岸田文雄内閣で初入閣を果たした衆議院議員の堀内詔子さんが話題です。
この記事では堀内詔子さんの若い頃の学歴や画像、華麗な家系図、義理の父親の堀内光雄さん、結婚した旦那の堀内光一郎さん、子供、息子と佳子さまの交際の噂、批判されたぴょんぴょんダンスなどについてまとめました。
この記事の目次
- 堀内詔子(岸田内閣閣僚)のプロフィール
- 堀内詔子の若い頃の学歴や画像① 学習院幼稚園
- 堀内詔子の若い頃の学歴や画像② 学習院初等科
- 堀内詔子の若い頃の学歴や画像③ 学習院女子中等科
- 堀内詔子の若い頃の学歴や画像④ 学習院女子高等科
- 堀内詔子の若い頃の学歴や画像⑤ 学習院大学文学部
- 堀内詔子の若い頃の学歴や画像⑥ 学習院大学大学院人文科学研究科
- 堀内詔子の大学卒業後の若い頃の経歴
- 堀内詔子の家系図
- 堀内詔子の結婚した旦那は富士急商事代表取締役の堀内光一郎
- 堀内詔子と旦那の堀内光一郎の間には子供(息子)が2人
- 堀内詔子の息子(長男)の堀内基光さんと秋篠宮家の佳子さまが交際の噂も
- 堀内詔子の義理の父親は元大物政治家(元通商産業大臣)の堀内光雄
- 堀内詔子はぴょんぴょんダンスが批判された事も
- まとめ
堀内詔子(岸田内閣閣僚)のプロフィール
堀内詔子のプロフィール
生年月日:1965年10月28日
出身地 :山梨県東八代郡石和町 (現在の山梨県笛吹市)
血液型 :A型
2021年10月に成立した岸田文雄内閣で、「東京オリンピック・パラリンピック担当大臣」と「ワクチン接種推進担当大臣」に任命された堀内詔子(ほりうち・のりこ)さんは、2012年に衆議院議員に初当選し、現在は3期目を務めている有力政治家です。
初入閣で注目を集めている堀内詔子さんですが、その華麗な家系や若い頃の学歴などでも注目されています。また、若い頃の画像や経歴が気になるという声も多いようです。
今回はそんな堀内詔子さんについてまとめていきます。
堀内詔子の若い頃の学歴や画像① 学習院幼稚園
堀内詔子さんの若い頃の学歴や画像を順番に見ていきます。上の画像は堀内詔子さんの公式ウェブサイトで公開されていた幼少時代の堀内詔子さんの若い頃の画像です。
後で改めて紹介しますが、堀内詔子さんはかなり由緒正しい家系の生まれの正真正銘のお嬢様育ちで、出身幼稚園は皇族御用達として知られる学習院幼稚園です。
堀内詔子さんは、1965年に山梨県で生まれましたが、当時、三菱銀行の銀行員として活躍されていた父親の小林喬さんの仕事の都合で、生後3ヶ月でアメリカのニュージャージー州へと移住し3歳までそこで成長されています。
堀内詔子さんには姉と妹と弟の4人姉弟の2番目で、姉弟仲はとても良く、一緒に忍者ごっこや泥団子作りなど、男の子顔負けの遊びをよくされていたのだとか。
堀内詔子の若い頃の学歴や画像② 学習院初等科
堀内詔子さんは学習院幼稚園を卒園後は、そのままエスカレーター式に学習院の初等科へと進学されています。
上の画像の正面から見て左から2番目の赤系のワンピースを着ているのが小学生時代の堀内詔子さんだという事です。
小学校時代の堀内詔子さんは、当時の時代としては珍しくバリバリと社会に出て働いていたという母(東京家政学院大学の英語学教授)や母方の祖母(社会心理学の教授)の影響を受けて、自分も将来は社会に出て働きたいとの思いを既に持たれていたようで、卒業文集に将来の夢は代議士と書かれたのだそうです。
堀内詔子の若い頃の学歴や画像③ 学習院女子中等科
堀内詔子さんは中学校もエスカレーター式に学習院大学女子中等部へと進学されています。
上の画像の正面から見て右側の白い服装の少女が中学生時代の若い頃の堀内詔子さんだという事です。
