赤木俊夫さんといえば、「森友学園問題」を巡る公文書改ざん事件に関わっていたキーマンであり、2018年3月7日に自殺してしまった人物です。
この記事では、赤木俊夫さんの出身大学など学歴と経歴、森友学園問題での自殺と遺書全文、嫁や子供の現在を総まとめしました。
この記事の目次
赤木俊夫のプロフィールと学歴…働きながら立命館大学夜間コースを卒業
赤木俊夫(あかぎ としお)
生年月日:1963年
出身地:岡山県
しかしながら、当時の国鉄は、終戦後に国策として行われた戦争引揚者の大量雇用の後遺症により、職員の高齢化や余剰人員問題に悩んでおり、慢性的な赤字状態でした。
そのため、分割民営化をする羽目となった国鉄は、1987年4月1日より現在のJRグループの体制へと移行し、大量リストラが実施されることになりました。
若手職員だった赤木さんは、もちろんリストラ対象にはならない身の上でしたが、民営化の成功が危ぶまれていた当時の世論もあり、国鉄を退職し中国財務局に転職しています。
中国財務局に転職後の赤木さんは、鳥取財務事務所に勤務していたようですが、立命館大学法学部の夜間コースへ進学することを機に、近畿財務局京都財務事務所に異動したとか。
その後、関西各地を転勤することとなった赤木さんでしたが、最終的には近畿財務局本庁勤めまで出世しており、上席財産管理官の地位にあったようですね。
社会人になって以降に夜間大学に通うなど、勉強熱心だった赤木俊夫さんですが、趣味なども多彩だったようですね。
赤木さんの趣味に関しては、音楽や落語、建築だったそうで、特にミュージシャンの坂本龍一さんのファンだったと言われております。
その他、書道にも熱中していたという赤木さんは、土日になると部屋に籠って書をたしなんでおり、高価な道具なども買いそろえていたとか。
赤木俊夫の経歴…森友学園への国有地売却問題の担当者の1人となる
森友学園問題とは
赤木俊夫さんを始め、多くの人間の人生を狂わすこととなった「森友学園問題」とは、2016年6月に起こった近畿財務局の国有地売却問題となります。
「森友学園問題」については、近畿財務局が2013年に大阪府豊中市にある国有地(8770㎡)の売却先を公募したところから始まっています。
近畿財務局の公募に対しては、籠池一族の経営する森友学園が手を挙げたため、2016年6月に国有地が売却されることが決定しました。
しかしながら、売却が決定されるまでの過程で、評価額9億5600万円の国有地が「地下に埋蔵されたごみの撤去費用」名目にて1億3400万円までディスカウントされる事態が発生。
この国有地のディスカウント売却の正当性を巡って、2017年2月に「森友学園問題」が発生し、社会問題化することになりました。
赤木俊夫は森友学園への国有地売却問題の担当者
「森友学園問題」発生後の近畿財務局は、2017年2月より「森友学園への国有地売却問題」の調査チームを発足しており、上席財産管理官だった赤木俊夫さんも担当者の1人となりました。
「森友学園問題」発生以前は、別の部門を担当していた赤木さんですが、近畿財務局では扱う事案で動きがあった場合、財務省の担当課に報告してから交渉を進める慣例があったため、「森友学園問題」も財務省主導ではないかとの確信があったようですね。
赤木俊夫が自殺した原因…文書改ざんを何度も強要されていた
赤木俊夫、佐川宣寿の命令で公文書改ざん
「森友学園への国有地売却問題」の調査チームの一員となった赤木俊夫さんですが、実際のところは、財務省の佐川宣寿理財局長からの指示を受けて、「森友学園問題」を隠蔽する役回りを演じることになりました。
赤木さんが初めて公文書の改ざんに手を染めたのは、2017年2月26日のことでした。
当時、森友学園を厚遇したと疑われかねない文書の修正の必要性を感じていた佐川理財局長は、部下である財務本省理財局幹部・杉田さんに公文書の改ざんを指示。
杉田さんより修正用の文書を受け取った近畿財務局の面々は、公文書差し替えの実行犯となってしまったようですね。
