ヤクルトスワローズや中日ドラゴンズで活躍した投手・川崎憲次郎さんですが、現役時には女優の可愛かずみさんとの交際でも話題になりました。
この記事では、川崎憲次郎さんが結婚した嫁・堀恵子さんや子供(娘)や現在について、そして可愛かずみさんの自殺の真相について詳しくまとめました。
この記事の目次
川崎憲次郎のプロフィール
川崎 憲次郎(かわさき けんじろう)
出身地: 大分県佐伯市
生年月日: 1971年1月8日
身長川崎: 180 cm
体重川崎: 78 kg
- ヤクルトスワローズ (1989~2000)
- 中日ドラゴンズ (2001~ 2004)
川崎憲次郎さんは大分県立津久見高等学校から1988年にドラフト1位で東京ヤクルトスワローズに入団。1年目から活躍し、「巨人キラー」と呼ばれ活躍した右投ピッチャーです。
その後、2000年に中日ドラゴンズに移籍するも、度重なる右肩痛により2004年に現役を引退しています。
川崎憲次郎が結婚した嫁は女優の堀恵子
川崎憲次郎、1997年11月に女優の堀恵子と結婚
川崎憲次郎は女優の堀恵子と結婚した
川崎憲次郎さんは1997年11月に女優をしていた堀恵子さんと結婚しました。
堀恵子さんは結婚を前後して芸能界を引退していましたが、堀ちえみさんや、堀一美さん、堀美矢子さんら3姉妹とは従妹にあたります。
なお、堀恵子さんに関する情報はほとんど残っておらず、出演したドラマも1990年代のマイナーな3作品のみとなります。
川崎憲次郎の嫁・堀恵子はCDデビューもしていた
堀恵子はドラマから派生したCDデビューもしていた
堀恵子さんは高校時代は全日本代表を目指すほどの全国クラスのバレーボールの選手でした。
1994年に「東レキャンペーンガール」を務めたことをきっかけにして芸能界入りした堀恵子さんは、芸能事務所フロスに所属して芸能活動を始めました。
堀恵子さんは1996年4月から出演したドラマ『ガールズplus1(フジテレビ系)』で、ドラマ内のアイドルグループ「ガールズplus1」として実際に同名義でシングルCDデビューもしたことがありました。
また堀恵子さんは他にも、1997年1月からのドラマ『お天気お姉さん(テレビ朝日系)』や、1997年4月からのドラマ『FiVE(日本テレビ系)』に出演していましたが、同作を最後に芸能界を引退しています。
そして、1997年5月には川崎憲次郎さんが交際していた可愛かずみさんが自殺していることから、堀恵子さんに乗り換えられたショックで自殺したとも言われています。
川崎憲次郎に子供は1人~ひとり娘の琴之(ことの)が美人と話題に
川崎憲次郎の娘・琴之が美人で話題に
川崎憲次郎さんと堀恵子さんの子供は娘がひとりですが、名前を琴之(ことの)さんというようです。
2018年2月16日に放送されたバラエティ番組『爆報!THE フライデー(TBS系)』に出演した川崎憲次郎さんは、引退後の人生について紹介されていました。
川崎憲次郎さんは地元・大分で町おこしPRのために釣り師として番組をしていることが紹介されましたが、娘の琴之さんも紹介されその美人ぶりにスタジオも盛り上がっていました。
川崎は現在、地元大分でタレント活動をしていて、MCを務める釣り番組のレギュラーを持っているという。
さらに美人娘の琴之さんを初紹介した。
師匠の野村克也は「これはまさにトンビに鷹だね」と川崎に似なかったこと触れ、「ピッチャーの子供は女の子が多い。医者に聞くと男性が強いと女の子が多いって。ピッチャーはそういう性格が多いから。(自分は)奥さんが強いから男ばっかり」と話した。
引用:なんでもnews実況まとめ – 【画像】元ヤクルト川崎憲次郎が美人娘の琴之さんを『爆報!THE フライデー』で公開
全体的には川崎憲次郎さんに似ずに母親・堀恵子さんの美貌を受け継いだようですが、特徴的な厚ぼったい唇は似ているようで、川崎憲次郎さんの場合はただのタラコ唇ですが、琴之さんは女性らしいセクシーさになっています。
川崎憲次郎と交際していた可愛かずみが自殺~原因と真相は?
