元ヤクルトスワローズの佐藤由規さんは右肩のケガに泣かされた剛速球ピッチャーですが、家族や結婚についても注目を集めています。
今回は佐藤由規さんの経歴や仙台育英高校時代の球速記録、年俸や成績、家族(両親や兄弟)、結婚した嫁と子供、現在を紹介します。
この記事の目次
佐藤由規はケガに泣いた剛速球ピッチャー
佐藤由規
登録名:由規
生年月日:1989年12月5日
出身:宮城県仙台市
身長:179cm
体重:80kg
ポジション:ピッチャー
投打:右投左打
佐藤由規さんはプロ野球選手です。
NPBでの登録名は「由規」、ポジションはピッチャーで、甲子園を沸かせた人気選手として鳴り物入りでヤクルト・スワローズに入団。
高校時代には球速157km/hを記録し、2010年には当時の日本人投手最速記録を更新する161km/hを記録するなど、剛速球ピッチャーとして期待されていました。
ですが、プロ入り4年目に右肩を痛め、それ以降は思ったような投球ができない状態が続きました。
ヤクルト・スワローズから楽天ゴールデンイーグルス、さらにBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズ、楽天モンキーズに移籍し、ピッチャーを続けています。
佐藤由規の経歴:高校時代まで
佐藤由規さんは1989年に宮城県仙台市で生まれました。
北仙台小学校4年生の時に野球を始めました。元々は左利きでしたが、お兄さんのおさがりのグローブを使っていたため、自然と右投になりました。そのため、打席では左打になります。
北仙台中学校に進学すると、中学校の部活では陸上部に所属し、野球はリトルリーグの仙台東リーグで続けていました。
仙台東では中学1年生の時に全国制覇を成し遂げ、さらに日本代表チームとしてアジア大会を勝ち進み、世界大会に進出しました。
世界大会の1回戦(対ロシア)で佐藤由規さんは先発し、ノーヒットノーランの快挙を成し遂げます。
チームは決勝まで進みましたが、アメリカ代表に0-1で惜敗しました。その後、シニアリーグの仙台西部に所属し、高校は宮城県内の野球の名門校である仙台育英に進学しました。
2005年に仙台育英学園高校に入学した当初は、佐藤由規さんはピッチャーではなく、サードの控えという立ち位置でした。
実は入学当初の佐藤由規さんの球速は130km/hに満たなかったのです。佐藤由規さんは剛速球というイメージがありますが、高校入学時は130km/h以下だったなんて、とても意外です。
しかし、由規さんは徐々に頭角を現すようになりました。
1年生の秋には140km/hを記録し、エースの座に着き、2年生の夏・3年生の春・3年生の夏と3期連続で甲子園に出場し、5試合に登板して4試合で2桁奪三振を記録しました。
2年生の夏の宮城大会決勝では、引き分け再試合を含む24イニング374球を投げ抜き、3年夏の甲子園2回戦・智弁学園との試合では155km/hを記録しました。
佐藤由規さんの高校時代の最高球速は、2007年の日米親善試合で記録した157km/hを記録しています。
2007年秋のNPBドラフトでは、中田翔(大阪桐蔭高校)・唐川侑己(成田高校)と共に「高校ビッグ3」と注目を集めました。
東北楽天ゴールデンイーグルス・東京ヤクルトスワローズ・横浜ベイスターズ・中日ドラゴンズ・読売ジャイアンツから1位指名を受け、ヤクルトが交渉権を獲得しプロ入りしました。
佐藤由規の経歴:東京ヤクルトスワローズ時代
ドラフトで指名された後の記者会見では、家族への感謝の思いを口にして、大号泣したため、「号泣王子」というニックネームがつきました。
2007年高校生ドラフトで、ヤクルトに1位指名された際の会見で家族に感謝しながら号泣。『泣き虫王子』の異名が付いたが、そんな右腕らしからぬ冷静な表情だ。
ルーキーイヤーの2008年には、春季キャンプで左足首痛を発症し、2軍スタートとなりました。
開幕後もリハビリに専念していましたが、8月30日に横浜戦で1軍公式戦デビューを果たし、9月6日には初勝利を挙げました。
2年目の2009年からは先発ローテーション入りを果たし、球速157km/hを記録します。
3年目には、当時の日本人投手最速の161km/hを記録し、規定投球回にも到達し、12勝9敗で二桁勝利を達成しています。
2011年には、開幕前に地元仙台が東日本大震災で被災しました。
佐藤由規さんの家族は無事だったものの、仙台育英高校時代にバッテリーを組んでいた1学年上の斎藤泉さんが岩手県石巻市で行方不明になり、4月27日に遺体で発見されました。
由規さんは同日に先発登板し2勝目を挙げていて、そのウイニングボールを斎藤さんの霊前に供えたそうです。
その年は9月に右肩の張り(結局は右肩の腱板を損傷)で戦線を離脱し、翌2012年シーズンンも開幕直後に右肩の違和感と左すねの剥離骨折で1軍登板なし。
