Jリーグ川崎ヴェルディや横浜F・マリノス、日本代表などで活躍した元サッカー選手・中澤佑二さんが話題です。
ここでは中澤佑二さんのサッカー界での偉大な功績や若い頃のストイックすぎる経歴、出身高校や「ボンバーヘッド」と話題になった髪型、結婚した嫁や子供、現在の活動などについてまとめました。
この記事の目次
中澤佑二のプロフィールや引退理由
中澤佑二のプロフィール
生年月日:1978年2月25日
出身地 :埼玉県吉川市
身長 :187cm
血液型 :AB型
中澤佑二さんは、Jリーグのヴェルディ川崎(東京ヴェルディ)や横浜F・マリノスなどでプレーし、日本代表(A代表)としても大活躍した元サッカー選手です。
身長187cmの恵まれた体格を持ち、外国人選手相手にも当り負けない体幹と高いヘディング力を武器にした高いディフェンス力に加え、セットプレー時には高い得点力も発揮した名ディフェンダーでした。
日本代表としての活躍もめざましく、特に2010年に南アフリカで開催されたFIFAワールドカップでは、田中マルクス闘莉王さんとセンターバックコンビを組み、守備の要として日本代表のベスト16入りに大きく貢献し、この活躍によって「彩の国功労賞」を授与されています。
中澤佑二さんはフィジカルの強さも素晴らしく、フィールドプレイヤー(ゴールキーパー以外の選手)としてはJリーグ史上ナンバー1の199試合連続出場、178試合連続フル出場という偉大な記録を持ちます。
海外メディアからの評価も高く、2010年にはデンマークのサッカー専門誌「VM2010」で、要注意選手として名前が挙げられ、2020年4月には、イギリスのサッカーメディア「90min」が発表した、21世紀の日本代表ベストイレブンにも中澤佑二さんが選出されています。
2019年1月、中澤佑二さんは現役引退を発表し40歳でユニフォームを脱ぎました。17年間所属した横浜F・マリノスからは契約延長オファーを受けていましたが、ここ数年は慢性的な左膝痛と戦いながらプレーを続けており、引退理由を「納得できる状態でなければ戦えない」として、引退を決断されたようです。
2019年10月、中澤佑二さんの長年の功績が高く評価され、Jリーグ理事会より「リーグ功労選手賞」が授与されています。
中澤佑二の若い頃の経歴がストイックで凄い
日本のサッカー史に残る偉大な実績を残した中澤佑二さんでしたが、実は若い頃はまったく無名の選手で、プロ入りを果たすまでに凄まじいまでの努力を積まれています。そんな若い頃の中澤佑二さんの経歴を紹介します。
中澤佑二の若い頃① まるでスポ根漫画のような高校時代
中澤佑二さんがサッカーを始めたのは小学6年生とプロサッカー選手としてはかなり遅めのスタートでした。中澤佑二さんが中学3年生だった1992年にJリーグが発足し、将来の目標をJリーグで活躍すると事と定めた若い頃の中澤佑二さんは、ストイックに徹底的に自分を追い込み始めました。炭酸飲料は一切飲まなくなり、毎日2リットルの牛乳を飲んでいたというエピソードも有名です。
練習中に笑顔を見せるようなぬるい雰囲気の部員達が許せなかったという高校時代は、サッカー部キャプテンになると、1日7時間の練習をチームメイトに要求。結果、後輩達の約半数が「付いていけない」とサッカー部を辞めてしまうという、まるでスポ根漫画のようなエピソードも持っています。
中澤佑二の若い頃② 単身ブラジルへ渡る
プロという目標に向かって必死の努力を続けた若い頃の中澤佑二さんでしたが、周囲からは「無名のお前がプロになどなれるわけない」と笑われる事も多かったそうです。
それでも中澤佑二さんはプロになる夢をあきらめず、高校卒業後には、自分の選手としての価値を高めるため単身ブラジルへと渡り、サッカークラブ「アメリカFC」に加入します。