川崎憲次郎、可愛かずみとの交際が発覚【1995年】
可愛かずみは川崎憲次郎にフラれたため自殺した?
川崎憲次郎さんと女優の可愛かずみさんの熱愛は1995年に発覚しました。
元々川崎憲次郎さんは学生時代から可愛かずみさんの大ファンだったようで、出会いについて明かされていないものの業界関係者を通じて知り合ったとみられ、マスコミに対しても交際を認めていました。
川崎憲次郎さんは6歳年下の可愛かずみさんとの交際は順調で、一時は結婚秒読みとまで噂されていましたが、川崎憲次郎さんが故障したことで成績を落とし、それが原因で次第に関係に溝が生まれて約1年半で破局しました。
川崎憲次郎、ケガの治療を理由に可愛かずみと破局
川崎憲次郎さんが「治療に専念したい」という別れの切り出し方をしたようで、報道でも破局理由についてそう伝えられましたが、結婚したいと考えていた可愛かずみさんに対して川崎憲次郎さんが応えられなかったことが本当の破局理由だと言われています。
なお、川崎憲次郎さんは1997年に堀恵子さんと結婚していることから、結婚したくなかったわけではなく、精神的に不安定な可愛かずみさんを支えられなくなったというのが真相のようです。
可愛かずみさんは川崎憲次郎さんと交際中もうつ病で精神的に不安定であり、破局後はさらに多大なストレスから過呼吸発作を起こす過換気症候群に陥りました。
その後、外車ディーラーを経営する実業家との婚約が発表されて、可愛かずみさんは立ち直ったかのように思われましたが、その直後に自殺をしてしまいました。
川崎憲次郎のマンションで可愛かずみが飛び降り自殺 【1997年5月】
可愛かずみは自殺未遂を繰り返していた
川崎憲次郎さんとの破局後、可愛かずみさんは精神的ストレスに耐えられなくなり、1996年12月、1997年1月とリストカットによる自殺未遂を図りました。
そして、自殺当日となる1997年5月9日午前中に、可愛かずみさんは3度目のリストカットをして自殺を図り、出血により病院に運ばれました。
病院で縫合手術を終えた後、可愛かずみさんは出された病院食のドリアを完食したため、周囲の人は気持ちの落ち着きを取り戻したように見えていました。
自宅に戻った可愛かずみさんは、午後6時30分頃に留守番していた女性に「咳が出るから病院に行く」と伝えて自宅を出て川崎憲次郎さんが住んでいた目黒区駒場のマンションに向かい、7階から飛び降り自殺をしました。
可愛かずみさんは2階部分にあるエントランスに激突しており、その部分には落下痕とかけていたと思われるサングラスが落ちていました。
可愛かずみさんが飛び降りた共用部の廊下には、靴と免許証やカード類、そして現金10万円ほどが入ったシャネルの財布が置かれていましたが、自身が飛び降り自殺をしてマンションを汚すことへの賠償のつもりだったのかもしれません。
自殺現場を目撃した付近のコンビニ店員によれば、可愛かずみさんはこれから自殺するとは思えないほど安らかな顔をしていたと語っており、やっと現世の苦しみから逃れられるという安堵の気持ちがあったのかもしれません。
可愛かずみ、実業家男性と2か月後に結婚予定だった
可愛かずみが自殺した現場のマンション
可愛かずみさんが自殺をして亡くなった翌日10日に、外車ディーラー経営者と2ヶ月後に結婚が予定していたことが分かりました。
当初の予定では可愛かずみさんの誕生日である7月9日に入籍を予定していたものの、その日が仏滅だったため七夕の7日に変更していました。
結婚式に着るためのウェディングドレスも準備していたようで、可愛かずみさんの棺には純白のドレスがかけられていました。
可愛さんは2度にわたってリストカットによる自死未遂を繰り返し、完全に自傷行為が癖になっていたという。そんな中、3度目のリストカットで病院から戻ってきた直後に川崎さんのマンションに向かい、飛び降りてしまったのです。告別式で棺に納められた、可愛さんが結婚式で着るはずだった白いウェディングドレスが強烈に印象に残っています
死に場所に川崎憲次郎さんのマンションを選んだというのも、一番好きだった人の思い出に浸りながら旅立ちたかったのかもしれません。
世間では別れを切り出した川崎憲次郎さんへのあてつけとして自殺場所にしたと言われていますが、死の直前に穏やかな顔をしていたというのは、もしかしたら安心感に包まれて躊躇いなく飛び降りたのかもしれません。
可愛かずみ、自殺原因は川崎憲次郎だけではなかった?
