1960年代からロックバンド「内田裕也とザ・フラワーズ」として活動し、俳優、映画監督としても活躍してきた内田裕也さん。
2018年9月15日に嫁の樹木希林さんが死去し悲しみに暮れていることが伝えられましたが、本人も2019年3月17日に肺炎で亡くなりました。
内田裕也さんの若い頃や事件による逮捕、病気や現在について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
内田裕也のプロフィール&経歴
「ロックンロール!」が口癖のロックミュージシャン
内田裕也さんは若い世代には全盛期の活躍は知られていませんが、2018年に「日清焼そばU.F.O.」のCMに出演して「ロックンロール!」と叫ぶ姿で一気に認知度が高まったことでしょう。
内田裕也さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 内田 裕也(うちだ ゆうや)
生年月日: 1939年11月17日
出身地: 兵庫県西宮市
身長: 174cm
体重: 不明
ジャンル: ロック、ロカビリー
職業: 歌手、音楽プロデューサー
担当楽器: ボーカル
活動期間: 1959年 –
引用:Wikipedia – 内田裕也
内田裕也についての生い立ち
内田裕也さんは地元大阪の堺市立大美野小学校から堺市立三国丘中学校に入学し、その後清教学園中学校、大阪市立旭陽中学校と転校を繰り返しています。
中学校時代はとても真面目で勉強熱心な生徒で生徒会副会長も務めており、大阪府立旭高等学校から大阪府立三国丘高等学校を経て日本大学法学部に進学したことからも勉強ができたようです。
しかし、高校時代にエルヴィス・プレスリーに憧れたことで音楽に目覚めており、大学を中退して内田裕也さんはバンド活動を始めました。
内田裕也の若い頃がイケメン~麻薬で逮捕された過去も
内田裕也、プレスリーに憧れロカビリーバンド結成
若い頃はイケメンだった内田裕也
今の姿からは想像できませんが、当時は相当モテたようです。
内田裕也さんは大学中退した1957年頃にロカビリーバンド「ブルー・キャップス」を結成、1958年には「ブルージーン・バップス」を結成し、大手芸能事務所・渡辺プロダクションに所属して日劇ウエスタンカーニバルへ出演を果たしました。
その後、バンドを渡り歩きながら1963年には映画『素晴らしい悪女』で俳優デビューをしています。
1960年代中頃から日本でベンチャーズやビートルズが流行りだしたことから内田裕也さんも影響を受けてロック色を強めていき、1966年のビートルズの来日コンサートでは特別編成バンドとして前座を務めました。
そして、ヒット曲こそ無いものの1960年代から始まった日本のロックシーンの先駆けとして牽引し、「日本のロックの首領(ドン)」と呼ばれるようになりました。
前に「レジェンドと呼ばれる人はこういう系統の顔が多い」というツイートをした事があるんだけど、この度、若かりし頃の内田裕也さん(右下)が加わりました。 pic.twitter.com/26KC87Aqnn
— くろさわ (@makt93) 2018年9月16日
内田裕也、1977年に大麻取締法違反の容疑で逮捕
若い頃は薬物に肯定的だった内田裕也
内田裕也さんは1977年9月に大麻取締法違反の容疑で逮捕されましたが、起訴猶予処分で釈放後に受けた週刊誌「週刊文春(文藝春秋)」の取材で大麻(マリファナ)を肯定する発言をしていました。
内田裕也さんはマリファナを使用したことによるコメントとして「週刊文春」で以下のように語りました。
「マリワナに関して、くどくど弁解などしたくない。オレは10年前からやってるわけで、いつかはやられるだろうと思ってた。ただね、ひとつだけ言っとくと、あれによって音楽が変わるかというけど、そんなにたいそうなもんじゃないよ。まあ、アルコールは人を攻撃的にするよね。酔うと悪口の言い合いになったりする。その点マリワナは、決して攻撃的にならない。やさしく包んでくれる。そういう意味では、アルコールよりも健康的なわけで、ただそれだけのことだよ」
内田裕也さんはその後麻薬で逮捕されることはありませんでしたので、この逮捕で決別したのでしょう。
内田裕也ストーカー事件~女性への強要未遂と住居侵入の疑いで逮捕!
内田裕也、交際女性との別れ話に復縁迫り脅迫、不法侵入!
