「男はつらいよ」シリーズの源公役で知られる名脇役俳優の佐藤蛾次郎さんが亡くなった事が報じられています。
この記事では佐藤蛾次郎さんの若い頃の活躍や画像、嫁の和子さんとの結婚や息子の佐藤亮太さんと娘の得子さんら子供、自宅や経営していた店、現在や死因についてまとめました。
この記事の目次
佐藤蛾次郎のプロフィール
佐藤蛾次郎のプロフィール
本名 :佐藤忠和(さとう・ただかず)
生年月日:1944年8月9日
没年月日:2022年12月9日(享年78歳)
出身地 :大阪府泉北郡高石町(現在の高石市)
身長 :155cm
血液型 :A型
佐藤蛾次郎(さとう・がじろう)さんは、「男はつらいよ」シリーズの柴又題経寺の寺男・源公役で長年出演した事などで知られる俳優です。(「男はつらいよ」シリーズには1作を除き全作に出演)個性的な風貌とコミカルでありながら味わい深い演技で知られ、名脇役として長年活躍されました。
佐藤蛾次郎さんは「男はつらいよ」の他にも個性派、演技派の俳優として長年活躍を続け、数々の作品に出演されています。主な代表作としては映画「戦国自衛隊」(1979年)、NHK大河ドラマ「草燃える」(1979年)、ドラマ「服部半蔵 影の軍団」(1980年)、映画「おとうと」(2010年)、テレビドラマ「JIN-仁-」(2011年)、テレビドラマ「天皇の料理番」(2015年)、映画「罪の声」(2020年)、ドラマ「パレートの誤算 〜ケースワーカー殺人事件」(2020年)などがあります。
また、映画やテレビドラマ以外にも舞台やVシネマ、バラエティ番組など幅広い分野で俳優として活躍を続けられていました。
昭和の時代から長きにわたって活躍した名俳優・佐藤蛾次郎さんでしたが、2022年12月9日に78歳で亡くなった事が報じられ、関係者やファンの間でその死を惜しむ声が広がっています。
ここでは、そんな佐藤蛾次郎さんについて改めて紹介していきます。
佐藤蛾次郎の若い頃① 姉の勧めで児童劇団に入り子役として活躍
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佐藤蛾次郎さんは、終戦の前年の1944年に父親が歯科医の家庭の11人きょうだいの末っ子(四男)として大阪府泉北郡高石町で誕生しています。
佐藤蛾次郎さんは幼い頃、父親に連れられて行った嵐寛寿郎の時代劇を観て役者に憧れるようになり、高石町立高石小学校に通っていた10歳の時に姉の勧めでABC(大阪朝日放送)の児童劇団に入って子役として活動を始め、12歳だった1956年に映画「漫才長屋は大騒ぎ」に出演し映画デビューを果たしました。
その後、高石町立高石中学校に進学後も子役の仕事を続け、中学卒業後の1960年にABC児童劇団を退団し、劇団アカデミーに入団しています。
1961年に松竹テレビ映画シリーズのフジテレビ「神州天馬侠」で泣き虫蛾次郎の役を演じたのをきっかけに、芸名を「佐藤蛾次郎」と改め、その後は生涯その芸名で活躍されました。
佐藤蛾次郎の若い頃② 山田洋次監督映画「吹けば飛ぶよな男だが」に出演
佐藤蛾次郎さんはその後、日本電気技術専門学校へと進学されていますが、中退して俳優としての活動に集中されています。
佐藤蛾次郎さんは、1966年の日活映画『「エロ事師たち」より 人類学入門』にマコト役で出演し、テレビでも1966年から1967年にかけてNHK大阪制作のドラマ「横堀川」で、主人公の先輩・太吉の少年期を演じ、1967年と1968年にはNETテレビ(現在のテレビ朝日)で放送された時代劇ドラマ「素浪人 月影兵庫」に出演するなど活躍を続けました。
そして、1968年に佐藤蛾次郎さんは山田洋次監督の映画「吹けば飛ぶよな男だが」のオーディションを受けますが、なんと山田洋次監督の面接の時間に2時間も遅刻してしまいます。
