今中慎二投手は、引退後20年経った現在も中日ファン・プロ野球ファンの記憶に残り続けています。
今回は今中慎二さんの経歴、成績や年俸、全盛期やスローカーブの凄さ、出身高校、結婚した嫁や子供、現在の活動をまとめました。
この記事の目次
今中慎二のプロフィール
今中慎二
生年月日:1971年3月6日
出身:大阪府門真市
身長:182cm
所属:元中日ドラゴンズ
投球・打席:左投げ・左打ち
ポジション:ピッチャー
活動:元プロ野球選手
今中慎二さんは、大阪出身のプロ野球選手です。中日ドラゴンズでエースとして活躍したサウスポーで、最多勝や沢村賞を獲得した大エースでした。
しかし、活躍した期間はあまり長くなく、1997年頃からはケガとの闘いになり、2001年のオフに現役を引退しています。
細身の体でムチのようにしなる投球フォームから、150km/h近いストレートと100km/h前後のカーブ、さらに70~80km/hのスローカーブを武器にしていた投手です。
今中慎二の経歴
学生時代
出典:column.sp.baseball.findfriends.jp
今中慎二さんは大阪府門真市に生まれます。お兄さんの影響で小学2年生の時に野球を始めました。
今中慎二さんと言えば、サウスポーですが、実は右利きなんです。右利きだけど、最初に近所の女性から左利き用のグローブを貰ったことがきっかけで、野球の時は左利きになったそうです。
4年生の時にピッチャーになり、大阪産大高校大東校舎に進学した後は、一気に頭角を現し、プロ野球のスカウトからも注目を集める存在になります。
高校時代は甲子園に出場することはありませんでしたが、その才能にプロ野球が注目し、1988年のドラフト会議で、中日ドラゴンズからドラフト1位指名を受け、NPB入りが決まりました。
中日ドラゴンズ時代
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1988年のドラフトで中日ドラゴンズに1位指名された今中慎二さんは、ルーキーながら1989年5月26日には一軍初登板を果たし、9月17日にはプロ初勝利を飾りました。
1991年からは先発ローテーション入りを果たし、エースへの階段を着実に登っていきます。
1992年は4月に打球を受けて手首を骨折しますが、夏には復帰、8勝2敗の成績を残しました。
その後も、中日のエースとして活躍していましたが、1997年のキャンプ前に左肩を故障。一軍で登板し、勝利を上げることもありましたが、二軍でのリハビリ生活が多くなっていきます。
2000年は一軍登板が1回もなく、それ以降もリハビリを続けていましたが、2001年オフに「気力が限界に達した」という理由で現役を引退しました。
引退後
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2001年に引退後は、2002年のオープン戦で引退セレモニーを行い、その後は解説者として活躍しています。
今中慎二さんの解説は、落ち着いた低めの声で、古巣中日のひいきをすること、的確な解説だと好評です。ただ、若干ネガティブな解説のことがありますね。
今中慎二の成績や年俸の推移
今中慎二の成績
今中慎二さんの現役中の成績を見ていきましょう。
登板数 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 防御率 | |
1989年 | 10 | 1 | 4 | 0 | 3.86 |
1990年 | 31 | 10 | 6 | 1 | 3.86 |
1991年 | 36 | 12 | 13 | 0 | 2.52 |
1992年 | 11 | 8 | 2 | 0 | 1.77 |
1993年 | 31 | 17 | 7 | 1 | 2.20 |
1994年 | 28 | 13 | 9 | 3 | 2.88 |
1995年 | 25 | 12 | 9 | 0 | 3.29 |
1996年 | 25 | 14 | 8 | 0 | 3.31 |
1997年 | 10 | 2 | 2 | 0 | 4.03 |
1998年 | 14 | 2 | 8 | 0 | 5.34 |
1999年 | 5 | 0 | 1 | 0 | 7.88 |
2000年 | 一軍登板なし | ||||
2001年 | 7 | 0 | 0 | 0 | 3.27 |
先発ローテとして活躍したのは、1990年から1996年の7年間。中日のエースだったのは、1991年から1996年までの6年間です。
この年別の成績を見ると、プロ野球選手として輝いたのはごくわずかな時期であることがわかります。でも、その時期の成績は、エースとして申し分ない成績ですよね。
今中慎二さんの個人タイトルはこちらです。
・最多奪三振:1回
・沢村栄治賞:1回
・ベストナイン:1回
・ゴールデングラブ賞:1回
・最優秀投手:1回
これらの個人タイトル(表彰を含む)は、すべて1993年に獲得しています。今中慎二さんの1993年の成績がいかに突出していたかがわかりますね。
今中慎二の年俸
今中慎二さんの年俸の推移を見ていきましょう。
・1990年:580万円
・1991年:1750万円
・1992年:3500万円
・1993年:3700万円
・1994年:9200万円
・1995年:1億4000万円
・1996年:1億5000万円
