風見しんごさんはマルチなタレントして活躍ですが、家族の悲劇でも話題です。
風見しんごさんの家族構成や、2007年1月に亡くなった娘である長女のえみるさんの交通事故、長男の死産、次女ふみねさんの現在、そしてその後の活動についてまとめています。
この記事の目次
風見しんごのプロフィールや家族構成
風見しんごのプロフィール
名前:風見しんご(かざみしんご)
本名:大下義博(おおしたよしひろ)
生年月日:1962年10月10日
身長:169cm
出身高校:広島学院高等学校
最終学歴:成蹊大学工学部中退
事務所:マスタープラン
活動期間:1982年〜
風見しんごさんは、1982年に欽ちゃんファミリーの一員としてデビューを飾りました。デビューから現在まで、レギュラー番組が途切れたことがないという逸話の持ち主でもあります。
風見しんごさんは、幅広い芸能活動をしています。歌手、俳優、ダンサー、タレントと、かなりマルチな才能を発揮している、まさに芸能人。
1983年の歌手デビュー後は、歌の振り付け中にブレイクダンスをいち早く取り入れ、歌の中の振り付けとしてのダンスではなく、「歌って踊る」ということを体系付けた人であるとも言われています。
若い頃は、そのルックスや切れのあるダンスと歌などで女性からの人気も高かったですが、年を取ってからも安定したトーク力や演技力などで安定した活躍を見せています。
風見しんごの嫁や子供など家族構成
風見しんごさんには、ご家族がいらっしゃいます。「風見しんごさん」「奥さん」「娘さん二人」の4人家族でした。
風見しんごさんの嫁
芸名:荒井晶子(あらい しょうこ)
本名:大下尚子(おおした なおこ、旧姓荒井)
生年月日:1967年7月20日
元ミス日本。1990年に芸能界入りして短期間ですが女優として活躍。映画「釣りバカ日誌5」やドラマ「愛しの刑事」に主演しました。
1994年に風見しんごさんと結婚。
1996年には長女のえみるさん、2003年には次女のふみねさんが誕生しました。
しかし2007年1月17日、悲劇が風見しんごさんのご一家を襲います。
風見しんごの娘の事故まとめ…長女は交通事故で亡くなっています【2007年1月】
風見しんごの長女えみるさん事故の詳細
2007年1月17日に、当時10歳だった長女のえみるさんが交通事故に遭い、亡くなりました。
通学中に青信号を渡っていた最中、2トントラックがきて、はねられ、病院に搬送されましたが、その後死亡が確認されました。
出典:http://livedoor.4.blogimg.jp/
タレント風見しんご(44)の長女で、東京・世田谷区立桜町小5年の大下えみるさん(10)が17日午前8時8分ごろ、同区中町4丁目の都立園芸高裏交差点で、右折しようとしたトラックにはねられた。えみるさんは病院に搬送されたが、頭がい底骨折で死亡した。えみるさんは通学途中で、青信号の横断歩道を渡っていた。
関係者によると、ダンサー志望だったえみるさんは自慢の娘で、子煩悩な風見はショックで泣き崩れているという。警視庁玉川署は、業務上過失傷害の現行犯で、トラックを運転していた埼玉県所沢市の会社員(22)を逮捕した。
風見しんごの長女えみるさん事故の犯人のその後
トラックの運転手は、当時22歳の若者。加害者はその後の刑事裁判で禁固2年(求刑禁固3年)の判決を受けています。
【2007年6月9日】 読売新聞、サンケイスポーツ、デイリースポーツによると、東京都世田谷区の交差点で2007年1月17日に発生したタレントの風見しんご氏(44歳)の長女(享年10歳)をトラックではねて死亡させた事故で、業務上過失致死罪に問われていた元会社員の23歳の被告に対し、東京地方裁判所は6月6日、禁固2年(求刑禁固3年)の実刑判決を言い渡した。
判決理由について裁判官は、「歩行者として安全な箇所であるべき横断歩道で発生した事故で、わずかな注意を行えば避ける事はできた。10歳で短い人生を終えてしまった女の子の無念さと遺族の悲嘆は想像に難くない。女の子がこれから何年の人生があったと思うか。反省しているのは理解できるが、社会人としての責任を取る必要がある。」と語った。
喧嘩嫌いだったえみるさんのために、通夜や葬儀中は一切加害者については述べず、えみるさんへの思いに終始しています。
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2016年は、えみるさんが生きていれば、成人を迎える歳でした。同年4月に、「さくらのとんねる 二十歳のえみる」を発売しています。