しかし、山田洋次監督から「どんな役がやりたい?」と質問された若い頃の佐藤蛾次郎さんは、ぶっきらぼうに「不良」とだけ答えました。
山田洋次監督はそんな佐藤蛾次郎さんの新人らしからぬふてぶてしさを気に入り、主要キャラクターの1人「ガス」の役として採用します。(希望通り不良の役柄だった)
転機は映画「吹けば飛ぶよな男だが」(68年)。オーディションに何と2時間の遅刻。しかも「どんな役をやりたい?」という山田監督の質問に「不良」とだけ答えたそうである。そのふてぶてしさが監督の心を動かしたのだろう。採用となり、希望通り「チンピラ」を演じた。
佐藤蛾次郎さんはこの映画「吹けば飛ぶよな男だが」出演をきっかけに松竹専属の俳優になっています。
佐藤蛾次郎さんは、結果として俳優人生の恩人となる山田洋次監督とのこの出会いについて「週刊女性PRIME」のインタビュー記事で下のように振り返られています。
オレが22くらいのときだったかな、山田洋次という偉い監督が大阪弁を話せる男の子を探しているっていうんだけど、こっちからしたら“山田なんちゃらって監督って誰だよ”みたいな感じで。で、2時間遅れでオーディション会場に行ったのよ。
若い頃の佐藤蛾次郎さんは山田洋次監督が誰なのか知らなかったため、あまりやる気がなく2時間遅れでオーディションに行き、実際に監督を前にしても足を組んでタバコを吹かしながら「俺は不良だよ!」と言い放ったのだそうです。
でもやる気ないからさ、短い脚組んでタバコをフーって吹かしてさ。で、監督は“佐藤クンはどんな役をやりたいんだい?”なんて聞くから、“オレか? オレは不良だよ!”って。それが気に入ったみたいだね。でも、いまだに監督からは“あのときはひどかったなあ”って言われますよ(笑)
佐藤蛾次郎の若い頃③ 「男はつらいよ」シリーズで誰もが知る有名俳優に
佐藤蛾次郎さんは、「吹けば飛ぶよな男だが」出演を機に、山田洋次監督に気に入られ、1969年公開の「男はつらいよ」(記念すべきシリーズ第1作)に、柴又題経寺の寺男(寺の雑用係)の源吉(源公、源ちゃん)の役に抜擢されました。
佐藤蛾次郎さんはこれ以降、「男はつらいよ」シリーズに、1995年までのレギュラーシリーズの47作品中の46作品(第8作のみ、撮影前に交通事故に遭って出演断念)と、1997年の特別編、2019年の記念作品の合計49作品に源吉役で出演を続けられました。
この「男はつらいよ」シリーズにより、佐藤蛾次郎さんは誰もが知る国民的名脇役俳優の1人となりました。
なお、1977年の「男はつらいよ」シリーズ第19作「寅次郎と殿様」では、佐藤蛾次郎さんが俳優になるきっかけとなった憧れの俳優・嵐寛寿郎さんとの共演も果たしています。
佐藤蛾次郎の結婚した嫁は元女優の和子さん
佐藤蛾次郎さんは28歳の頃に3歳年下の元女優の和子さんと結婚されています。佐藤蛾次郎さんの嫁の和子さんは「中島エマ」の芸名で舞台を中心に活躍されていた女優でした。
佐藤蛾次郎さんと嫁の知子さんは俳優仲間として知り合って結婚し1972年に同棲生活を始めています。
佐藤蛾次郎さんは、嫁の知子さんと結婚する際に、恩人である山田洋次監督に結婚の仲人になってくれるよう頼まれています。山田洋次監督は快諾し、奥さんと一緒に婚姻届の証人欄にサインしてくれたそうです。
佐藤蛾次郎さんと嫁の和子さんはとても仲の良い夫婦だったようで、1996年には夫婦で銀座に「Pabu蛾次ママ」というカラオケスナックを開店し、長年夫婦で切り盛りされていました。
嫁の和子さんはこのお店「蛾次ママ」をとても大切にされていたそうで、お客さんも和子さんに会うのを目当てに訪れる方が多かったのだそうです。
佐藤蛾次郎さんは、2016年に嫁の和子さんが亡くなった後も、息子さんの佐藤亮太さんと2人でこのお店を守り続けていましたが、それも「ママ(和子さん)の愛した店だから」という思いからだったようです。
