小泉政権誕生の立役者で外務大臣や文部科学大臣などを歴任した田中眞紀子さんが話題です。
この記事では田中眞紀子さんの若い頃や鈴木宗男さんとの対立、結婚した旦那さんや息子や娘ら3人の子供、引退したのか否かや、現在の活動などについてまとめました。
この記事の目次
- 田中眞紀子のプロフィール
- 田中眞紀子の若い頃① 田中角栄の長女として生まれ学生時代は劇団で女優も
- 田中眞紀子の若い頃② 病弱な母に代わり田中角栄のファーストレディ役を務めた
- 田中眞紀子の若い頃③ 49歳で衆議院議員に初当選(トップ当選)
- 田中眞紀子の天敵は鈴木宗男で外務大臣更迭の原因となった
- 田中眞紀子の結婚は1969年で旦那は元政治家で越後交通社長の田中直紀
- 田中眞紀子の旦那・田中直紀のプロフィール
- 田中眞紀子の子供① 息子(長男)・田中雄一郎さん
- 田中眞紀子の子供② 娘(長女)・田中真奈子さん
- 田中眞紀子の子供③ 娘(次女)・田中真美子さん
- 田中眞紀子は引退発言はしていないが実質引退状態
- 田中眞紀子の現在…ウクライナへのロシア侵攻に反応して活発に活動
- まとめ
田中眞紀子のプロフィール
田中眞紀子のプロフィール
生年月日:1944年1月14日
出身地 :東京都文京区
身長 :不明
血液型 :AB型
田中眞紀子さんは、外務大臣(第1次小泉内閣)や、文部科学大臣(野田第3次改造内閣)などを歴任した元衆議院議員です。
総理大臣も務めた大物政治家の田中角栄元首相を父に持ち、父親を彷彿とさせる歯に衣着せぬ物言いで国民からの人気を集め、小泉純一郎政権誕生の立役者となりました。
しかしその後、2002年1月に「鈴木宗男事件」で更迭された後、秘書給与横領の容疑で元秘書より詐欺罪(その後不起訴)で告発されたのが原因となって議員辞職に追い込まれました。
その後は、民主党に鞍替えして次の衆議院議員総選挙で当選して国会議員に復帰し活動しました。2012年10月に発足した第3次野田改造内閣では、文部科学大臣に任命されましたが、その直後の総選挙で民主党が惨敗して民主党政権が倒れ、自身も衆議院議員選挙落選し、2012年12月を最後に国政の第一線からは退いています。
田中眞紀子の若い頃① 田中角栄の長女として生まれ学生時代は劇団で女優も
続けて、田中眞紀子さんの若い頃についてみていきます。
田中眞紀子さんは、大物政治家の田中角栄元首相の長女として生まれました。田中角栄元首相は田中眞紀子さんが生まれた当時は田中土建工業を経営する実業家でした。
田中眞紀子さんが生まれてすぐに、田中角栄は政治の世界に入り、田中眞紀子さんが3歳の時に衆議院議員に初当選しています。
田中眞紀子さんには正法さんという年子の兄がいましたが、4歳の時に小児結核で亡くなっており、それ以降、田中眞紀子さんは田中角栄元首相の跡取りとして養育されています。田中眞紀子さんの男勝りな性格にはそういった生い立ちも関係していたようです。
若い頃の田中眞紀子さんは、千代田区立富士見小学校を経て、日本女子大学附属中学校・高等学校へと進学しています。
小学校時代はバレリーナになる夢を持っていましたが、父の田中角栄に反対されて断念したそうです。
中学時代にはクラスの自治部の体育部長を務め、高校時代にはアメリカのフィラデルフィアの私立校に語学留学されています。留学の時にも、父の田中角栄に殴られるほど猛反対されたそうですが、それを押し切って自分だけで留学先を決めて渡米されたそうです。
また、アメリカの留学時代には、18歳年上の日本人新聞記者と交際されていたのだそうです。
田中眞紀子さんは、高校卒業後は早稲田大学商学部へと進学されています。大学時代の田中眞紀子さんは、企業史研究のゼミに入る一方で、早稲田大学の演劇サークル「学生劇団・こだま(現在の劇団木霊)」に入り、女優としても活動していました。
また、若い頃の田中眞紀子さんは真剣に演劇活動をされていたようで、早稲田大学卒業後も、劇団雲研究所に所属して25歳の時まで女優として舞台に出演されていました。
田中眞紀子の若い頃② 病弱な母に代わり田中角栄のファーストレディ役を務めた
若い頃の田中眞紀子さんは、病弱だった母親のはなさんに代わり、首相時代の田中角栄のファーストレディ役を務められています。当時の若い頃の田中眞紀子さんの画像は多く残されているので順番に紹介します。(見出し冒頭の画像は、1973年09月26日に西欧3カ国とソ連を訪問した田中角栄に同行する29歳当時の田中眞紀子さん)
