広島カープの黄金時代を支えた元プロ野球選手・北別府学さんが2023年6月に亡くなられました。
ここでは北別府学さんの成績や年俸推移と共にその偉業を振り返り、嫁や息子、娘、「成人T細胞白血病」という病気の公表や骨髄移植、死去した現在までについてまとめました。
この記事の目次
北別府学のプロフィール
北別府学のプロフィール
生年月日:1957年7月12日
出身地 :鹿児島県曽於郡末吉町(現在の曽於市)
身長 :181cm
血液型 :O型
北別府学さんは、セ・リーグ「広島東洋カープ」のエース投手として活躍した方です。
広島カープの黄金時代である1980年代にエースとして君臨し、チームを5度のリーグ優勝に導きました。
球速のMAXは144km/hと速球投手ではありませんでしたが、「精密機械」とまで言われた抜群の制球力と、多彩な変化球を駆使した芸術的な投球で安定した成績を残し続けました。
そのあまりに精細なコントロールが仇となり、打者にコースを読まれた時には長打を浴びる事も多く、通算被本塁打380本はプロ野球で4番目に多い記録になっています。
そんな北別府学さんは、現役時代を通じて広島東洋カープ一筋でプレーし、1992年シーズンには超1流投手の証とも言える通算200勝を達成、広島カープだけで通算200勝を達成した投手は現在までで北別府学さんただ1人だけです。
現役引退後は、2001年から2004年シーズンにかけて広島カープの投手コーチを務め、その後も地元広島では絶大な人気を誇り、野球解説者、テレビタレントとして活躍されました。
今回は、そんな広島カープきってのレジェンド投手、北別府学さんについて紹介します。
北別府学の成績と年俸推移
北別府学さんの年度ごとの成績と年俸の推移を紹介します。
年度 | 登板数 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 投球回 | 奪三振 | 自責点 | 防御率 | 推定年俸 |
1976 | 9 | 2 | 1 | 0 | 29.1 | 18 | 13 | 4.03 | 不明 |
1977 | 33 | 5 | 7 | 0 | 131.2 | 90 | 81 | 5.52 | 不明 |
1978 | 39 | 10 | 7 | 0 | 175 | 98 | 89 | 4.58 | 不明 |
1979 | 36 | 17 | 11 | 0 | 215.2 | 155 | 86 | 3.58 | 不明 |
1980 | 30 | 12 | 5 | 0 | 177.2 | 82 | 80 | 4.04 | 1380万 |
1981 | 32 | 16 | 10 | 0 | 226.1 | 123 | 83 | 3.31 | 1450万 |
1982 | 36 | 20 | 8 | 1 | 267.1 | 184 | 72 | 2.43 | 1950万 |
1983 | 33 | 12 | 13 | 0 | 215.2 | 106 | 95 | 3.96 | 3300万 |
1984 | 32 | 13 | 8 | 2 | 203.2 | 99 | 75 | 3.31 | 3040万 |
1985 | 35 | 16 | 6 | 2 | 199 | 85 | 79 | 3.57 | 3700万 |
1986 | 30 | 18 | 4 | 0 | 230 | 123 | 62 | 2.43 | 4660万 |
1987 | 29 | 10 | 14 | 0 | 181.1 | 119 | 88 | 4.36 | 6800万 |
1988 | 27 | 11 | 12 | 0 | 209.2 | 112 | 73 | 3.13 | 6800万 |
1989 | 22 | 9 | 10 | 0 | 110 | 69 | 67 | 5.48 | 7200万 |
1990 | 17 | 8 | 4 | 0 | 98.1 | 58 | 48 | 4.39 | 6600万 |
1991 | 25 | 11 | 4 | 0 | 141.1 | 73 | 53 | 3.38 | 6100万 |
1992 | 26 | 14 | 8 | 0 | 181.1 | 101 | 52 | 2.58 | 8300万 |
1993 | 13 | 6 | 6 | 0 | 69 | 38 | 40 | 5.22 | 1億300万 |
1994 | 11 | 3 | 3 | 0 | 50.2 | 24 | 32 | 5.68 | 1億300万 |
通算 | 515 | 213 | 141 | 5 | 3113 | 1757 | 1268 | 3.67 | 8億1880万 |
1982年には最多勝、1986年には最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得され、プロ通算でも213勝、防御率3.67の伝説的エースにふさわしい素晴らしい成績を残されています。
