2006年に26歳の若さで亡くなった砲丸投げ選手の森千夏さんは現在も日本記録を保持する世界と戦える有力選手でした。
この記事では森千夏さんの砲丸投げ選手としての経歴、家族や結婚、アテネ五輪出場後の病気での闘病と死因などについてまとめました。
この記事の目次
森千夏(砲丸投げ選手)のプロフィール
森千夏のプロフィール
生年月日:1980年5月20日
没年月日:2006年8月9日(没年26歳)
出身地 :東京都江戸川区
身長 :169cm
森千夏さんは、2004年のアテネオリンピックにも出場した砲丸投げ選手で、日本記録を合計9回更新し、この女子砲丸投げの日本記録(18m22)は2024年の現在まで破られていません。
森千夏さんは世界と戦える有力選手として注目されていましたが、アテネオリンピックでは体調を崩し、実力を出せずに予選落ちします。
帰国後に急性腎盂腎炎などの病気で入退院を繰り返すようになり、2005年に虫垂がんと診断されて余命宣告を受け、アテネオリンピックからちょうど2年後の2006年8月に26歳という若さで亡くなりました。
森千夏(砲丸投げ選手)の経歴① 中・高時代から砲丸投げで才能を示す
森千夏さんは東京江戸川区の出身で、小学校の時に水泳を習い始め熱心に取り組んでいたそうです。
その後、地元の江戸川区立清新第二中学校に進学しましたが、水泳部がなかったので陸上部に入り砲丸投げ種目を始めています。
森千夏さんはすぐに砲丸投げの才能を示し、中学2年生の時に全国大会に出場し全国3位となり、中学3年生の時には国体にも出場しています。
1996年に私立の東京高校へと進学し、当時から陸上の投擲種目の名指導者として知られていた小林隆雄さんの指導を受け、1998年にはインターハイに出場し女子砲丸投げ種目で優勝を飾っています。
森千夏(砲丸投げ選手)の経歴② 日本新記録を次々と更新し五輪出場
出典:https://www.japanlaim.co.jp/
1999年に森千夏さんは国士舘大学の体育学部へ進学して砲丸投げを続け、アジアジュニア選手権3位と世界大会でも活躍。2000年には16m43で当時の日本新記録を樹立し、アジア選手権で準優勝、続く2001年の日本選手権では初優勝に輝きました。
2002年の浜松中日カーニバルで、17m39の記録を出し自らの持つ日本新記録を更新。その年には韓国釜山でのアジア大会の日本代表に選ばれて5位入賞を果たしています。
2003年、森千夏さんはスズキに入社して砲丸投げ競技を続け、その年の兵庫リレーカーニバルにて、17m53の記録で自らの持つ日本新記録を更新し、さらに日本選手権でも優勝し世界選手権の日本代表に選出されています。世界選手権では予選敗退となりましたが、アジア選手権では3位入賞を果たしています。
2004年には18m22の日本新記録をまたしても更新し、この記録は2024年の現在も破られていません。この年には日本選手権での2年連続優勝を果たしアテネオリンピックの日本代表に選出されました。これは1964年の東京オリンピック以来40年ぶりとなる日本人女性のオリンピック出場達成という快挙でした。
しかし、森千夏さんはアテネオリンピックの少し前から体調を崩し、下腹部の痛みを感じ始めました。病院では膀胱炎という診断を受けましたが、オリンピック出場を中学生の時からの目標としていた森千夏さんは病気を押して投薬治療を受けながらアテネへと向かいました。
しかしやはりアテネオリンピックでは実力を発揮できず(記録は自身の持つ日本記録に遠く及ばない15m86)、予選敗退となりました。帰国後に病気を公表して入退院を繰り返し、それからわずか2年後の2006年に26歳という若さでこの世を去りました。
森千夏(砲丸投げ選手)の家族① 母親はかよ子さん
森千夏さんの家族構成は両親と姉と兄がいる5人家族でした。