ブラジルに渡った若い頃の中澤佑二さんは、プロ契約を目指す若手選手達が日々命を削りあっているような熾烈な環境の中に飛び込み揉まれました。スパイクを盗まれ、練習着も貸してもらえず、練習中にパスすら回ってこないような状況の中で必死にプレーし、ついに戦力として認められ練習試合で起用されるまでになります。
しかし、ついに契約は叶わず1年後に帰国し、Jリーグ各チームに売り込んだもののオファーはもらえませんでした。
中澤佑二の若い頃③ 努力が実りヴェルディ川崎と契約
しかし、それでも諦めなかった若い頃の中澤佑二さんは、母校の高校で後輩達に混じってサッカーを続け、ヴェルディ川崎のユースチームとの練習試合に年齢を偽って出場して得点を上げる活躍を見せたのをきっかけに、1998年についに川崎ヴェルディと練習生契約を結びます。
契約を結んだとはいえ、練習生なので給料はなく、逆に必要経費などを払って練習に参加し、埼玉県の自宅から東京都の練習場に向かうための交通費すら出ないという過酷な状況の中でプレーを続けた中澤佑二さんは、ついにその実力を周囲に認めさせ1999年に正式にヴェルディ川崎とのプロ契約を結びました。
中澤佑二さんのその後の活躍はよく知られた通りで、デビュー年からレギュラーを奪取してJリーグ新人王に輝き、日本代表(U-23)にも選出され、1999年9月のイランとの親善試合ではフル代表デビューも果たし、日本を代表するサッカー選手への道を一気に駆け上がっていくのです。
このように、若い頃の中澤佑二さんはまるで少年漫画の主人公のような経歴を持っているのです。
中澤佑二の小学校・中学校・高校などの学歴
若い頃の経歴が凄すぎる中澤佑二さんですが、その学歴についても紹介します。
中澤佑二さんの出身小学校は、埼玉県吉川市の「三輪野江小学校」です。この小学校の6年生の頃に中澤佑二さんはサッカーを始めました。
中澤佑二さんの出身中学校は、埼玉県吉川市の「吉川市立東中学校」です。
そして、中澤佑二さんの出身高校は埼玉県三郷市の「埼玉県立三郷工業技術高等学校」です。
この三郷工業技術高校はサッカーの名門校というわけではないのですが、サッカーグラウンド1面がフルに使えるなど練習環境は整っています。また、高校卒業後にブラジル留学した中澤佑二さんが帰国した後、後輩達と一緒に練習する事を許可するなど、かなり協力的な高校だったようです。
中澤佑二の髪型「ボンバーヘッド」が話題に
若い頃の中澤佑二さんの代名詞となっていたのがその髪型「ボンバーヘッド」です。
中澤佑二さんは、Jリーグでデビューしてからは髪型をインパクトの強いアフロヘアにしており、これが当時は珍しかったことから代名詞のようになりファンから「ボンバーヘッド」と名付けられたのです。
中澤佑二さんは、2017年に受けたインタビューで当時の髪型「ボンバーヘッド」について触れられて、「とにかく顔と名前を覚えてもらいたいと思ってああいう髪型にしていた」と答えています。
中澤は“ボンバーヘア”だった当時の写真を眺め、「恥ずかしいですよね」と苦笑する。しかし、そこに込められた初心は、今なお薄れることはない。
「とにかく顔と名前を覚えてもらいたいという思いで、ああいう髪型にしていたんです。あの頃の『Jリーグでレギュラーとしてやっていきたい』、『プロとしてやっていきたい』っていうギラギラした感じは、今も持ち続けています」
中澤佑二さんの若い頃の髪型「ボンバーヘッド」にはこのような熱い想いが込められていたという事です。若い頃の中澤佑二さんのストイックな経歴も相まってかなりかっこいいエピソードです。
中澤佑二さんはこの髪型「ボンバーヘッド」を30歳の頃にやめてしまっています。この髪型をやめた理由は「毛根が気になり始めたから」との事。
ちなみに現在の中澤佑二さんの髪型は、くせ毛風のミディアムヘアです。この現在の髪型もダンディでかっこいいとかなり好評なようです。
中澤佑二の結婚や嫁の画像について
中澤佑二さんは20代前半の頃に結婚されていますが、結婚の馴れ初めなどについては話されていないため不明です。
