自民党総裁選に出馬し初の女性総理誕生かと注目された衆議院議員の高市早苗さんが話題です。
この記事では高市早苗さんの生い立ちや学歴、高い英語力、若い頃の画像、両親や兄弟、旦那や子供などの家族情報、元旦那の山本拓さんとの結婚エピソードや離婚などについてまとめました。
この記事の目次
- 高市早苗のプロフィール
- 高市早苗の生い立ち
- 高市早苗の学歴① 出身小学校は奈良市立あやめ池小と橿原市立畝傍南小
- 高市早苗の学歴② 出身中学校は橿原市立畝傍中学校
- 高市早苗の学歴③ 出身高校は奈良県立畝傍高校
- 高市早苗の学歴④ 出身大学は神戸大学経営学部経営学科
- 高市早苗の英語力が凄いと話題
- 高市早苗の若い頃の画像① 29歳の頃
- 高市早苗の若い頃の画像② アメリカで議員事務所で働いていた頃
- 高市早苗の若い頃の画像③ 「朝だ!どうなる?」のメインキャスター時代
- 高市早苗の若い頃の画像④ スキューバダイビングや空手もしていた
- 高市早苗の家族① 父親は退職金を全て娘の選挙資金に
- 高市早苗の家族② 弟の高市知嗣は秘書官
- 高市早苗の家族③ 元旦那は衆議院議員の山本拓
- 高市早苗の家族④ 元旦那・山本拓との間に子供はいない
- 高市早苗の子供は元旦那の山本拓の連れ子が3人
- 高市早苗の結婚の馴れ初めやエピソード
- 高市早苗と元旦那・山本拓の離婚理由
- まとめ
高市早苗のプロフィール
高市早苗のプロフィール
生年月日:1961年3月7日
出身地 :奈良県
血液型 :A型
高市早苗さんは自民党所属の衆議院議員で、1993年に初当選し、現在までに計8回当選されています。これまでに、総務大臣(第18代、19代、23代)、内閣府特命担当大臣(マイナンバー制度担当)、(沖縄及び北方対策、科学技術対策、少子化・男女共同参画、食品安全、イノベーション担当)、第55代自民党政務調査会長などを歴任した有力者です。
2021年9月の自民党総裁選にも出馬し、史上初の女性総理誕生となるかと注目を集めました。新たに発足した岸田文雄内閣では、第60代自民党政務調査会長に任命されています。
高市早苗の生い立ち
高市早苗さんは1961年3月7日に奈良県で誕生しています。
生い立ちについては詳しいエピソードは明かされていませんが、トヨタ関連の自動車メーカーに勤務する父親と、奈良県警職員の母親の共働きの家族に生まれ、両親に厳しく育てられたという事です。
私は、父はメーカー勤務、母は奈良県警勤務という平凡な共働き家庭に育ち、両親ともに、私が早く結婚して安定した家庭生活を送ることを望んでいました。
子供の頃は両親に厳しく育てられたという。
兄弟は6歳下の弟が1人いるそうで、両親が共働きだったため子供時代はよく弟の面倒を見ていたそうです。
両親が共働きだったため、6歳下の弟の面倒をみるのに追われていましたが、おかげで今でも乳幼児の扱いは上手です。
高市早苗さんは、両親に厳しく育てられた生い立ちを持つ反動で学生時代は奔放な生活を送られたそうです。高市早苗さんの学歴や学生時代については次の見出しから紹介します。
高市早苗の学歴① 出身小学校は奈良市立あやめ池小と橿原市立畝傍南小
高市早苗さんの学歴を順番に見ていきます。
高市早苗さんは、1967年4月に奈良市内の公立校「奈良市立あやめ池小学校」に入学されています。現在は強気な性格のイメージがある高市早苗さんですが、意外にも子供時代は内向的な性格だったそうです。
しかし、小学校3年生の時に、奈良県橿原(かしはら)市の公立小学校「橿原市立畝傍南小学校」に転校され、それをきっかけに少しだけ活発になられたそうです。
小学校3年生で転校したことを契機に、少しだけ活発に振舞えるようになりました。
高市早苗の学歴② 出身中学校は橿原市立畝傍中学校
高市早苗さんは1973年4月に奈良県橿原市の公立中学校「橿原市立畝傍中学校」へと進学されています。
高市早苗さんは中学生の頃にドラムを始め、ヘヴィメタバンドに所属していたそうです。この頃には少しヤンチャな一面もあったのだそうです。
高市早苗の学歴③ 出身高校は奈良県立畝傍高校
高市早苗さんは1976年4月に地元の公立校「畝傍(うねび)高等学校」へと進学されています。
畝傍高校時代の高市早苗さんは、結構な不良少女だったという事で、遅刻しがちだったためバイクを使って通学し、学校の裏手に停めて(遅刻で校門が閉められているため)フェンスをよじ登って学校に入っていたそうです。
高校時代は遅刻しがちで通学にはバイクを使っていました。スカートの下にジャージを穿(は)いて跨(またが)り、学校の裏手に停めて、金網をよじ登って登校するのが毎朝のスタイルでした。校則違反なのでダメなことはわかっています。