内田裕也さんは樹木希林さんという嫁がいながらも女性関係が激しいことで有名でしたが、2011年5月13日に当時交際していた50代の女性から別れ話を切り出されて復縁を迫るために脅迫しました。
「会社に連絡した。内容は、暴力団と交際している。アブリをやっている。まだ実名は言ってない!よく考えて一週間以内にTELLを!今ならまだ間に合う!」
内田裕也さんは上記の内容を書いた手紙を女性宅のポストに投函し、同月19日には女性宅を自宅だと偽って業者に鍵交換をして貰い侵入しました。
内田裕也さんは同年3月にもストーカー容疑で警察から注意を受けていたようで、2011年5月13日に強要未遂と住居侵入の疑いで逮捕されました。
拘置所に拘留されていた内田裕也さんの番号が偶然「69(ロック)番」だったようで、後に阿川佐和子さんとの対談番組で嬉しそうに語っていたようです。
あと樹木希林さんの好きなエピソード
— それゆけ!ドラゴンフライ (@dragonfly2763) 2018年9月16日
内田裕也が捕まった時
記者からの質問
『裕也さんは何か仰ってましたか?』
に対して
『ろけんろーる と言っております。。。』と言って深々と頭を下げた事。 爆笑した。
内田裕也の結婚した嫁は樹木希林~約40年別居の不思議な夫婦関係だった
内田裕也と樹木希林の馴れ初め
スピード婚だった内田裕也と樹木希林
内田裕也さんと樹木希林さんの馴れ初めは、樹木希林さんが出演していたドラマ『時間ですよ(TBS系)』の撮影現場に内田裕也さんが友人のかまやつひろしさんを訪ねて来ていたことから知り合ったと言われています。
1973年8月24日に内田裕也さんと樹木希林さんは初デートをして、その日に樹木希林さんが誘う形で一夜を過ごしました。
翌日に内田裕也さんは樹木希林さんにプロポーズをしてそのまま同棲生活がスタートし、1973年10月10日にスピード結婚しました。
結婚記者会見では樹木希林さんは「奇怪な女優にロックバカ」と語り、内田裕也さんは「俺も彼女も普通の人とは結婚できない。その2人が出会えたことを神様に感謝したい」とのろけをみせていました。
ちょうど内田裕也さんの初となるソロアルバム『ロックンロール放送局(Y.U.Y.A 1815KC ROCK’N ROLL BROADCASTING STATION)』をリリースした直後で、当時樹木希林さんの芸名は「悠木千帆」でした。
内田裕也、1976年2月に1人娘・内田也哉子が誕生
内田也哉子と夫・本木雅弘
1976年2月11日には樹木希林さんとの子供である内田也哉子さんが誕生しました。
しかし、すでに別居中であったため、樹木希林さんが1人で子育てしていたようです。
その後、娘の内田也哉子さんは19歳で俳優の本木雅弘さんと結婚。3人の子供にも恵まれ、長男・雅樂さんはモデル、長女・伽羅さんは女優としても活躍しています。
内田裕也、樹木希林に内緒で離婚届を提出
勝手に離婚届を出した内田裕也
1981年3月12日、内田裕也さんは嫁の樹木希林さんに話を通さずに勝手に離婚届を役所に提出してハワイに飛んでしまいました。
この事実を樹木希林さんが知ったのは内田裕也さんのマネージャーが伝えてくれたからでした。
翌日早朝から樹木希林さんは役所に行って確認しましたが、確かに内田裕也さんが勝手に名前を書き判を付いて離婚届を提出していました。
樹木希林さんは急遽自宅に60人もの取材陣を呼んで記者会見を開き、内田裕也さんが勝手に離婚届を出したこと、お金や女にだらしがないこと、DVが酷くて応戦するために包丁を買いに行ったエピソードなど夫の悪口を樹木希林節で語りました。
しかし、一方で「すごく美しい人」「やっとここから本当の夫婦に向かってね、歩いていく」と内田裕也さんへの愛情が失われていないことを示し、「伏して、頭を下げて、大恥かいても、もう一度戻ってきて欲しい」と内田裕也さんに向けてメッセージを送りました。
同年3月20日にハワイから帰国した内田裕也さんは樹木希林さんの記者会見を受けて、「女として愛せないところがある。不自然な生活にピリオドを打ちたかった」と離婚届を出した理由を語り、離婚の意思は変わっていないことを明かしました。
内田裕也さんが離婚届を出した理由は他にもあるようで、当時樹木希林さんが夫婦ともに懇意にしていたテレビプロデューサー・久世光彦さんの不倫を暴露したことや、娘・内田也哉子さんの写真を勝手に雑誌で公開したことなどから相当頭にきていたようです。
上記のどちらも樹木希林さんなりの考えがあってのことだったようですが、内田裕也さんにとっては完全に決別を考える要因になってしまいました。
内田裕也、樹木希林と裁判で離婚を争う