現在のプロ野球の感覚から見ると、成績の割に年俸が低い印象を受けますが、当時の年俸水準としては標準的なものです。また、広島東洋カープは12球団の中でも平均年俸が低いチームなのですが、北別府学さんはそんなカープにあって初めて年俸1億円に到達された選手でもあります。
北別府学の嫁は元ミス日本の北別府広美さん
北別府学さんの嫁は、元ミス日本にも輝いている美人嫁と話題の北別府広美さんです。
北別府学さんと嫁の広美さんが結婚した年についてはネット上で1980年という情報が流れていますが、北別府学さんが自身のブログにて「結婚する年に20勝を挙げる事が出来ました。」と書かれているため、正しくは1982年だと思われます。
2人の出会いはお見合いだったそうで、北別府学さんは「今年20勝を上げたら結婚しよう」とプロポーズし、見事20勝を記録しています。シーズン20勝というのはまさにリーグトップ投手の証とも言えるずば抜けた成績なので、それを有言実行してしまうところも北別府学さんがレジェンドと呼ばれる由縁です。
実は、嫁の北別府広美さんは元ミス日本という経歴もあって芸能界入りも考えていたそうなのですが、これを北別府学さんが反対したというエピソードもあるようです。
また、北別府学さんの嫁・北別府広美さんは2012年頃には「国連支援交流協会広島支部長」として活動されていたようです。
なお、嫁・北別府広美さんの年齢や結婚するまでの経歴などの詳細は公開されていません。
北別府学の娘は内科医の北別府優さん
北別府学さんには嫁の北別府広美さんとの間に3人の子供がいます。
娘(長女)の北別府優さんは、以前テレビ番組で、内科医として広島県広島市の「赤十字原爆病院」に勤務されている事が明かされています。北別府学さんの娘の北別府優さんは、2013年に放送された番組内で27歳と紹介されていました。
北別府学さんの娘の北別府優さんは、父親がスポーツ選手として努力する姿を見て「自分も父のように道を極める人間になりたい」との思いから医者を志し、国立山口大学医学部へと進学し内科医になったそうです。
そんな北別府学さんの娘・北別府優さんは2013年に結婚されています。この事について 、北別府学さんは自身のブログで以下のようにコメントされていました。
無事結婚式が終わりました。皆さんから言われましたが娘を嫁に出す寂しさは意外とありませんでしたよ。それよりも家族が1人増えた喜びのほうが大きかったというか良い婿さんです。
北別府学さんの娘・北別府優さんは、現在はどうやら大分県に住まわれているようです。
北別府学の孫も誕生
2019年8月、北別府学さんの娘・北別府優さんに子供が誕生しています。北別府学さんにとっては初孫になります。
北別府学さんの初孫の性別は男の子で、かなり体の大きな赤ちゃんとして誕生したようで、北別府家の女性陣は将来はラグビー選手にしようと盛り上がっていたとの事。
これに対して、北別府学さんはプロ野球選手にしたかった様子で「私は絶対キャッチボールに励もうとこっそり思っとる」とブログに綴られています。
いけると思ったらしい我が家の女性陣大分には良いラグビースクールがあると調べているし女性陣に負けぬよう私は絶対キャッチボールに励もうとこっそり思っとる
北別府学の息子
北別府学さんには2人の息子さんもいます。
息子さん2人の名前など詳細な情報は公表されていませんが、長男は明治大学卒のとても優秀な方のようです。
北別府学さんは自身のブログに息子さんのことをよく書かれていて、長男は結婚し幼児教育の仕事に就いていることが判明しています。
次男の息子さんについても詳細は不明ですが、実家で家族と同居し食品製造の仕事をされているようです。
我が家では次男の部屋から笑い声が漏れてくるのでまさか大勢友達?と思ったら流行りのオンライン飲み会でした
北別府学が病気「成人T細胞白血病」である事を公表
2020年1月20日、北別府学さんは自身がコメンテーターを担当する広島ホームテレビの「みみよりライブ5up!」の番組内で、2年前に「成人T細胞白血病」という病気と診断された事を公表しました。
北別府学さんが診断された病気「成人T細胞白血病」は、白血球の一種であるT細胞に「HTLV-1」というウイルスが感染し、それが原因でがん化した「ATL細胞」が増殖する事で発症する病気との事。発症すると非常に致死率が高い病気だという事です。
北別府学さんは、病気の公表の翌日の21日に広島市内の病院に入院し、抗がん治療を受けられていました。
そして、同年5月5日には、ブログを通じて息子さんをドナーとする骨髄移植を受けるために入院する事を発表されています。
北別府学さんは闘病中も、いつも前向きな発言で逆にファンを勇気付けてくれるようなメッセージを書いてくれていましたが、この入院発表のブログでは多少不安な様子見せていました。
抗がん治療中も原稿を書いたりブログを投稿する体力、気力がありましたこの度は移植を伴う入院ですからどうなるか予想がつきません。
ファンからは多くの応援のメッセージが寄せられました。
北別府学の現在① 骨髄移植手術を終えて退院
北別府学さんの骨髄手術のための入院後は、嫁の北別府広美さんが夫に代わってブログを更新され、ファンに向けての情報を発信してくれていました。
