日本国内を代表するスプリンターとして活躍し北京オリンピックではリレー種目で日本史上初の銀メダルを獲得した陸上選手・朝原宣治さんが話題です。
この記事では朝原宣治さんの実家や家族、嫁の奥原史子さんとの馴れ初めや結婚、3人の子供、現在の活動などについてまとめました。
この記事の目次
朝原宣治の身長などプロフィール
朝原宣治のプロフィール
生年月日:1972年6月21日
出身地 :兵庫県神戸市北区
身長 :179cm
血液型 :B型
朝原宣治さんは、国内の男子陸上界を代表するスプリンターで、男子100メートルを世界レベルにまで引き上げた立役者として知られる陸上選手です。
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2008年の北京オリンピックでは、4×100メートルリレー銀メダル(金メダルジャマイカ代表のドーピングにより銅メダルから繰り上げ)を獲得しました。オリンピックの日本男子トラック種目でのメダル獲得は史上初の快挙でした。
朝原宣治の経歴
朝原宣治さんは、神戸市立小部東小学校、神戸市立小部中学校ではハンドボール部に所属してレギュラーとして活躍し全国大会にも出場しています。
陸上競技を始めたのは兵庫県立夢野台高等学校からで、この頃の専門種目は走り幅跳びでした。高校3年生の時には走り幅跳びでインターハイ優勝を果たしています。
高校卒業後は同志社大学へと進学し、大学3年生の時には国体の100メートルで10秒19の日本記録(当時)を樹立し、そのアジア人離れした加速力から「和製カール・ルイス」の異名でも呼ばれました。
朝原宣治さんは同志社大学を卒業後は、大阪ガス株式会社に入社し、ドイツへの陸上留学を経て、1996年のアトランタオリンピックで五輪初出場を果たし、100メートルで日本人28年ぶりとなる準決勝進出を果たしています。
1996年には100メートルで「10秒14」にて自らの持つ日本記録を更新。さらに1997年には「10秒08」で再び記録を更新しています。100メートルでの10秒1台、10秒0台は、当時としては日本人初の快挙でした。
その後も2000年のシドニーオリンピック、2004年のアテネオリンピック、2008年の北京オリンピックと4年連続でのオリンピック出場を果たしています。
朝原宣治さんは2008年のスーパー陸上男子100メートルを最後に現役を引退されています。
朝原宣治の実家は神戸市北区鈴蘭台
朝原宣治さんの実家は神戸市北区の鈴蘭台という場所です。朝原宣治さんはこの実家で生まれ、現在も両親はこの場所に住んでいるそうです。
朝原宣治さんの実家のある鈴蘭台は急な坂道の多い場所だそうで、小・中学時代の朝原宣治さんはこの急な坂道を通学路として毎日通った事で足腰が鍛えられたようです。
「すごくないですか? これ本当に通学路だったんですよ」。次々と現れる急な坂に五輪銀メダリストの朝原宣治さん(47)がたまらず声を上げた。真夏の炎天下、いかに鍛え上げられているとはいえ、体から噴き出す汗は止められない。母校・小部中(神戸市北区)から今も両親が暮らす実家までを歩いた。
朝原宣治の家族① 父親は元銀行員
朝原宣治さんの家族についてもみていきます。
現在も神戸市北区の鈴蘭台の実家に住んでいるという朝原宣治さんの父親は、元銀行員で朝原宣治さんが生まれた頃は三宮付近に住んでいたという事ですが、山が近い空気の澄んだところで子育てをしたいとの思いから鈴蘭台へと引っ越されたそうです。
「僕が生まれたのは同市須磨区の月見山の病院。父は三宮付近で銀行員をしていましたが、山に近く、空気が澄んだところで子育てをしようと、鈴蘭台に引っ越したようです」
朝原さんの父親も“関西の軽井沢”に引かれた1人だったということか。朝原さんは、父親の願い通り、わんぱくに少年時代を過ごした。
朝原宣治の家族② 5人家族で兄弟は姉が1人
朝原宣治さんは、両親と祖母と姉の5人家族で育ったそうです。
北区鈴蘭台での日々は、朝原さん曰く「超自然派」。近所の坂道を駆けまわりながら育ったおうちは、ご両親とお姉様とお祖母様の、5人家族。
