日本の有名アウトローである瓜田純士さんですが、グレてしまった原因は、複雑な家庭環境にあったようですね。
この記事では、瓜田純士さんの生い立ちや経歴、父親や嫁と子供など家族、関東連合や石本太一さんとの関係、そして現在の様子や弱い説など総まとめしました。
この記事の目次
- 瓜田純士のプロフィール
- 瓜田純士の生い立ち…中学時代から関東連合幹部たちと知り合いに
- 瓜田純士の中学卒業後の進路は暴力団…18歳で若頭補佐にまで出世
- 瓜田純士はガチンコファイトクラブ出演者をボコボコにシメていた
- 瓜田純士が覚醒剤取締法違反で逮捕…3年半の服役後に堅気に戻る
- 瓜田純士の左手の小指がない理由とは?
- 瓜田純一の家族(嫁・子供)情報…元アイドル・清久レイアの母と再婚
- 瓜田純士が2008年3月に格闘家デビューするも弱いと酷評の嵐に
- 瓜田純士が作家に転身して自伝「ドブネズミのバラード」が映画化
- 瓜田純士は関東連合・石元太一とトラブルになり追い込みをかけられた
- 瓜田純士が2012年3月にJOYの姉・ソフィアを脅して逮捕
- 瓜田純士が2013年10月にファミレス駐車場で刺された
- 瓜田純士は2015年秋ごろからパニック障害になっていた
- 瓜田純士の現在①YouTuber「瓜田夫婦」としてブレーク
- 瓜田純士の現在②格闘家としてブレイキングダウンなどで活躍
- 瓜田純士について総まとめをすると…
瓜田純士のプロフィール
名前:瓜田純士(うりた じゅんし)
生年月日:1979年12月4日
出身地:東京都新宿区歌舞伎町
ニックネーム:アウトローのカリスマ
身長:182cm
瓜田純士、実家は花屋で父親はブラックエンペラーの2代目総長
瓜田純士さんは、1979年12月4日に、新宿歌舞伎町で花屋を営む瓜田家の次男として生まれています。
瓜田さんの両親に関しては、父親の吉寿さんは伝説の暴走族「ブラックエンペラー」の創設者の1人であり、2代目総長まで務めた大物すぎる不良だったようですね。
瓜田さんの母親も特攻服を身にまとう、当時レディースと呼ばれていた不良少女だった時期があったようで、瓜田さんの両親は良くあるヤンキーカップルでした。
とはいえ、ヤンキーカップルが必ずしも仲良し夫婦になるわけではなかったようで、瓜田さんが生まれる以前から吉寿さんが家に帰って来ない日が続くなど、結婚早々に夫婦関係は破綻状態に陥っていました。
両親が離婚という選択肢を選んだため、母親側に引き取られた瓜田さんは、母子家庭で育つことになりました。
瓜田純士の生い立ち…中学時代から関東連合幹部たちと知り合いに
瓜田純士は幼稚園の頃から問題児だった
母子家庭で育つことになった瓜田純士さんですが、経済的な面に関すれば、実家の花屋を母親と祖母の2人で切り盛りしていたため、貧しい思いなどはしなくて済んだようですね。
一方で、兄が病弱で入退院を繰り返すなどしていたため、ただですら忙しかった母親が兄の看病にかかりきりになってしまい、瓜田さんは母親からほとんど構ってもらえない幼少期を過ごしています。
母親からの愛を感じられない日々を過ごした瓜田さんは、幼稚園時代には早くも先生を困らせる問題児化していました。
そのまま不良一直線に成長をした瓜田さんは、小学高学年になると、気に入らない同級生を学校のトイレに呼び出しては殴りつけるような少年に育ちました。
瓜田純士、素行が悪すぎて中学校を転校させられる
小学を卒業後は、新宿区立大久保中学校に進学をした瓜田純士さんですが、中学1年にして他校に殴り込みをかけるような武闘派ぶりを発揮してしまったため、周囲の先輩不良たちにすら煙たがられる存在だったようですね。
