1980年代にやくざ風ファッションで予備校のカリスマ講師として活躍した「金ピカ先生」こと佐藤忠志さんが2019年9月に68歳で亡くなりました。
この記事では、金ピカ先生の経歴やプロフィールから、嫁や子供の詳細、生活保護受給や死去した今現在までをまとめています。
この記事の目次
金ピカ先生・佐藤忠志のプロフィールと経歴
金ピカ先生、やくざ風予備校講師として人気者に
本名: 佐藤 忠志(さとう ただし)
愛称: 金ピカ先生
生年月日: 1951年5月4日
生まれ: 東京都
学歴: 芝浦工業大学附属中学高等学校
書籍: 出世できない英語バカ、 内閣特命部: 日本に手を出すな!、 金色英単語: 大学受験難関突破への1590語
金ピカ先生は芝浦工業大学高等学校卒業後に第一志望の慶應義塾大学を受験しましたが不合格となり、第二志望の立教大学にひとまず入学して仮面浪人として勉強を続け、翌年に慶應義塾大学法学部政治学科に入学を果たしました。
金ピカ先生は在学中に内山秀夫研究会に所属して国際政治学を学び、同大学卒業後は筑波大学大学院修士課程を修了しています。
その後、金ピカ先生は1977年に代々木ゼミナールに講師として就職し、煌びやかなブランド品をみにつけたヤクザ風の恰好と日本刀を持って授業するスタイルで「金ピカ先生」として人気を博し、ベストセラーの参考書を多数執筆した他、旺文社大学受験ラジオの講座なども務めていました。
1988年に東進ハイスクールに移籍した金ピカ先生は、バラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に出演するなどタレント活動をする一方で、Vシネマやドラマなどにやくざ役として俳優活動もしていました。
1992年に予備校講師を引退した金ピカ先生は、タレント活動や評論活動をしながら、2001年に第19回参議院議員通常選挙に自由民主党公認にて比例区から出馬したが落選しました。
金ピカ先生は、2017年頃からは完全に隠居生活の身となっています。
金ピカ先生、予備校講師時代の年収は2億円だった
予備校講師時代の年収は2億円だった
金ピカ先生は、1986年に『ズバリ!合格の英単語』、1987年に『ズバリ!合格の英熟語』、『ズバリ!合格の英文解釈』などベストセラーの大学入試参考書を刊行しており、その印税は年間1000万円だったと語っています。
講義料も破格であり、金ピカ先生は予備校講師時代の年収が2億円だったことを明かしています。
当時の年収は。
「2億。他に参考書の印税だけで1000万。(講義料は)90分で200万。それが何コマもあるから、1か月で1000万超えましたよ。2000万近かったんじゃないですか。(昭和)30年代の(石原)裕次郎さん、三船(敏郎)さんクラス(のギャラ)です。三船さんも随分と可愛がってくれましたよ」
当時の代ゼミ人気のなかでも金ピカ先生の存在はズバ抜けていた。講座を取るために徹夜の行列が出来たほどだった。
「でしょ。だって、500人(の講座)が2時間(で締め切り)でしたもん。私は人気講師だったから」
金ピカ先生は予備校講師の年収額としては歴代最高だったことでしょう。後にも先にも金ピカ先生ほど伝説を残した予備校講師はいないかもしれません。
金ピカ先生、予備校講師時代の伝説
愛車、刀の収集にお金をかけた金ピカ先生
金ピカ先生の予備校講師時代の伝説は、他の講師ではありえないようなエピソードに溢れていますので一部をご紹介します。
前述で、金ピカ先生の講座は2時間で500人の予約が埋まってしまうとご紹介しましたが、中には徹夜をして並ぶ生徒もいて、予備校周辺で焚火をしたり、近隣住民にトイレを借りるなど苦情が出ることもあったそうです。
金ピカ先生の名物授業が教壇で日本刀をかざすパフォーマンスで、正月の講演の時に日本刀で竹を両断して大歓声を浴びたこともありました。