中澤佑二さんの結婚した嫁については、名前が「摩耶(まや)」さんという事は判明していますが、年齢や顔写真、何をされている方かなどの詳細な情報は一切明かされていません。
嫁についてコメントされる事はほとんどない中澤佑二さんですが、2004年にJリーグMVPを獲得した時には「嫁に支えられています」とコメントされています。
中澤佑二の子供は娘が2人でラクロスをやっている
中澤佑二さんは結婚した嫁との間に2人の子供がおり、2人とも女の子です。
中澤佑二さんの2人の子供はラクロスをやっているそうで、しかもかなりの有力選手だという事です。
これは、中澤佑二さん本人が「娘がラクロスをやっている」と明かされているので間違いない情報です。
そして、中澤佑二さんの子供2人の名前は、姉が「こころ」、妹が「ねがい」だと言われています。
実は、日本大学高等学校のラクロス部に所属する「中澤こころ」さんと「中澤ねがい」さんという2人の選手が、2019年度のラクロス女子19歳以下日本代表チームに選出されており、この2人が中澤佑二さんの子供の2人なのではないか?と言われているのです。
ちなみに、2019年5月に公開された、ラクロス女子19歳以下日本代表チームの選手紹介によれば、中澤こころさんが高校3年生で17歳、中澤ねがいさんが高校1年生で15歳と紹介されています。
そして、中澤こころさんは2019年度のラクロスの世界のトッププレーヤーが選ばれる「World Team」の1人にも選出されており、世界でもトップクラスの選手として認められているようです。
この2人が中澤佑二さんの子供であるという確証はないのですが、名前の一致や現在の年齢、2人揃って日本代表に選出されるほどの身体能力と球技センスなどを合わせて考えると、この2人が中澤佑二さんの子供である可能性は極めて高いのではないでしょうか。
中澤佑二の現在
子供2人がラクロスをやっているという中澤佑二さんですが、なんと現在は、女子ラクロス部のコーチとして活動されているそうです。
なんと現在は女子ラクロス部のコーチとして活動していることが明かされたのです。娘が学校でラクロス部に入ったことで興味を持ち、引退後、毎日通って球拾いをしていたことからコーチとして招かれたそう。最初はフィジカル面などラクロス以外の部分を教えていたのが、今では戦術的な部分も教えられるようにまでなっている。番組でサッカーとラクロスどちらが面白いか聞かれて、『ラクロスです』と即答
あの中澤佑二さんが、毎日ラクロス部の球拾いをしていたというのもサッカーファンからすると凄すぎる話なのですが、その後コーチに招かれて本気で取り組んでしまうところもさすがは中澤佑二さんという印象です。
また、現在の中澤佑二さんは、テレビのバラエティ番組などにも頻繁に出演されており、現役時代とはまた違う顔を見せてファンを喜ばせています。
まとめ
今回は、Jリーグのヴェルディ川崎(東京ヴェルディ)や横浜F・マリノス、日本代表のキャプテンとして活躍した元サッカー選手の中澤佑二さんについてまとめてみました。
中澤佑二さんはその恵まれた体格と身体能力で、Jリーグトップクラスの選手として長年プレーし、2019年に40歳で現役を引退されました。
日本サッカー史に残る功績を残された中澤佑二さんですが、実は若い頃は全くの無名選手で、高校卒業後はブラジルに単身渡って経験を積んだものの帰国後もオファーはかからず、母校のサッカー部で後輩達に混じってサッカーを続けた末、ようやくプロ契約を果たしたという苦労人です。
そんな中澤佑二さんは20代前半の頃に結婚した嫁との間に2人の子供を儲けています。その2人の女の子はラクロスに取り組んでいるそうで、なんと現在、中澤佑二さんは娘達の所属するラクロス部でコーチを務めているという事です。
現役引退後、アグレッシブに新しい事に挑戦されている様子の中澤佑二さんから今後も目が離せなくなりそうです。