嫁の広美さんはブログを通じて、2020年5月19日に無事骨髄移植手術が終わった事や、拒絶反応が出るリスクもありまだまだ安心はできない不安な心境なども吐露されていました。
同年6月11日には、北別府学さんの白血球の数値が無事上がって来た事や、無事生きていてくれる事の嬉しさが込み上げて来た事なども綴られています。
3週目に入り全く上がらない数値に一時は再移植が頭をよぎったりしておりましたので、主人が生きてくれると思った途端に嬉しさのあまり虚脱状態です。
そして、2020年7月11日、北別府学さん本人によって、無事に退院する事がブログを通じて発表されました。
成人T細胞白血病の治療で5月に骨髄移植手術を受けた元広島投手・北別府学氏(63)が11日、ブログを更新し、退院を報告した。「お陰様で(原文まま)」と題し「自宅に帰ることができ感慨無量です。皆さんの励ましは本当に大きな力でした」と感謝した。
北別府学の現在② 合併症による闘病生活が続く
出典:http://xs167991.xsrv.jp/
2020年12月に、白血病の細胞が検査で見られなくなる「寛解」となり病を乗り越えた北別府学さんは、2021年3月には約1年2カ月ぶりにテレビ番組のコメンテーターとして現場復帰を果たしています。
しかし、リハビリを続ける中、2021年6月には転倒して側頭部を10数針を縫い、同年11月には大腿骨骨折が判明して人工大腿骨に置換する手術を受けるなど筋力低下による怪我にも悩まされました。
2週間ちょっと前の話しですが、落ち込んでいたのと痛みで書くことができませんでした。
リハビリが進み階段もスッと上がれるようになった筈が、踏み外してしまい、、、
人口の大腿骨になりました。
まだ入院していてリハビリも一からやり直しだ
また、骨髄移植を行った患者にみられる特有の合併症「GVHD」(移植片対宿主病)の症状をたびたび発症し闘病生活が続きました。
移植後の患者は、移植されたドナーのリンパ球が正常細胞を異物とみなして攻撃してしまうことで、臓器などにさまざまな症状が出ることがあるようで、北別府学さんの場合は、2022年3月に腎機能の悪化から尿毒症を発症しています。
さらに同年6月には、感染症からくる敗血症を発症したことを嫁の広美さんがブログで報告しました。
先日より体調が悪く、食事を摂る事もあまり話しも出来ない状態となっておりました。
感染症からくる敗血症だそうです。
この度は、永く辛い試合となってしまいましたが、その主人の苦しみの表情は9回満塁で最後どのように乗りきろうかなと現役時代に見せていた時と同じ苦悩の表情でした。
入退院を繰り返すも持ち前の精神力で病魔を克服してきた北別府学さんですが、2023年2月に免疫力低下により帯状疱疹を罹患してからは容態が悪化し、本人によるブログ更新もストップしてしまいました。
以降は嫁の広美さんが闘病生活の様子をブログに綴っており、2023年5月には退院が延期になったことを報告しています。
主人の退院が延期になってしまいました
移植の生着後、GVHDとの闘いで様々な症状に次々と襲ってきては的確な治療をして頂き乗り越えてきましたが、今回は中々手強いようです。
実は、血管も脆くなっていましてその治療に当たって頂いています。
主人は眠っている事が多く、幸いな事に苦しみの表情はあまり見せません。
北別府学の現在③ 2023年に65歳で死去
出典:https://www.nikkansports.com/
闘病生活を送っていた北別府学さんですが、2023年6月16日に広島市内の病院で亡くなられました。65歳でした。
最後は家族全員に見守られながら息を引き取ったとのことです。
北別府学さんの訃報を受け、ファンや関係者は悲しみに包まれました。
葬儀・告別式は6月19日に、広島市中区の斎場で球団関係者68人を含む191人が参列して営まれました。
広島カープOB会会長の大野豊氏が「これからも我々はずっと一緒です」と涙で声を詰まらせながら弔辞を捧げ、その弔辞を聞いた北別府学さんの家族も全員涙を流していたとのことです。
まとめ
今回は、広島カープの黄金時代を支えた伝説的エースピッチャー・北別府学さんについてまとめてみました。
北別府学さんは1970年代から1980年年代にかけてのカープ黄金時代を支えた投手で、抜群のコントロールで「精密機械」と呼ばれ、長年にわたって安定した成績を残し、チームを5度のリーグ優勝へと導きました。
プロ野球選手引退後も、地元広島に密着して活動を続けられ、多くの人々に愛される存在となっていました。
そんな北別府学さんですが、2020年1月に「成人T細胞白血病」という病気を患い闘病中である事を明かされました。2020年5月には骨髄移植を受けるために入院。手術は無事に成功しその後白血病は寛解となりましたが、骨髄移植を行った患者にみられる合併症の影響で入退院を繰り返すなど闘病生活は続いていたようです。
嫁の広美さんとともに様々な病を克服してきた北別府学さんですが、2023年6月に65歳の若さで亡くなられました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。