パフォーマンスだけではなく金ピカ先生の授業は結果を出すことでも知られ、英語の偏差値が34と最低ランクだった生徒を慶応義塾大学に合格させました。
ヤクザ風の恰好でも結果を出す人気講師の金ピカ先生には代々木ゼミナールも特別待遇であり、横浜校の駐車場には愛車の大型車・リンカーンが停まれるスペースを用意されていました。
2億円という年収を稼いでいた金ピカ先生は、スイスに2000万円の高級腕時計を買いに行った際に、ホテルを用意される特別待遇を受けた話もしています。
当時の金ピカ先生の時給当たりのギャラは石原裕次郎さんや三船敏郎さんと同ランクだったようで、三船敏郎さんには可愛がって貰った他、巨人の終身名誉監督である長嶋茂雄さんとも交流がありました。
金ピカ先生・佐藤忠志の結婚した嫁と子供について
金ピカ先生、嫁に逃げられていた
金ピカ先生は嫁に逃げられてしまった
2018年7月5日に報じられたニュースメディア「スポーツ報知」で、金ピカ先生のインタビュー記事が紹介されていました。
離婚はしていない、という。
「女房のやつがね。私が暴力ふるったとウソの110番して、警官が6人きて、11日間、留置されましたよ。戻ってきたらいなかったんです。犬連れて。まあ、ほっぽっときますけどね。もう女房に未練ないし」
そう言いつつも、室内には著名人との写真の他に、若かりし頃の愛妻とのテニスコートでの記念写真などがまだ飾られていた。
嫁について悪態をつく金ピカ先生ですが、それでも2009年頃に脳梗塞で倒れた時には嫁から心配されてお酒を辞めるように言われ、食事にも気を付けるなど愛情はあったようです。
金ピカ先生、家出した嫁とは離婚調停中だった
金ピカ先生の嫁は積もり積もった不満が爆発して出て行った
2016年頃から嫁は出て行ったきり一度も戻ってきていないようですが、離婚調停中だったことも判明しています。
金ピカ先生が最後の愛車として購入した1億円するCMC社のティファニークラシックを巡り、嫁とひと悶着あった上に逃げられてしまったそうですが、これは一因であり他にも喧嘩の要因があったことを明かしています。
「1億。めったにないですよ。日本で1台しかない車ですから。米国で1億3000万って言っていたのに、目の前で1億積んだらOKというのでね」
ちょうどその時期の自身のフェイスブックに「糞ばばに入院中に解約された。私の趣味は日本刀と車。(中略)もう私には趣味は無い。生きる甲斐、目標が無い。(中略)自殺では妻の世間体が悪い」などと記し、その後、更新をストップ。安否を心配する書き込みなどは放置されたまま。妻をのろけることもあったブログもやめてしまっている。
金ピカ先生に子供はいない?
インタビューでは子供に触れられていない
金ピカ先生に子供がいれば、当然インタビューで子供の現在の様子や、交流はあるかなど質問すると思いますが、一切子供については触れられていなかったため子供はいないのかもしれません。
金ピカ先生は愛車が息子のようだと語っていることからも、子供を持つことには興味が無かったのかもしれません。
「リンカーン・コンチネンタル、キャデラックのフルサイズ、ベンツのオープンカー、ロールスのターボに乗ってきました。今のティファニーは私にとって息子のようなものです」
嫁が愛犬を連れて出て行ったということからも、金ピカ先生は愛犬を子供代わりに可愛がっていたのかもしれません。
金ピカ先生・佐藤忠志の転落~年収2億円から生活保護受給者になっていた
金ピカ先生、予備校講師引退後は客員教授や俳優をしていた
大学教授、タレント時代の年収は5千万円くらい
2005年10月に週刊誌「週刊現代」にて金ピカ先生のインタビュー記事が報じられ、予備校講師を引退した後の生活について語られていました。
「予備校の講師時代は年収2億円稼いだこともありました。それに比べると、今はその3分の1、いや4分の1かな」
「(拓殖大学での)客員教授としては年に数回、『世界の中の日本』というテーマなどで講義をする程度、大学へ頻繁に足を運ぶわけではありません」