2013年シーズンには右肩のクーリング手術を行い、リハビリに専念します。
2014年・2015年シーズンも1軍登板はなく、2015年シーズンオフには育成契約に移行しました。
2016年シーズンには2軍で登板し、2017年シーズンには一軍公式戦で登板して6年ぶりの勝利を挙げました。
2018年シーズンは開幕を1軍で迎えましたが、6月に右肩の違和感を感じ、そこからは1軍登板がなく、10月にはヤクルトから戦力外通告を受けました。
ヤクルトは功労者として球団内に引退後のポストを用意することを告げましたが、由規さんはNPBでの現役続行を強く希望し、他球団からのオファーを待つことになりました。
佐藤由規の経歴:東北楽天ゴールデンイーグルス時代
ヤクルトから戦力外通告を受けた佐藤由規さんと契約したのが、由規さんの地元球団である東北楽天ゴールデンイーグルスでした。
2018年シーズンオフに東北楽天ゴールデンイーグルスと育成契約を結び、2019年シーズンは開幕は2軍でリハビリだったものの、夏には支配下登録を勝ち取り、1軍登板を果たしました。
由規コールに楽天生命パークは大歓声に包まれた。6点リードの9回に4番手としてマウンドに上がると先頭の愛斗をスライダーで空振り三振、続く木村の初球にはこの日最速の150キロをマークするなど一ゴロ、そして最後は熊代を直球で空振り三振に抑え試合を締めくくった。
しかし、2020年シーズンは1軍登板がなく、2020年11月5日に戦力外通告を受けています。
佐藤由規の経歴:埼玉武蔵ヒートベアーズ時代
佐藤由規さんは東北楽天ゴールデンイーグルスから戦力外を受けましたが、現役続行を希望します。
合同トライアウトを受けましたが、NPBの球団からは声はかからず、2021年1月にルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズに入団することが発表されました。
2021年は開幕投手として先発し、勝利と積み上げていき、4月・5月は連続で月間MVPに選出されました。
シーズン終了後は東地区最多勝で、埼玉武蔵ヒートベアーズの地区初優勝に貢献しました。
オフにNPBから声がかからなかったものの、2022年からは埼玉武蔵ヒートベアーズで選手兼任コーチとしてプレーしました。
2023年は先発として10試合に登板し6勝3敗の成績を残しましたが、7月に退団し台湾プロ野球の楽天モンキーズに移籍しています。
佐藤由規の仙台育英での記録はいまだ破られず
佐藤由規さんは仙台育英高校時代に、甲子園の春・夏の甲子園(本大会)でのスピードガンで計測された最速記録・155km/hを樹立しています。
高校生最速記録は佐々木朗希さんの163km/hですが、甲子園の本大会中の試合での最速記録は佐藤由規さんの155km/hなんです。
この佐藤由規さんの高校時代の甲子園最速記録は2007年、3年生の時の夏の甲子園・2回戦の智弁学園との試合で樹立しました。
そして、この球速155km/hの記録はまだ破られておらず、甲子園の最速記録のままです。
15年以上も最速記録のままということは、当時の佐藤由規さんの衝撃がいかにすごいものだったのかがわかると思います。
佐藤由規の成績推移
佐藤由規さんのNPBでの成績の推移を見ていきましょう。
チーム | 登板数 | 勝利 | 敗戦 | 投球回 | 防御率 | |
2008年 | ヤクルト | 6 | 2 | 1 | 29.2 | 4.55 |
2009年 | 22 | 5 | 10 | 121.0 | 3.50 | |
2010年 | 25 | 12 | 9 | 167.2 | 3.60 | |
2011年 | 15 | 7 | 6 | 100.2 | 2.86 | |
2016年 | 5 | 2 | 3 | 25.2 | 4.56 | |
2017年 | 10 | 3 | 5 | 54.1 | 4.31 | |
2018年 | 7 | 1 | 2 | 34.1 | 4.46 | |
2019年 | 楽天 | 1 | 0 | 0 | 1.0 | 0.00 |
通算 | 91 | 32 | 36 | 534.1 | 3.66 |
佐藤由規さんは2008年にNPB入りしていますが、2012年~2015年の4年間は右肩痛のリハビリで1軍登板がなかったので、記録として残っているのは通算8年間です。
プロ入り3年目の2010年の成績がキャリアハイになります。
ドラフト時はこのキャリアハイくらいの成績が何年も継続できると思っていたのに、右肩のケガに泣かされて、その後は思ったような成績を残すことができませんでした。
由規さんの球速は最速161km/hでした。ケガをする前は平均球速は149km/hでしたが、ケガをした後に復帰した2016年以降は140km/h台中盤に収まっています。
