元サッカー日本代表選手だった加地亮さんは2017年に現役を引退し、現在は大阪府箕面市で「CAZI CAFE」を経営しています。
加地亮さんのプロフィールや経歴と引退理由、結婚した嫁と子供情報や経営するカフェなどを総まとめしました。
この記事の目次
加地亮のプロフィール
加地亮は元サッカー日本代表選手
かつてのサッカー日本代表選手・加地亮
セレッソ大阪でプロデビューし、大分トリニータ、FC東京、ガンバ大阪、米チーヴァス・USA、ファジアーノ岡山とクラブチームを渡り歩いて2017年に現役を引退した元日本代表選手でもあった加地亮さん。現在は大阪でカフェ「CAZI CAFE(カジ カフェ)」を経営しています。
本名: 加地 亮(かじ あきら)
愛称: カジさん、キング・カジ、ジャキン
生年月日: 1980年1月13日
出身地: 兵庫県南あわじ市湊 (旧西淡町湊)
身長: 177cm
体重: 75kg
ポジション: DF (RSB,CB) / MF (RWB)
利き足: 右足
引用:Wikipedia – 加地亮
加地亮さんは情報番組『ちちんぷいぷい(毎日放送)』に出演した際には、FIFAワールドカップロシア大会の第一試合・コロンビア戦の勝敗予想で1-0で日本が勝利すると予想していましたが、1点多かったものの見事に当てていました。
加地亮さんは2017年に現役を引退してからもスポーツメーカーのミズノアンバサダーを務め、サッカーを教えるなどしていましたが、同時に「CAZI CAFE」やヘアエステサロン「cazi」の経営も現役時代から続けてきていました。
加地亮はサッカーの強豪・滝川第二高校出身!
加地亮の出身小学校は不明
加地亮さんは小学校1年生からサッカーを始めましたが出身小学校は不明で、地元の西淡町の小学校でしょう。
加地亮さんは西淡町立御原中学校卒業すると兵庫県一のサッカー強豪校である滝川第二高等学校に入学しました。
加地亮さんはサッカー部監督の黒田和生さんの指導を受けてDF(ディフェンダー)、MF(ミッドフィールダー)としての才能を伸ばし、高校総体(インターハイ)や高校サッカー選手権大会などで活躍しました。
この滝川第二高等学校の出身者には日本代表選手の岡崎慎司さんや金崎夢生さん、そして2018FIFAワールドカップ・ロシア大会の日本初戦であるコロンビア戦を勝利に導いた大迫勇也さんにまつわる名言「大迫半端ないって」を生んだ中西隆裕さんも卒業生でした。
加地亮さんは滝川第二高等学校を卒業すると、繊細なボールタッチ技術とサイドアタッカーとしてのスピードを高く評価されてセレッソ大阪に入団しました。
中西隆裕くんの2年先輩に金崎夢生。さらにムウの2年先輩に岡崎慎司。そしてさらにザキオカさんの7つ上に加地亮先輩。(だったと思う) pic.twitter.com/x8vClhvt5I
— もとよき (@k_motoyoki) 2018年6月20日
加地亮、セレッソ大阪に入団
セレッソ大阪入団、日本代表選手入りを果たした加地亮
加地亮さんはセレッソ大阪に入団後、1998年のU-19日本代表選手に選抜されアジアユースに出場しました。
加地亮さんの世代は”79年組”と呼ばれた黄金世代で、小笠原満男さん、遠藤保仁さん、小野伸二さん、稲本潤一さん、本山雅志さんなどかつて日本代表チームを支えたそうそうたるメンバーがいます。
加地亮さんは1999年にもU-20日本代表に選抜されて、FIFAワールドユース選手権・ナイジェリア大会に出場し準優勝に貢献しました。
この時が「最も日本が世界一に近づいた瞬間」だと現在も語り継がれています。
加地亮、大分トリニータに移籍
加地亮、レギュラーを求めて大分トリニータへ移籍
ユースの日本代表選手として活躍していた加地亮さんでしたが、セレッソ大阪の厚い選手層にレギュラーを獲得できず、2000年に大分トリニータへ移籍を決めました。
大分トリニータでは加地亮さんはレギュラーを獲得して2001年に期限を延長し、リーグ戦において吉田孝行さんと並んで最多出場を記録しましたが、その後期限延長はせずにFC東京へ移籍しました。
加地亮、FC東京に移籍と日本代表の選抜
加地亮、FC東京に移籍し日本代表にも選抜される
2002年に加地亮さんは大分トリニータからFC東京に完全移籍しました。夏以降からレギュラーに定着してFC東京に貢献するプレーを見せるようになりました。
加地亮さんは2002年10月にコンサドーレ札幌戦で圧巻のロングシュートを決めて、J1で初の得点となりました。
2003年のナビスコカップではFC東京は準々決勝で敗退してしまいましたが、奇しくも同大会の準決勝が日本代表チームの遠征とスケジュールが重なっていたため代表メンバーだった当時鹿島アントラーズの名良橋晃さんと浦和レッズの山田暢久さん、清水エスパルスの市川大祐さんが同大会を優先させたことから加地亮さんが新たに代表チームに選抜されました。
