渡哲也さんは2015年の病気・心筋梗塞でリハビリ闘病生活を送っていましたが、2020年8月10日に死因「肺炎」で亡くなっています。
ここでは、渡哲也さんの現在まで、結婚した嫁と息子の情報、そして死去した弟・渡瀬恒彦さんへのコメントなどまとめてご紹介します。
この記事の目次
渡哲也のプロフィール
芸名:渡哲也(わたりてつや)
本名:渡瀬 道彦(わたせ みちひこ)
出身地:島根県能義郡安来町(現:安来市)
生年月日:1941年12月28日
身長:180cm
血液型:B型
最終学歴:青山学院大学経済学部卒業
活動期間:1964年〜
所属事務所:石原プロモーション
渡哲也さんは、石原プロモーションに所属する俳優です。
大学卒業後の1964年に日活に入社し日活ニューアクション時代のスターとなりましたが、1971年に退社。その後、石原プロモーションに入社しました。1987年に石原裕次郎さんが亡くなると、渡哲也さんは石原プロ2代目社長を引き継ぎ、2011年まで務めました。(その後は石原裕次郎夫人が引き継いでいます)
渡哲也さんの代表的な出演作品としては、「大都会シリーズ」、「西部警察シリーズ」など。
渡哲也と結婚した嫁は石川俊子という一般女性
渡哲也さんは、1971年に石川俊子さんという一般女性の方と結婚されました。
二人は青山学院大学の同窓生で、恋愛結婚だったそうです。
渡が俊子夫人とハワイで2人だけの結婚式を挙げたのは’71年3月のこと。2人はもともと青山学院大学の同窓生、大恋愛の末に結ばれた2人だった
渡哲也さんが結婚した奥様の詳細(写真・エピソード)は、あまり見当たりませんでしたが、これまでに数々の病気をしてきた渡さんを献身的にサポートしてきた方だそうです。
結婚翌年の’72年7月、渡が東映京都撮影所でのテレビドラマ撮影中に高熱を出して、京都大学附属病院に運び込まれたこともあった。
「精密検査の結果、胸膜炎と診断され、俊子さんの伯父が院長を務めていた都内の病院に転院。入院生活は2カ月に及びました」(前出・映画関係者)
その後も何度か入院を経験したが、結婚から20年後の’91年には直腸がんが発見される。「がんのことは、まず俊子さんに伝えられました。大手術が必要なこと、場合によっては人工肛門になること……。俊子さんは渡さんに伝えるべきか悩みました。しかし“主人に嘘はつけない”と決断したのです」(渡夫妻の知人)
また余談ですが、渡哲也さんといえば1966年に映画「愛と死の記録」で共演した吉永小百合さんとの恋愛が噂されたことがありました。それによるとその破局後に、現在の奥様と結婚されたと言われています。
「ロケ先のことはわかりませんが、その頃はまだ隠し部屋なんて借りていませんから、渡さんは小百合ちゃんの実家に遊びに行っていました。そこでは応接間に通され、両親が同席してお茶を飲む。外で会おうとすると、両親から『今日は行けません』とドタキャンの電話が入る。小百合ちゃんは両親に、渡さんと結婚する意思を伝えていましたが、両親はどうにかして引き離したかった。『あんなモテる男じゃ、お前が苦労する』と」
そして箱入り娘ならではの悲話が─。
「渡さんは酔っ払うと『何で俺のところに飛び込んできてくれないんだ』と嘆いては、小百合ちゃんに電話して結婚を迫っていたといいます。でも結局、彼女は、渡さんより両親を取る形になり、破局した」(中平氏)
映画界で「吉永にとって初めての男だった」と言われる渡哲也との大恋愛は、2年余りで終幕を迎えた。
前出のジャーナリストは後年、吉永本人からこの時の話を聞いている。彼女は次のように話したという。「両親を説得できなかったんです。だから(渡と)直接会って、『あなたとは結婚できません』と伝えました。涙が止まりませんでした。それで別れたんです」その後、渡の結婚を知らされた吉永は、「悔いがある」と言って、泣き通したのだという。
渡哲也の子供は息子が一人
渡哲也さんと嫁の間には子供が一人います。ただこちらも奥様と同様に情報が少なく、詳細は判明していません。ただネットでは、サラリーマンをされている方と言われています。
渡哲也のひとり息子は大卒後、建設会社?ゼネコン?だかのサラリーマンになったはず。
入社式の様子が何かに載ってた。
アメフトだかラグビーだかの体育系男子だったみたい。
芸能界入りは父親が反対したかな?