中学時代の瓜田純士さん(写真右)と松嶋クロスさん(写真左)
あまりに素行が悪すぎたせいで、中学2年からは杉並区立高南中学校に強制転校させられた瓜田さんは、そこで腐れ縁となる1学年上の先輩・松嶋クロス(本名:松嶋重)さんと出会い、一緒につるむようになります。
松嶋さんといえば、後に関東連合の幹部となる大物アウトローでしたが、身長が160センチ前半程度と小柄だったため腕っぷしは強くはなかったようで、不良同士のタイマン勝負は後輩の瓜田さんの担当でした。
今となっては、全身に彫られているタトゥーがトレードマークの瓜田さんですが、タトゥー(和彫り)デビューしたのは、高南中学時代だったと言われております。
瓜田純士、中学時代に関東連合・見立真一と知り合いに
高南中学に転校後は松嶋クロスさんを相棒としていた瓜田純士さんは、後に関東連合の伝説のリーダーとなる見立真一さんのいる杉並区立東田中学に、殴り込みをかけたことまでありました。
とはいえ、この時の2人は、殴り合いの喧嘩をするどころか何故か意気投合してしまい、以降は松嶋さんを含めた3人で毎週のように遊ぶ友人関係へと発展しています。
瓜田さんたちは、近所のゲームセンターでストリートファイター2で遊んだり、瓜田さんの自宅で漫画を読んだりと、年頃の少年らしい遊び方をしていたようですね。
一方で、見立さんの方が1学年上でもあったため、瓜田さんに生意気な態度があると、見立さんから容赦なくシメられたりもしたと言われております。
特に、仲間内でワキガ王子のあだ名をつけていたことがバレた時の制裁は凄まじかったようで、瓜田さんは見立さんにより半日近くもヤキを入れられることになりました。
2人の友情に関しては、2012年の「新宿クラブ襲撃事件」後に見立さんが国外逃亡するまでの間、ずっと交流が途切れなかったようですね。
瓜田純士、中学の修学旅行では出禁を食らっていた
放課後は喧嘩に明け暮れていた瓜田純士さんでしたが、学校の課外授業でもトラブルばかり起こしていたせいで、中学3年時の修学旅行は、教師から出禁扱いをされてしまうことになりました。
高南中学の校長がわざわざ実家まで訪ねてきて、母親に修学旅行に参加させないことを要請するなど、今なら逆に問題になりそうな扱いを受けた瓜田さんですが、学校側の言い分など聞くつもりは微塵もありませんでした。
修学旅行当日に素知らぬ顔でバスに乗り込んできた瓜田さんに対して、物を申せる教師もいなかったため、瓜田さんはそのまま京都や奈良観光を満喫出来たそうですね。
瓜田純士の中学卒業後の進路は暴力団…18歳で若頭補佐にまで出世
瓜田純士、指定暴力団・極東会桜成会長谷川組の構成員となる
中学を卒業後の瓜田純士さんに関しては、高校には進学せずに土建会社に就職しながら不良を続けることになりました。
とはいえ、仲間とつるみながら喧嘩三昧の日々を続けることが楽しかった瓜田さんは、半年ほどで土建会社を辞めてしまったそうですね。
その後の瓜田さんは、16歳の時に、既に東京のアウトロー界でビッグネーム化していた見立真一さんから、暴走族「梅里スペクター」入りを勧められています。
しかしながら、家族を捨てた父親に対して嫌悪感があった瓜田さんは、暴走族だけにはなりたくなかったため「梅里スペクター」入りを断り、最終的には指定暴力団・極東会桜成会長谷川組の構成員となります。
極東会、東京都豊島区西池袋に本部を置く的屋系の指定暴力団。構成員は2017年末の時点で約560人。
引用:極東会
暴力団員としての瓜田さんのシノギの1つは覚せい剤だったようで、10代の頃から薬の売人をするような猛者でした。
