元読売巨人のスター選手だった中畑清さんは、横浜DeNAベイスターズの監督も務めました。
今回は中畑清さんの経歴、成績や年俸、若い頃の絶好調男エピソード、結婚した嫁や子供(息子/娘)、自宅やコロナ感染など現在を紹介します。
この記事の目次
中畑清は元プロ野球選手&元ベイスターズ監督
中畑清
生年月日:1954年1月6日
出身:福島県西白河郡矢吹町
身長:183cm
体重:80kg
ポジション:内野手(一塁・三塁)
投打:右投右打
活動:元プロ野球選手・元野球指導者・野球解説者
中畑清さんは現役時代は読売ジャイアンツで活躍し、横浜DeNAベイスターズの初代監督を務めた元プロ野球選手です。
その明るいキャラクターとチャンスに強いバッティングでファンから愛され、「絶好調男」や「お祭り男」と呼ばれました。
チームのムードメーカーとして、1980年代の巨人の中心選手として活躍した選手です。
中畑清の経歴まとめ
プロ入り前まで
中畑清さんは福島県西白河郡矢吹町で生まれます。貧しい幼少期を送りますが、父親が牧畜業で成功し、野球に打ち込むことができました。
安積商業高校を卒業後は、駒澤大学に進学し、「駒澤三羽ガラス(駒大トリオ)」の1人としてプロから注目される選手になり、1975年のドラフト会議では巨人から3位指名されています。
中畑さんは北海道拓殖銀行の内定をもらっていましたが、当時の巨人の監督だった長嶋監督の後押しもあり、巨人への入団を決めました。
この時、中畑さんは駒澤三羽ガラスと呼ばれたほかの2人も一緒なら入団するという条件を突きつけ、それを巨人側も了承しています。
入団時の契約金は2000万円でしたが、このうち300万円は自分の結婚資金として残し、残りの1700万円は、父親の借金返済に充てています。
読売ジャイアンツ時代
1976年にドラフト3位で巨人に入団した中畑清さんですが、当時は王貞治、張本勲、土井正三、高田繁などのスター選手がいて一軍の層が厚く、一軍レギュラーにはなれませんでした。
しかし、1979年から一軍に定着するようになり、レギュラーを獲得します。ただ、1979年の巨人はリーグ5位という結果に終わりました。
そのオフには、現在でも「地獄の伊東キャンプ」と伝説になるほど厳しいキャンプに参加し、自分自身を鍛えぬきました。
1981年シーズン途中からは、一塁にコンバートされますが、ずっとスター選手としてレギュラーで活躍します。
1984年にはオールスターで2打席連続のホームランを放つなど、お祭り男と呼ばれるようにもなりました。
1985年には日本プロ野球選手会の初代選手会長に就任しています。
1989年は一塁に駒田選手が定着したこともあり、代打・控えに回ることになり、シーズン終盤に現役引退を表明しました。
現役最後の試合となった日本シリーズ第7戦では、ホームランを放っています。現役最後にホームランを放つところは、「さすが中畑清!さすが絶好調男!」ですよね。
現役引退後
現役引退後の中畑清さんは野球解説者を経て、1993年からは巨人の一軍打撃コーチに就任し、ルーキーの松井秀喜をしっかり育成しています。
その後は再び野球解説者に戻りましたが、2004年にはアテネオリンピックのヘッドコーチ兼打撃コーチに就任します。
しかし、オリンピック直前に監督の長嶋茂雄氏が脳梗塞で倒れ、指揮を取れなくなったことから、監督代行として指揮を執り、銅メダルに輝いています。
2010年には参議院議員選挙に比例代表で「たちあがれ日本」から立候補しましたが、落選しました。
横浜DeNA監督時代
2012年シーズンからは、横浜DeNAベイスターズの監督に就任しました。
それまでの横浜は暗黒時代であり、2006年から6年連続でBクラス。その中でDeNAが横浜ベイスターズを買収し、「横浜DeNAベイスターズ」が誕生、中畑清さんが監督に就任しています。
中畑さんは選手の意識改革から取り組み、2015年には前半戦終了時は貯金11で一時首位に立ちましたが、後半に大きく失速し、最下位でシーズン終了。
その責任を取って、中畑監督は退任しています。
3年間ずっとAクラスになることはできなかったものの、中畑監督はチームの土台作りをしたとして、その手腕は一定の評価を得ています。
横浜DeNAベイスターズからは、「中畑監督が土台を作って種をまき、ラミレス監督が開花させた」とも言われています。
退任後は、再び野球解説者に復帰しています。
中畑清の現役時代の成績まとめ
出典:zakzak.co.jp
中畑清さんの現役時代の一軍成績を見ていきましょう。
試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 安打数 | OPS | |
1977年 | 7 | .400 | 0 | 0 | 2 | .800 |
1978年 | 5 | .333 | 0 | 1 | 1 | .667 |
1979年 | 100 | .294 | 12 | 45 | 98 | .787 |
1980年 | 124 | .268 | 22 | 57 | 123 | .768 |
1981年 | 109 | .322 | 16 | 66 | 134 | .864 |
1982年 | 124 | .267 | 25 | 78 | 125 | .822 |