ただ、それでも2017年には最速152km/hを記録しています。
佐藤由規の年俸推移
佐藤由規さんの年俸の推移を見ていきましょう。
・2009年:1700万円
・2010年:2600万円
・2011年:5200万円
・2012年:6000万円
・2013年:4500万円
・2014年:3000万円
・2015年:2300万円
・2016年:1500万円
・2017年:1500万円
・2018年:1800万円
・2019年:420万円
・2020年:450万円
佐藤由規さんの年俸合計は3億2470万円です。
ドラフトで指名された後の契約金は1億円ですので、NPBのプロ野球選手として稼いだ金額は4億2470万円となります。
佐藤由規の家族(両親):父親はタクシー会社経営
出典:zakzak.co.jp
佐藤由規さんは5人家族で育ちました。
・母親
・兄:佐藤史規
・佐藤由規
・弟:佐藤貴規
佐藤由規さんのご家族は、とても結束が固く、佐藤由規さんを全力でサポートしていたことから、「チーム佐藤」と呼ばれることもあるそうです。
無理もない。由規の家族は周囲から“チーム佐藤”と呼ばれるほど結束が固い。それだけに右肩にメスを入れてからの5年間、一家はイバラの道を歩んでいた。
家族の絆が非常に強いんですね。
そんな佐藤由規さんの父親は佐藤均さんです。
佐藤均さんは宮城県仙台市内で、有限会社「宮城観光タクシー」を経営している社長です。2016年の時点で従業員は28人の会社とのことですから、そこそこの規模の会社と言えます。
佐藤家3兄弟は3人とも野球に本格的に取り組んでいましたが、父親の均さんは子どもたちが出場したほとんどの試合を見に行って、声援を送っていたそうです。
また、プロ野球選手になった佐藤由規さんをサポートするために、自社のタクシーのボンネットには「11 YOSHINORI」と描いています。
さらに車内には由規さんの直筆サインや野球カードを飾り、息子の由規さんをお客さんや仙台市民にアピールしていました。
由規さんが育成契約になって背番号が「121」に変わった時も、ボンネットの「11」は変えることはありませんでした。
その父親の思いにこたえる形で、由規さんは2016年に支配下登録を勝ち取って、再び背番号11をつけるようになりました。
由規さんが楽天に移籍後は、楽天で背番号11をつけている岸孝之選手に配慮し、ボンネットから「11」は消しましたが、「YOSHINORI」と描いたままタクシーの運行を続けています。
佐藤由規の家族(両親):母親は食事のサポート
出典:https://pixabay.com/
佐藤由規さんの母親は佐藤美也さんです。
母親の美也さんも佐藤由規さんが野球に取り組めるように、しっかりサポートしてきました。
母親は外食・コンビニ飯などを子供たちに食べさせることはなかったそうです。
母は子供たちには幼い頃から外食やコンビニで買った物を口にさせず、家庭用餅つき機でついた餅、焼きおにぎりなどの得意料理を振る舞ってきた。由規はその1つである『ひじきの煮物』が大好物で、ご飯の上に山盛りにして食べるという。
外食もなく、外で買ってくることもなく、家で全部手作りをするなんて、本当に大変なことだと思います。
特に、佐藤家は野球に取り組む男の子3人ですから、食べる量も半端ないと思いますし・・・。
それでも母親の美也さんは佐藤由規さんや子供たちに健康に良く、栄養のあるものを食べさせようと、ご飯を作り続けたんですね。
佐藤由規の家族(兄弟):兄は佐藤史規
佐藤由規さんは3兄弟の真ん中です。
・佐藤由規
・弟:佐藤貴規(たかのり)
みんな「規」が付くのほかに、みんな本格的に野球に取り組んでいるという共通点があります。
史規さんは由規さんの3歳年上で、宮城県の野球強豪校の1つである東北高校に進学し、野球部に入りました。
史規さんはメジャーリーガーのダルビッシュ有さんと東北高校の同級生で、控えながら捕手としてダルビッシュ有さんの球を受け、甲子園にも出場しています。
東北福祉大学に進学後も野球を続けていましたが、大学2年生の時、由規さんが仙台育英高校で注目を集めたことから、由規さんのサポートを優先することを決意し、野球部を退部しました。
その後、由規さんの個人練習の相手を務め、高校時代にデータ班として相手投手のフォームを分析してクセを見つけるのが得意だったことを生かして、フォームのアドバイスをしたそうです。
由規さんがヤクルトスワローズで育成契約になった2016年には、自主トレの相手を務め、理想のフォームを二人三脚で追及していきました。
由規が育成契約になった16年1月、故郷・仙台での自主トレでもパートナーを務め、投げる際の腕の位置がうまく決まらない、と悩んでいた由規に、
