渋谷を中心に1994年頃まで活動したチーマーグループ「宇田川警備隊」の三代目総長・高山尚基さんが話題です。
この記事では謎に包まれている高山尚基さんのプロフィールや伝説や噂、死んだ理由や死因、当時の高山尚基さんを知る人物のYouTube出演などについてまとめました。
この記事の目次
高山尚基は宇田川警備隊三代目総長で当時のカリスマ的不良
高山尚基さんは渋谷区を中心に1987年から1994年頃までにかけて東京都新宿を中心に活動していたチーマーグループ「宇田川警備隊」の三代目総長として知られている人物です。
上の画像の前列中央の帽子にサングラス、革ジャンの人物が宇田川警備隊三代目総長の高山直樹さんです。ちなみにこの画像を正面から見て高山尚基さんの右側前列のオールバック革ジャンサングラス姿の人物は通称「カメ」で知られる、宇田川警備隊の初代総長だという事です。この方の本名は「宇田川克○」でこれが宇田川警備隊の名前の由来だという説もあります。
宇田川警備隊はこの「カメ(宇田川克○)」という人物によって1987年に結成されました。当初は8人くらいの地元の不良が集まった小さなグループだったそうです。この初代宇田川警備隊には、俳優の東幹久さんが芸能界に入る前に所属していたという噂もありますが真偽は不明です。
その後、宇田川警備隊は通称「チャイ」という人物が二代目総長となっています。この頃に高山尚基さんは渋谷で名前を知られるようになり、好戦的な性格の武闘派として恐れられる存在になっていきました。
1989年に高山尚基さんが宇田川警備隊の三代目総長に就任すると、その人柄を慕う不良らが集まるようになり、メンバーは一気に50名くらいまでに増えたという事です。
当時の東京はチーマー全盛期で「AMG」、「バブルス」、「ジャンキー」、「イラクション」といった不良グループが乱立していましたが、そんな中でも高山尚基さん率いる宇田川警備隊は頭角を現し、他のチームに所属する不良達からも一目置かれるようになり、渋谷の不良のカリスマ的存在になっていきました。
渋谷センター街のチーマーグループのリーダーとして知名度を上げるにつれ、高山尚基さんは当時のアウトロー雑誌の取材やテレビ局からの取材も殺到し、全国的に有名なアウトローになっていきます。
名前を上げるにつれて敵も増え、当時は他のチームとの抗争も絶えなかったようです。
世田谷公園や六本木で大きな抗争を起こし、これは社会問題にもなりましたが、高山尚基さんはその類まれな統率力とカリスマ性でそうしたトラブルを解決し、後輩から相談を受ければ自ら前に出て揉め事を次々と解決していったそうです。
そうした面倒見の良い総長だった事から、高山尚基さんは周囲から絶大な信頼を集め、そんな高山尚基さんのために身体を張る不良は数多くいました。
高山尚基さんが率いていた頃の宇田川警備隊は当時から渋谷で一番のチームの呼び声も高く、彼が率いていた1989年から1991年頃までが宇田川警備隊が最も輝いていた時期だという声が、現在も多くあるようです。
高山尚基さんは21歳だった1991年に宇田川警備隊三代目総長を引退し、四代目の船田という人物にチームを譲っています。
なお、高山尚基さんは宇田川警備隊の総長を退いた1991年に、その年に公開された映画「代打教師 秋葉、真剣です!」に出演されています。
画像が小さく少し見づらいですが、列の一番上の右側の革ジャンの背中を見せているオールバックサングラスの男性が高山尚基さんです。ちなみにこの映画には当時の関東連合のメンバーも何人も出演しています。
この映画には当時の関東連合のリーダー格だった川奈毅さんも出演しているのですが、実はこの川奈毅は高山尚基とは兄弟分で、川奈毅がその後トラブルを起こして危機に陥ったときに手助けしたのが高山尚基だという噂もあるようです。これについては真偽は不明です。
この映画出演で、圧倒的なカリスマ性を持つ高山尚基さんの俳優としての活躍にも期待が高まりましたが、本人にその気はなく、俳優としての出演はこれが最後となりました。
高山尚基のその他の伝説や噂
出典:https://image.middle-edge.jp/
高山尚基さんについては、インターネット上でその他にも様々な伝説や噂などが囁かれているので、信憑性については微妙なものも含めて紹介します。
高山尚基さんは、宇田川警備隊の三代目総長として知られていますが、地元葛飾区などの下町の不良少年らを中心に結成された超武闘派としてその名を轟かせていた伝説の暴走族「極悪」の最後の総長も兼ねていたという噂があります。
高山尚基さんが総長を務めた時代に宇田川警備隊が急激に勢力を拡大させたのは、この下町の暴走族だったメンバーがこぞって参加したためだったとも言われているようです。
また、高山尚基さんは元々ジャニーズ事務所に所属していたという噂もあるようです。真偽は不明ですが、チーマーとして活動していた頃にもメディアにも多数出演していることや、引退後に映画「代打教師」に出演した事などから出てきた噂かもしれません。
こうした伝説の真偽は不明ですが、こうした伝説的な噂を否定する声や、高山尚基さんを批判する声などはほとんど見られないので、当時の不良から高山尚基さんがかなり慕われていたのは間違いないようです。
高山尚基の死んだ理由や具体的な死因は?
