内閣総理大臣安倍晋三夫人の安倍昭恵さんをご存知でしょうか?実は安倍昭恵さんの生い立ちや家族などが凄い人なのです。
安倍昭恵さんの出身高校と大学などの学歴、父親・母親・祖父など家族や家系図、また安倍昭恵さんの若い頃と現在での比較画像などもまとめてご紹介します。
安倍昭恵のプロフィール&生い立ち
名前:安倍 昭恵(あべ あきえ)
旧姓:松崎(まつざき)
愛称:アッキー
生誕:1962年6月10日
出身:東京都
異色の活動をする総理大臣の妻・安倍昭恵
安倍昭恵さんは専門学校を卒業した後、電通に勤務し、その後衆議院議員の安倍晋太郎さんの二男である安部晋三さんと結婚しました。
夫の安部晋三さんは衆議院議員、さらには内閣総理大臣となりますが、安倍昭恵さんはラジオのディスクジョッキー、居酒屋の経営など、政治家の妻としては異色の活動を展開しています。
瑞穂の國記念小學院では名誉校長を務めていたものの森友学園問題が浮上した際に退任しました。
同様に、御影インターナショナルこども園では名誉園長を務めていましたが、のちに加計学園問題が取り沙汰された際に問題視されました。
更に大麻解禁、反原発など、夫の安部晋三さんとは異なる主張を展開することもたびたびあります。
1987年に安倍晋三と結婚した安倍昭恵
安倍晋三と恋愛結婚した安倍昭恵
安倍晋三総理と安倍昭恵夫人に子供がいない理由…馴れ初め・結婚・現在まとめ
安倍昭恵さんは職場の上司の紹介で安倍晋三さんと出会い、1987年6月に結婚しました。
安倍晋三さんと安倍昭恵さんは残念ながら子宝に恵まれず、不妊治療を試みたりするものの実をを結ばず、最終的には養子縁組も検討したそう…
そして2006年9月、安部晋三さんの首相就任により、ファーストレディとなりました。
安倍内閣発足時、安倍昭恵さんは北海道洞爺湖サミット開催までは安部晋三が政権を維持できると予想していたそうです。
10月8日の安部晋三さんの韓国・中国訪問でファーストレディとして実質的な外交デビューを果たし、その後も夫の外訪の際には必ずと言っていいほど付き添っています。
安倍昭恵さんの活動については「米国型のファーストレディを意識している」との分析もあり、彼女の活動を補助する「首相公邸連絡調整官」なるポストが設けられ、宮家邦彦さんが就任しました。
更に安倍晋三さん以外の候補者の選挙応援にもかかわるようになり、2007年1月28日に北九州市を訪れ、自公推薦候補の柴田高博さんの応援演説を行い、安倍昭恵さんにとって初めての応援演説でした。
第1次安倍政権以後は病気で入院中の安部晋三さんに対し、安倍昭恵さんは政治家引退を勧めたが拒否されてしまいます。
そして2012年12月16日、衆議院選挙が行われ、この日まで安倍昭恵さんも選挙活動を行い、自民党候補者を応援するべく全国を回っていた夫に代わって、地元・山口で支持を訴えました。
選挙の結果、安倍晋三さんの当選も含めて自民党は政権を奪還し、自民党総裁であった安倍晋三さんが首相に再登板し安倍昭恵さんも再びファーストレディとなりました。
安倍昭恵の学歴は?