公文書差し替えはあくまで内密の作業ということもあり、本来は(赤木さんの直属の上司だった)池田靖統括官1人で行う業務だったものの、修正箇所の多さに根を上げた池田統括官は、赤木さんにヘルプを求めてしまったとか。
日曜日で、赤木さん夫婦は昌子さんの母親とともに自宅近くの梅林公園を訪れていた。その時、俊夫さんの携帯が鳴った。通話の後、俊夫さんは「池田統括が困っているから、ぼく助けにいくわ」と言い残し職場に向かった。昌子さんは語る。「トシくんは池田さんより年上だけど、池田さんのことを尊敬していて本当に好きでした。だから『助けに行く』と聞いても疑問に思いませんでした。
現場に辿り着き状況を理解した赤木さんは、文書の差し替えに反対をしたものの、池田統括官に押し切られて公文書改ざんに手を染めてしまうことになりました。
その後、2017年3月7日にも公文書改ざんを強いられることとなった赤木さんは、最終的には3~4回ほど文書の修正作業を任されてしまったようですね。
赤木俊夫、ストレスからうつ病を発症
あまりに不運すぎる成り行きから、公文書改ざん問題に手を染めてしまった赤木俊夫さんですが、2017年7月に行われた人事異動にて、自分1人だけ「森友学園への国有地売却問題」調査チームに残されてしまうという悪夢が待っていました。
その他、自分の知らぬところで「森友学園問題」絡みの国有地売買資料が処分されてしまうなど、赤木さんにとってショッキングな出来事が続いたようですね。
そのため、精神が不安定になってしまった赤木さんは、2017年7月15日に病院の精神科を受診したところ、うつ病の診断を下されることになりました。
うつ病との診断を受けた後の赤木さんは、同年の7月20日より病気休暇に入り、以降職場復帰することもなかったとか。
赤木俊夫、検察の捜査に怯えていた
「森友学園問題」に関しては、市民団体などが財務省の官僚たちまで告発しており、赤木俊夫さんも検察から事情聴取を受けることに怯えていたそうですね。
2017年12月25日に、検事から電話での事情聴取を受けた後の赤木さんは、完全に被害妄想に取りつかれることとなってしまい、幻覚が見えてしまうほど精神を取り乱す状況になってしまったとか。
「ぼくは職場に復帰したら検察に呼ばれる。検察は恐ろしいとこや。何を言っても思い通りの供述を取る。検察はもう近畿財務局が主導して改ざんしたという絵を描いている。そのストーリーから逃げられない。ぼくが何を言っても無理や。本省の指示なのに最終的には自分のせいにされる。ぼくは犯罪者や」
妄想も現れるようになった。「玄関の外に検察がおる!」と繰り返し叫んでいたという。
精神状態が悪化して以降の赤木さんは、妻に暴言を吐くだけではなく、尊敬していた上司の池田靖統括官の悪口まで繰り返すようになってしまいました。
ちなみに、池田統括官が赤木さんより恨まれた原因については、森友学園に国有地を売った際の近畿財務局側の責任者だった他、大阪航空局からの「ゴミの撤去費用8億円」との調査資料を真に受け、売却額をディスカウントした張本人だったからでした。
実際のところは、近畿財務局に国有地に埋まったゴミの実態調査をする予算がなかったため、池田統括官も大阪航空局のずさんな資料に騙された被害者の立場だったわけですが、赤木さんから見れば、この問題の元凶に思えてしまったのでしょうね。
赤木俊夫が自宅で首吊り自殺…妻の意向により遺書全文が公開
赤木俊夫、改ざん問題発覚により自宅で首つり自殺
「森友学園問題」の公文書改ざんが発覚したのは、2018年3月2日のことでした。ネットのニュースでその事実を知ることとなった赤木俊夫さんは、まさに錯乱状況に陥ってしまったと言われております。
「朝、スマホで記事を見て、『この人のやったこと、これやったんや』とすぐわかりました。本人に見せたくなかったけど、結局、見てしまった。ものすごく落ち込んで『死ぬ、死ぬ』と繰り返してました。夜中にロープを持って出ていこうとしたので止めたんです」
その後、自殺未遂を2度ほど繰り返した赤木さんですが、2018年3月7日に遺書や告発文を残し、自宅室内で首つり自殺を遂げることになりました。
赤城俊夫が遺した遺書全文が公開