田中眞紀子の若い頃の画像① 29歳、田中角栄の西欧とソ連訪問に同行
父親の田中角栄の首相時、ファーストレディ役として西欧3カ国とソビエト連邦訪問に同行する29歳の田中眞紀子さんです。羽田空港で飛行機に搭乗する場面で撮影されたものです。
田中眞紀子の若い頃の画像② 29歳、田中角栄の東南アジア歴訪に同行
中曽根康弘通産相(当時)に見送られ、東南アジア歴訪に出発する田中角栄に同行する29歳の田中眞紀子さんです。1974年01月07日に撮影されたものなので、田中眞紀子さんは30歳になる直前です。
上の画像2枚は東南アジア歴訪中の田中角栄さんに同行してタイのバンコク市内の寺院を訪問する田中眞紀子さんです。
田中眞紀子の若い頃の画像③ 41歳、入院した田中角栄を見舞う
上の画像は、1989年に脳梗塞で入院した田中角栄を見舞う、41歳当時の田中眞紀子さんです。
田中眞紀子の若い頃③ 49歳で衆議院議員に初当選(トップ当選)
田中眞紀子さんは49歳だった1993年に、父親の田中角栄の跡を継いで衆議院議員に立候補し、初出馬にしてトップ当選しています。(父親の強力な地盤を継いだので当然の結果ですが)
若い頃の田中眞紀子さんは田中角栄の娘という事や、父親に似た豪放磊落な性格などから国民からの人気が非常に高く、1994年6月30日に発足した村山内閣では、議員1年目であるにもかかわらず科学技術庁長官に任命されて初入閣しています。
その後は、2002年の鈴木宗男事件で失脚するまで自民党の人気議員として活躍を続けました。
田中眞紀子の天敵は鈴木宗男で外務大臣更迭の原因となった
出典:https://auctions.c.yimg.jp/
田中眞紀子さんの天敵として知られているのが、鈴木宗男衆議院議員です。
田中眞紀子さんと鈴木宗男さんの対立が表面化するきっかけとなったのは、2002年1月に、田中眞紀子さんが、アフガニスタン復興支援国際会議で、鈴木宗男さんが出席予定だったNGO団体に圧力をかけて参加をやめさせたと主張した事でした。
田中眞紀子さんの主張に、鈴木宗男さんは事実無根だとして反発し、全面対決に発展しました。
結果、国会審議を混乱させた責任により、田中眞紀子さんは当時務めていた外務大臣を更迭され、一方の鈴木宗男さんも「喧嘩両成敗」といった感じで、当時担当していた衆議院議院運営委員長の職を辞任に追いやられました。
当時の国民世論は圧倒的に田中眞紀子さん支持で、その後、鈴木宗男さんに対するバッシングが加熱する事態になりました。その影響から鈴木宗男さんに関する汚職の疑惑が次々と浮上し、2002年6月に鈴木宗男さんは逮捕されています。
一方、この鈴木宗男事件を境にして田中眞紀子さんにも自身の公設秘書給与の流用疑惑などが浮上し、衆議院議員を辞職することになりました。
当時の国民の声としては田中眞紀子さん支持し、鈴木宗男さんを批判する声が圧倒的でしたが、現在の国民世論としては、どちらかといえば鈴木宗男さんを支持する声の方が多く、田中眞紀子さんと差し違えて外務大臣を辞めさせた事を評価する声などもみられるようです。
田中眞紀子の結婚は1969年で旦那は元政治家で越後交通社長の田中直紀
田中眞紀子さんは1969年4月に、鈴木直人元衆議院議員の三男の直紀さんと結婚されています。
田中眞紀子さんの旦那さんの直紀さんは結婚を機に田中家に婿入りし、田中直紀さんになっています。結婚当時は、田中眞紀子さんが25歳、田中直紀さんは28歳で日本鋼管(現在のJFEホールディングス)の社員でした。
田中眞紀子さんと旦那の田中直紀さんの結婚の馴れ初めについては、田中眞紀子さんが父の田中角栄元首相の反対を押し切って結婚を決めたというエピソードがありますが、実際には田中角栄元首相が田中直紀さんを気に入り、婿入りでの結婚となったようです。
政治家の家に育った直紀大臣は、慶応大学法学部卒業後、サラリーマンを経て、’69年、28歳のときに真紀子議員の父・田中角栄元首相に気に入られ、田中家に婿入りをした。
ちなみに、最初は田中眞紀子さんの方の一目惚れだったそうで、知り合ってから半年のスピード結婚だったのだとか。結婚式はホテルオークラの平安の間で挙げられています。
田中直紀さんはこの結婚後、任期中に亡くなった菅波茂衆議院議員の地盤を引き継ぐ形で1983年12月の衆議院議員選挙に出馬し初当選を果たしています。
政治家としては、圧倒的に田中眞紀子さんが格上ですが、結婚生活でも田中眞紀子さんの方が旦那さんの田中直紀さんよりも強いそうで、関係者によれば「尻に敷かれている」のだそうです。