瓜田 23歳のときに、覚せい剤取締法違反(所持・使用)で逮捕されました。ナチュラルパワーにこだわるナルシシストの僕は、ずっとおクスリに対するアレルギーがあったから、デビューが遅かったんですよ。17歳で稼業入りしましたが、それから何年も、自分で使用することはなかったんです。「売る」のが仕事だったから、本当は商品の真贋を見極めるために自分でも吸えなきゃいけなかったんですけど、やらなかった。
瓜田純士、18歳で長谷川組の若頭補佐になり「供攻社」を設立
極東会桜成会長谷川組の構成員となった瓜田純士さんですが、18歳の若さで若頭補佐へと出世しています。
若頭補佐といえば、将来の組長候補である若頭予備軍の1人となりますから、暴力団員としての瓜田さんは、周囲からかなり有望視されていたことが分かります。
長谷川組時代の瓜田さんは、バウンサー(用心棒)組織「供攻社」を設立して、クラブなどからみかじめ料を獲得するなど、アイデアマンぶりも発揮していたようですね。
クラブなどの用心棒ということで、やんちゃな客相手に対してはったりが利く見た目が好ましかったため、「供攻社」は日系ブラジル人やアジア系の黒人メンバーが多かったとも言われております。
瓜田純士はガチンコファイトクラブ出演者をボコボコにシメていた
網野泰寛さん
藤野大作さん
暴力団員時代の瓜田純士さんは、人気バラエティ企画「ガチンコファイトクラブ」で有名だった網野泰寛さんや藤野大作さんらをシメたこともあったそうですね。
瓜田さんが網野さんたちをシメた理由に関しては、長谷川組がケツモチをしていたカラオケ店にて、網野さんらが裸で店内に出るなどやんちゃをしすぎたことが原因でした。
カラオケ店から呼び出された瓜田さんは、当初は網野さんたちに注意を促していたそうですが、藤野さんが反抗的な態度を取ったことからブチ切れてしまったそうで、ビール瓶で網野さんらを殴打したと言われております。
一説によると、この時の制裁により肩や腕に怪我を負ってしまった藤野さんは、ボクシングのプロテスト受験を延期する羽目になったそうですね。
瓜田純士が覚醒剤取締法違反で逮捕…3年半の服役後に堅気に戻る
暴力団員として順調に出世をしていた瓜田さんですが、2003年4月に覚せい剤取締法違反(所持・使用)により逮捕されて、刑務所暮らしを経験しています。
本来はアンチ薬物派だった瓜田さんが覚せい剤に手を出してしまった理由については、長谷川組の上役たちからヤキを入れられて怪我をしてしまった際に、痛み止めとして使用してしまったそうです。
ところが23歳のときにチャカ(拳銃)の所持で内偵が入って逮捕状が出て、いろんなところから狙われてグリグリに追い込まれてるときに、上層部から強烈なヤキを入れられまして。骨が折れて、やつれて、痛くて苦しくてどうしようもなかったときに、一緒にバウンサー(用心棒)をやってた外人の仲間が痛み止めにシャブを持ってきて、初めてそれを使ったんです。で、運悪くその直後にチャカで逮捕されて、体に残ってたもんが出ちゃった。
服役中の瓜田さんは、刑務所内の文芸コンクールにて大賞を受賞するなど、今までとは違った充実した日々を過ごしていました。
3年半の懲役刑となる。刑務所に服役していた際、5500人が参加した刑務所内の文芸コンクールにて『mother』と題して発表した小説が大賞を獲得。人生初の「賞状」獲得経験となったこの出来事をきっかけに作家を志すようになったという。
引用:瓜田純士
3年半の服役生活は、瓜田さんの価値観を色々と変えるきっかけとなったようで、2007年2月に出所した瓜田さんは、極道の世界から足を洗い、堅気の世界で生きる一般人となりました。
暴力団員を廃業後の瓜田さんに関しては、当初はPCのデータ入力の仕事をしていたと言われております。
瓜田純士の左手の小指がない理由とは?
