藤村俊二さんは、おヒョイさんの愛称で親しまれたアクターで、2017年1月25日に亡くなりました。
ここでは、藤村俊二さんのご家族(結婚・離婚した嫁たち・子供)についてまとめています。
藤村俊二さんのプロフィール
名前:藤村俊二(ふじむらしゅんじ)
愛称:おヒョイさん
出身地:神奈川県鎌倉市
生年月日:1934年12月8日
没年月日:2017年1月25日
出身校:暁星学園(小学校〜高校)
学歴:早稲田大学中退後、東宝芸能学校舞踊科卒業
所属事務所:有限会社O’hyoi & Sons(オヒョイアンドサンズ)
藤村俊二さんは、父親がスバル興業社長というご家庭の生まれです。おヒョイさんという愛称は、テレビ番組内のエキストラとして出演を頼まれた時に、自身が画面に映りたくがないために「ヒョイ」っと逃げていたところから生まれたそうです。
藤村さんは学校卒業後に振付師として活動し、「8時だョ!全員集合」などを担当。長らくヒゲダンスも彼によるものと噂されてきましたが、実際はオープニングの「エンヤーコラヤ ドッコイジャンジャン コーラヤ」の部分だとしています。
俳優としての活動も著名で、知的な老紳士役などが多かったとされますが、映像作品の脇を引き締めてくれる名バイプレーヤーとして活躍しました。
心不全のため逝去
2017年1月25日、心不全のため逝去。
藤村さんは2015年に体調不良を理由に「ぶらり途中下車の旅」のナレーション役から降板したため、芸能界引退説も囁かれていました。(※当時、所属事務所は引退を否定している)
その後、闘病生活を続けていましたが、2017年1月25日に静岡県御殿場市内の病院でお亡くなりになりました。
死因は「心不全」と発表されていますが、2015年に倒れた原因となった病気「小脳出血」の影響が大きかったと言われています。
都内で会見した長男で所属事務所社長の藤村亜実(あみ)さん(50)によると、藤村さんは15年10月に小脳出血で倒れ千葉県内の病院に入院。同12月に「ぶらり―」を降板し、昨年4月に御殿場市内の病院に転院した。秋頃から話すことができなくなり、意識がなくなることもあった。最期は亜実さんがみとったが、穏やかに息を引き取ったという。
藤村俊二さんの結婚・離婚歴〜1人目の嫁と子供たち〜
藤村俊二さんは、2回結婚しています。
1961年から1995年まで、元日劇ダンサーの女性と結婚していました。
私生活では1961年9月に元日劇ダンサーの女性と結婚して一男一女をもうけたものの、95年に離婚。
詳しい離婚原因などは不明です。
子供がふたり
藤村俊二さんには、元ダンサーの女性との間に子供がふたり生まれています。(1男1女)
娘(第一子)についての情報はほとんどありませんが、息子(第二子)の藤村亜実さんについてご紹介します。
長男の藤村亜実さん
長男の藤村亜実さん。
生年月日:1966年7月28日
出身大学:成城大学
経歴について。
大学卒業後、
アメリカ・カリフォルニア州に留学し、美術を専攻。
1993年に永住権を取得後ロサンゼルスに移住し、
CMコーディネーターを経て、
2005年に15年ぶりに日本帰国。
現在は、父親である藤村俊二さんの所属事務所社長を務めています。藤村俊二さんが亡くなった際には、息子として事務所社長として、報道陣からの取材に応じていました。
藤村亜実さんと父親のエピソード。
亜実さんは、藤村さんから「日劇の新人エキストラをやった時に、1人ぐらいいなくても大丈夫だろうと帰っちゃった。いなくなるので“おヒョイ”」と聞かされたエピソードも披露。子供のころ、藤村さんに「家で勉強するな。学校でするもの。頭の悪い子を生んだようだからやめてくれ」と言われた思い出も語った。
病室での様子なども語っています。
「その心が、ひょうひょうとした生き方の秘密だった。ただ、若い女性が見舞いに来る時は髪を直した。若い女性が好きだったのでしょう」。
最期までひょうひょうとして、おしゃれな方だったようですね。
藤村俊二さんの結婚・離婚歴〜2人目の嫁〜
1995年に1人目の奥さんと離婚した藤村俊二さんは、翌1996年に長尾みか代さんと再婚しました。
みか代さんは紀行番組や「ニュースプラス1」の特集コーナーのリポーターなどを務め、藤村さんとは番組を通じて知り合った。98年1月4日には、ハワイ旅行。空港で待ち受けたマスコミに、藤村さんは「看護婦さんを連れて旅行に来ているようなもんです」、みか代さんは「奥さま、なんて呼ばれるのは初めて。おねだりは健康だけです」とアツアツで語っていた。
長尾みか代さんとの間に子供はいないかったようです。
2012年には長尾さんが著書が発売するなどしていますが、2017年1月に亡くなった際に、2013年12月頃に2人が離婚していたことが明らかに。離婚原因は不明です。
1996年に再婚した28歳年下の女性との関係については「僕の知っている限りでは、2013年12月に離婚していました。親父から報告がありました。それ以降は、僕と2人で暮していました。離婚理由は聞いていません。プライベートなことですし、親父が(生前に)公表しなかったので、僕もその意志を尊重したいなと思って(公表)していませんでした」と明かした。
また2人目の嫁であった長尾さんは、藤村さんの闘病中のお見舞い・葬儀にも訪れなかったといいます。(以下、長男・亜実さんのお話)
闘病中は同女性が見舞いに来ることはなかったそうで「僕と姉が交代で(病院に)通っていた」。
藤村さんの葬儀はこの日、執り行った。「親族15~16人、(関係者含め)全部で30人くらい」が出席したという。同女性の出席については「していない」とし「お知らせしていなかったので」と続けた。
離婚原因については判明していませんが、何事かあったのかと思わせるような感じです。1996年から2013年までということで、約17年程度の結婚生活をともにしたことになりますが、いろいろな事情があるにせよ、少し寂しいものですね。
また2015年12月に藤村俊二さんが「ぶらり途中下車の旅」のナレーションを降板した際に、引退報道が出たのは、長尾みか代さんの言葉も背景にあったようです。
藤村さんは、15年10月末からナレーションを務めていた日本テレビ「ぶらり途中下車の旅」を体調不良を理由に休み、同12月に同番組の降板が発表されたが、その時、みか代さんは、“妻”として週刊誌の取材に応じ、「実は、藤村は仕事を全部やめたんです。芸能界を引退?そういうことになりますね」などとコメント。その後、所属事務所の社長の亜実さんが引退報道を否定する事態となっていた。
亜実さんはみか代さんの発言について「長年(社長兼マネジャーとして)マネジメントされてたので、思うところもあったのでしょう」と慮った。
まとめ
”おヒョイさん”こと、藤村俊二さんのご家族についてまとめました。
最期は、長男の藤村亜実さんに看取られた、藤村俊二さん。
昨秋、亜実さんが「オヤジ、ありがとう、幸せだった」と声を掛けると「俺もだ」と返したのが最後の言葉だった。
ご冥福をお祈りします。