菅政権で厚生労働大臣を務めた政治家の田村憲久さんですが、実家は三重の名士で、娘は田村真子アナです。
今回は田村憲久さんの実家家族、若い頃の経歴と学歴、西岡徳馬さんと似てる噂と身長、結婚した嫁や子供(息子と娘)を紹介します。
この記事の目次
田村憲久のプロフィール
田村憲久(たむら ひさのり)
生年月日:1964年12月15日
身長:168cm
出身地:三重県松坂市
所属政党:自民党
選挙区:三重1区
菅政権下で厚生労働大臣を務めた政治家
田村憲久さんといえば、コロナ禍真っただ中の菅義偉内閣で厚生労働大臣を務めていたことでも記憶に新しい、自民党所属の政治家です。
毎度思うけど田村厚生労働大臣が会見する時のアクリル板って何の意味があるんだ?
— 遠藤 英之 (@Endo_510) December 25, 2020
厚労省の人は誰も指摘しないのかな。 pic.twitter.com/SzsbC4fvQw
1996年に初当選して以来、9回の当選歴を誇る田村さんは、元々は平成研究会(旧竹下派)に所属しており、30代の頃から政務官や副大臣としてキャリアを積んでいたホープでした。
そんな田村さんが初入閣を果たしたのは安倍政権下の2012年。48歳の若さで厚生労働大臣に抜擢されています。
その後の田村さんは、厚生労働大臣を退任した2014年に平成研究会を離れ、2015年に水月会(石破派)に移籍しました。
以降は、派閥の親分である石破茂さんが自民党の非主流派だったため、水月会ごと冷遇される日々が続きました。
しかし、2020年9月に発足した菅政権では再び厚生労働大臣の椅子が回ってきたのです。
コロナ禍の中、国民から大バッシングを受けたことも
菅政権下で厚生労働大臣に就任した田村憲久さんですが、在任中にコロナ第3~5波が直撃したこともあり、国民から不満の一身に受けています。
ペラペラしゃべるのは達者だが「田村憲久厚労大臣」ほど無能な大臣も稀だ!「厚労省」を碌にまとめられず「集団感染」は続出するは「検査」遅れ、「医療崩壊」。現場にでてみなよ56歳の青年大臣だろ!「無駄口
— 彩の街道 (@hasune_inoti) April 26, 2021
隔離政策してないのに…
— 恋多郎 (@moto_mokichi) August 29, 2021
給付金も無く延長って…
野戦病院を作った訳じゃなく
医療法等々関連法案を作ったり改正した訳でも無く
自粛政策を踏襲しただけ!
自宅療養と言う名の自宅放置を勧めただけ!
田村憲久!早く辞めろ!
無能で無責任な大臣は辞めろ!
税金泥棒は辞めろ!#宣言延長 https://t.co/7HghpcJDEs
とはいえ、東京五輪開催が控えていた2019年末から2021年上半期の日本は、世界的に特殊な事情でした。
そのため、必ずしも田村さん1人の責任とは言えず、菅政権全体のコロナ対策の不備と言えます。
誰がやっても不満続出だったであろう時期に厚生労働大臣を務めた田村さんですが、結果的に菅政権が国民の支持を得られず、支持率が低迷して解散。
久々の晴れ舞台も、わずか1年で終止符となりました。
田村憲久の実家の家族は政治家・実業家ぞろい
祖父は政治家の田村秢
三重県松坂市に生まれ育った田村憲久さんですが、実家は祖父の代から政治家一族です。
祖父・田村秢さんは、1894年10月3日に三重県松坂市に生まれ、上京して東京帝国大学法学部に入学するような麒麟児でした。
大学を卒業後は故郷に戻り、弁護士事務所を開業した祖父は、機を見て政治家に転身し、三重県議会議員を経て1942年に衆議院議員にまで上り詰めています。
また、田村家は1944年に「興亜工業株式会社」(後の日本土建)という建築会社を設立しており、実業家の一族としても栄えました。
父は実業家の田村憲司
田村憲久さんの父・田村憲司さんは、1931年に三重県松坂市に生まれ、中央大学法学部を卒業した優秀な人物でした。
ただ、田村家の次男だったこともあり、政治の道には進まず、実業家として日本土建の発展に貢献しました。
その結果、日本土建は、2021年6月期の売上が97億円(社員数140人)の中堅企業にまで成長しています。
また、家業を守るだけではなく新規事業にも意欲的で、三重県や和歌山県、滋賀県でケーブルテレビ事業などを営む「株式会社ZTV」を創業しました。
ちなみに、日本土建の関連会社という扱いの「株式会社ZTV」ですが、2020年6月期の売上は164億円(従業員253名)となっており、親会社を超える規模に育っています。
敏腕実業家だった父親は、三重県商工会議所連合会会長や三重県建設業協会顧問なども務めており、三重の財界の名士的な存在でもありました。
兄・田村欣也は「株式会社ZTV」の社長だった
田村憲久さんは田村家の次男であり、兄に田村欣也さんがいます。
兄の欣也さんは政治の世界とは無縁な人生を歩んでおり、父・田村憲司さんが創業した「株式会社ZTV」の社長を務めています。
ちなみに、父親の憲司さんは2021年10月に亡くなり、日本土建の社長には兄の欣也さんの息子である田村賴一さんが就任してます。
伯父は大物政治家・田村元
田村憲久さんの伯父(父親の兄)は、衆議院議長や各種大臣を歴任した大物政治家・田村元さんです。
伯父は、慶應義塾大学を卒業後、中外炉工業や三重交通で働いたり、教員として勤務したりした後に政治家の前田穣さんの秘書を務め、1953年に政治家に転身しています。
初出馬した選挙では落選しましたが、1955年に初当選して以降、自民党の結党以来の生き字引であり、田中派や竹下派の有力議員として活躍しました。