森千夏さんの母親はかよ子さんという方で、森千夏さんが亡くなった後にインタビュー取材を受けられていました。この2006年当時は54歳と報じられていました。
砲丸投げの故森千夏選手が、アテネ五輪の舞台に立ったのは2004年夏。日本選手として40年ぶりの出場という快挙でした。しかし、母親のかよ子さん(54)は五輪前から、娘の異変が気がかりでした。
森千夏さんが病気で入退院を繰り返していた頃は、母親のかよ子さんが寄り添ってサポートされていたようです。
森千夏さんの父親についてはほとんど情報がありませんが、母親のかよ子さんがインタビューの中で、森千夏さんの最後を看取ったのは父親だと話されていたので、家族で病気の森千夏さんをサポートされていたのだろうと推測されます。
看取ったのは主人で、私はそのときに間に合わず、みてやれませんでした。
森千夏(砲丸投げ選手)の家族② 姉と兄がいる3人兄弟の末っ子
森千夏さんは姉と兄が1人ずついる3人兄弟の末っ子である事が明かされています。
【プロフィル】森千夏 もり・ちなつ 昭和55年生まれ。姉、兄との3人兄弟の末っ子。
お姉さんについては情報がなく不明ですが、お兄さんは森千夏さんの4歳年上である事が明かされています。
千夏は小さいころからよく動き回る子供でした。体も大きく、4つ年上のお兄ちゃんを引っ張り回すような子で。
森千夏(砲丸投げ選手)の結婚
森千夏さんは結婚はされておらず生涯独身でした。
森千夏(砲丸投げ選手)はアテネ五輪から帰国後に病気で闘病
森千夏さんはアテネオリンピックに女子砲丸投げ種目の日本代表として出場しましたが、アテネへ行く前から微熱が続き体調がすぐれず膀胱炎と診断されて投薬治療を受けながらオリンピックに挑みました。
それが影響したのか森千夏さんはアテネオリンピックでは実力を発揮できずに予選敗退となり、帰国後も体調が回復しなかったため1週間入院しています。
退院後は砲丸投げ選手として競技を続け、埼玉国体、浜松リレーカーニバルなどに出場し、シーズンオフにも中国で合宿を行うなど積極的に活動されています。
しかし、2005年4月、原因不明の発熱と下腹部の痛みなどの症状が出るようになり、病院で精密検査を受けたところ急性腎盂腎炎という病気と診断され約2週間の入院。この検査時に骨盤内に腫瘍が見つかり、江戸川区臨海病院から順天堂大学医学部附属順天堂医院に転院し2ヶ月後に手術を受けています。
手術前の病理検査では「腫瘍は良性」と報告を受けていましたが、手術で「腫瘍は悪性で周囲の臓器にも浸潤しており、癌を取り切る事ができない」事が判明しました。この際に森千夏さんの病気は「虫垂がん」だと診断されています。
母親のかよ子さんによれば、この時に医師からは「余命20ヶ月」との宣告を受けたそうですが、森千夏さんにはその事は伝えなかったそうです。
虫垂がんと診断されて以降は、抗がん剤による化学療法が始められています。この頃は進行が遅く転移もなかったため、しばらくは化学療法が続けられました。しかしその後、砲丸投げ選手としての現役復帰を目指していた森千夏さん本人の「抗がん剤は体力の消耗が激しいので中止して自然療法による免疫向上の治療をしたい」との希望により、抗がん剤治療を終了しています。
この頃、森千夏さんは早く病気を治し2008年の北京オリンピックや2012年オリンピックへの出場を目標にし、その後は砲丸投げの指導者になりたいと将来について語られていたそうです。
森千夏さんの病気「虫垂がん」は症例が少なく、森千夏さんが希望した自然療法は保険適用外だったため莫大な治療費がかかり、母校である東京高校や日本陸上競技連盟が募金活動を実施し、走り幅跳び選手の池田久美子さん(現在は結婚し井村久美子さん)、ハードルの為末大さん、親交があったプロ野球選手の下柳剛さんらも支援活動に乗り出しました。