2020年に「蛾次ママ」を閉店を決断された際も、佐藤蛾次郎さんは「ママの店を閉めるっていうのがね…」と、とても寂しそうな様子だったそうです。
「ママの店を閉めるっていうのがね…」。43年連れ添い、一緒に店を切り盛りした妻で女優の和子さんが2016年、多発性骨髄腫のため68歳で亡くなった。「オレの店って言われるけど、違うんだ。ママの店なんだよ。みんなのお目当てはママだったんだ」。愛する人のいない店を亮太と共に4年間守ったが、思い出の場所ももうなくなる。
佐藤蛾次郎と嫁・和子さんは山田洋次監督の計らいで結婚写真を撮影
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山田洋次監督に結婚の仲人になってもらったという佐藤蛾次郎さんですが、経済的な理由もあって結婚式は挙げられていなかったそうです。
それを知っていた山田洋次監督は、1972年公開の「男はつらいよ 寅次郎夢枕」(シリーズ第10作)で、佐藤蛾次郎さんの嫁の和子さんが演じる近所の女の子をが結婚して、寅さんやおいちゃん(車竜造)やおばちゃん(車つね)に花嫁衣装を見せにくるというシーンを脚本に書きました。
山田洋次監督はそのシーンの撮影が終わった後、佐藤蛾次郎さんを衣装部屋に呼び出しました。佐藤蛾次郎さんが衣装部屋に行くと、紋付袴が用意されており、寅さん役の渥美清さんや、さくら役の倍賞千恵子さん、おいちゃん役の松村達雄さん、おばちゃん役の三崎千恵子さんとで結婚写真を撮ろうと山田洋次監督が提案してくれたのだそうです。
さらに、その時にはちょうど、生年誌表紙に掲載するための渥美清さんの写真を撮影しに人気絶頂だった写真家の篠山紀信さんが訪れていて、山田洋次監督が事情を説明して結婚写真の撮影をお願いしてくれたそうです。
篠山紀信さんもそれを二つ返事で快諾してくれたそうで、佐藤蛾次郎さんは「篠山紀信が結婚式の写真を撮ったのはこれが唯一なんじゃねえの?」と度々このエピソードを嬉しそうに語られていました。
こうした結婚の経緯もあって、山田洋次監督や渥美清さん、倍賞千恵子さんらは、佐藤蛾次郎さんと顔を合わせるたびに「奥さんを大事にしてる?変な女に引っかかってない?」と心配してくれたのだとか。
佐藤蛾次郎の嫁・和子さんは68歳で死去、死因は多発性骨髄腫
佐藤蛾次郎さんの嫁の和子さんは、2016年7月30日に68歳の若さで亡くなっています。死因は「多発性骨髄腫」だったという事です。
俳優、佐藤蛾次郎(71)が10日、東京都内で出演舞台の製作発表に参加した際、サンケイスポーツの取材に43年連れ添った妻の元女優、和子(かずこ)さんが先月30日に多発性骨髄腫のため68歳で死去したことを明かした。
佐藤蛾次郎さんは、嫁の和子さんの闘病についても語られています。それによると、嫁の和子さんは亡くなる1年以上前から背中が痛いと訴えられていたそうです。それで2015年7月に医療センターで診療を受けたところ「多発性骨髄症」と診断され、余命は2年ほどと言われたそうです。
佐藤蛾次郎さんは、嫁の和子さんの余命を告げられた時の気持ちについて「2年と言われた時は、ほんとに嫌だった。夫婦は一生ずっと一緒にいると思っていたから」と語られています。
和子さんは余命宣告をされた後も、抗がん剤治療を受けながら、夫婦で経営するお店「蛾次ママ」に立ち続けていましたが、2016年7月11日に急激に体調が悪化して入院し、それからわずか19日後に亡くなりました。
佐藤蛾次郎さんは嫁の和子さんが入院してからは、毎日病院に寄ってから仕事に行っていたそうです。和子さんからの最後の言葉は「仕事ちゃんとしなさいよ」だったのだそうです。
佐藤蛾次郎の子供① 息子は俳優の佐藤亮太
佐藤蛾次郎の息子の佐藤亮太のプロフィール
生年月日:1973年5月8日
出身地 :東京都
身長 :165cm
血液型 :AB型
佐藤蛾次郎さんと嫁の和子さんの1人目の子供は、結婚2年目の1973年5月8日に誕生した息子の佐藤亮太さんです。