出典:https://ojiichan-movie.com/
全身に彫られたタトゥーが印象的な瓜田純士さんですが、実は左手の小指の先がない人物でもあります。
本人はブログなどで自分で指を食いちぎったと主張していますが、錯乱状態にでも陥っていない限りは、自力で指を食いちぎることはかなり困難なように思われます。
もしかすると、暴力団員時代に何らかのミスを犯してしまい、ケジメを取るためにエンコを詰めさせられた経験でもあったのかもしれませんね。
瓜田純一の家族(嫁・子供)情報…元アイドル・清久レイアの母と再婚
瓜田純士、昔は女性をモノ扱いしており3度の離婚歴があった
瓜田純士さんに関しては、これまでに3度の離婚歴があることをカミングアウトしています。
瓜田さんが離婚を繰り返した理由については、少年時代からの女性不信の感情が大きかったようですね。
純士 俺がただの最低野郎だから……っていうより、少年期からトラブルが多過ぎて人間不信になっていたのが大きいですね。女は大抵うたう(密告する)し裏切るんで、冷めた目で見ちゃってました。内側を見せたくないし内側に入れたくない。恋愛ごっこもたまにはしたけど、俺はいつでも仮面をかぶった状態。女が寄ってくると、すべてがハニートラップに思えちゃう。気が抜けない。勘ぐってピリピリしちゃうんです。
そのため、女性をとことんアクセサリー扱いをしていた瓜田さんは、文字通り「飽きたら女を捨てる」日々を過ごしていました。
純士 今思うと最初の3回は、相手のことをちゃんと考えずに結婚した。すべては自分の演出のためでした。相手にはものすごく可哀想なことをしましたね。「腹減ったから牛丼を食べる」という感覚で一緒になって、お腹いっぱいになったら「ハイさよなら」ですから。そいつらの人生なんてどうでもいいと思ってたからこそ、そういうことができたんでしょう。
瓜田純士、元アイドリング・清久レイアの母親と4度目の結婚
瓜田純士さんは、元アイドリングの清久レイアさんの母親である麗子さんと現在結婚中となります。
瓜田さんにとっては、当初は麗子さんもこれまでの女性たち同様にただのアクセサリーの1人でした。
麗子 私と付き合い始めのころも、おじゅんは全然心を開いてくれなくて、横を並んで歩くことも許してくれへんかったな。後ろを歩け、と。デート中に手を繋ぐなんて、とんでもない。恥ずかしいから絶対にダメだって。
純士 当時の俺は頭の中で、「なんでこの関西の女は俺がタバコを切らしてるのにストックを持ってないんだ?」ぐらいに思ってましたからね。で、ある日、彼女から言われたんです。「純士の考える恋愛関係は『親分と若い衆』であって、男と女じゃない」と(笑)。俺はそれを聞いて、「あれ? 俺ってそんなに変?」と少しずつ反省し始めた感じですかね。
しかしながら、心が荒みきっていた自分に全力で向き合ってくれた麗子さんの姿に、やがて女性不信の感情も消えうせた瓜田さんは、生まれて初めて心の底から女性を愛することが出来たようですね。
純士 で、そのあと結婚してから一度だけ、彼女に手を出して怖がらせてしまったことがあって。それをやらかしてから、俺の中で確実に何かが変わりましたね。本当にすまないことをしたと反省し、その日から「責任を取らなきゃ。こいつと一緒の墓に入るんだ」という覚悟が決まり、生まれて初めて女と二人三脚になれた。以来、口ゲンカはたまにあるけど、暴力は一度もないですね。「怖いからさよなら」と言わずに、彼女は逃げずについてきてくれた。だから俺もその気持ちに応えて、まともな人間になるべく、努力するようになりました。で、こうして今も2人で一緒にいるから、ほとんど「戦友」みたいな感覚ですね。彼女とだけは、深い絆的なものを感じるんですよ。
瓜田純士、子供の芸能界引退の際には激怒した
瓜田純士さんには、前述の通り、義理の娘となる元アイドリングの清久レイアさんがいます。
レイアさんは、人間トラブルが原因となり、2014年12月にアイドリングから脱退して芸能界を引退しました。