しかしその後も森千夏さんの容態は回復へと向かわず、2005年は1度も大会に出場できず2006年3月をもってスズキとの契約も解消されています。この頃には森千夏さんも現役続行を諦め、「コーチとして陸上を続けたい」との思いを口にするようになったという事でした。
森千夏さんは2006年4月に念願の退院を果たすも、病状が進行して5月20日の26歳の誕生日に再入院しています。
8月4日、病気の状態が安定したことで一時的に帰宅が叶いましたが、翌5日には両足の痺れが出るなど容態に変化が出たため病院に戻る事になり、6日には痛み止めのモルヒネを注射、7日に容態が悪化し、8日には昏睡状態となり、そのまま意識が戻る事なく2006年8月9日に26歳という若さで亡くなりました。
森千夏(砲丸投げ選手)は心の病気にも苦しんでいた
アテネオリンピック出場の後、病気で闘病を続けていた森千夏さんでしたが、精神的にも辛い時期が続き、「心の病気」にも苦しんでいた事が母親のかよ子さんや関係者により明かされています。
森千夏さんに対しては医師からの余命宣告は告げられていなかったという事ですが、やはり自分の状態からどうしても「死」を意識した事や、長期入院によるストレスが重なり「パニック障害」を発症し、精神的に不安定になっていったとのことです。
母親のかよ子さんによれば、パニック障害により、過呼吸を起こしたり円形脱毛症になったり、病院で大声で叫んだり、早朝に電話をかけてきて泣き出したりといった事があったそうです。
気持ちの変化は心の病にもなりました。
がんの手術以来、退院してもすぐ入院を繰り返す日々で、入院中の千夏は「パニック障害」と診断されました。 過呼吸を起こしたり、円形脱毛症が現れたり、病院中に聞こえるような大声で叫んだり、早朝に電話をかけてきて泣き出したり…。
森千夏さん本人も家族も、大変辛かったのではないかと想像されます。
また、関係者からは、2006年5月20日に再入院した後は、特に心の病気が悪化し、思うような治療ができないような状態だったとの証言も出ています。
森千夏(砲丸投げ選手)の死因は虫垂がん
出典:https://lh4.googleusercontent.com/
森千夏さんは2006年8月9日に26歳という若さで亡くなりました。死因は「虫垂がん」と発表されています。
8月9日、陸上女子砲丸投げの日本記録(18m22)保持者で、アテネ・オリンピックにも出場した森千夏さんが、虫垂がんのため死去。26歳。
森千夏さんの通夜は2006年8月11日に、葬儀・告別式は12日に東京都港区の青山葬儀所で営まれ、走り幅跳びの池田久美子さんやハードル競技の為末大さん、ハンマー投げの室伏広治さんら約700人が参列し、弔辞は親交の深かった池田久美子さんと為末大さんによって読み上げられました。
陸上女子砲丸投げの日本記録保持者で、9日に虫垂がんのため26歳で亡くなった森千夏さんの葬儀・告別式が12日、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。
まとめ
今回は、砲丸投げ種目で活躍し現在も日本記録を保持している陸上選手の森千夏さんについてまとめてみました。
森千夏さんは中学生の頃に砲丸投げ種目を始め、高校時代にはインターハイで優勝、国士舘大学には何度も日本新記録を更新しアジア選手権で2位、日本選手権で優勝の経歴を持ちます。
その後はスズキに入社して砲丸投げ競技を続け、1964年の東京オリンピック以来40年ぶりとなる日本人女性の砲丸投げでのオリンピック出場の快挙を成し遂げ2004年のアテネオリンピックに日本代表として出場しました。
しかし、アテネオリンピックの少し前から病気で体調を崩して力を発揮できずに予選敗退を喫し、帰国後は急性腎盂腎炎や虫垂がんなどの病気で闘病しました。
森千夏さんの家族は、両親と兄と姉の5人家族で、生涯結婚はせず独身でした。闘病では家族が支えられたようです。
森千夏さんの死因は「虫垂がん」と発表されています。