「今もアクターズプロモーションという芸能プロダクションに所属し、俳優も続けています。ただ、くるのはヤクザの役ばかりで、この間も事務所が断ったらしくて……。ホームドラマでモノ分かりのいい親父役なんか、きませんかね」
金ピカ先生は大の酒好きのため、2009年頃から脳梗塞を2回に加えて心筋梗塞も起こしているようで、体が次第に仕事について行かなくなったためか、入院するようになったようです。
そして、ティファニークラシックの購入をめぐって嫁が家を出て行ったため、2017年頃から金ピカ先生は引きこもっていつ死んでもいいような自堕落な一人暮らしをしていることを明かしています。
金ピカ先生、2017年頃から引きこもり状態に
朝昼晩とビールを飲む生活を続けている
前述の「スポーツ報知」のインタビューで、金ピカ先生はいつ死んでもいいというスタンスで朝昼晩ビールを飲む生活を続けており、社会に対して興味が完全に失せてしまっていました。
「最近ですか? 隠居です。朝からビール飲んでますよ。朝昼晩。飲みたいもの飲んで。いつ死んでもいいんですから。だって、やりたいこともないし、やることもないんだから。生きる屍(しかばね)ですよ。人生、大満足しているから、いいんです。未練ないです。引きこもり生活? そうですよ。政治? まったくです。関心ないです。そんな元気ないです」
この頃は働いていた時に稼いだ貯金がかなりあったとみられますが、金ピカ先生の浪費癖は凄まじかったようで、2019年の取材では完全に破綻してお金が尽き、生活保護に陥っていました。
金ピカ先生、生活保護で激ヤセしていた【激やせ画像あり】
衝撃的な金ピカ先生の晩年の姿
2019年9月の週刊誌「週刊現代」のインタビューでは、金ピカ先生は生活保護を受けながらもお酒を毎日あおる生活をしているようで、ワンカップ片手に「早く死にたい」と呟いていたことが紹介されていました。
先週の『週刊現代』、金ピカ先生こと佐藤忠志先生の現在の姿が衝撃的すぎました。無収入で生活保護受給中で、電気代も払えないから真っ暗な部屋で、激痩せした佐藤忠志先生が上半身裸でカップ焼酎片手に、虚ろな目をしながら「早く死にたい」と…。 pic.twitter.com/qYDTh1M5Vv
— 吉田光雄 (@WORLDJAPAN) September 11, 2019
毎日飲み続ける自堕落な生活をして病気になっていないのが奇跡ですが、自殺という選択をできない金ピカ先生はただただ死ぬ瞬間を待ちながら日々を過ごしていたようです。
金ピカ先生・佐藤忠志の今現在~2019年9月に68歳で死去
金ピカ先生、自宅で孤独死していた
“世捨て人”のような生活をしていた金ピカ先生ですが、2019年9月24日に自宅で孤独死していたところを発見されました。
予備校のカリスマ英語講師で、「金ピカ先生」の愛称でタレント活動もしていた佐藤忠志(さとう・ただし)さんが、都内の自宅で死去していたことが24日、分かった。68歳だった。
佐藤さんは生活保護を受け、独り暮らしだったが、関係者によると、デイケアセンターの職員がこの日、自宅を訪問したところ、冷たくなっている佐藤さんを発見したという。死因は不明。司法解剖が行われる。
華やかな生活から一転、生活保護受給者になっていた金ピカ先生。最期は誰にも看取られることなく死因も不明のようです。ご冥福をお祈りいたします。
金ピカ先生・佐藤忠志について総まとめすると…
・金ピカ先生は嫁との間に子供はおらず、晩年は嫁が愛想をつかし家出してしている
・金ピカ先生は晩年、生活保護を受給しながら酒を浴びるように飲む生活をしていた
・金ピカ先生は2019年9月24日、自宅で亡くなっているところを発見された
林修さんのような塾講師タレントの走りとして一世を風靡した金ピカ先生についてご紹介してきました。
華やかな生活から転落し、最期は自宅で冷たくなっているところを発見された金ピカ先生。なんとも寂しい最期となっていまいました。