チームの要のキャッチャーとして野村克也や古田敦也、城島健司などの名選手と肩を並べると言われるのが谷繁元信です。
今回は谷繁元信の経歴、成績や年俸、引退試合、高校受験失敗の噂、結婚した嫁や息子、現在をまとめました。
この記事の目次
谷繁元信のプロフィール
谷繁元信
生年月日:1970年12月21日
出身:広島県比婆郡東城町
身長:176cm
所属:元中日ドラゴンズ
投球・打席:右投げ・右打ち
ポジション:キャッチャー
活動:元プロ野球選手
谷繁元信は広島出身のプロ野球選手です。
ドラフト1位で大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)に入団し、キャッチャーとして活躍しました。その後、中日に移籍して、捕手としては史上3人目の2000本安打を達成します。
2014年シーズンからは選手兼監督になり、現役を引退後は監督を務めています。
「捕手をするために生まれてきた男」と権藤監督から評され、落合監督からは「一番いなくなったら困る選手」と言われるほどの名捕手で、特にキャッチングの上手さには定評がありました。
現役27年と非常に長く、一軍の試合出場数は3021試合にのぼります。この3021試合はNPB史上最多になります。
谷繁元信の経歴
学生時代
広島県出身の谷繁元信は、父親の勧めで小学2年生から野球を始めます。小学生の時点で、すでに突出した才能を見せていました。
高校は島根県の江の川高等学校に進学します。高校進学時はピッチャーでしたが、入部1ヶ月で捕手に転向し、さらに才能が開花します。
江の川高校在学中に甲子園に2回出場し、強打の捕手として、1998年のドラフト会議で大洋ホエールズから1位指名を受け、プロ入りします。
大洋・横浜時代
ルーキーイヤーの1989年シーズンは高卒1年目でありながら、開幕一軍入りを果たします。
1年目から一軍にフル帯同し、出場80試合、打率.175、3本塁打、10打点というとんでもない記録を残します。
1993年シーズンには、大矢明彦がバッテリーコーチになり、キャッチャーとしての心構えやキャッチング、スローイング、ブロッキングなどを基礎から指導されています。
それまでは他の捕手と併用されることが多かった谷繁元信ですが、1996年シーズンから正捕手として重点的に使われるようになります。
特に1997年シーズンにはキャッチャーとしてのリードだけでなく、打者としても3割・二桁本塁打を記録するなど、チームの中心選手となっていきます。
2001年には20本塁打を記録し、シーズンオフにはメジャーリーグ挑戦を宣言し、FA権を行使しました。
渡米して、契約交渉を行いましたが、良い契約を得ることができずに、メジャー移籍は断念することになりました。
中日時代
出典:monjiroh1993.blog37.fc2.com
メジャー移籍断念後、横浜残留も噂されていましたが、中日ドラゴンズに移籍することになりました。
中日ドラゴンズでも、正捕手として活躍し続けます。
前述したように、2004年に落合博満監督が就任した後も正捕手として重宝され、「一番いなくなったら困る選手」とまで言われるようになります。
その後、小さな故障はあったものの、長期離脱をすることはなく試合に出場し続け、2013年には2000本安打を達成しました。
選手兼監督時代
出典:dragons.jp
2013年シーズン終了後には、落合GMの推薦により、選手兼監督になります。
選手兼監督というのは、古田敦也以来7年ぶりのことで、中日ドラゴンズとしては野口明以来59年ぶりのことでした。
選手兼監督として2014年シーズンは91試合に出場、2015年シーズンは監督兼選手として30試合に出場しました。
2015年にはNPB歴代最多試合出場を記録しましたが、9月に現役引退を発表しました。
監督時代
2015年シーズンで現役を引退した谷繁元信は、2016年シーズンは専任監督として中日ドラゴンズの指揮を執ることになります。
しかし、シーズン当初からチームは不振で、8月に責任を取る形で休養となり、森繫和が監督代行になりました。
シーズン終了後に監督を辞任しています。
谷繁元信は高校受験に失敗していた?噂と真相
出典:jiji.com
谷繁元信は広島県出身ですが、高校は島根県の江の川高校に進学しました。これは、野球留学をしたというわけではないんです。
実は、谷繁元信は広島工業高校に進学する予定でした。公立高校でも、野球推薦のようなものなので、広島工業の野球部の監督からは「試験だけ受けてくれれば大丈夫」と言われていました。
その言葉を鵜呑みにした谷繁元信は、全く受験勉強をせずに受験したところ、まさかの不合格。
慌てて、江の川高校に進学することになりました。
このエピソードだけ聞くと、谷繁元信はあまりにも勉強ができないバカと思うかもしれませんが、野球脳は非常に高いことは間違いありません。