高市早苗さんは、この畝傍高校1年生の頃に大学生の彼氏ができたため成績が急落し、授業をサボったり宿題をやらなかったりしたため、教師に「勉強しろ」と頬をビンタされた事があったと語られています。
ちなみに、この畝傍高校は最新の偏差値が「69」と、県内でもかなりの進学校です。高市早苗さんはこの高校に一般入試で合格しています。高校時代は若干グレていたとはいえ、元々勉強はかなりできる子供だったようです。
高市早苗の学歴④ 出身大学は神戸大学経営学部経営学科
高市早苗さんは高校を卒業後、1979年4月に国立の「神戸大学経営学部経営学科」へと進学されています。神戸大学経営学部の最新の偏差値は「62.5」です。
高市早苗さんは神戸大学にも一般入試で合格されています。
高市早苗さんは大学では軽音楽部に所属し、大学時代は音楽漬けの生活だったそうです。
私は、個人的に、大学時代に軽音楽部ROCKというものに所属しておりまして、ヘヴィメタバンドのドラムをやっておりました。ただ私は中途半端な実力でしたので、音楽が何よりも好きだったのですが、プロにはなれず、途中から路線変更しました。
大学時代の高市早苗さんはヘヴィメタバンドを4つ掛け持ちし、かなり激しめなドラムプレイでライブ後にはスティックが折れるほどだったそうです。当時から「聖飢魔II」や「X JAPAN」のYOSHIKIさんの大ファンだそうで、大学時代は髪色をピンク色に染めていたのだそうです。
また、高市早苗さんは一時は本気でプロのドラマーを目指されていたそうで、大学2年から3年の時にプロのバックバンドでドラムを叩くほどの実力派だったようです。
大学では音楽漬けの日々を送りました。ヘヴィメタルが好きでバンドのドラマーを4つ掛け持ち。『アイアン・メイデン』『ブラック・サバス』が特に好きでした。2~3年のときには、プロのバックバンドもしていたんですよ。『浪速(なにわ)のジャニス』こと小林万里子さんの後ろでドラムを叩いて。とっても楽しかった
また、大学生時代の高市早苗さんは、バンド活動の他にも400ccのバイクを乗り回したり、阪神タイガースを熱狂的に応援したり、スキューバーダイビングに挑戦したりとかなりアクティブに活動されていたようです。
当時、高市早苗さんはかなり男性もモテたのだそうで、恋愛もたくさん経験されたそうです。
高市早苗の英語力が凄いと話題
高市早苗さんの英語力も話題です。
高市早苗さんは大学卒業後の1984年に松下政経塾に入塾して政治の世界に入り、1987年に渡米して、パトリシア・シュローダー下院議員の事務所にコングレッショナル・フェローとして在籍して2年間勤務されていました。この在米期間中に実践的な英語を習得されたようです。
下の動画は2015年の中米ホンジュラスのエルナンデス大統領との高市早苗さんの英語での会談の動画です。
また、高市早苗さんは、経済産業副大臣時代の2003年には海外メディアの取材にも通訳なしで英語で応じられていました。(下の画像)
高市早苗の若い頃の画像① 29歳の頃
高市早苗さんの若い頃の画像も話題です。上の画像は29歳の頃の高市早苗さんです。当時はバリバリのバイカーで裏六甲のカーブを攻めていたのだとか。
ちなみに、国会議員になってからは、もし事故ると国民に迷惑がかかるのでバイクには乗っていないそうです。
高市早苗の若い頃の画像② アメリカで議員事務所で働いていた頃
また、上の画像は1987年12月から1989年3月にかけて、アメリカの議員事務所でフェローとして活躍されていた頃の高市早苗さんです。20代半ば頃の高市早苗さんの若い頃です。
高市早苗の若い頃の画像③ 「朝だ!どうなる?」のメインキャスター時代
上の画像は、フジテレビの情報番組「朝だ!どうなる?」のメインキャスターを務めていた若い頃の高市早苗さんの画像です。当時は29歳でした。
高市早苗の若い頃の画像④ スキューバダイビングや空手もしていた
上の画像2枚は高市早苗さんの公式サイトに掲載されていた若い頃の画像です。正確な時期は不明なのですが、若い頃の高市早苗さんはスキューバーダイビングや空手をされていたようです。
また、上の画像も高市早苗さんの公式サイトで紹介されていたものです。詳細は不明なのですが、1993年9月に撮影された写真のようなので、高市早苗さんが32歳の頃だと思われます。
高市早苗の家族① 父親は退職金を全て娘の選挙資金に
続けて、高市早苗さんの家族についてをまとめていきます。