佐藤蛾次郎さんの息子の佐藤亮太さんも俳優として活躍されていて、1996年のドラマ「交通調査員」の主演でデビューしています。
その後は、映画「マルタイの女」(1997年)やNHKドラマ「コラ!なんばしょっと3」(1997年)、映画「ゴジラ・モスラ・メカゴジラ東京SOS 」(2003年)、映画「隠し剣鬼の爪」(2004年)などに出演。
「ウルトラマンダイナ」(1997〜1998年)、「ウルトラマンネクサス」(2004〜2005年)などの特撮ドラマにも多数出演していて、特に2006年放送の特撮ドラマ「魔弾戦記リュウケンドー」では、父親の佐藤蛾次郎さんの代名詞的役柄である「源公(男はつらいよ)」をオマージュした「ガジロー」というキャラクターを演じて大きな話題を呼びました。
元祖『 #男はつらいよ 』で「源公」を演じた佐藤蛾次郎の息子、佐藤亮太は俳優。
— まこと@らぶうね (@Luvune) January 7, 2020
特撮ヒーロー作品『魔弾戦記リュウケンドー』では源公モチーフの、その名も「ガジロー」という役を演じていた。『 #贋作男はつらいよ 』にも、源公役で出せばいいのに。
源公とは逆に、江戸っ子弁でしゃべったりして。 pic.twitter.com/hyZ4OBl51t
その他、佐藤蛾次郎さんの息子の佐藤亮太さんは韓国ドラマの吹き替えの声優としても多くの作品で活躍されています。
佐藤蛾次郎の子供② 娘は得子さん
佐藤蛾次郎さんと嫁の和子さんの2人目の子供は1975年に生まれた娘の得子さんです。
佐藤蛾次郎さんの娘の得子さんは一般の方で詳しい情報は明かされていませんが、結婚されていて子供も出産されています。
佐藤蛾次郎さんにとっては孫にあたり、嫁の和子さんが亡くなられたばかりの頃に、寂しそうにしながらも孫の話をして笑顔を見せる場面もありました。最愛の嫁・和子さんを亡くした佐藤蛾次郎さんにとって、この孫の存在が癒しになっていたのだろうと想像されます。
今月上旬に和子さんの葬儀を済ませたばかりで寂しそうだが、「嫁いだ長女には孫もいるんだ」と笑顔も見せていた。
佐藤蛾次郎の自宅は東京都世田谷区に建つ3階建ての9LDK
2011年4月3日放送のトークバラエティ番組「メレンゲの気持ち」に佐藤蛾次郎さんがゲスト出演した際に自宅を紹介されています。
佐藤蛾次郎さんの自宅は東京世田谷区に建つ3階建の9LDKの住宅で自宅にはエレベーターが完備されている事も紹介されていました。
詳しい住所は不明ですが、晩年はずっとこの自宅に嫁の和子さんと2人で暮らされていたようです。
2016年に嫁の和子さんが亡くなられた後は、佐藤蛾次郎さんは3匹の飼い猫とこの自宅で生活されていたようです。
「これからは猫3匹とひとり暮らしだよ」。
佐藤蛾次郎のお店は銀座の「蛾次ママ」で過去にも大物が訪れる店を経営
佐藤蛾次郎さんは料理が特技で、関西テレビで1989年から2002年まで放送された「ふるさとZIP探偵団(1999年からの番組名はZIP!)」に第1回から最終回まで出演し、よく料理の腕を披露されていました。
佐藤蛾次郎さんはその料理の腕前を活かして、俳優業の傍ら副業として長く飲食店経営をされていました。1974年には新橋駅近くに「撫子(なでしこ)」というスナックを出店し、1977年に店名を「PoPo」に変えて銀座へと進出。同時期には、神田でカレー店「カレーハウス蛾次郎」も経営されています。
1996年10月からは嫁の和子さんと共に、銀座でカラオケスナック「Pabu蛾次ママ」というお店を開店し、息子さんの佐藤亮太さんも加わって家族3人で長年切り盛りされていました。