内田裕也は裁判で敗訴して離婚できなかった
樹木希林さんが離婚届の無効を訴えて裁判を起こし、法定で内田裕也さんと争うことになりました。
同年5月頃から内田裕也さんと樹木希林さんは調停手続に入り、しばらく意見が平行線を辿っていたものの2度の調停を経て裁判が開かれました。
そして翌年に東京地裁が離婚は無効とする判決を出して内田裕也さんは樹木希林さんとの別居婚を続けることになりました。
内田裕也さんのDVにより別居生活となっていた背景を知っていた裁判官は樹木希林さんに対して「離婚した方がいいんじゃないですか?」と慮るなど異例の裁判だったようです。
内田裕也、約40年の別居も離婚しなかった理由
内田裕也さんと樹木希林さんは結婚から1年半で別居をしており、樹木希林さんが死去するまで約40年間にわたり別居生活が続きました。
離婚不成立後も内田裕也さんと樹木希林さんの別居生活は続きましたが、後年に樹木希林さんは別居生活について以下のように語っています。
もう子供がいたんじゃ、とてもじゃないけど夫との生活は成り立たない。だから別居して、今日までおよそ40年になります。
私も自分のことだけで精いっぱいで、よそのことは構ってられないの。で、あちらはあちらで回遊魚みたいな人で、ロックンロールしてるわけだから。それはそれでお互いの利益がきっとうまくいっているんですよ。
内田裕也さんは樹木希林さんにお構いなく不倫をし続けながら、保険料や税金などのお金については樹木希林さんが支払うという形で”半ヒモ”生活をしていました。
内田裕也さんとって離婚しなかった理由は、やはり金銭面も大きかったのでしょう。その一方、樹木希林さんは本当に内田裕也さんを愛していたそうで、別れなかった理由は「好きだから」の一言に尽きるようです。
また、樹木希林さんにとっては内田裕也さんは”重し”のような存在で、自身が結婚していなければどこに飛んでいくか分からない性格だったと語っており、”重し”の分だけ税金を払うと茶化していたようです。
樹木希林さんは、本当に内田裕也さんを愛していたそうで、別れなかった理由は「好きだから」
内田裕也で思い出すのは公式サイトのコメント欄が荒れるので「あまりにもいたずらが多いのでidとpwを設定しました、両方にyuyaと入れてください。」という記事が公式サイトに上がったことだな
— zukkini (@bokunonoumiso) 2018年9月16日
内田裕也の嫁・樹木希林ががんで死去~訃報にショック隠せず
内田裕也、樹木希林の死去に「俺は悪者だな」と悲痛コメント
2018年9月15日に死去した樹木希林
全身をがんに侵されていた嫁の樹木希林さんが2018年9月15日に死去しました。
樹木希林さんの詳しい死因は発表されていないようですが、同年8月13日に大腿骨を骨折したことから緊急手術を行い、肺機能が衰えて一時危篤状態に陥っていたことが娘婿の本木雅弘さんから報告されていました。
また、樹木希林さんはがんになったことについて「がんになると周囲の人が真剣に向き合ってくれる」として「ありがたい病気」だと語っていました。
その後順調に回復する様子をみせていた樹木希林さんですが、亡くなる数日前から容態が急変し、本人の希望により自宅で最期を迎えるため亡くなる前日に退院しました。
世間的には自己中心的な”俺様体質”だと思われている内田裕也さんですが、嫁の突然の訃報にその悲しみは深く、コメントできない状況にあると伝えられています。
樹木希林さんの訃報を聞いた夫の内田裕也(78)は、夫人の死に大きなショックを受け、心の整理が着かない状態だという。
関係者によると「あまりに突然で、急だったので、(内田は)大きなショックを受けている」と明かした。
数日中には、文書で希林さんへの思いを公表したい考えだが、今は、都内で気持ちの整理をつけようとしているところで、公に出られる状態ではないという。
出棺を見送る内田也哉子・本木雅弘夫妻ら
憔悴しきっていた内田裕也さんは胸に「あり得ない」を意味する英語の書かれた缶バッジを付けていた。樹木希林さんと内田裕也さんは1973年に結婚、別居しながらも独特の距離感で過ごしてきた。樹木さんの容態が急変すると内田さんは電話で声をかけ続けた。内田さんは樹木さんの亡骸を前に「俺は悪者だな」と身近な人たちに何度も弱気な言葉を漏らした。
内田裕也、樹木希林との最期の電話が感動的と話題に
樹木希林さんは、2018年8月13日に大腿骨を骨折の手術の前に、「もしものことがあったら」
と内田裕也さんに電話をかけたそうです。