高市早苗さんの父親はトヨタ関連の自動車メーカーに勤める会社員だったというのは既に触れましたが、この父親はその退職金を全て高市早苗さんの選挙資金に使えと渡してくれたのだそうです。
そんなある夜、家族が寝静まった後に帰宅いたしますと、キッチンのテーブルの上に父からの手紙が置いてありました。「俺の退職金は、選挙費用の足しに全部使ってよい。イライラせずにやれ。自信を持って!握手とお辞儀を忘れるな。気楽にやれ。」父の手紙を抱き締めて泣きながら、出馬する決心を固めました。
高市早苗さんは、1992年に出馬した参議院議員選挙では落選していますが、この父の想いを受けて1993年に再度挑戦しその年の衆議院選挙に出馬しています。この時の選挙では他の候補者との兼ね合いから当選は難しいと見られていましたが、予想を覆して見事トップ当選を果たされています。
高市早苗の家族② 弟の高市知嗣は秘書官
高市早苗さんには6歳下の弟がいるという事ですが、この弟さんは高市知嗣さんという方で元自民党本部の職員をされていた方です。
そして、1993年に高市早苗さんが衆議院選挙に出馬する際に、姉の選挙活動を手伝うために自民党本部を辞めて、姉の当選後はその秘書官を務められています。
高市早苗さんは家族に大きく支えられてその政治活動をスタートされたようです。
ところが、私が東京での仕事を辞めて奈良県に戻り、本格的な政治活動を始めた上、自民党本部の職員だった弟も、職を辞して、私の政治活動を手伝うために奈良県に戻ってきてしまいました。いきなり無職となった子供二人が実家暮らしを始めたのですから、両親の苦悩は想像を絶するものだったはずです。それでも、常に堅実に生きることを私に求め続けていた父が、最も苦しい決断の瞬間にはそっと背中を押してくれたのです。
高市早苗の家族③ 元旦那は衆議院議員の山本拓
高市早苗さんは、43歳だった2004年に自民党所属の衆議院議員の山本拓さんと結婚されていますが、56歳だった2017年7月に離婚されています。
高市早苗さんの元旦那さんの山本拓さんは福井県鯖江市の出身で。1952年7月7日生まれで学年で高市早苗さんの8歳年上です。これまでに農林水産副大臣、衆議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、衆議院懲罰委員長などを歴任されています。
高市早苗さんと元旦那の山本拓さんの結婚エピソードや離婚の理由などについては後述します。
高市早苗の家族④ 元旦那・山本拓との間に子供はいない
高市早苗さんと元旦那の山本拓さんの間には子供はいません。
高市早苗さんは、過去に少子化担当大臣(内閣府特命担当大臣)に就任された際に、「子供を産んでから発言しろ」などと酷い言葉をかけられた経験があるそうです。
実は、高橋早苗さんは過去に婦人科の病気で手術をされていて、その関係で妊娠や出産が難しいのだそうです。そのため、元旦那の山本拓さんとの間には子供に恵まれませんでした。
「自分が子供を産んでから、少子化対策について発言しろ」「子供も産めない女が少子化担当大臣をするのはおかしい」といったご指摘も数通。あまりにも私的な事で恐縮ですが、残念ながら私の身体は、婦人科の病気で手術をしてから妊娠や出産が困難な状態にあるようで、子供を授かることを切望しつつも諦めた次第です
高市早苗の子供は元旦那の山本拓の連れ子が3人
高市早苗さんは元旦那の山本拓さんとの間の子供には恵まれませんでした。しかし山本拓さんは高市早苗さんとは2度目の結婚で、過去の結婚相手との間に3人の連れ子がいました。
高市早苗さんはこの連れ子3人を実の子供のように可愛がられていたようで、離婚後も交流を持たれているようです。
高市早苗さんの子供3人を順番に紹介していきます。
高市早苗の子供(山本拓の連れ子)① 長女・田中涼子さん
高市早苗さんの長女は、田中涼子さんという方だと言われています。、結婚されていて姓が変わっています。
福井県越前市に在住で少なくとも子供が1人いるようですが、一般の方なのでそれ以上の詳しい情報は不明です。
高市早苗の子供(山本拓の連れ子)② 長男・山本健さん
出典:https://www.pref.fukui.lg.jp/
高市早苗さんの長男は山本健さんという方で、現在は福井県議会議員を務められています。
高市早苗さんの長男の山本健さんは、1984年2月18日の生まれで、出身地は父親の山本拓さんの地元である福井県鯖江市です。
地元の公立校、「神明小学校」と「中央中学校」を経て、「福井県立鯖江高校」から「金沢学院大学」へと進学し卒業されています。現在慶應義塾大学の通信過程にも在籍し勉強を続けられています。