佐藤蛾次郎さんの最初のお店「撫子」には、俳優の渡哲也さんや松田優作さん、原田芳雄さん、女優の桃井かおりさんが常連客として訪れ、この4人を交えて夜通し歌うという「撫子ライブ」というイベントも催されていました。「撫子」の常連客にはオノ・ヨーコさんの弟さんもいて、1度だけあのジョン・レノンもお店を訪れたそうなのですが、タイミング悪く定休日だったというエピソードもよく知られています。
銀座で営んでいたカラオケスナック「蛾次ママ」には、俳優の千葉真一さんや桜木健一さん、女優の小沢真珠さんや矢部美穂さん、元プロボクサーの渡嘉敷勝男さん、元カリスマホストでタレントの城咲仁さん、お笑いタレントの猫ひろしさんら芸能界の大物が大勢常連として訪れていました。
嫁の和子さんが2016年に亡くなった後も、佐藤蛾次郎さんは息子の佐藤亮太さんと2人でお店を切り盛りされていましたが、新型コロナウイルスの影響で客足が減り、2020年12月31日に惜しまれながら閉店となっています。
佐藤蛾次郎の現在…2022年12月9日に78歳で死去
長年、名脇役俳優として活躍を続けてきた佐藤蛾次郎さんですが、2022年12月9日に78歳で亡くなりました。
佐藤蛾次郎さんは2021年頃まではトークショーへの出演など元気な姿を見せていましたが、2022年に入ってから現在まで表舞台で姿を見ることが亡くなっていました。
亡くなるまで自宅で過ごされていたようで、2022年12月10日の午前に息子さんの佐藤亮太さんが様子を見に自宅を訪れて亡くなられているのを発見されたという事です。遺体発見時の様子から、佐藤蛾次郎さんは入浴中に体調が急変して亡くなられたと見られています。
俳優の佐藤蛾次郎(さとう・がじろう、本名・佐藤忠和=さとう・ただかず)さんが9日、虚血性心不全で死去。78歳だった。警視庁玉川署幹部によると、10日午前、東京都内の自宅を訪ねた親族が、風呂場で動かなくなっている佐藤さんを発見した。
佐藤蛾次郎の死因は虚血性心不全
佐藤蛾次郎さんの死因は「虚血性心不全」と発表されています。
佐藤さんの死因が虚血性心不全だったと明らかにした。佐藤さんは自宅の風呂場で倒れたところを、息子が発見。近親者のみで11日に通夜を営み、12日に葬儀・告別式を執り行った。喪主は息子の俳優佐藤亮太(49)が務めた。
佐藤蛾次郎さんの死因の「虚血性心不全」については、心臓病に強いクリニックである「しまむらファミリークリニック」のホームページで以下のように説明されています。
虚血性心不全は、心臓から送り出される血液量が少なくなる、あるいは末梢血管から心臓に血液が戻る力が弱くなっている状態です。労作時の息切れなどは血液の循環不足で、浮腫は心臓に血液が戻る力が弱くなって起こります。心不全は状態のことであり、原因疾患には心筋症や弁膜症などがあります。
佐藤蛾次郎さんは闘病の末に亡くなられたというわけではなく、自宅での突然死に近い状態だった事が窺えます。
佐藤蛾次郎の死因と新型コロナワクチンの関連を疑う声も
佐藤蛾次郎さんの死因は「虚血性心不全」と発表されていますが、これと新型コロナワクチンとの関連性を疑う声も例によって上がっているようです。
佐藤蛾次郎さんは虚血性心疾患…。
— piyo (@piyorin25twin) December 12, 2022
水木一郎さんは去年4月に肺がん発覚。
両方ともワクチンの副反応として多く挙げられてるもの。
コロナ死はニュースでも速攻取り上げるのに、ワクチンの可否は全然言わないのね。 pic.twitter.com/WVrhsVGaap
水木一郎も佐藤蛾次郎も死因を聴くと
— いかたま (@ikatama331) December 13, 2022
まず真っ先に
ワクチン打ったんかな
と思ってしまう
でもきっと打ったんだろうな
その発表もして欲しいわ
蛾次郎さんの訃報は夕方過ぎに知った。
— よれてぃ〜 (@yoret_to_mirai) December 13, 2022
突然ある人の話に出てきたので何でだろう?と思ったがコレか。
虚血性心疾患って前からあったかなぁ?