なんか渡、家庭ではめちゃくちゃ厳しい父ってイメージあるなあ。
息子さんの勤務先には、鹿島建設の名前があがることが多いようです。
画像などもありませんが、渡哲也さんの息子さんというだけで、素敵なイメージが浮かんでしまいますね。
渡哲也の病気について~急性心筋梗塞で手術を受けていた
渡哲也さんの病気から死去までの時系列をまとめたものが以下となります。最近では2015年の心筋梗塞の件が話題となっていたので、以下で詳しく説明します。
▼1991年6月、手術後に人工肛門にしたことを公表
▼1997年7月 悪性の大腸がん発見
▼2015年6月 急性心筋梗塞で緊急手術
▼2016年8月 持病の肺気腫やぜんそくなどの呼吸器系の疾患で 酸素吸入器をつけて生活していることを明かす
▼2018年春 外出時にも酸素吸入器が外せなくなったと明かす
▼2020年8月 肺炎のため死去
かつては重病説が言われていたことも
渡哲也さんは2011年に石原プロの社長を辞任していますが、その理由には「健康面」等を考えたため。
渡は故石原裕次郎さんの後を継ぎ、社長を24年務めたが「健康面と年齢を考えた結論」と説明。舘ひろし(61)、神田正輝(60)も取締役を退き、裕次郎さんの妻で会長のまき子さん(77)に経営の全権を委譲した。渡らは今後、石原プロ所属の一俳優として活動する。
また2013年以降からはドラマ出演がなくなりメディア露出も少なくなり、いつしか重病説なども囁かれるように。
渡は近年、露出が減っていた。自身の公式サイトによれば、俳優業は2013年9月に放送されたTBS系の2時間ドラマを最後に出演していない。
報道陣の前に姿を現したのは、昨年8月が最後。元「AKB48」のエースで女優前田敦子(24)と宝酒造の日本酒・松竹梅「天」の新CM制作発表(都内)だった。この時は、表情や顔ツヤも特に問題なさそうで「石原プロが何とか持っているのも、宝酒造さんのおかげなんです」と、自社と松竹梅の40年超にわたる蜜月関係をアピールしていた。渡と12年10月に放送されたTBS系の単発ドラマで共演した前田は「理想中の理想の男性。目が合うたびキュンとしちゃいます」と渡にメロメロだった。
この2ショット以降、渡は目立った活動がなかったため、一部週刊誌では重病説が伝えられたこともあった。だが、石原プロ側はそれを一蹴。
急性心筋梗塞で倒れ、手術を受けていた
重病説などを囁かれていた渡哲也さんですが、年齢も年齢ですし、お仕事を控えていたことは確かです。しかし2015年7月に入り、急性心筋梗塞で倒れていたことが判明しました。
石原軍団の舘ひろしさんが公表し、危険な状態であったとも話しています。
渡哲也(73)が急性心筋梗塞で6月10日に手術し、東京都内の病院に約1カ月間入院していたことが17日、分かった。この日、横浜市鶴見区の総持寺で営まれた俳優、石原裕次郎さんの29回目の追善法要後の会見で俳優、舘ひろし(65)が渡の病状を公表。「下手をすれば死に至る状態だった」と明かした。
渡は6月10日に胸の痛みを訴え、マネジャーの運転する車で病院へ。急性心筋梗塞と診断され、カテーテル導入の緊急手術を受けて入院。後遺症もなく7月11日に退院し、現在は自宅でストレッチなどリハビリに励んでいるという。
非常に危険な状態だったと言われる渡哲也さんですが、そこを適切な対応で救ったのは、奥さんの判断や献身的な介護だったようです。
突然、胸の痛みと息苦しさを訴えた渡哲也(73)。妻・俊子さん(72)が熱を測ると、体温計は38.8度を示していた。嘔吐感もあったため、すぐに俊子さんは夫を連れて病院に向かったという――。
「奥さんの適切な判断が渡さんの命を守ったといえますね」と語るのは、渡が入院していた病院の関係者。
「まさに早期発見・治療でしたので、手術は1時間30分ほどで成功しました。CCU(心臓血管疾患集中治療室)では早期リハビリが開始され、数日後に一般病棟に移ることができました。渡さんの奥さんは1カ月、病室に泊まり込みで看病していましたね」
病気後もその奥様と一緒に渡さんは、リハビリに励まれているようです。
7月11日に退院し現在は自宅で療養中で、「妻にいじめられながらリハビリしてます。入院が長かったので足が弱って、まいった」と電話で舘に報告するなど、いたって元気だという。
心筋梗塞
心筋梗塞について。