不幸な巡り合わせにより、公文書改ざん問題に関与させられた挙句、精神を病んで自殺してしまった赤木俊夫さんですが、妻の意向により遺書が全文公開されています。
非常に長い文章のため、一部抜粋でのご紹介です。
1.森友学園問題
私は、今も連日のように国会やマスコミで政治問題として取り上げられ、世間を騒がせている「森友学園への国有地売却問題」(以下「本件事案」という。)を、昨年(平成29年)2月から担当していました。
本件事案が社会問題化することとなった端緒は、平成29年2月9日、朝日新聞がこの問題を取り上げたことです。
(朝日新聞が取り上げた日の前日の平成29年2月8日、豊中市議が国を相手に、森友学園に売却した国有地の売買金額の公表を求める訴えを提起)
近畿財務局が、豊中市に所在する国有地を学校法人森友学園(以下「学園」という。)に売却(売買契約締結)したのは平成28年6月20日です。
私は、この時点では、本件事案を担当していませんので、学園との売買契約に向けた金額の交渉等に関して、どのような経緯があったのかについてはその事実を承知していません。
全文はこちらから確認できます。
自殺した財務省職員・赤木俊夫氏が遺した「手記」全文【森友スクープ全文公開#4】
赤木俊夫の結婚した嫁と子供について
赤木俊夫、嫁・昌子さんは後追い自殺をしようとしていた
赤木俊夫さんの妻に関しては、「週刊文春」などでは昌子さんの通称でお馴染みですが、こちらの名前については仮名となっており、本名は不明だとか。
昌子さんは完全な私人のために、詳細情報などは明らかになっていませんが、専業主婦ではなく共働き夫婦ではあったようですね。
赤木さんの死後は、後追い自殺をしようかと思い詰めていたこともあった昌子さんですが、周囲の支えもあり何とか踏みとどまることが出来たとか。
赤木俊夫、子供の有無は不明
赤木俊夫さんの子供の有無に関しては不明となります。
ただし、赤木さんの告発文の最後に書かれていた家族への別れの言葉の中に、我が子に向けたものがないことを踏まえると、子供はいない可能性が高いようです。
私の大好きな義母さん、謝っても、気が狂うほどの怖さと、辛さこんな人生って何?
兄、甥っ子、そして実父、みんなに迷惑をおかけしました。
さようなら
赤木俊夫の遺族のその後現在…国や佐川宣寿を相手取り提訴
赤木俊夫さんの現在については、2020年3月になると、妻・昌子さんが国や佐川宣寿さんを相手取って訴訟を起こしています。
近畿財務局の職員だった赤木俊夫さんが、財務省の決裁文書の改ざんに関与させられたことを苦に自殺したことをめぐり、赤木さんの妻は18日、国と改ざんを事実上指示したとされる財務省の佐川元理財局長に、1億1000万円余りの損害賠償を求める訴えを大阪地方裁判所に起こしました。
昌子さんは、その他にも赤木さんが残した遺書や告発文を「週刊文春」などで公開しており、夫の無念を晴らすべく戦う決意を固めているようですね。
昌子さんが、赤木さんの死後2年経ってから行動を起こした背景には、夫の元同僚たちに対する不信感があったとか。
近畿財務局の面々は、昌子さんに無断で麻生太郎財務大臣からの墓参の打診を断ったり、夫の自殺の背景を知りたがる昌子さんを露骨に避けるようになっていました。
そのため、赤木さんの自殺直後は、夫の元同僚たちまで巻き込むことを躊躇し、表立った行動を控えていた昌子さんも訴訟を起こす決意がつくことになりました。
赤木俊夫についてまとめると…
・赤木俊夫は既婚者だが、子供はいない可能性が高い
・赤木俊夫は森友学園問題で、文書改ざん強要で精神的に追い込まれ自宅で首つり自殺した
・赤木俊夫の死後に妻が遺書の全文を公開、2020年3月になると国と佐川宣寿を相手取り訴訟を起こしている
赤木俊夫さんに関しては、ごく普通のノンキャリア官僚だったものの、「森友学園問題」に巻き込まれた結果、精神を病んで自殺に追い込まれてしまった悲劇の人物となります。
赤木さんのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。