ーーー
佐藤蛾次郎さんは虚血性心疾患…。
水木一郎さんは去年4月に肺がん発覚。
両方ともワクチンの副反応として多く挙げられてるもの https://t.co/UCRRvYag4b
しかし、虚血性心不全が含まれる「虚血性心疾患」の発生率が、新型コロナワクチンを接種していない人とした人では、接種していない人の方が高いというデータが示されています。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)用ワクチンについて厚生労働省は、副反応疑い報告で集まる情報を検証している専門家らの検討部会に、新たに出血性脳卒中と虚血性心疾患に関する一般人口とワクチン接種群の比較を報告した。これによると、どちらの疾患でも一般人口での死亡の発生率とワクチン接種群での死亡の報告の発生率を比べると、後者が低くなった。
このデータだけを見ると、あたかも新型コロナワクチンは虚血性心疾患に対して予防効果があるかのような印象を受けますが、示されたデータでは一般人口よりも新型コロナワクチン接種者の死亡数があまりにも下がりすぎ(単純計算で37分の1にもなっている)ていて不自然だとして、そもそもの計算方法に問題があるのではと指摘する声も上がっています。
まとめ
今回は、「男はつらいよ」シリーズの源公役への出演などで知られる俳優で、2022年12月に亡くなった佐藤蛾次郎さんについてまとめてみました。
佐藤蛾次郎さんの若い頃は、小学生時代に地元大阪の児童劇団に入って子役として俳優の道へ入り、24歳の時に「男はつらいよ」シリーズの山田洋次監督に見出されたのをきっかけに個性派の名脇役俳優として知られる存在になりました。
佐藤蛾次郎さんは1972年に3歳年下の和子さんと結婚されています。嫁の和子さんは元女優で佐藤蛾次郎さんとも何度か共演されています。結婚の仲人は山田洋次監督が務め、山田洋次監督はその後も佐藤蛾次郎さんと嫁の和子さん夫婦を大変気遣われていたようです。
佐藤蛾次郎さんと嫁の和子さんの子供は2人で、息子さんは俳優の佐藤亮太さんで、現在も俳優として活躍されています。娘さんは得子さんという方で結婚して子供もいるようです。佐藤蛾次郎さんはこの孫も生きがいにされていたようです。
佐藤蛾次郎さんが亡くなるまで過ごした自宅は東京都世田谷区の3階建の9LDKの2世帯住宅で、2016年に嫁の和子さんが亡くなるまで夫婦で暮らされていたようです。和子さんが亡くなられた後はこの自宅で猫3匹と暮らし、亡くなられたのもこの自宅の風呂場だったようです。
佐藤蛾次郎さんは特技である料理の腕を活かし、銀座で「Pabu蛾次ママ」というカラオケパブ店を嫁の和子さんと長年経営されていました。芸能人にも愛されたお店でしたが、2020年に惜しまれつつ閉店しています。
佐藤蛾次郎さんの現在は、2022年12月9日に「78歳」で亡くなった事が報じられています。死因は「虚血性心不全」と発表されていますが、この死因と新型コロナワクチンとの関連を疑う声も上がっているようです。