これまでは妻の強烈なキャラクターの陰に隠れ、印象が薄かった直紀大臣だが、日本一の猛妻といわれる真紀子議員との夫婦生活は、どのようなものなのだろうか。民主党関係者は続ける。「妻の田中真紀子議員(68)は機嫌のいいときは直紀さんを”父ちゃん”とか”パパ”とか呼んでいます。しかし、何か気に食わないことがあると”あのクズ”と、まるで人が変わったような言い方になります」
結婚早々から尻に敷かれまくっていたという直紀大臣。今も、とことん真紀子議員に対して従順で、すべては妻の言いなりだという。真紀子議員の元秘書はこう続ける。
「直紀さんは人前で『私たちは結婚以来43年、一度も夫婦喧嘩をしたことがない』と自慢していますが、真紀子さんに逆らえないから喧嘩にならないだけ。直紀さんは真紀子さんのロボットのようなものです。この関係は結婚当初から変わっていません」
そんな田中眞紀子さんの旦那さんの田中直紀さんですが、2016年7月の参議院議員選挙で落選し、現在は越後交通代表取締役社長を務められています。
田中眞紀子の旦那・田中直紀のプロフィール
田中眞紀子の旦那・田中直紀のプロフィール
生年月日:1940年6月19日
出身地 :石川県金沢市
身長 :不明
血液型 :O型
田中眞紀子さんの旦那さんの田中直紀さんの経歴についても簡単にですが紹介します。
田中眞紀子さんの旦那さんの田中直紀さんは、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、日本鋼管に入社し、田中眞紀子さんと結婚して田中家に婿入りした後の1983年12月に衆議院議員選挙に出馬して当選し国会議員になりました。
その後、鈴木宗男事件の影響で田中眞紀子さんが自民党を離れた後、田中直紀さんも2008年に自民党を離党し、2009年に民主党に鞍替えし、2012年の野田第一次改造内閣では防衛大臣に任命されています。
ただ、この防衛大臣時代には国会答弁での頓珍漢な発言や問題発言がマスコミや国民から叩かれてバッシングを浴びました。
その後、2016年7月の参議院議員選挙に落選。さらに、この選挙中の公選法違反(法定外文書頒布)で略式起訴されて罰金30万円の命令を受け、5年間の公民権停止となっています。
田中眞紀子の子供① 息子(長男)・田中雄一郎さん
田中眞紀子の息子・田中雄一郎のプロフィール
生年月日:1970年9月10日
出身地 :東京都
田中眞紀子さんは旦那さんの田中直紀さんとの間に3人の子供が生まれています。
田中眞紀子さんの最初の子供は、1970年9月10日に生まれた息子の田中雄一郎さんです。
田中眞紀子さんの息子の田中雄一郎さんは、慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学の経済学部へと進学し、4年生在学中に公認会計士試験に合格されています。
慶應大学を現役卒業後の1993年4月に、太田昭和監査法人(現在のEY新日本有限責任監査法人)を経て独立し、2004年に自ら公認会計士事務所「税理士法人トラスト設立(当時の名称は税理士法人ビジネスビジョン会計事務所)」を立ち上げ、代表に就任されています。
そんな田中眞紀子さんの息子さんの田中雄一郎さんは、大学在学中に公認会計士資格を取得するほど優秀な上に、若い頃の田中角栄元首相にそっくりという事で、田中眞紀子さんの後継者として期待されてましたが、本人は政治家の道には興味を示されていないようです。
「角栄先生の若い頃に生き写しの雄一郎さんは、慶応大学在学中に公認会計士試験に合格した英才。雄一郎さんが立候補すれば、離反した元越山会の仲間も戻ってくるはずですが、肝心の本人が地元にほとんど顔を見せないのです」
目下、雄一郎氏は自らが立ち上げた公認会計士事務所で多くの顧客を抱えているため、後援者たちの期待に応える様子はない。
なお、「週刊文春」2004年3月25日号によると、田中眞紀子さんの息子の雄一郎さんは、慶應大学時代の交際相手と恋愛結婚されていますが、その結婚を田中眞紀子さんが猛反対して以来、絶縁状態にあるという情報もあるようです。
田中眞紀子の子供② 娘(長女)・田中真奈子さん
田中眞紀子さんの2人目の子供は、1974年に生まれた娘の田中真奈子さんです。
田中眞紀子さんの娘である真奈子さんは、聖心女大学を卒業後、日本経済新聞に入社して広告局で勤務されていました。2003年2月には日経新聞社の同期入社の販売局勤務の男性と5年の交際を経て結婚されていました。