大学卒業後は民間企業での勤務を経て、国会議員秘書として経験を積み、2019年4月に福井県議会議員に初当選されています。
家族は妻と2007年11月に生まれた長男が1人いるという事です。
継母の高市早苗さんと父親の山本拓さんが離婚された後も、高市早苗さんとは交流を持たれているようで、東京に研修に訪れた際には、当時総務大臣を務めていた高市早苗さんの元を訪れていたようです。
高市早苗の子供(山本拓の連れ子)③ 次女・高山杏子さん
高市早苗さんの次女は高山杏子さんという方です。この方も結婚されていて、少なくとも子供が2人いるようです。一般の方なのでこれ以外の情報は不明です。
高市早苗の結婚の馴れ初めやエピソード
高市早苗さんは、2004年に衆議院議員の山本拓さんと結婚されています。
2人の結婚は、2003年に高市早苗さんが衆議院議員選挙に敗れて落選した事で、議員秘書を務めていた弟の高市知嗣さんが職を失ってしまいましたが、それを山本拓さんの事務所が引き受けてくれたのが縁になったそうです。結婚のプロポーズは山本拓さんの方からだったようです。
高市早苗さんはその結婚生活についても、メディアの取材や自身のコラムなどで語られていました。
それによれば、山本拓さんは調理師免許も持っていてとても料理上手で、高市早苗さんが総務大臣に就任した時には、好物だというチーズフォンデュを作って応援してくれたのだそうです。
また、コラム記事では、旦那の山本拓さんの料理スキルについて「冷蔵庫の残り物だけで数品の料理を作ってしまう」と絶賛されていました。
高市早苗と元旦那・山本拓の離婚理由
政界でもオシドリ夫婦として知られていた高市早苗さんと元旦那の山本拓さんでしたが、2017年7月19日に協議離婚した事が発表されました。
高市早苗さんと山本拓さんは連名でコメントを発表し、離婚理由について「政治的な立場の違い」だと説明されていました。
「平成16年(04年)に結婚しましてから、私生活面では円満に楽しく過ごしてきた」とした上で、「互いの政治的スタンスの違いが大きく」と、政治的な立場の違いが原因と説明。「それぞれに信念を貫いて政策活動に没頭したいという結論に至った」という。
高市早苗さんが語ったところによると、離婚を切り出したのは山本拓さんの方からだったようです。
議員宿舎で2人で夕食を食べ、高市早苗さんがアイロンをかけたり洗濯をしたりの家事をしていたところ、テレビを見ていた山本拓さんが突然、不満を話し始めたのだそうです。
それによると、山本拓さんは、自民党内でも高市早苗さんとは別のグループにいて、ある部分では対立している面もあったため、色々と苦しい想いをされていたようです。
主人がテレビを見ている横で、私が洗濯機を回したり、アイロンをかけていたりしたところ、突然、切り出されたんです。“ずっと我慢してきた”って。自民党が都議選に負けた後、党内で色々と意見が飛び交っていた頃合いでしたね。そんなときでも、私が3年近く閣内にいるため、言いたいことも言えなかったようなんです。“勉強会を立ち上げるのも我慢したし、政策を考えても言えなかった”って
こうした事から、2人は離婚した方がお互いにとって良いのではないかと話し合い、離婚を決意されたという事でした。
ただ、離婚後も高市早苗さんと山本拓さんは仲が良いようで、高市早苗さんは福井県を訪れた時には必ず山本家の墓参りをするのだそうです。
一方の山本拓さんも2021年9月の総裁選挙ではいち早く元嫁の高市早苗さん支持を表明したり、政策面で高市早苗さんが別の議員に批判された時には、率先してそれに対する反論に回るなど、政治的に応援していくという気持ちは変わっていないようです。
まとめ
今回は、2021年9月の自民党総裁選で注目された、自民党衆議院議員の高市早苗さんについてまとめてみました。
高市早苗さんは奈良県で生まれ、トヨタ系の自動車メーカー勤務の父と、福井県警職員だった母の間に生まれた生い立ちを持ちます。家族は6歳下の兄弟もいて、共働きの両親に代わってよく面倒を見ていたそうです。
学歴については、地元の公立の小・中学校を経てを経て、県内の名門校「奈良県立畝傍高校」から、国立の「神戸大学経済学部」を卒業されています。
2004年には自民党衆議院議員の山本拓さんと結婚され、政界でも有名なオシドリ夫婦でしたが、2017年に政治的立場の違いを理由に離婚されています。
高市早苗さんと山本拓さんとの間には子供はいませんが、山本拓さんには前の嫁との間に3人の連れ子がいて、高市早苗さんはその3人の子供らと良好な関係を築かれていたようです。
残念ながら総裁選には敗れた高市早苗さんですが、これからも有力政治家として国民のために頑張ってほしいです。