「もしものことがあったら…」と弱気になった樹木は手術前に裕也に電話。「“今まで悪かったわね”と話したそうですが、裕也さんも“こっちこそ悪かったな”と返したそうです」と本木は夫婦のやりとりも披露。
傍から見るといびつな夫婦関係の2人ですが、繋がりを深く感じる夫婦のエピソードですね。
また、樹木希林さんの容態が急変した際は、携帯電話のスピーカーで樹木希林さんに呼びかけていたそうです。
容体が急変したのは14日深夜。家族が別居中の裕也に連絡を入れ、声が聞こえるようにと携帯電話のスピーカーをオンにセット。裕也は意識が薄れゆく希林さんに呼び掛けたという。それから間もなく息を引き取ったそうだ。
一方で、病気の噂のあった内田裕也さんにも心配の声が挙がっているようです。
内田裕也が病気~車椅子姿に心配の声…2019年3月17日に肺炎で死去
内田裕也、2017年11月には脱水症状で緊急搬送される
結婚生活のほとんどが別居婚だったとは言え、深い絆でつながっていた樹木希林さんが死去したことで内田裕也さんの様子を心配する声が挙がっています。
しかし、内田裕也さんが病気をして入院しているということは無いようで、2017年に骨折して車椅子にはなっていましたが現在は健康なようですね。
すでに、78歳と高齢な内田裕也さんですが、2017年11月には脱水症状で緊急搬送されたこともありました。
都内のホテルで脱水症状を起こし、病院に緊急搬送された。関係者によれば、部屋の暖房を入れたまま寝てしまったのが原因とみられる。
大切な人を亡くすということは心身ともにダメージが大きいため、内田裕也さんの今後の健康は心配なところでした。
樹木希林さんと内田裕也さんの昔の写真は当然カッコいいんだけど、ゼクシィのCMで共演した時の「長年別居しているけど夫婦をやめない」カッコよさってのもたまらなかった。他の夫婦が真似できるものでもない。 pic.twitter.com/1QSYCFzlh7
— こんにちは (@tune_of_life) 2018年9月16日
内田裕也、2019年3月17日に死去…死因は肺炎
満身創痍だった内田裕也さんですが、2019年3月17日に肺炎で死去したことが伝えられました。
ロック歌手で映画俳優としても活躍した内田裕也(うちだ・ゆうや、本名内田雄也)さんが17日5時33分、肺炎のため、東京都内の病院で死去した。79歳。兵庫県西宮市出身。17年11月に脱水症状で倒れてから車椅子生活を余儀なくされていた。18年9月15日に妻で女優の樹木希林さん(享年75)に先立たれ、喪失感が消えない中での死となった。
内田裕也さんの死因が「喉頭がん」という情報がTwitterで流れていますが、ニュースでは肺炎と報道されているので、がんは誤報でしょう。
内田裕也さんの死因は「喉頭がん」だったらしい。
— ツイッター (@new5585) 2019年3月17日
タバコや酒がすきだったもんな~ pic.twitter.com/MWifYaTh3T
内田裕也が死んだ、、、
— Kazuya nakayama (@Kazuyanakayam11) 2019年3月17日
裕也さん、、、裕也さんへの言葉は、、、今は 何も、、、出てこねえよ pic.twitter.com/a6zGLsDoLF
【裕也さん 死去前日オムライス】https://t.co/8VPa7DfsHM
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2019年3月18日
歌手の内田裕也さんが17日、肺炎のために亡くなったことが分かった。79歳。入院中だった裕也さんは16日までは元気な様子で、昼ご飯にはオムライスを食べていたという。
内田裕也について総まとめすると…
・内田裕也は2011年5月13日、交際していた女性に復縁を迫り脅迫、自宅に不法侵入し逮捕された。
・内田裕也は、樹木希林と1973年10月10日と結婚するも、約40年間別居生活をしていた。
・内田裕也の妻・樹木希林が2018年9月15日に死去。ショックのあまり公に出られる状態ではない。
・内田裕也は2017年に骨折をして以降は車椅子生活をしていたが、2019年3月17日に肺炎で死去した。
1960年代からロック界の先駆けとして「日本のロックの首領(ドン)」と呼ばれ、俳優としても活躍してきた内田裕也さんについて総まとめしてきました。
内田裕也さんは世間的には”悪役”のイメージが強いですが、樹木希林さんとの不思議な夫婦愛から嫌われキャラではなく、意外に気配り上手で紳士的な性格だと言われています。
2018年には朝丘雪路さんの後を追うように津川雅彦さんが亡くなりましたが、内田裕也さんも奥さんの死去の半年後に泣くりました。ご冥福をお祈りします。