「お前の生命線は、体のバランス。上半身ばかりでなく、もっと下半身も意識したほうがいい」と助言。2人で過去のフォームと現在のフォームを徹底的に見比べ、理想のフォームを追求して行きました。
この史規さんのアドバイスもあり、2016年シーズンには150km/h台をマークし、支配下登録を勝ち取ったのです。
また、史規さんがダルビッシュ有さんの同級生だった縁もあり、2015年シーズン終了後からダルビッシュさんの自主トレに参加、ダルビッシュさんの調整方法を取り入れています。
当時から超高校級の存在で将来のメジャーリーガー・ダルビッシュさんの球を受け、大学まで野球をして、しかもデータ分析が得意な兄がいたのは、由規さんにとって大きかったと思います。
そんな史規さんは2017年からは、東北福祉大学野球部のOBを中心に結成された野球クラブチームの「TFUクラブ」に所属して自分でもプレーするように。
また、マイクロバスの運用の仕事をして、父親の関連会社の代表取締役も務めています。
佐藤由規の家族(兄弟):弟の佐藤貴規も元プロ野球選手
弟の貴規さんは、佐藤由規さんの3歳年下です。兄の由規さんと同じく仙台育英高校に進学し、甲子園にも出場しました。
2010年のドラフト会議では、由規さんが所属するヤクルトから育成3位で指名を受け、ヤクルトに育成選手として入団し、兄弟そろって同じNPBチームに所属することになりました。
2014年シーズンまでヤクルトでプレーしましたが、支配下登録を果たせないまま戦力外通告を受け、自由契約に。
2014年のトライアウトにも参加しましたが、NPB球団から支配下登録のオファーはありませんでした。
なお、育成契約でのオファーはあったようですが、貴規さんは支配下登録にこだわったため、育成オファーを辞退し、現役引退を決意します。
しかし、兄の由規さんの説得やファンの激励を受けて、2015年シーズンからはBCリーグの福島ホープスでプレーすることになりました。
2015年シーズンでは、チームトップの打率を残すなどチームの後期地区優勝に貢献します。
2016年シーズン終了後に福島を退団し、2017年からは長兄の史規さんが所属するTFUクラブに入り、社会人野球で野球を続けています。
また、現在はJ-BONDSというグローブレザーを使った製品を販売している会社に勤務しているようです。
佐藤由規が結婚した嫁や子供
佐藤由規さんは2022年12月31日、結婚したことをインスタグラムで発表しました。
ヤクルト、楽天でプレーしたBC・埼玉の由規投手(33)が31日、自身のツイッターで結婚を発表した。「時期は少々さかのぼりますが、かねてよりお付き合いしていた方と結婚いたしました。今まで以上に精進してまいります」と報告した。
「時期は少々さかのぼりますが」とありますので、12月31日に入籍したわけではないのでしょう。
2022年に結婚していたけれど、発表する機会がなかったのでそのままになっていて、「今年のうちにスッキリしたい」という意味もあり、12月31日に発表したものと思われます。
由規さんのインスタグラムには嫁と思われる「影」の写真はありますが、顔写真はありません。
兄の史規さんや弟の貴規さんのSNSでも、由規さんの結婚には触れていませんので、奥様はどんな方なのかは不明です。
ただ、当時NPBを戦力外になってBCリーグで頑張っていた由規さんと結婚したのですから、ただ単に「野球選手♪」という軽い感じや年俸(お金)目当てで結婚したのではないでしょう。
本当に由規さんを好きになって結婚したことは間違いなく、とても素敵な奥様であると推測できます。
また、佐藤由規さんから奥様の妊娠や出産の報告はなく、子供はまだいないと思われます。
佐藤由規の現在
出典:https://japan.focustaiwan.tw/
佐藤由規さんは、2021年からBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズに所属しプレーしていましたが、2023年7月1日付で退団しオファーを受けた台湾のプロ野球チーム「楽天モンキーズ」に移籍しました。
海外での新たな挑戦に、佐藤由規さんは「ベアーズでもらったエネルギーを十分に発揮したい」と意気込みを語っていました。
2023年7月18日に楽天モンキーズの2軍戦に先発し台湾デビューを果たした佐藤由規さんは、5回無失点5奪三振の好投を見せました。
佐藤由規さんの新天地での活躍にも注目が集まっています。
— 由規 (@tys_yoshi11) July 1, 2023
佐藤由規のまとめ
佐藤由規さんのプロフィールや経歴、仙台育英高校時代の記録、成績や年俸の推移、家族(両親や兄弟)、結婚した嫁と子供の有無、現在をまとめました。
佐藤由規さんはケガに泣かされたピッチャーですが、諦めずに海外でも投げ続けている姿はカッコいいですね。