中学時代の堀内詔子さんはテニス部に所属し、3年間テニスに打ち込まれたそうです。3年生の時にはキャプテンも務め、100名以上いたという部員達をまとめたそうです。
そして、東京都の中学選手権で見事団体優勝を果たし、続く関東大会でも上位入賞を果たされたのだそうです。
堀内詔子の若い頃の学歴や画像④ 学習院女子高等科
堀内詔子さんは高校もエスカレーター式に学習院女子高等科へと進学されています。
上の画像の正面から見て右側の白い服装の女性が高校生時代の若い頃の堀内詔子さんだという事です。
高校入学後の堀内詔子さんは一旦は勉強に力を入れようとテニス部に入部しませんでしたが、どうしてもテニスへの想いが捨てられず、1年生の2学期からテニス部に途中入部されたそうです。
高校時代もかなりテニスには熱中されたのだそうで、どうしても朝練がしたいからと、校門が開く前にこっそりと門を乗り越えて練習をしたり、早弁をして昼休みの時間を使ってテニス部の練習をしたりもされていたのだとか。
堀内詔子の若い頃の学歴や画像⑤ 学習院大学文学部
堀内詔子さんは高校を卒業後は、学習院女子大学ではなく、学習院大学の文学部へと進学されています。
上の画像の前列中央に写っているのが、大学生時代の若い頃の堀内詔子さんです。
また、下の画像は美しい着物姿の堀内詔子さんです、成人式の時の写真かもしれません、正面から見て右から2番目の白い着物を着ているのが若い頃の堀内詔子さんのようです。
大学時代の堀内詔子さんは、いろいろな事に挑戦したいという思いから、練習で忙しい体育会系のテニス部には入らずに、テニス同好会に入ったそうです。しかし、結局はテニスが楽しすぎて、毎日テニス漬けだったのだそうです。当時はファミレスが流行り始めた頃だったため、テニスの練習帰りに仲間達とファミレスでご飯を食べたのが学生時代の思い出になっているそうです。
大学時代はかなり勉強にも力を入れられたそうで、特にフランス語の勉強には力を入れられたそうです。大学時代には教員免許も取得されています。
堀内詔子の若い頃の学歴や画像⑥ 学習院大学大学院人文科学研究科
堀内詔子さんは、大学卒業後には学習院大学大学院の人文科学研究科へと進まれています。
堀内詔子さんはこの頃にお見合い結婚をされているのですが、結婚や旦那さんについては後述します。
学習院大学大学院の人文科学研究科では、文学修士の学位を取得されています。
堀内詔子の大学卒業後の若い頃の経歴
堀内詔子さんは、大学卒業後の1990年の衆議院議員選挙で、義父で大物政治家だった堀内光雄氏の選挙活動を手伝いましたが、この時は武運拙く落選となりました。(次の選挙で再び出馬して返り咲き)この時は、堀内詔子さんが堀内家に嫁いで最初の選挙だったため、落選したのは自分が嫁に来たせいではないかと随分と責任を感じたと堀内詔子さんは後に語られています。
2006年4月からは、旦那の堀内光一郎さんが代表取締役を務める富士急行が運営する美術館「フジヤマミュージアム」の館長も務められています。
そして、義父の堀内光雄氏が政界を引退する事になり、その後継者に指名されて2012年12月の衆議院議員選挙に出馬し当選を果たしています。
堀内詔子の家系図
上は、堀内詔子さんの家系図です。
家系図を見ながら堀内詔子さんのかなり凄い家系について見ていきます。
まず、堀内詔子さんの母方の家系図を辿っていくと、幕末から明治かけて活躍したあの大久保利通に辿り着きます。その大久保利通の次男の牧野伸顕の娘の雪子が元首相の吉田茂に嫁いでいます。
また、堀内詔子さんの父親の小林喬氏は、富国生命保険の会長などを務めた大物実業家で、上皇様の御学友である事も知られています。その小林喬氏の父で堀内詔子さんの祖父の小林中は、「影の財界総理」、「財界四天王」とも呼ばれた政財界の超大物で、日本開発銀行総裁、日本航空会長、東急電鉄社長、富国生命保険社長などを歴任しました。