安部晋三さんの夫人というだけでも凄い方ではありますが、その前に安倍昭恵さんの学歴なども見てみましょう。実は安倍昭恵さんの学歴なども立派な経歴をお持ちなのです。
安倍昭恵の出身高校は聖心女子学院高等科
聖心女子学院高等科
安倍昭恵さんはお嬢様学校として有名な聖心女子学院高等科を卒業しています。
1908年創設のカトリック系の伝統ある女子校で、偏差値は当時で63、現在は52程度となっています。
また、小学生~高校生まで全て聖心で、聖心女子学院初等科から中等科、そして高等科へと進んでいます。
お嬢様な学校ではあるものの、噂ではディスコに通ったり不良気味のファッションをしたりと意外と遊び歩いていた様です。
同校を卒業している有名人は
・皇后美智子さん
・憲仁親王妃久子
・郡司恭子さん
・緒方貞子さん
・石原真理さん
・田中ウルヴェ京さん
などがいます。
安倍昭恵は聖心女子専門学校出身
聖心女子専門学校
高校卒業後は大学へ進学せず、内部進学で聖心女子専門学校英語科に進学しています。
系列の聖心女子大学ではなく、専門学校に進学したということで、やはり高校の頃の成績はいまいちだったということでしょう。
46歳で立教大学大学院に社会人入学した安倍昭恵
安倍昭恵さんは46歳の時、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科に入学しています。
立教大学大学院
安倍昭恵さんは高校卒業後に大学進学をしなかったこともあり、学歴コンプレックスがあったそうです。
それを解消するためと、大人になって学びなおししたい気持ちになり社会人入学を決断したのでしょうね。
安倍昭恵の実家がスゴイ!~父母などの家族から家計図まで紹介
安倍昭恵の母方の曾祖父は「森永製菓」の創業者
旦那である安倍晋三さんの家系図が凄いのは言わずもがなですが、実は安倍昭恵さんの家系図も凄いのです。
そんな安倍昭恵さんの家系図がコチラです。
なんと安倍昭恵さんの母方の曾祖父の森永太一郎さん、この方は「森永製菓」の創業者なのです。
更に父親の松崎昭雄さんも森永製菓の社長と会長を務めた方です。
母親に関しては松崎恵美子さんという名前だけはわかっていますが、細かい情報などはありませんでした。
安倍昭恵の母方の曾祖父・森永太一郎氏
名前:森永 太一郎(もりなが たいちろう)
生年月日:1865年6月17日
出身:佐賀県伊万里市
死没:1937年1月24日
父・常次郎、母・キクの長男・伊左衛門として生まれ、生家の森永商店は陶磁器の積み出し港として栄えた伊万里で一番の陶器問屋でした。
6歳の時に父が病死すると財産は人手に渡り、母は再婚、親類の家を転々とする幼少時代を過ごしたそうです。
やがて伯父の山崎文左衛門に引き取られて山崎太一郎となり、商人の心構えを教え込まれ、13歳で野菜の行商人になり、15歳から伊万里焼の問屋に奉公し、19歳で上京して、叔父も出資していた横浜の合資会社有田屋で働きました。
20歳で結婚すると、翌年九谷焼を外国商館に販売していた横浜の陶器問屋道谷商店で数年を過ごしたが同店が倒産し、債権者への返済のために店の商品を海外で販売することを目論み、明治21年24歳の時に妻と長女を日本に残して渡米します。
サンフランシスコで焼き物の販売を試みたが、労働者階級の地域であり、陶器の価格も高かったため、失敗に終わります。
日本から持ってきた陶器をオークションで売り払って日本に送金し、無料宿泊所である日本人ミッション教会の厄介になりながら、米人家庭の掃除や皿洗いなどで糊口を凌ぎ、 そこで日本では誰も手掛けていなかった西洋菓子の製造に目を付けます。
明治23年夏に一度は日本に帰国するものの、その後西洋菓子製法の習得を目指して再び渡米し、アラメダのジョンソン・ホームベーカリーの雑用係を経て、明治28年31歳の時にオークランドのキャンディー工場&キャンディーストア「ブルーニング社」の掃除係として入社します。
ここで西洋菓子の製法を身に付け、5年が過ぎ、日本に西洋菓子を普及させる時期になったと判断し、帰国後1899年現在の森永製菓の前身となる森永西洋菓子製造所を東京・赤坂に設立します。
安倍昭恵の父・松崎昭雄氏
名前:松崎 昭雄(まつざき あきお)