可愛かずみの親友だった川上麻衣子が語る自殺の理由
可愛かずみさんは生前、川上麻衣子さんと親友であり一緒に住んでいた時期もありました。
志村けんさんを含めて3人で自宅で飲んだ後、雑魚寝をするほど可愛かずみさんと川上麻衣子さんは仲が良かったようです。
最も近くで見ていたからこそ川上麻衣子さんは可愛かずみさんがどんどん精神的に不安定になっていく姿を見ており、自殺をした原因は川崎憲次郎さんとの破局以外にもいろいろと芸能生活でのストレスがあったようです。
川上麻衣子さんは可愛かずみさんがうつ病により精神状態が悪化していく様子を見るのに耐えられなくなり、一緒に住むことができなくなって一人引っ越しました。
可愛かずみさんは自殺直前に川上麻衣子さんに電話をしていますが、川上麻衣子さんは仕事から帰って疲れていたため留守電を聞かなかったため、もし電話に出ていれば自殺をさせずに済んだかもしれないと現在までずっと後悔し続けてきたと語っています。
可愛かずみさんの死後、父親にあてたメモが遺書として見つかりましたが、それには川上麻衣子さんと一緒に暮らしていことが一番楽しかったと綴っており、「パパ、麻衣ちゃんをよろしくね」と父親に宛てていました。
川崎憲次郎さんについて書かれていたとは伝えられていませんので、可愛かずみさんはいろいろと悪い状況が重なって生きることに疲れてしまっただけで、特定の原因があったわけではないようです。
川崎憲次郎の現在~釣り師としても活躍していた
川崎憲次郎の野球解説者以外の仕事は釣り師
CSスポーツチャンネル「GAORA」にて、地元大分県佐伯市を舞台に川崎憲次郎さんは大好きな釣りを紹介する冠番組を2本持っていました。
釣り方、釣った魚を料理するまでを教える釣り好きの女性を増やすための番組『川崎憲次郎の釣りガール養成講座』や、堤防釣りや磯釣り、船釣り、貝堀など釣りの醍醐味を伝える番組『川崎憲次郎の釣りつり日記(『川崎漁業組合』に改名)』など、川崎憲次郎さんが好きな釣りを題材に地元・佐伯市をアピールしていました。
川崎憲次郎さんは過去に、「報知新聞」きっての釣り師と言われる船上カメラマン・越川亘さんとのアジ大物1尾釣り勝負で対決したことがあるようですが、9回裏まで戦って完勝したようです。
関東では初の釣行。大分とは釣り方も仕掛けも違う。エサの「赤タン」に「これで釣れるんですか」と言っていたが、そこは“釣り師”。すぐにコツをのみこみ爆釣だ。クーラーをいっぱいにして船上カメラマンに“完封勝利”。「川崎さん、リベンジさせてくださいね」と再戦をお願いした。なんなら大分に乗り込んでもいい。(越川 亘)
川崎憲次郎さんは現在、佐伯市を拠点に活動しながら、野球解説者などの仕事がある場合は上京する往復生活を送っているようです。
川崎憲次郎について総まとめすると…
・川崎憲次郎は可愛かずみが亡くなった半年後にと堀恵子と結婚、子供は娘が1人いる
・川崎憲次郎は現在、野球解説者の他に釣り師としている
野球界と釣り界で活躍している川崎憲次郎さんの結婚や仕事について総まとめしてきました。
川崎憲次郎さんの現在の姿は、多くのスポーツ選手にとって理想的な姿かもしれませんね。
川崎憲次郎さんの娘・琴之さんの進路は明かされていませんが、女子アナウンサーでも通用する美貌のため芸能界入りをする可能性もゼロではないかもしれません。