さらに、その小林中の父親(堀内詔子さんの曽祖父)の矢崎貢は石和銀行元頭取、母親(堀内詔子さんの曽祖母)のふくの父親は石和銀行の創業者・小林伝右衛門です。
続けて、堀内詔子さんの旦那の堀内光一郎さんの家系図も辿って見ていきます。(旦那の堀内光一郎さん本人については後述)
まず、堀内詔子さんの旦那の堀内光一郎さんの父親の堀内光雄氏は、衆議院議員を10期務め、通商産業大臣や労働大臣を歴任した大物政治家で、政界入りの前は富士急行社長を務めるなど実業家としても活躍されました。
また、堀内光一郎さんの祖父の堀内一雄氏は、戦前は陸軍参謀を務め、戦時中の1942年には衆議院議員も務めました。戦後は富士急行の社長などを経て、再び衆議院議員に当選。政界引退後は富士急やテレビ山梨の会長を歴任されました。
その堀内一雄氏の妻の初子さんの父親・田中董策は山梨田中銀行の頭取や山梨県議員を務めた人物です。
そして、堀内一雄氏の父親の堀内良平という人物は、富士急行の事実上の創業者で山梨県議員を務めるなど政治家としても活躍された人物です。
また、家系図に記載した通り、堀内詔子さんには2人の子供(息子)がいます。堀内詔子さんの子供(息子)2人については後で改めて紹介します。
堀内詔子の結婚した旦那は富士急商事代表取締役の堀内光一郎
堀内詔子さんは学習院大学在学中に、学習院初等科の先輩にあたり、富士急行創業者一族の御曹司だった堀内光一郎さんとお見合いをして1988年の大学卒業と同時に結婚されています。
堀内詔子の旦那・堀内光一郎のプロフィール
生年月日:1960年9月17日
出身地 :山梨県
堀内詔子さんの結婚した旦那の堀内光一郎さんは、富士急行グループの創業者一族の御曹司として生まれ、1983年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、日本長期信用銀行(現在の新生銀行)に入行し、数年間勤めた後に富士急行株式会社に入社しています。
その後の経歴は、1988年に経営企画部長と系列子会社の岳南鉄道株式会社取締役に就任。
翌1989年には富士急株式会社の代表取締役社長に就任されています。
1999年には、富士急商事株式会社(現在の株式会社エフ・ジェイ)代表取締役および、ハイランドリゾート株式会社代表取締役に就任。
2004年には、身延登山鉄道株式会社の代表取締役社長に就任。
2008年には、株式会社マルイの社外取締役に就任。
2012年には、山梨中央銀行の監査役に就任されています。
堀内詔子と旦那の堀内光一郎の間には子供(息子)が2人
堀内詔子さんと旦那の堀内光一郎さんの間には子供が2人います。
堀内詔子さんと旦那の堀内光一郎さんの子供は2人とも息子さんです。
2009年8月13日の「読売新聞」の記事に、当時、第45回衆議院議員総選挙での11期目の当選を目指していた堀内光雄さんの家族を紹介する記事に、息子(堀内光一郎)さんの嫁で、義父の当選のために奮闘する堀内詔子さんが紹介されました。
その記事の中で、堀内詔子さんの2人の息子さんの名前と当時の年齢が紹介されていました。
今は朝7時前に、高校3年の長男、基光(もとてる)(17)と小学6年の次男、優光(まさみつ)(11)を東京・渋谷区の自宅から学校へ送り出し、自ら7時半の特急「あずさ」に飛び乗る。
堀内詔子さんの公式Webページによると長男の基光さんが1992年1月生まれ、次男の優光さんが1997年12月生まれという事なので、2021年の現在の堀内詔子さんの子供達の年齢は、長男の基光さんが29歳、次男の優光さんが23歳のはずです。