加地亮さんにとっては複雑な思いもあったと思いますが、このチャンスにより日本代表選手として初めて国際Aマッチのチュニジア戦に出場しました。
当時の日本代表チームは3バック制が主流だったため、加地亮さんのような生粋のサイドバックは貴重な存在であり、カウンター時にはMFを追い越して攻めに転じるサイドアタッカーとしての素質は当時のジーコジャパンの武器のひとつとして重宝され、2004年の中国でのアジアカップでは優勝に貢献しました。
加地亮、FC東京の優勝・初タイトルに貢献
加地亮さんは日本代表チームとFC東京を行き来していたことから本調子ではなかったものの、真摯に練習に励んでFC東京になくてはならない存在になっていきました。
2004年のナビスコカップでは決勝戦でPKにもつれ込み、最後のキッカーに名乗り出た加地亮さんは見事に決めてFC東京の優勝に貢献しました。
加地亮さんは2005年のコンフェデレーションズカップにも出場し、ブラジル戦ではオフサイドながら”幻のゴール”を決め、高い評価を得ました。
同年にはFIFAワールドカップ・ドイツ大会最終予選が開催されましたが、加地亮さんはイラン戦で国際Aマッチ初となる得点を挙げ、日本の1位で予選通過に大きく貢献しました。
加地亮、ガンバ大阪に移籍
ガンバ大阪のオファーを受けた加地亮
ガンバ大阪は2年前からオファーを出していましたが、加地亮さんは2006年にさらなるスキルアップと関西でのプレーを希望して移籍を決めました。
ガンバ大阪に入団した同年に加地亮さんはFIFAワールドカップ・ドイツ大会にも選抜されましたが、本戦開催前に行われたドイツとの親善試合でバスティアン・シュヴァインシュタイガーから悪質タックルを受けて負傷し、退場を余儀なくさせられてしまいました。
加地亮さんはリハビリの甲斐あって第2戦までには復帰しましたが、当時監督を務めたジーコはバスティアン・シュヴァインシュタイガーを卑劣なタックルとして名指して批判していました。
3バックだったガンバ大阪に加地亮さんが加わったことで4バックも取り入れるようになり、右サイドバックとして攻守ともに多大な貢献をしたことで、2006年にはJリーグベストイレブンを初めて受賞しました。
ガンバ大阪初となるナビスコカップ制覇に貢献
2007年のナビスコカップ決勝戦では加地亮さんはセンターバックとして活躍し、ガンバ大阪はクラブ初となる同大会制覇を達成しました。加地亮さん自身はFC東京以来となる2度目の制覇でした。
加地亮さんは日本代表監督がジーコからイビチャ・オシムに変わってからもサイドアタッカーとしての持久力とスピードを買われて選抜されましたが、2008年に岡田武史さんが後任を受け継いでからは体制が変わり加地亮さんはレギュラー入りできませんでした。
さらに追い打ちをかけるように加地亮さんは同年3月に右大腿部を怪我したことで代表合宿を自体せざるを得なくなりました。
代表チームとガンバ大阪のスケジュールが込み入っていたこともあり、クラブチームの試合に専念するために加地亮さんは岡田武史さんに日本代表から引退することを伝えました。
ガンバ大阪の試合にすべてを打ち込み始めた加地亮さんは、天皇杯やAFCチャンピオンズリーグでの優勝に貢献し、さらにクラブワールドカップの全試合に出場しました。
2009年もガンバ大阪での右サイドバックのレギュラーを誰にも譲らず加地亮さんはチームに貢献しました。
しかし2012年には一転してチームの不調に陥り、加地亮さんも膝内側側副靭帯損傷に3度苦しんだこともありJ2へ降格してしまいました。
2013年にも開幕直前の試合で怪我をして開幕戦への出場はできなかったものの、加地亮さんはその後第3節の横浜FC戦で復帰後シーズンを通して出場し、ガンバ大阪のJ1復帰に貢献しました。
加地亮、米チーヴァス・USAに移籍
アメリカに渡った加地亮
加地亮さんは2014年6月にアメリカのメジャーリーグサッカー所属のチーヴァス・USAへ移籍しました。
加地亮さんは同年7月20日の第19節D.C.ユナイテッド戦で初出場すると、リーグ戦の全試合に出場しましたが、同年10月にチーヴァス・USAはチームが解散してしまいました。
加地亮さんは移籍先のクラブチームを決めるための分配ドラフトでは指名されず、同年12月に無所属選手を対象に行われたドラフトでも選ばれなかったため帰国を余儀なくされました。
加地亮さんは2015年1月9日にJリーグのJ2所属のファジアーノ岡山に入団して活躍していましたが、2017年11月25日にシーズン限りで現役引退することを発表しました。
加地亮が記者会見で語った現役引退理由とは