チーマーグループ「宇田川警備隊」の三代目総長で、渋谷の伝説的な不良として語り継がれている高山尚基さんですが、現在はすでに亡くなっているとも言われています。
高山尚基さんの死んだ理由や具体的な死因にも興味が集まっていますが、そうした情報はインターネット上には出ておらず、関係者も口をつぐんでいます。
2006年頃にネットの匿名掲示板に「宇田川警備隊の三代目高山尚基ってなんで死んだの?」という質問が書き込まれましたが、これに対しては「生きるのがつらかったからだよ」とのレスがついています。
806 :名無番長:2006/06/22(木) 12:15:15宇田川警備隊の三代目高山尚基ってなんで死んだの?
807 :名無番長:2006/06/22(木) 13:05:07生きるのがつらかったからだよ
匿名掲示板での書き込みなので信憑性はかなり低いですが、この書き込みから高山尚基の死因は自殺で、死んだ理由は何か重大なトラブルが関係しているとの噂もあるようですが、あくまでもインターネット上の噂に過ぎません。
高山尚基の当時を知る50歳の男性が小山恵吾のYouTubeチャンネルに電凸
宇田川警備隊の六代目総長で、関東連合や太田連合、怒羅権でもリーダー格で喧嘩無敗だったと言われる伝説的アウトローの小山恵吾さんがYouTubeチャンネルを開設して注目を集めていますが、その小山恵吾さんのYouTubeチャンネルに、高山尚基さんの当時を知るという葛飾区立石の50歳のヒロという男性が、電話凸してきた事が話題になりました。
当時の高山尚基さんを知っているという50歳男性・立石のヒロさんの登場シーンは下の動画の「41:20」頃からです。
このヒロさんによれば、当時の高山尚基さんは、東京都渋谷区だけでなく、地元である葛飾区の堀切や亀有、江戸川区などを締めて活動していたそうです。渋谷に行く時は集団ではなく5、6人だったそうで、渋谷に行けば喧嘩に明け暮れており、少しでも気に食わない事があればブチ切れて暴れ、当時のチーマーらにはかなり恐れられていたといった内容を話されています。
このヒロという男性は当時高山尚基さんに誘われて渋谷区にもよく行っていたという事なので、実際に当時の記憶を辿って話されているという事で信憑性があるという声もあるようです。ただ一方で、口ばっかだからあんまり信用できないという声もライブ時のチャットではかなり寄せられていました。
このヒロさんにはまた再登場して謎に包まれた高山尚基さんの当時の様子について語ってもらいたいと思います。
まとめ
今回は、東京渋谷の伝説的なチーマーグループ「宇田川警備隊」の三代目総長として知られる伝説的アウトロー・高山尚基さんについてまとめてみました。
高山尚基さんは1987年から1994年頃まで渋谷を中心に活動した宇田川警備隊の三代目総長を務めましたが、彼が総長を務めた1989年から1991年頃までの宇田川警備隊が最も勢いがあり輝いていた時代だったという声も多いです。
高山尚基さんは既に亡くなっているという噂もあるのですが、死んだ理由や具体的な死因などの情報はなく真偽は不明です。
高山尚基さんについては伝説や噂は数多く残されているのですが、実際のところはあまりわかっておらず謎に包まれています。
そんな中で、2021年6月24日に放送された宇田川警備隊六代目総長として知られる小山恵吾さんのYouTubeチャンネルのライブ配信中に、当時の高山尚基さんを知るという50歳のヒロさんという男性が電話凸をして話題になっています。
高山尚基さんについてのリアルタイムな情報を知る人は今となっては数少ないと思うので、このヒロさんがまた、小山恵吾さんのチャンネルに出演して当時の高山尚基さんについて語ってくれる事にも期待したいところです。