朝原宣治さんは、同志社大学を卒業後に大阪ガスに入社してドイツへの陸上留学の話が持ち上がりましたが、ちょうどその時期に阪神淡路大震災が起こり、この姉の嫁いだ家が半壊し、「こんな時に海外に留学していいのか」と悩まれたそうです。
朝原さんは神戸市出身。小さな頃から外国と関わる仕事に憧れていた。大阪ガスに入社し、ドイツへの陸上留学を決めたが、出発直前に阪神・淡路大震災が発生。姉の家が半壊し「こんな時に陸上留学をしていいのか」と悩んだという。
ただ、姉をはじめ周囲の応援もあって、朝原宣治さんは留学を決断されたのだそうです。
朝原宣治の嫁は元シンクロ選手の奥野史子
朝原宣治の嫁・奥野史子のプロフィール
生年月日:1972年4月14日
出身地 :京都府京都市
身長 :160cm
血液型 :O型
朝原宣治さんの嫁は、シンクロナイズドスイミング(現在はアーティスティックスイミング)の元選手で、日本代表選手として活躍した奥野史子さんです。
朝原宣治さんの嫁・奥野史子さんは、1992年のバルセロナオリンピックでのソロとデュエットで銅メダルを獲得したのをはじめ、1989年のFINAシンクロワールドカップパリ大会で銅メダル、シンクロワールドカップローザンヌ大会でのチームでの銅メダル、1994年の世界選手権ローマ大会でのソロ銀メダルなどの輝かしい実績を残されています。
奥野史子さんは1995年1月に、怪我などを理由に現役を引退されましたが、引退後の1999年、世界最高峰のエンターテイメント集団「シルク・ドゥ・ソレイユ」に、トライアウトに合格し、日本人として初めて入団。2001年10月のラスベガス公演でパフォーマーデビューも果たしています。シルク・ドゥ・ソレイユからは2002年10月に退団されています。
その後も精力的に活動されていて、2013年からはトライアスロンにも挑戦し「石垣島トライアスロン2013」などに出場し完走されています。また、小児生がんと戦う子供やその家族への支援活動など社会福祉の活動にも取り組まれています。
朝原宣治と嫁の奥野史子の馴れ初めと結婚
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朝原宣治さんと嫁の奥野史子さんは同志社大学の同級生で、偶然ゼミが同じで隣同士の席に座ったのが馴れ初めになったそうです。
当時、朝原宣治さんは寮に電話が引かれたばかりで、その電話番号を奥野史子さんに伝えていたところ、真っ先に電話をかけてきてくれたのだとか。
これを馴れ初めにして2人は交際をスタートさせ、大学卒業後に朝原宣治さんがドイツに留学した時も、奥野史子さんがシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーとしてアメリカに拠点を置いていた時も、遠距離恋愛で交際を続けられていました。
その後、当時、現役の陸上選手だった朝原宣治さんが奥野史子さんの住むアメリカへと拠点を移した事から距離が縮まり2002年に結婚されています。10年以上の長い交際期間を経ての結婚だったので、どちらかがプロポーズをしたというわけではなく、ごく自然な流れとして結婚されたそうです。
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そんな朝原宣治さんと奥野史子さんはスポーツ界きっての理想の夫婦としても知られ、2008年11月22日の「いい夫婦の日」には、共に関西出身の五輪メダリスト夫婦として「パートナー・オブ・ザ・イヤー2008」に3万票近い投票によって選ばれました。
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また、その年に、奥野史子さんは「パパ、かっこよすぎやん!―夫婦で勝ち取った五輪3個の銅メダル」という朝原宣治さんとの結婚生活などを綴ったエッセイ本を出版されています。
朝原宣治と嫁の奥野史子の子供は息子1人と娘2人の3人