心筋梗塞は文字どおり、心臓に梗塞が起きる病気です。梗塞とは、ある部分で血液の流れが止まってしまい、必要な血液を得られない箇所の細胞が死んでしまうことです。心臓は筋肉の塊のような臓器で、人が生きている間、絶えず収縮と拡張を繰り返し、全身に血液を送っています。ですから心臓の筋肉自体の細胞も、その活動のために多量の血液を必要としています。
心臓の筋肉に血液を供給している血管(冠動脈)に動脈硬化が起きていて、そこに血栓ができ血流が妨げられると、心臓の筋肉は途端に血液不足になります。そして激しい胸痛が起こります。これが心筋梗塞の発作です。1分1秒を争う状態なので、すぐに救急車を呼んでください。
発作が治まったあとも、心臓の細胞はほとんど再生しないので、心筋梗塞で失われた範囲は、線維のような組織に置き換わります。その影響で、心臓の収縮・拡張が弱くなったり、心拍のリズムが乱れやすくなったりするなどの後遺症が残ります。
なお、発作の程度が軽くて心臓の筋肉が障害されずに済むのが、狭心症です。狭心症から心筋梗塞に進行するケースもあります。
引用:心筋梗塞
心筋梗塞の発作が始まると、それこそ1秒が生死を分けるような危険な状態まで行くことも。
心筋梗塞では亡くなられる方の半数以上が、発症から1時間以内に集中しています。そのため病院に到着する前に亡くなる場合が多いのです。
原因のほとんどが、心室細動と呼ばれる不整脈のためです。心室細動では心臓の血液を全身に送り出す部屋(心室)がブルブル震えて(細動)、血液を送り出せなくなり(心停止状態)、脳や腎臓、肝臓など重要な臓器にも血液が行かなくなり、やがて心臓が完全に停止して死亡してしまう、とても危険な状態です。
心室細動を起こすと、1分経過するごとに約10%、助かる確率が減っていくといわれています〈図10〉。
引用: [92] 心筋梗塞が起こったら
こういった心筋梗塞の特徴を考えると、早い段階での判断がかなり重要ということになりますね。救急車を呼べばすぐに駆けつけてくれるとはいえ、現場到着まで5〜10分程度はかかるといいますので、渡哲也さんの「マネージャーの車で病院へ」ということはとても大事な判断だったと言えるかもしれません。
渡哲也の闘病や病気後~死去した弟・渡瀬恒彦へのコメントも
その後は、渡哲也さんはリハビリを行いながらも、幾度か仕事復帰をしています。
2015年12月に松竹梅のCMで復帰!
1967年以来、49年目になる宝酒造と石原プロモーションの歴史。「松竹梅」のCMには、70年から87年までの17年間は石原裕次郎さんが出演し、88年から渡に引き継がれた。昨年の同CMの撮影以来、ちょうど1年ぶりの仕事となった渡は「宝酒造さんからの『CMに是非出演いただきたい』という言葉が励みになりました。仲間に支えられてやり切ることができ、持つべきものは仲間だなと思いました」と、サポートしてくれた周囲に感謝の言葉を述べた。
舘ひろしさんは、病後や撮影時の渡哲也さんの意外と元気そうな様子を語っています。
渡は6月に急性心筋梗塞で手術して、今でもリハビリをしています。手術は成功したんですが、まだ全快とはいかないみたいですね。電話では「リハビリ頑張ってますか?」と聞くと、「オレは全然ダメだ」とか「イマイチ」なんて気弱なことをおっしゃってたんですよ。それがすごく元気そうだったので、びっくりしました。安心しましたね。
撮影後の会見も、時間の関係でスタッフが打ち切ろうとしたら、渡は「大丈夫ですよ」なんて、まだまだ続ける勢いでしたから。周りが過保護にし過ぎたくらい。ちょっと声を出すのは、しんどいみたいでしたけどね。
2016年4月にはBS番組で「大都会」シリーズを語る
松田優作さんや、石原裕次郎さんについても語ったといいます。
急性心筋梗塞の手術を受けた俳優、渡哲也(74)が、4日放送のBS11特番「大都会シリーズ一挙放送!直前放送特集」(後8・0)で独占インタビューに応じた。
これまで語ることのなかったカリスマ俳優について「出会ったときにスターの風格を感じた。撮影のないとき、早く終わったとき、家に来てもらって、夜の場合はたき火をしましてね。一杯飲んで、ほとんど優作にお説教されてましたね。なぜ映画をやらないんだと」と役者として多大な影響を受けた日々をなつかしんだ。
石原軍団のボスである裕次郎さんとは、ロケ現場だった渋谷病院近くの会員制居酒屋で飲み明かし、眠らずに撮影に臨んだ宝物の思い出や、「裕次郎さんには映画人のプライドがあった」とテレビ制作への苦悩があったことも明かした。
2016年8月に吉永小百合さんと宝酒造CMで共演!
