
日本女子マラソン界のパイオニアとして現在まで貢献してきた有森裕子さんの略歴や元旦那について総まとめしてきました。
高橋尚子さん以降日本新記録が塗り替えられていないことに有森裕子さんは番組で警鐘を鳴らしたこともありましたが、2人を超える逸材は中々現れないかもしれませんね。