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朝原宣治さんと嫁の奥野史子さんとの間には、息子さん1人と娘さん2人の3人の子供が生まれています。
朝原宣治さんと嫁の奥野史子さんの1人目の子供は2003年4月に誕生した長女の寧々さんです。2021年8月の現在は18歳で高校3年生のはずですが、通っている学校や現在の様子などは不明です。
二人目の子供は2006年7月に誕生した長男の大河さんで、2021年8月の現在は15歳で中学3年生になっているはずですが、現在の様子は不明です。
3人目の子供は、2011年7月に生まれた次女ですが、名前は公表されておらず不明です。現在は10歳で小学4年生になっているはずです。
朝原宣治さんは2013年頃までは自身のTwitterで息子さんや娘さんについてのツイートをよく投稿されていました。
ゆっくり寝るつもりが、娘に叩き起こされる。でもちょっと嬉しいな。
— 朝原宣治 (@nobinobi0621) June 17, 2011
息子が初めての賞状とトロフィーを持って帰ってきた。こういう自信の積み重ねで成長していくんだろなぁ。うれぴ^o^
— 朝原宣治 (@nobinobi0621) September 16, 2013
朝原宣治の現在① 陸上競技クラブ「NOBY T&F CLUB」 主宰
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朝原宣治さんは現役引退後の2010年に自らが中心となって陸上競技クラブ「NOBY T&F CLUB」を立ち上げ、現在も主宰されています。
朝原宣治さんはこの「NOBY T&F CLUB」でジュニアやユース世代の選手育成を目的とした陸上競技教室の開催など、後進の育成に力を注がれています。
朝原宣治の現在② 一般社団法人アスリートネットワーク副理事長
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引退後の2010年、朝原宣治さんは元女子バレーボール日本代表監督として知られる柳本晶一さんら様々な競技の元トップアスリート達と共に、一般社団法人「アスリートネットワーク」を設立されています。
朝原宣治さんは現在もこの「アスリートネットワーク」の副理事長を務められています。
「アスリートネットワーク」は、アスリートを通じての社会貢献活動、現役アスリートの支援、次世代に向けたスポーツ教室やイベント、大会の開催など、スポーツの発展を目的とした様々な事業を展開されています。
なお、このアスリートネットワークには、嫁の奥野史子さんも参加されていて副理事を務められています。
朝原宣治の現在③ 世界マスターズ陸上競技選手権大会に出場
朝原宣治さんは、2018年9月に世界マスターズ陸上競技選手権大会の4×100メートルリレーに、タレントの武井壮さんらと出場し、43秒77で見事優勝を飾っています。
このクラスの世界記録は43秒42で、朝原宣治さんのチームのタイムはこれにわずか0.35秒に迫る素晴らしい記録でした。
まとめ
今回は、日本国内を代表するスプリンターで、2008年の北京オリンピックでは4×100メートルリレー種目で、日本史上初の快挙となる銀メダル獲得の偉業も成し遂げた朝原宣治さんについてまとめてみました。
朝原宣治さんの実家は神戸市北区鈴蘭台という坂道の多い場所で、子供時代の朝原宣治さんはこの坂道を上り降りして連日学校へ通い足腰を鍛えられたそうです。
家族は元銀行員の父親と、姉、母親と祖母の5人家族で育ったという事です。
朝原宣治さんの嫁は、元シンクロナイズドスイミングの日本代表選手の奥原史子さんで、娘さん2人、息子さん1人の3人の子供に恵まれています。
現在、朝原宣治さんは、陸上競技クラブ「NOBY T&F CLUB」の主宰や、一般社団法人「アスリートネットワーク」の副理事などを務め、スポーツ界の発展や後進の育成に力を注がれています。
また、2018年には世界マスターズ陸上競技選手権大会の4×100メートルリレーで優勝を飾るなど、陸上選手としての活躍も続けられています。