また、堀内詔子さんの公式Webページによると、2人の息子さんは共に会社員をされているようです。また、2017年に週刊誌の取材を受けた堀内詔子さんは長男の基光さんが現在は転勤でシンガポールに赴任されている事を明かしています。
そして、同じ週刊誌の記事によると、基光さんは慶應大学法学部を卒業後、メガバンクに入行されているという事で、父親の光一郎さんの後を継ぐためのエリートコースを順調に歩まれているようです。
堀内詔子の息子(長男)の堀内基光さんと秋篠宮家の佳子さまが交際の噂も
慶應法学部を経てメガバンクに勤務という、典型的なエリートコースを歩んでいる様子の堀内詔子さんの息子(長男)の堀内基光さんですが、2017年に発売された「週刊新潮」2017年6月1日号に、秋篠宮家の佳子さま(佳子内親王)と、この基光さんが交際しているのではとの永田町関係者の証言が掲載され注目を集めました。
永田町関係者はそんな佳子さまについて、
「富士急の御曹司、堀内基光君と交際されていると聞いています」
と指摘。基光君の横顔を紹介しておくと、幼稚園から中学まで学習院、高校からは慶応に転じ、慶大法学部を卒業後にメガバンクに入行。
永田町関係者からの証言という事で、信憑性が高い情報かと思われたのですが、週刊新潮の記者が、堀内詔子さんと旦那の堀内光一郎さんに直撃取材して噂の真偽を確認したところ、2人とも「(交際は)していないと思う」と笑いながら回答されていました。
――佳子さまとご子息が交際されている?「(笑いながら)してない、全くありません。本人が一番驚いていました。一度も会ったことないんじゃないですかね」あとから出て来た詔子代議士にも質すと、「本当におめでたい話で。実は息子は転勤して日本にいないんです。それでなかなか、ね……。はい、シンガポールに行っています。息子はお目にかかったことがないと思います。本当に恐れ多いお話です」
夫婦揃って「(息子は)佳子さまと会った事もないのではないか」と答えられているので、現在のところ2人が交際しているという噂はデマ情報の可能性が高いようです。ただ、「はい。交際しています」とは言いづらい質問だと思うので実際に交際している事も十分に考えられるかと思います。
堀内詔子の義理の父親は元大物政治家(元通商産業大臣)の堀内光雄
ここまででも触れていますが、堀内詔子さんの義理の父親は元大物政治家の堀内光雄氏です。
堀内詔子さんはこの義理の父親の堀内光雄氏の地盤を引き継ぐ形で衆議院議員になっています。堀内詔子さんが政界で力を発揮されているのは、この義理の父親の堀内光雄氏が生前に築かれた土台もかなり影響しているとの見方もあるようです。
堀内詔子の義理の父親・堀内光雄のプロフィール
生年月日:1930年1月1日
没年月日:2016年5月17日
出身地 :山梨県東八代郡御坂町(現在の笛吹市)
血液型 :AB型
堀内詔子さんの義理の父親の堀内光雄氏は、1962年に富士急行株式会社の社長に就任して人気遊園地「富士急ハイランド」をはじめとする観光事業に力を注ぎ、現在の富士急行のカラーを作り上げました。
1976年に衆議院選挙に出馬して初当選し、1989年の宇野内閣で労働大臣に任命され初入閣を果たしています。1990年の総選挙では「当選確実」と目されていた中でまさかの落選を経験しますが、次の1993年の総選挙ですぐに復活を果たしています。
1997年の第2次橋本改造内閣では通商産業大臣に任命され、独立行政法人「石油公団」の1兆3000億円にも膨れ上がった不良債権を独力で暴き出し、大臣退任後に同公団を国民の税金をドブに捨てたようなものだと告発して廃止に追い込む功績を上げられています。