「野村克也さんや巨人のV9を支えた森昌彦さんといった捕手本流タイプ。頭の回転が速く、記憶力が抜群。おまけに肩も負けん気も強い。まさに捕手をするために生まれてきたような男だと感じた」
と、権藤監督は谷繁元信の事を称えています。
「頭の回転が他早く、記憶力が抜群」と名将に言われるなんて、バカにはできないことです。
そもそも、捕手は各チームの各バッターの癖や得意・苦手なコース・球種などを記憶していないといけませんから、バカにはできないポジションです。
そもそも、野球って一般的なスポーツよりも頭を使いますので、バカにはできないスポーツなんですよね。
谷繁元信の成績や年俸の推移
谷繁元信の成績
谷繁元信の現役27年間の成績を一覧表にしてまとめました。
出場試合 | 打率 | 本塁打 | 打点 | OPS | |
1989年 | 80 | .175 | 3 | 10 | .520 |
1990年 | 75 | .175 | 3 | 16 | .544 |
1991年 | 82 | .237 | 5 | 24 | .722 |
1992年 | 74 | .191 | 2 | 9 | .564 |
1993年 | 114 | .234 | 4 | 26 | .663 |
1994年 | 129 | .228 | 5 | 36 | .651 |
1995年 | 93 | .249 | 6 | 21 | .711 |
1996年 | 127 | .300 | 8 | 54 | .836 |
1997年 | 128 | .232 | 13 | 46 | .724 |
1998年 | 134 | .254 | 14 | 55 | .745 |
1999年 | 122 | .295 | 11 | 51 | .794 |
2000年 | 122 | .251 | 9 | 44 | .675 |
2001年 | 127 | .262 | 20 | 70 | .815 |
2002年 | 130 | .215 | 24 | 78 | .727 |
2003年 | 112 | .264 | 18 | 69 | .816 |
2004年 | 121 | .260 | 18 | 68 | .751 |
2005年 | 141 | .234 | 14 | 65 | .715 |
2006年 | 141 | .234 | 9 | 38 | .700 |
2007年 | 134 | .236 | 6 | 44 | .669 |
2008年 | 113 | .234 | 2 | 27 | .632 |
2009年 | 115 | .208 | 9 | 33 | .634 |
2010年 | 110 | .244 | 7 | 32 | .703 |
2011年 | 102 | .256 | 6 | 31 | .706 |
2012年 | 134 | .228 | 5 | 32 | .627 |
2013年 | 130 | .216 | 6 | 34 | .601 |
2014年 | 91 | .195 | 1 | 23 | .573 |
2015年 | 30 | .277 | 1 | 4 | .703 |
通算成績はこちらです。
・通算安打数:2108本
・通算打率:.240
・通算本塁打:229本
・通算打点:1040点
・通算OPS:.701
ベストナインは1回、ゴールデングラブ賞は6回も受賞しています。
谷繁元信の年俸
出典:column.sp.baseball.findfriends.jp
次は、谷繁元信の年俸の推移を見ていきましょう。
・1990年:720万円
・1991年:1080万円
・1992年:1430万円
・1993年:1330万円
・1994年:2600万円
・1995年:3500万円
・1996年:3250万円
・1997年:6600万円
・1998年:6600万円
・1999年:1億3000万円
・2000年:1億4000万円
・2001年:1億4000万円
・2002年:1億4000万円
・2003年:2億5000万円
・2004年:2億5000万円
・2005年:2億5000万円
・2006年:2億2500万円
・2007年:2億1000万円
・2008年:2億円
・2009年:1億7500万円
・2010年:1億6000万円
・2011年:1億7000万円
・2012年:1億8000万円
・2013年:1億9000万円
・2014年:2億3000万円
・2015年:1億9000万円
プロ入りから引退までの総年俸は36億590万円です。プロ入り時の契約金は6000万円ですので、プロ野球選手として稼いだ額は36億6590万円となります。
1999年から現役引退まで、ずっと年俸1億円以上をキープしているのは本当にすごいですね。
谷繁元信の野球エピソード3つ
ここでは、谷繁元信の野球エピソードを3つ紹介します。
現役を長く続けられたのはトレーニングの結果?