1983年 | 114 | .300 | 15 | 68 | 125 | .800 |
1984年 | 130 | .294 | 31 | 83 | 145 | .911 |
1985年 | 125 | .294 | 18 | 62 | 144 | .812 |
1986年 | 127 | .273 | 14 | 69 | 122 | .754 |
1987年 | 110 | .321 | 6 | 40 | 119 | .804 |
1988年 | 124 | .295 | 10 | 46 | 131 | .790 |
1989年 | 49 | .221 | 2 | 6 | 25 | .629 |
通算 | 1248 | .290 | 171 | 621 | 1294 | .808 |
1979年にレギュラーを掴んでから、1988年までの10年間は安定した成績を残しているのが分かります。
中畑さんはゴールデングラブ賞を7回受賞したことがありますし、日本シリーズ優秀選手賞も受賞しています。
でも、個人タイトルは獲得していないんです。これだけのスター選手でも、個人タイトルを獲れなかったというのは、ちょっと意外ですよね。
中畑清の年俸推移
中畑清さんの年俸推移を見ていきましょう。
1976年から1982年はデータがありませんでしたので、1983年からの年俸を見ていきます。
・1984年:3300万円
・1985年:4200万円
・1986年:3750万円
・1987年:3750万円
・1988年:5300万円
・1989年:5200万円
1983年からのデータになりますが、中畑清さんの選手としての年俸総額は2億7900万円になります。
ドラフト入団時の契約金は2000万円ですから、選手として中畑さんが稼いだ金額は総額2億9900万円です。
また、2012年からの中畑清さんの監督としての年俸も見ていきましょう。
・2013年:1億円
・2014年:1億円
・2015年:1億円
監督としては、年俸1億円ですので、総額は4億円です。選手時代+監督時代の年俸を合計すると、6億9900万円になります。
選手時代よりも監督になってからの方が年俸が高いのは時代の違いがあるため、仕方がないと言えるでしょう。
中畑清が若い頃に絶好調男と呼ばれた理由
中畑清さんは若い頃は「絶好調男」と呼ばれていました。
これは、中畑さんが若手の頃に長嶋監督に「調子はどうだ?」と聞かれて、「まあまあです」と答えたことがきっかけです。
「まあまあです」と答えたのを聞いたコーチが「まあまあと答える選手なんて起用したくないから、いつも絶好調と答えろ」とアドバイスしたんです。
それから、中畑清さんはいつでも「絶好調!」、「絶好調です!」と答えるようになりました。
また、若手の頃から明るくムードメーカー的な存在で、その明るいキャラクターと「絶好調」というワードが見事にマッチして、「絶好調男」というニックネームが定着したのでしょう。
そして、若い頃は中畑さんはイケメンとは言い難いですが、女性に人気もあったんです。
同時期に活躍した原辰徳さんのような爽やかさはありませんが、「The 昭和の男!」というルックスと熱血な性格、さらに勝負強いバッティングと明るく愉快なキャラクターが人気でした。
そのため、個人タイトルを獲ることはありませんでしたが、若い頃から人気選手であり、巨人のスター選手になったのです。
中畑清が結婚した嫁は中畑仁美
中畑清さんが結婚した女性を見ていきましょう。中畑清さんが結婚した女性は仁美さんです。
中畑清は23歳で結婚
中畑清さんが結婚した女性は、中畑仁美さんです。
中畑清さんと仁美さんはプロ入り前の学生時代に知り合っています。
中畑清さんが駒澤大学の4年生だった時、合宿所の近くの青果店でアルバイトしていた仁美さんを見た中畑さんが一目ぼれをしたそうです。そして、そこから交際が始まりました。
プロポーズしたのは、ドラフト会議で指名された直後のことです。中畑さんは北海道拓殖銀行への内定をもらっていたので、「北海道に行ってくれるか?」とプロポーズしたそうです。
ドラフト指名が1位ではなく3位であり、「硬い職業(銀行)のほうがプロポーズを受けてもらえる」と思って、「北海道に行ってくれるか?」というプロポーズになったのかもしれません。
その後、結局は中畑さんは巨人に入団することになるのですが、仁美さんは大学野球界のスター選手と交際していたにも関わらず、野球を全く知らず、巨人という球団すら知らなかったそう。
そして、お互いが23歳の時の1976年シーズンオフに2人は結婚しました。
中畑さんは、野球を全く知らない仁美さんだからこそ一緒にいて安らぎを覚えたのかもしれませんね。
実際に中畑清さんは東スポのYoutubeチャンネルの中で、次のように語っています。
本当に野球音痴みたいな家族だから助かったよ。良い意味でね。
中畑清の嫁は子宮頸がんで他界
中畑清さんの嫁である中畑仁美さんは、2012年12月に子宮頸がんで他界しました。
2012年2月下旬に悪性腫瘍が見つかり、入退院を繰り返しながら治療をしていましたが、転移が見つかり、帰らぬ人となっています。