2007年に交通事故で亡くなった長女・えみるさんが、生きていれば今年で20歳になることから出版を決意。風見は「えみるのことは毎日、毎日、思い出します。でも、えみるが私たち家族を強くしてくれた」と気丈に語った。ただ、次女のふみねさん(12)には「この春で中学生ですが、心配で近所のコンビニにも一人で外出させられない」と胸の内を明かした。
当時の心境を、風見しんごさんは以下のように語っています。
悲しみ。憎しみ。後悔。恐怖。事故後、風見さんは次々と襲って来る感情に混乱した。「時間は何も解決してくれなかった。
長女のえみるさんを亡くしたという悲しみから、一時期家族はバラバラになり、
崩壊寸前まで陥ったそうです。
しかし、その後は、また前を向いて歩いていこうと決意した風見しんごさん。
「妻も次女もみんな、強くなりました。(えみるさんが亡くなって)最初に2~3年は、どうしてもその姿を追い求めてしまった。そこから徐々に、ゆっくりとですけど、前を向いていけるようになりました」と話した。
風見しんごの長男の死産【2008年】
また、えみるさんが亡くなって1年後に、奥さんが妊娠されたそうですが、死産であったことを語っています。
妊娠5か月のときに胎児に染色体の異常がわかりダウン症を患っていることが発覚した。出産を決意していたものの、妊娠8か月の時胎児の動きに異変を感じ病院を訪れると「赤ちゃんのお腹に腹水がたまっている」と診断、その2日後に心臓が止まってることを知らされた。
「(妊娠時の検査で)ダウン症をお持ちですともいわれました」。発育途中で障害が出るのも覚悟する中、胎児は心肺停止と診断された。
当時を振り返った風見は「妻が『どうしても生みたい』というので自然分娩(ぶんべん)で陣痛誘発剤を使いました。産声を上げないのは分かっていたのですが」と遠くを見つめた。「こころ」と呼んでいた天国の息子に対し「えみるが亡くなってから、前を向くように家族の背中を押してくれたのは長男だと思っています」と感謝の言葉をささげた。
風見しんごの次女ふみねさんの現在
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長女を亡くした風見しんごさんですが、次女だけは唯一生きています。
次女のふみねさんは現在は、舞台女優を目指しアメリカで練習に励んでいるようです。ふみねさんは2017年時点で現在は14歳、高校はアメリカの学校を考えているようですね。
現在は次女・ふみねちゃん(14)のアメリカのハイスクール進学を機に共に渡米。風見さんは「アメリカにいるんです。今、逆単身赴任。人生激変は僕ですわ、本当に」と笑顔をみせた。番組では現在の次女・ふみねちゃんも登場、舞台女優を目指し練習を積んでいる様子が紹介された。
風見しんごのその後の活動~交通安全にまつわる講演などの啓蒙活動
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えみるさんの死後は再びこのような悲劇や、自分の味わった悲しみを他の人に味あわせたくないという思いから、交通安全にまつわる講演などの啓蒙活動を積極的にこなしていきます。
えみるさんを失って半年後、風見さんは事故防止を呼びかける講演活動を始めた。心にあいた穴はふさがっていなかったが、「自分で一つひとつの感情に決着をつけるしかなかった」。
自分と同じ思いをして欲しくないと願い、各地に赴く。学校や地域の集まりで交通安全や命の大切さを訴え、年に50回を数えることもあった。
2012年にはそのことを讃えられ、警察から感謝状を送られています。
積極的に交通事故というものに関わって他の人のために活動する傍ら、
やはり事故の記憶は風見しんごさんについて回っているようです……。
「えみるの事故があってから、次女を一人で外に出すのが怖い。『いってきます』って外に出てからたった2、3分後の事故ですからね。次女は今年13歳になりますが、まだ近所のコンビニにも一人で行かせられない」と語っていた。
2014年「ノンストップ」で、家族の死にまつわる特集で終始無言
風見しんごさんが、レギュラーとして隔週で出演しているフジテレビの情報番組「ノンストップ」で、家族の死にまつわるテーマを取り扱いました。
その際に、そのテーマ中に一言も風見しんごさんが発さなかったことから、ネット上ではその無神経な企画に非難の声が上がりました。
取り上げるにしろ、何故その週のその曜日に取り上げたのか、まったく意味不明ですね。
まとめ
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以上、風見しんごさんのご家族についてまとめました。
娘さんのことを胸に活動する風見しんごさんを、今後も応援していきたいと思います。