その後、中選挙区制から小選挙区制への移行を嫌って、1996年に政界を引退しています。
1996年の第41回衆議院議員総選挙には「自分は旧三重2区の人々に支持されてきたのであり、次の選挙で(今までの支持者を半分に)分けることは出来ない」と小選挙区制になることを嫌って出馬せず、政界を引退。
引用:田村元
ちなみに、引退時72歳と高齢だった元さんは、その後も長生きし、2014年11月に90歳で亡くなりました。
田村憲久の若い頃の経歴① 最終学歴は千葉大学
名門一族に生まれた田村憲久さんは、少年時代から学業優秀だったようで、現地の名門校・私立高田中学校や県立松坂高校を卒業しています。
とはいえ、ガリ勉タイプではなく、中高ともに柔道部に所属しており、バリバリの体育会系でもあったんです。
高校卒業後の田村さんは、故郷を離れて上京し、国立千葉大学の法経済学部に入学しています。
ちなみに、千葉大学を目指した理由は、故郷に似て大らかな環境で学べそうなところが気に入ったからだそうです。
また、法経済学部に進んだのは、政治家一族だったため政治に興味があり、法律や経済をしっかり学びたい想いが強かったからでした。
そのため、大学時代には伯父の政治家・田村元さんの伝手を頼り、議員会館に足を運んでみたこともあったそうです。
なお、大学時代の田村憲久さんは、1年時は空手部に入部していたものの、2年時からは方向転換してテニスサークルに所属していました。
当時の千葉大学周辺は大学生が遊ぶような施設がほとんどなかったため、勉強をしているか、サークルでテニスをしているかの日々だったそうです。
田村憲久の若い頃の経歴② 日本土建に入社後、政治家に転身
大学卒業後の田村さんは、バブル絶頂期の新卒組だったにも関わらず、東京で就活はせずに故郷に戻り、日本土建に入社しました。
日本土建の社員時代の田村さんは、地元の日本青年会議所でも活動を開始しており、将来を見据えて、政治家一族の3代目として着々と顔を売っていたようです。
伯父の秘書を経て政治家に転身した
1988年に家業である日本土建に入社した田村憲久さんですが、1994年には退社して伯父・田村元さんの秘書となっています。
その後、伯父が前述の理由で政治家を引退したため、1996年に第41回衆議院議員総選挙に出馬し、政治家に転身しました。
田村憲久は西岡徳馬に似てる? 【身長も紹介】
田村憲久さん
西岡徳馬さん
政界きってのイケメン政治家でもある田村憲久さんですが、俳優の西岡徳馬さんに似てると話題です。
俳優の西岡徳間さん「誰かと似ているなぁ」思っていたら。
— Star_あつやん (ONE AND ONLY) (@sta_iatnx_jp) February 8, 2021
現在、厚労省大臣の田村憲久さんと似ていると思うのは、自分だけでしょうか⁉(笑)#NHK #鶴瓶の家族に乾杯
ちなみに、身長は田村さんが168cmで西岡さんが175cmと、身長差は7cmとなっています。
そのため、もし2人が並んだら、田村さんの方がひとまわり小さく感じられるかもしれませんね。
田村憲久が結婚した嫁は田村圭子
嫁は美人で元女子アナ説
田村憲久さんは、詳細な時期は不明ですが、圭子さんという女性と結婚しています。
画像を見る限り、圭子さんはかなり美人ですね。
圭子さんは、田村一族が経営している「株式会社ZTV」傘下のケーブルテレビ局の女子アナ出身ではないかと噂されています。
しかし、一般人である圭子さんのプロフィールは公開されていないため、その噂が本当かどうかは不明です。
田村憲久の子供(娘)は田村真子 【息子はいない】
田村憲久さんの長女は、朝の情報番組「ラヴィット!」の進行役を務めている田村真子アナウンサーです。
1996年2月3日生まれの真子さんは、高校まで地元・三重県松坂市で育ち、高田高校を卒業後に上京して、上智大学文学部へ入学。
大学時代の真子さんは、父親が現職の議員ということで議員宿舎から学校に通っていたとも言われています。
大学卒業後は、TBSに入社し女子アナとして活躍している真子さんですが、両親譲りの美貌で、ネットの女子アナフリークたちの間でも評判が高いんです。
ラヴィット見てるのだが田村真子アナ可愛い。
— SaK (@sak_ate) November 24, 2021
衣装も可愛い。
品があって可愛い。
田村憲久の実家が豪邸だと話題に
田村憲久さんは、三重の大物実業家一族出身ということもあり、三重県松坂市内にある実家が豪邸なことでも有名です。
ちなみに、こちらの豪邸は父親の死後、兄・田村欣也さんが遺産相続しています。
独立後の田村憲久さんの自宅は、三重県松坂市内の住宅街にある戸建て住宅だといいます。
ちなみに、田村憲久さんと娘の真子さんは普段は東京で仕事に打ち込んでいるため、妻・圭子さんが1人で三重の自宅を守り、選挙活動のサポートをしていると思われます。
田村憲久のまとめ
田村憲久さんは菅政権で厚生労働大臣を務めた政治家です。
祖父の代から続く政治家一族の3代目であり、地元・三重では実業家一族としても有名な家系出身。
息子はいませんが、娘はTBSの人気女子アナウンサーである田村真子さんです。
俳優の西岡徳馬さんと似てるとも話題で、美形一家であることがうかがえますね。
田村憲久さんの今後のより一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめとさせて頂きます。