加地亮、2017年シーズンで20年間の選手生活にピリオド
加地亮が現役引退したのは限界を感じたから
当時ファジアーノ岡山に所属していた加地亮さんは引退記者会見を開き、記者団からの質疑応答に45分間答えていました。
加地亮さんは現役引退を決めた理由について以下のように会見で語りました。
「素直に、自分の思っているプレーができなくなってきたのも事実ですし、来年もう1年、責任と覚悟をもって頑張れるかということを自身に問いかけた時に、やれるという自信を持てなかったことで引き時かなと感じました。きっかけは夏場に怪我をして2か月くらい休んでいたんですが、そこから復帰した4~5試合でなかなか自分の思うプレーと身体の感覚が合っていかなかったこと。以降もその感覚が戻らない状態がずっと続いていたのですが、そういうことも自分の中では大きかったと思います」
加地亮さんはこのシーズンではファジアーノ岡山でプレーオフ出場を目指しながら4連敗を喫したことから6位圏内は絶望的となり、13位に後退してしまっていました。
チームに貢献できなかったことへの悔しさが募っていた加地亮さんは、同時に自分のプレーの限界も感じていたようです。
加地亮さんは現役引退について最後まで悩んでいたそうですが、ずっと支え続けてくれた嫁の那智さんに相談したことで引退を決意するも、最期まで現役続行したいという気持ちは抜けなかったようです。
加地亮の引退後の現在~結婚した嫁とおしゃれなカフェを経営
加地亮は現役時代からカフェを経営していた
加地亮さんは2017年シーズンを最後に現役引退しましたが、現役時代から大阪府箕面市で「CAZI CAFE」を経営していました。
加地亮と嫁・那智さんとの間には1男1女の子供が3人!
加地亮さんは滝川第二高校時代の同級生でサッカー部のマネージャーをしていた那智さんと2004年1月に結婚しました。
その後加地亮さんは2006年4月12日に長男が誕生してから現在までに1男2女の3人の子供を授かっています。
加地亮さんは「サッカー選手になっていなかったら?」という質問に対して「保育士」と答えるほど子供が好きなようで、現役引退後は保育士になろうとも思っていたようです。
加地亮の嫁・那智さんの実家は淡路島の民宿
加地亮の嫁・那智さんの実家は民宿
加地亮さんの嫁・那智さんの実家は淡路島で「大倉荘」という民宿を営んでいたようで、元々飲食業には深い馴染みがあったそうです。
そして、那智さんは強豪校と言われる滝川第二高等学校時代にサッカー部のマネージャーとして采配した管理力や決断力は高いものがあり、加地亮さんもその辺に当時から信頼を寄せているようです。
加地亮、カフェが軌道に乗るまで3年かかった
加地亮のネームバリューだけでは難しかった
加地亮さんがお店で働き始めたのは2018年2月からなのですでに繁盛していて忙しいようですが、営業開始後は客が定着せずに軌道に乗るまでに3年かかったそうです。
お店を開いた理由は、嫁の那智さんが「カフェをやりたい」と言ったことから2011年始め頃に株式会社CAZIを立ち上げ、銀行の融資を受けて古民家をリノベーションして2011年7月に「CAZI CAFE」をオープンさせました。
「CAZI CAFE」のオープンと同時に最初に雇ったシェフはすぐに辞めてしまったそうで、しばらくはランチタイムだけとなり加地亮さんの嫁・那智さんが料理を作っていた時期があったそうです。
しかし、オープン2年目から那智さんの実家の民宿と馴染みがあった料理人を雇うことできたそう。
それまでとても苦労していたと話す那智さんですが、2代目シェフを雇ったことでランチとディナーでの営業が可能になり、アルバイト10人に2018年2月から加地亮さんを加えて大所帯でのお店の運営をしているそうです。
加地亮さんの仕事はもっぱら洗い場で、忙しくなる時間帯などはホールに出て配膳やオーダーなどを取っているそうで、サッカーファンは忙しい時間帯に行くと良いでしょう。
お店は午前中の11時に開店しますが、加地亮さんは朝9時には出勤して掃除やテーブルセッティングなど開店に向けた準備を始め、小鉢の盛り付けも手伝っているそうです。
当然「CAZI CAFE」にはガンバ大阪時代やファジアーノ岡山時代のサポーターが訪れることも多いようです。
サイドバックだった自分はピッチ上でも他の選手を縁の下から支える役目を担っていました。今は働く場所がカフェに変わったけど、やっていることはまったく同じ。今は山のように積み上がる皿を見るだけでアドレナリンが出てきます(笑)。
さらに、加地亮さんは嫁・那智さんの実家の民宿「大倉荘」を継ぐことも考えているそうで、サッカーファンの聖地となるような民宿が誕生するかもしれませんね。
昼はカフェ仕事…夜はカフェ仕事…。ずっとカフェかい!!