その後も衆議院議員として活躍されましたが、2009年の第45回衆議院議員総選挙で落選し、これを機に政界を引退されています。
この引退後、後継者として指名されたのが堀内詔子さんでした。
堀内詔子はぴょんぴょんダンスが批判された事も
大物議員であった堀内光雄さんの地盤を引き継ぐ形で衆議院議員となった堀内詔子さんですが、政治家としては賛否が分かれています。
2018年5月に、過労死遺族の団体や野党の反対を押し切って高度プロフェッショナル制度などの働き方改革関連法案が強行採決された際、堀内詔子さんはぴょんぴょんとダンスを踊るように飛び跳ねるような動きをしました。
このぴょんぴょんと飛び跳ねるダンスのような動きは、賛成を意味する起立を議員に促すためのサインだったと見られています。
自民党山梨2区の堀内のり子さんの
— ジャム (@jam9801) May 25, 2018
この姿を目に焼き付けておこう pic.twitter.com/GeOcyCZyOX
このぴょんぴょんと飛び跳ねるダンスのような動きは、ネット上でも話題になり、この法案に反対していた人々からは批判の声が殺到する事態となり、その動きを「過労死ダンス」と表現する人もいました。
堀内詔子は「働き方改革」関連法案の時、
— Yoshikazu (@8M3Rn6bTsdubKkh) October 9, 2021
ぴょんぴょん飛び跳ねて強行採決を促しました。
過労死・過労自死した労働者の遺族が傍聴する中での強行採決で、
飛び跳ねる堀内詔子を見た時、飛び跳ねるあの姿、
あまりに醜悪過ぎて忘れられないですね。
忘れてはいけないと思います。(激怒) pic.twitter.com/dxMCIsI2mA
20/20
— 華月 法里🌈機能する行政🌸支え合う社会🌸 (@K_Norisato) May 29, 2018
狸:ただいまご決議なられました付帯決議におきましては、その趣旨を十分尊重し、努力してまいります
手前でぴょんぴょん跳ねてる過労死ダンス姫こと堀内詔子議員は、どうもお金集めもうまいようで、自民党としては重宝してるんでしょうねぇ。 pic.twitter.com/xDIt34QeGM
堀内詔子さんが2021年10月成立の岸辺内閣で、東京オリンピック・パラリンピック担当大臣とワクチン接種推進担当大臣に任命されましたが、その際にこの「ぴょんぴょんダンス」が再びネットで再炎上しており、一部の週刊誌でも批判的な意味合いで取り上げられています。
そんな堀内大臣だが、初入閣にあたり過去の行動に注目が集まっている。それは’18年5月のこと。高度プロフェッショナル制度(以下、高プロ)などの「働き方改革」関連法案が衆院厚労委で強行採決されたとき、ぴょんぴょんと跳ねて舞っていたのだ。
堀内詔子のぴょんぴょんダンスの動画
下は、堀内詔子さんの「ぴょんぴょんダンス」を取り上げた動画です。
まとめ
今回は、2021年10月に成立した岸田文雄内閣で東京オリンピック・パラリンピック担当大臣、ワクチン接種推進担当大臣に任命された衆議院議員の堀内詔子さんについてまとめてみました。
堀内詔子さんは先祖に大久保利通を持つ家系の出身で、幼稚園から大学院まで学習院へ通った典型的なお嬢様です。若い頃はテニスに打ち込まれ、大学卒業後に大物政治家の堀内光雄さんの息子の堀内光一郎さんと結婚しています。
その後、堀内光雄さんの政界引退後に、その地盤を引き継ぐ形で衆議院議員に当選し、現在も活躍されています。
2018年に国会で、高度プロフェッショナル制度などの働き方改革関連法案が反対を押し切って強行採決された時には、賛成を促すためにぴょんぴょんとダンスのように飛び跳ねて見せて話題を呼びました。