渡哲也さんと吉永小百合さん……もし結ばれていたならかなりのビッグカップルですが、以降も幾度か顔をあわせる機会はあったようで、2016年にはCMで共演し吉永さんが当時の印象を振り返っています。
吉永さんは「50年といえば、私も50年前に『愛と死の記録』という映画で初めて渡さんとご一緒させていただきました」と渡さんとの関係を振り返り、「あの当時の渡さんは、まだ映画に入って間もない頃だったので、年上の方に失礼なんですが、俳優さんとして初々しい感じで、それが素晴らしかったです」とコメントしている。
また、持病の肺気腫やぜんそくなどの呼吸器系の疾患で酸素吸入器をつけて生活していることを明かしました。
2017年3月には弟・渡瀬恒彦さんが亡くなる…。
報道陣の前に姿を見せた渡哲也さん。
渡哲也さんは、弟・渡瀬恒彦さんの死にコメントしています。
参列した渡の様子について、関係者によると、弟の死にショックを受けていたものの、気丈に振る舞っていたという。渡瀬さんは死去の前日の13日に集中治療室でも主演ドラマ「警視庁捜査一課9係」(テレビ朝日系、4月スタート)のことを心配していたといい、セリフも頭に入っていた。渡は「(ドラマを)やり通せなかったことはすごく無念だと思う」と話し、志半ばで逝った弟を思いやっていたという。
「当初よりステージIII余命1年の告知を受けておりましたので、今日の日が来る覚悟はしておりましたものの、弟を失いましたこの喪失感は何とも言葉になりません。幼少期より今日に到るまでの二人の生い立ちや同じ俳優として過ごした日々が思い返され、その情景が断ち切れず、辛さが募るばかりです」
また、2018年11月には酸素吸入器が外せない状態の壮絶闘病の中のCM撮影も報道されていました。
《食欲はあります。週に2~3回、理学療法士に来ていただいています。ストレッチやスクワットをしたりエアロバイクに乗ったり、あとは自宅周辺を歩いたりしています》
「しかし、実際には外出時も酸素吸入器を外せない状態です。今年も壮絶な闘病の中でのCM撮影だったそうです」(広告関係者)
医療ガバナンス研究所の内科医・上昌広さんが渡の病状をこう推測する。
「おそらく肺気腫が原因で、動くこともままならないのでしょう。肺気腫は常に息が苦しい状態なので、本当につらい。しかも渡さんは過去に心筋梗塞を患っていますから、さらに酸素濃度が不足する。何気ない日常生活の中でも、息切れしてしまって、仕事どころではありません」
そして、渡哲也さんは2020年8月に亡くなってしまいます。
渡哲也の現在~2020年8月10日に肺炎で死去
その後、渡哲也さんが2020年8月10日に肺炎で亡くなっていたことが所属事務所より明かされました。
石原プロモーションは「弊社渡哲也(本名:渡瀬道彦)が長きにわたり病との闘いの末、去る令和2年8月10日午後6時30分に肺炎のため、享年79をもって都内の病院にて旅立ちました」と報告。
葬儀はきょう、家族葬で執り行われたといい、「葬儀につきましては、静かに送ってほしいという故人の強い希望により本日、家族葬というかたちで執り行わせていただきました。誠に勝手ながらご香典、お供物、ご弔電、ご供花などの儀は故人の遺志により固くご辞退申し上げます。なお、お別れ会・偲ぶ会等の実施につきましては、故人の意向により執り行いません」としている。
渡哲也さんの死因は「肺炎」ということで、新型コロナウイルスによるものでは?とネット上で話題になっています。しかし、報道によると新型コロナによる肺炎ではないそうです。
渡哲也さんは酸素吸入器が外せないない状態だったと以前から報道されており、かなり状態が悪かったようです。
渡哲也さんが( ゚д゚)ハッ!
— オーレ(∪・ω・)あつもり中 (@aulait0222) August 14, 2020
肺炎てコロナじゃないよね😢
渡哲也さんの訃報…
— ことり (@kiiroitori55) August 14, 2020
私の母がファンでした。
新型コロナウイルスではない、肺炎との報道。肺炎が恐ろしい疾患であることが改めて広まるといいな。
ただの風邪とバカにしてるようなウイルスでも肺炎になりうる。コロナがただの風邪かどうかより、ただの風邪を警戒できる世の中になりますように。
渡哲也さんのご冥福をお祈りいたします。