— 加地亮 (@CAZI21_MR12) 2018年6月21日
1日中カフェ仕事はキツイな。笑
でも皿洗いしてる時はアドレナリン出まくってます!皆さん毎日大変な中で、アドレナリン出てるな?って思うのはどんな時ですか?リプライで教えてください。#マイベストイレブン
加地亮の髪型など現役時代のイケメン画像特集
加地亮の髪型など現役時代のイケメン画像①
加地亮さんの現役時代の背番号は21番で通していたようです。
加地亮の髪型など現役時代のイケメン画像②
加地亮さんは現役時代から現在まで髪型はほとんど変わっていないようです。
加地亮の髪型など現役時代のイケメン画像③
加地亮さんの現役時代の年棒は全盛期で4700万ほどだったようです。
加地亮の髪型など現役時代のイケメン画像④
加地亮さんは水にこだわりを持っていて、現役時代から遠征にも水を持って行っていたそうです。
加地亮の髪型など現役時代のイケメン画像⑤
加地亮さんは現役時代は「ArkRing」というトルマリン系のネックレスをしていました。
加地亮の髪型など現役時代のイケメン画像⑥
加地亮さんは「CAZI CAFE」を経営しながらもオファーがあればサッカーを教えたりしているのでしょう。
加地亮の髪型など現役時代のイケメン画像⑦
加地亮さんは今後もサッカー解説などで番組出演することがありそうですね。
加地亮の髪型など現役時代のイケメン画像⑧
加地亮さんが民宿を継いだらどのようなセールスポイントを出していくか楽しみですね。
加地亮さんは非常に真面目な性格だと言われていますが、子供たちにサッカーを教えた際にも「常に考えて努力をすれば必ずサッカー選手になれる。なれない人は努力が足りないだけ」とシンプルに教えていたようです。
現役引退して「CAZI CAFE」で働き始めてからも、皿洗いひとつとっても考えて最も効率の良い方法を模索しているようで、そうした性格の加地亮さんなら民宿を継いでもしっかり経営していきそうですね。
2018年6月に大阪府北部地震が起き現地は死者5名を出す被害を出しましたが、加地亮さんや周囲の人、「CAZI CAFE」は被害を免れたようです。
ご心配有難うございます。
— 加地亮 (@CAZI21_MR12) 2018年6月20日
家族もカジカフェも大丈夫です。
僕も元気です。
日本代表の勝利。元気もらいました。
がんばる大阪!がんばれ日本代表!
アナタの一番好きな右サイドバックは?答えてくれた人の中から抽選で1名に、プレゼントとして…なんとアナタのチームに助っ人に行っちゃうよ!玉葱持って 笑
— 加地亮 (@CAZI21_MR12) 2018年6月15日
下のボタンを押して回答をツイートしてね。#加地亮プレゼント #マイベストイレブンhttps://t.co/HpjMm87GGd
加地亮について総まとめすると…
・加地亮は高校のサッカー部のマネージャーだった那智さんと結婚。子供は1男2女の3人である。
・加地亮は阪府箕面市で古民家を改装したカフェ「CAZI CAFE」を奥さんと経営。担当はもっぱら洗い場で、混雑時はホールも担当している。
セレッソ大阪でプロデビューし、FC東京やガンバ大阪などを始め日本代表選手としても活躍してきた加地亮さんについて総まとめしてきました。
加地亮さんはセレッソ大阪時代にレギュラーが獲得できなかったり、日本代表選抜で招集されても始めは明らかに周囲の選手より実力が無くて批判も受けて悩んでいた時期があるそうです。
しかし、加地亮さんは持ち前の真面目な性格で人一倍の努力を続けた結果、日本代表に無くてはならない右サイドバックとしてチームに多大な貢献をするまでに成長しました。
加地亮さんのようなスピリットを学んだ子供達の中には、将来スター選手になっていく人もいることでしょう。