仁美さんは中畑さんを支え続け、2012年シーズンから中畑さんがベイスターズの監督になってからは、自分は治療を受けつつも、中畑さんが監督に集中できるように気遣っていたそう。
「俺が踏ん張って、お母ちゃんに2度ぼれしてもらえるように頑張ろうと思う。俺の人生の監督だった」
中畑清さんは愛妻家で知られていました。
告別式には長嶋茂雄氏や星野仙一氏など野球関係者1,800人が参列しました。
この告別式に参列した方々を見ると、中畑清さんとその嫁の中畑仁美さんはたくさんの人から慕われるご夫婦だったことが分かります。
中畑清と嫁の子供は2人 【息子はホルモン屋を経営】
中畑清さんと中畑仁美さんの間には、子供が2人います。
子供は2人
出典:twitter.com
中畑清さんには子供が2人います。
・長女:恵さん
長男の淳さんは2021年時点で44歳、長女の恵さんは40歳になります。
息子はホルモン家族経営
出典:hotpepper.jp
長男の淳さんは、調布市千川で「ホルモン家族」という焼肉・ホルモン屋さんを経営しています。
昨日は父だったり息子だったりホルモン屋の店長だったり。。。 pic.twitter.com/npocn9gWyG
— じゅん (@jun0034BBF) June 22, 2020
https://twitter.com/hmk0034/status/1317110657058107395
この「ホルモン家族」では、長女の恵さんも働いていたことがあったようです。しかも、このホルモン家族はかなり評判が良いんです。
俳優の宅麻伸さんは、インタビューで次のように絶賛していました。
そうしたら、30年来の親友、中畑清さん(元プロ野球選手)の息子さんが店を出したという。行ってみたらこれがおいしくてね。以来、行きつけです。
宅麻伸さん以外にも元・稀勢の里関や千葉真一さんなど著名人も多く訪れる店のようです。もちろん、中畑清さんも訪れているようです。
中畑清の自宅は調布
出典:twitter.com
中畑清さんの自宅は、調布市内にある一戸建ての豪邸で、40年近くそこに住んでいるため、調布市千川周辺では中畑清さんがよく目撃されています。
地元で中畑清が普通にジャージでチャリ乗ってた笑 さすが調布市民。
— T-Koi (@tkoichan) November 18, 2012
調布の銭湯に中畑清おった
— 社畜くん (@pusocure) December 15, 2014
また、チャリティーゴルフコンペを開催して、集まった基金を調布市の福祉に寄付するなど地域に貢献しているため、調布市から「調布市宣伝本部長」を依頼されました。
調布市千川周辺では、中畑清さんの自宅は有名なようです。
中畑清は新型コロナに感染するも回復
出典:column.sp.baseball.findfriends.jp
中畑清さんは2021年3月22日にPCR検査を受けたところ、新型コロナウイルス陽性判定となり、医療機関に入院したことが発表されました。
息子さんの淳さんも、父親の中畑清さんの新型コロナ感染をTwitterで報告しています。
https://twitter.com/jun0034BBF/status/1374562147473129473
中畑清さんは3月19日、巨人時代の同僚・槇原寛己さんと一緒にイベントに参加しました。
イベント後に槇原さんの近親者が新型コロナウイルスに感染したことが分かったため、20日に槇原さんもPCR検査を受けたところ、感染が判明しています。
そして、中畑さんは槇原さんの濃厚接触者になり、PCR検査をしたら陽性だったということです。
3月23日に入院しましたが、軽症と報道されていました。そして4月3日に退院、自宅療養になっています。
https://twitter.com/jun0034BBF/status/1378233696621260801
中畑清さんはこの新型コロナウイルス感染の経験を生かして、新型コロナウイルスに関する対談を東京都の小池百合子知事と行っています。
娘さんの恵さんが出産直後で同居していましたが、娘さんや孫は感染していなかったことが本当に救いだったと話していました。
中畑清の現在
出典:okmusic.jp
中畑清さんは現在、67歳です。
横浜DeNAベイスターズの監督を辞めてからは、ずっと野球解説者として活動していて、ユニフォームを着ることはありませんでした。
でも、横浜DeNAベイスターズ時代の「モチベーター」としての中畑さんを見ると、監督・コーチに向いているような気がします。
年齢的には、現場に戻ることはまだ可能かと思いますので、ファンとしては中畑さんのユニフォーム姿をまた見たいですよね。
ただ、横浜の監督時代は、精神的なストレスが大きかったのか、かなり老け込んでいたので、それを考えると、「絶好調男」でいるためには現場復帰しない方が良いのかもしれません。
2019年には、読売巨人軍OB会の会長に就任しています。
中畑清のまとめ
中畑清さんのプロフィールや経歴、成績や年俸の推移、若い頃の「絶好調男」エピソード、嫁や子供、息子のホルモン屋、調布の自宅と新型コロナウイルスへの感染・現在をまとめました。
絶好調男こと中畑清さん。今度は、戦力がある程度揃っているチームで監督をしているところを見てみたいですね。