生年月日:1931年1月2日
1955年に立教大学経済学部卒業し森永製菓に入社、1974年に森永ゼネラルミルズ社長となります。
1977年には森永製菓取締役、1980年に常務。1983年に森永製菓第5代社長となりました。
更に1988年にレストラン森永社長を兼ね、1997年にには創業家の森永剛太さんに社長を譲り会長となり、のち取締役となります。
安倍昭恵の母・松崎恵美子さん
安倍昭恵さんの母親は3代目森永製菓社長の森永太平氏の娘(次女)です。
情報はほとんど出回っていませんが、かなりご高齢かと思いますがFacebookもされているようです。
姑・安倍洋子さんとの確執が噂される安倍昭恵
安倍昭恵さんの母親に関しては情報があまり出回っていませんでしたが、現在安倍普三さんの夫人ということなので、義理の母は安倍普三さんの母親ということになります。
しかし、その安倍洋子さんとは上手くいっていない様です。
「安倍家で唯一人、嫁にものが言えるのは洋子さんだけ。総理が昭恵さんに叱言(こごと)めいたことを言うと、彼女は反発して激しい言い合いになってしまうから、それが嫌で何も言わなくなった。
安倍普三さんとは真逆の意見を訴えることもある安倍昭恵さんに対しては、安倍洋子さんからも厳しく言っていたこともあるそうですが、とうとう安倍洋子さんも安倍昭恵さんに対して諦めてしまってるのだそうです。
洋子さんはこれまで『素性のわからない人とは付き合うな』『総理の妻が大麻解禁なんて言ってはいけない』『あなたのやってることがみんなに迷惑をかけているのよ』と昭恵さんに粘り強く注意したが、効き目がない。今では洋子さんもあきらめ気味で、孫に地盤を継がせることに期待をかけているようです
単純に嫁と姑の小競り合いの様にも思いますが、その会話の中身は政治的なことも含まれています。安倍家で唯一人、嫁にものが言えるのは洋子さんだけというのもなんとも情けない話でもありますね。
安倍晋三の母・安倍洋子さんプロフィール
名前:安倍 洋子(あべ ようこ)
生年月日:1928年6月11日
出身:東京府豊多摩郡中野町
1945年に白百合高等女学校を卒業した後、山口県田布施町へ疎開し山口銀行の田布施支店に勤務します。
1949年に上京し、叔父佐藤栄作の吉祥寺の旧宅に入り、1950年6月、後に衆議院議員、外務大臣となる、当時は毎日新聞の政治部記者だった安倍晋太郎さんと見合いをし、1951年5月に結婚します。
1953年、第26回衆議院議員総選挙に山口2区から岸信介さんが立候補した際に、初めて選挙応援の挨拶に回り、また、1955年の保守合同の頃には、渋谷南平台の岸家に、安倍一家も同居していました。
現在は渋谷区富ヶ谷に所有するマンションに居住ししています。
この間、国際婦人福祉協会募金委員、政治家夫人らの書道グループ「雍容苑」会長、梅若六郎後援会長、赤間神宮崇敬会会長など、多数の団体の役職を務めています。
安倍昭恵の若い頃と現在を比較!
現在では安倍昭恵さんも良い年齢になってきていますが、若い頃はかなり美人な方だったのです。
今では様々な問題があり、過去の安倍昭恵さんの姿を知らないという方、今の安倍昭恵さんの姿の印象が強いという方も多いでしょう。
まずは現在の安倍昭恵さんの姿を見てみましょう。
こちらはよくワイドショーなどでも見るいわゆるいつもの安倍昭恵さんです。しかし、若い頃の安倍昭恵さんはなんとこんなに美しいのです。
今とはだいぶ雰囲気が違く、確かに遊んでいた様な雰囲気もありますね。今は真面目な雰囲気というか、穏やかな雰囲気となっていますが、この頃は若さなりの尖っている雰囲気も感じられます。
まとめ
・安倍昭恵のの母方の実家は「森永製菓」の創業者一族で、父は森永製菓第5代社長の松崎昭雄氏、母は恵美子さん。
何かとワイドショーなどでも話題になる安倍昭恵さんですが、ここまで深く安倍昭恵さんに関して知らなかった方の方が多いのではないでしょうか?
現在ではどちらかというと破天荒なイメージもありますが、それも若い頃から変わらない部分なのでしょう。安倍昭恵さんに関しては賛否両論な意見がありますが、ここから安倍昭恵さんがどの様に政治に食い込んでいくのかというのも見ものです。