2003年3月には、真奈子さんは、この旦那さんが米国西海岸の支社勤務になったのを機に日経新聞社を寿退社し、渡米してロサンゼルスで結婚生活を送られていました。
ところが、2004年のはじめに、真奈子さんはこの旦那さんとスピード離婚しています。この離婚の裏には、田中眞紀子さんの結婚への猛反対があったとされていますが真偽は不明です。
ちなみに、田中眞紀子さんの娘の真奈子さんの離婚に関する内容がスクープされた「週刊文春」2004年3月25日号は、一時的に出版差し止めの仮処分が下されるなどの騒動に発展しました。なお、現在はその仮処分は取り消されています。
長女の代理人弁護士によると、17日発売の週刊文春(3月25日号)が長女のプライバシーを侵害して取材を行い、記事を掲載しようとしているとして仮処分を申請、認められた。 関係者によると、記事は「独占スクープ」と題し「田中真紀子長女 わずか1年で離婚」などのタイトルで、長女の離婚問題などについて報じているとされる。
田中眞紀子の子供③ 娘(次女)・田中真美子さん
田中眞紀子さんの3人目の子供は娘(次女)の田中真美子さんです。
この娘の真美子さんについてはほとんど情報がありませんが、2012年頃に国交省のキャリア官僚の男性と結婚されているようです。この旦那さんの父親が元大蔵官僚の政治家だということで、この旦那さんを田中眞紀子さんの後継者にという話が持ち上がった事があったそうなのですが、立ち消えになったのだとか。
昨年の式典で、真美子さんの姿を見かけた後援会関係者は見当らない。
「彼女は、7年前に国交省のキャリア官僚と結婚しています。彼の父親は、元大蔵官僚の政治家。一時、そのキャリア官僚の擁立論が持ち上がったものの、お嬢とパパが乗り気でなかったので立ち消えになりました」(同)
田中眞紀子は引退発言はしていないが実質引退状態
田中眞紀子さんは、2012年の衆議院議員総選挙で落選して以来、国政の第一線から退いていて実質引退状態にあります。
ただし、田中眞紀子さん本人は「私は引退するとはいっていない」と発言されているので、現在も現役の政治家ではあるようです。
田中眞紀子の現在…ウクライナへのロシア侵攻に反応して活発に活動
出典:https://news-pctr.c.yimg.jp/
事実上引退状態にあるとみられていた田中眞紀子さんですが、現在、2022年2月に発生したロシア軍によるウクライナ侵攻に対して、田中眞紀子さんが活発に動いているという情報をいくつかのメディアが報じ話題になっています。
小泉政権の看板として一世を風靡した元外相・田中眞紀子氏。’12年に政界を退いてからは隠居生活を送ってきたが、ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに「再起動」して、激震が走っている。
報道によると、田中眞紀子さんはウクライナ大使館とポーランド大使館を訪れて両国大使と会談し、連帯を表明されたようです。そして、民間から義援金を募る活動も開始されたとの事です。
また、田中眞紀子さんは外務省にも働きかけを行なっているようです。さらに、田中眞紀子さんはこの件に対しての岸田政権の対応が遅すぎるとの批判も展開されています。
まとめ
今回は、小泉政権誕生の立役者で、外務大臣や文部科学大臣などを歴任された元衆議院議員の田中眞紀子さんについてまとめてみました。
田中眞紀子さんは田中角栄元首相の長女で、若い頃は病弱な母親に代わってファーストレディ役も務められていました。
田中角栄元首相の地盤を引き継ぐ形で衆議院議員になった後は、父親譲りとも言われた歯に衣着せぬ発言で国民からの人気を集めましたが、鈴木宗男さんとの対立をきっかけに更迭され、自民党と袂を分かって民主党に入党し、政治活動を続けられていました。
しかしその後は、民主党政権の崩壊とともに選挙に落選し、事実上国政からは引退されています。
結婚については、1969年に田中直紀さんと結婚されています。旦那さんの田中直紀さんは防衛大臣なども務めた元国会議員ですが、現在は国会議員ではなく越後交通の代表取締役社長を務められています。
田中眞紀子さんはこの旦那さんとの間に3人の子供がおり、息子は公認会計士の田中雄一郎さん、娘は長女の田中真美子さんと次女の田中真美子さんですが、子供たちは3人とも政治の世界には興味がないようで田中眞紀子さんの後を継ぐという話は出ていないようです。
現在、田中眞紀子さんは2022年2月から開始されたロシア軍のウクライナ侵攻に反応し、政治活動を活発化させているとして注目を集めています。