出典:jiji.com
谷繁元信は、1989年にプロ入り後、27年間も現役を続け、出場試合数は3021試合とNPB史上最多となっています。
キャッチャーという過酷なポジションでこれだけ長く現役を続けているのは、素晴らしいの一言です。
176cmと、プロ野球選手としては大きくない体で、これだけ長く現役を続けられたのは4年目あたりから週5日、ずっと筋トレをして体を鍛え続けたからとのことです。
谷繁元信の時代は、コリジョンルールもなく、本塁にランナーが突っ込んできて、キャッチャーが体当たりされるのが当たり前でした。
ですが、その中でも大きなケガなかったのは、トレーニングの賜物だったというわけですね。
「楽しげ」でも笑顔が怖い
出典:twitter.com
谷繁元信は、5ちゃんねるの「なんJ(なんでも実況J)」では「たのしげ(楽しげ)」と呼ばれることが多いです。
なぜ「たのしげ」と呼ばれるのか?それは笑顔がとてもステキで、本当に楽しそうに見えるからです。ただ、あまりの笑顔に「サイコパス」っぽく見られることもあります。
これは、バレンティン選手のフォロースルーが頭に直撃して倒れた杉山捕手のもとに駆け付けた時の谷繁元信です。なぜか笑顔です…。
監督時代、審判に抗議に行く時もなぜか笑顔のことがありました。笑顔で抗議されたら、審判はなんとなく怖いですよね。
谷繁元信は、笑顔がトレードマークであることは間違いありません。
キャッチングが抜群にうまい
谷繁元信は、キャッチングが抜群にうまいことで有名です。
同じキャッチャー出身の里崎智也は、「僕がナマで見た中で一番上手い」と谷崎元信さんのキャッチングを絶賛しています。
以前に中居正広のプロ野球魂!!に出演した時には、自身のキャッチングを解説していました。
構えた時からキャッチングまで一度もグラブを下げないのは、キャッチャーとしては本当にすごいと思います。
谷繁元信の引退試合が感動的だと話題に
谷繁元信の引退試合は、2015年9月24日にナゴヤドーム、さらに26日に横浜スタジアムで行われました。
最終打席はショートゴロでしたが、試合終了後は敵地であるにも関わらず、谷繁コールが巻き起こり、球場内を一周して回るという異例の引退試合でした。
古巣の横浜スタジアムでこのような引退セレモニーができたのは、いかに谷重元信が愛されていた選手なのかがわかるエピソードですよね。
谷繁元信が結婚した嫁・息子とは?
谷繁元信は、横浜時代に結婚していますが、お相手は一般の方のようで、詳しい結婚時期やお相手の名前・顔などは公表されていません。
引退試合でもスタジアムに来てはいたと思われますが、公の場に顔を出すことはありませんでした。
ただ、3人の息子は横浜スタジアムでの引退試合で、父親の谷繁元信に花束を渡していましたね。
谷繁元信の現在
谷繁元信は、2016年シーズンで監督を辞任しています。
その後は、野球解説者として活動し、2018年の甲子園100回大会ではレジェンド始球式に登場して、見事ストライクを投げ込んでいました。
一度監督をやっているので、コーチでの現場復帰は難しいかもしれませんが、バッテリーコーチとして、キャッチャーを育成してもらいたいですね。
まとめ
谷繁元信のプロフィールや経歴、成績や年俸の推移、高校受験やそのほかのエピソード、引退試合、結婚した嫁や息子、現在の情報をまとめましたが、いかがでしたか?
・3021試合出場はNPB歴代1位
・選手兼監督も経験している
・高校受験は失敗しているが、野球脳は高いタイプ
・笑顔がトレードマークだが、時々サイコパスのように見えることも
・2015年シーズンで引退
今後、指導者として現場に戻ることはあるのか?もう一度戦力がある程度整ったところで、谷繁元信が指揮を執るところを見てみたいですね。