・1997年:1億6500万円
・1998年:1億4500万円
・1999年:1億2000万円
・2000年:8400万円
・2001年:3800万円
生涯獲得年俸は10億3410万円です。中日入団時の契約金は6000万円ですから、契約金を含めると、プロ野球選手として稼いだ年俸は10億9410万円となります。
30年前のプロ野球選手の年俸って、かなり安かったんですね。高卒とは言え、ドラフト1位の選手の年俸が480万円となっています。
ちなみに、2019年のドラフト1位の高卒投手の佐々木朗希選手は契約金1億円、年俸1600万円です。
また、1993年に投手部門のタイトルを複数獲得し、沢村賞まで獲っているのに、3700万円から9200万円にしか上がっていません。
3700万円から一気に1億円に到達するのは難しいかもしれませんが、成績だけを見ると1億円に到達しても良さそうですよね。
今中慎二の全盛期の凄い投球動画を紹介
今中慎二さんの全盛期は、本当に凄かったんです。細身の体から鞭のようにしなる腕で投げ込むフォームは、見ていて惚れ惚れするほどでした。
また、緩急をうまく使い、面白いように三振を取っていく投球は、爽快感さえ感じさせるものでした。
1997年のキャンプ前に左肩を故障以降、長いリハビリ生活でしたが、当時に今のような関節を保護する知識やトレーナーがいれば、今中慎二さんはもっと現役を続けられたかもしれません。
20代半ばで投手生命が終わり、30歳で引退というのは、あまりにも早かったですよね。
同時期に中日の2枚サウスポーエースだった山本昌とは、あまりにも対照的な野球人生でした。
今中慎二の代名詞はスローカーブだった
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今中慎二さんの代名詞とも言える球種は、スローカーブです。
ストレートは140km/h後半を記録し、キレのある素晴らしい直球でした。それに80km/h台のスローカーブを織り交ぜるのですから、その球速差は50~60km/hにもなります。
しかも、直球とスローカーブはほぼ同じフォームから投げるので、サインを出していたキャッチャーすらも、直前までどの球種が来るかわからないほどでした。
打者はストレートを待っていたら、あまりにも遅い球が来て、しかもそのスローカーブはキャッチャーミットに入る前に止まって見えるほどだったと言います。
そのため、今中慎二さんのスローカーブを打とうとすると、バッターは腰砕け状態になってしまうことが多かったのです。
この今中慎二さんのスローカーブは、ストレートと同じフォームから投げられるだけでなく、コントロールも良かったんです。
・球速差が50~60km/hにもなる
・内角と外角への投げ分けができる
だから、今中慎二さんの代名詞になるほどスローカーブは、武器になっていたんですね。
今中慎二は大阪桐蔭出身だった
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現在のプロ野球選手は、大阪桐蔭高校出身の選手が多いですよね。実は今中慎二さんも大阪桐蔭出身なんです。
今中慎二さんが入学したのは、大阪産大高校大東校舎でしたが、今中慎二さんが3年生の時に大阪桐蔭として独立したんです。
だから、卒業は大阪桐蔭高校であり、大阪桐蔭の1期生ということになります。
ただ、母校愛はあまりにないようです。
お礼がないから、今では大阪桐蔭が甲子園に出場しても、寄付はしていないと語っています。
確かに、大阪桐蔭は毎年のように甲子園に出場していますから、OBとしては大変ですよね。
今中慎二が結婚した嫁・子供とは?
今中慎二投手は1997年に結婚しています。お相手はムッターハムの社長令嬢とのことです。
どうやらムッターハムは、中日ドラゴンズのタニマチ的な存在で、当時の監督だった星野仙一さんの紹介で知り合い、結婚に至ったようです。
政略結婚という噂があった今中慎二投手の結婚ですが、媒酌人はあの鈴木宗男氏とのことで、ますます政略結婚の可能性が高いですよね。
ちなみに、ムッターハムはBSE問題の時に経営破綻しています。
子供の詳しい情報はありませんが、2002年3月の今中慎二投手の引退セレモニーで息子が花束を渡しています。
今中慎二の現在
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今中慎二さんは、2001年に現役を引退後は長く野球解説者をされていました。
その後の2012~2013年シーズンは、中日ドラゴンズで投手コーチを務めました。しかし、チーム成績が芳しくなかったため、2013年シーズンで辞任し、また解説者として活動しています。
あれほどの投手が2シーズンしか投手コーチをしないのは、もったいないと思ってしまいます。
まとめ
今中慎二さんのプロフィールや経歴、成績や年俸の推移、全盛期の活躍、武器だったスローカーブ、出身高校、結婚した嫁や子供、現在の活動をまとめましたが、いかがでしたか?
・エースとして活躍したのは6年ほどと短い
・1993年は最多勝や沢村賞を獲得する活躍だった
・速球とスローカーブが武器
・大阪桐蔭高校出身
・嫁はタニマチのムッターハムの社長令嬢という噂
今中慎二さんには、もう一度ユニフォームを着て指導者になってもらいたいですが、現場に戻ることはあるのか、注目していきたいですね。