その後、清久自身がブログを更新し「私はアイドリングを卒業する事になりました。今日で最後のブログとなります」と報告。卒業の理由について「まずは高校に行く勉強をしたいと思いました。あとマネージャーさんと色々あって、マネージャーさんなのに思った事言えず、ずっとずっと悩んでて、このままこう言う関係なのは嫌なのでもう続けることは無理だと思いました。アイドリング!!!卒業して私は後悔はしないです。本当にありがとうございました」などと胸の内をつづっている。
義父として色々と相談を受けていたのか、レイアさんの引退記事更新後、瓜田さんはアイドリングのマネージャーに対して怒りのブログ記事を更新するなど、かなり感情的になっていました。
おはようサンタ。
見てるか無能なジャーマネ。
俺のカワイイ仔猫が世話になったらしいな。
道端で逢わない様にしろよ。
merryX’mas
引用:瓜田純士公式ブログ
出典:https://article.auone.jp/
瓜田さんは、レイアさんとのツーショット画像をインスタグラムに投稿するなどしており、現在も親子関係は良好であるようです。
瓜田純士が2008年3月に格闘家デビューするも弱いと酷評の嵐に
極道の世界から足を洗った後の瓜田純士さんに関しては、2008年3月になると、地下格闘技団体「THE OUTSIDER」より格闘家デビューしています。
とはいえ、喧嘩自慢のアウトローがいざ地下格闘技のリングに上がってみるとまったく勝てない状況に陥るのは、瓜田さんも同じでした。
格闘家時代の瓜田さんはとにかく弱く、2012年に一旦現役を引退するまでの間に、公式戦では1勝しか出来ない惨状に終わりました。
格闘家転身は瓜田さんのイメージの失墜にも繋がり、暴力団の若頭補佐にまでなったアウトローの身でありながら、ネット上で格闘技技術を酷評され、素人扱いされる羽目になりました。
大谷匡弘VS瓜田純士 https://t.co/NSE40fs6ji
— さくら (@KyokoDoppel) 2018年2月18日
弱い…瓜田は顔面のガードが下がったまま。
あれじゃ打って下さいと言ってるようなもの。
パンチもただ闇雲にぶん回してるだけだし。打った後の”引き”も遅い。
これで東京ストリートファイトNo.1なんて名乗っちゃダメだ。
いかにも元ヤクザの喧嘩。
瓜田純士が作家に転身して自伝「ドブネズミのバラード」が映画化
極道引退後の瓜田純士さんですが、2008年9月に自伝小説「ドブネズミのバラード」にて作家デビューも果たしています。
元暴力団員で関東連合のビッグネームたちとの付き合いも深かった瓜田さんの自伝小説は、世間の関心を惹くこととなり、2010年11月には俳優の松田悟志さん主演で映画化もされています。
その後も作家活動が続いた瓜田さんは、2021年までに電子書籍も含め8冊の本を発売することになりました。
瓜田純士は関東連合・石元太一とトラブルになり追い込みをかけられた
瓜田純士さんは、関東連合の元リーダーの石元太一さんとトラブルとなり、追い込みをかけられたこともありました。
2人の間にトラブルが起こった理由に関しては、石元さんらが2010年に起こした「市川海老蔵事件」に対して瓜田さんがコメントを発表した際に、石元さんらを後輩扱いしたことが原因だったようですね。
ほとんど面識もなく、関東連合OBでもない瓜田さんが先輩風を吹かしたことを石元さんが問題視した際に、瓜田さんが謝罪をせずにブログで長々と反論文を書いたことが、石元さんの逆鱗に触れてしまいました。
2011年12月に起こった2人のトラブルはすぐさま知れ渡ることとなり、石元さん一派からの報復を恐れて、瓜田さんの周囲からはどんどんと人が去っていったと言われております。
そんな中で瓜田さんの元に残った数少ない人間が、「所沢のタイソン」と呼ばれている男性でした。
極道引退後に瓜田さんが主宰した「瓜田純士ファミリー募集オフ会」で知り合っただけの浅い関係ながらも、瓜田さんと行動を共にし続けた「所沢のタイソン」さんでしたが、石元さん一派から見せしめに拉致をされるという結末が待っていました。
2011年12月に起こった「所沢のタイソン」さん拉致事件に関しては、瓜田さんの不良時代の後輩だった在日台湾人のワンターレンさんが、石元さんらに報復に向かっております。
しかしながら、石元さんらに恐怖した瓜田さんが「後輩が勝手に報復に行っただけ」とブログで言い訳を始めたため、愛想をつかしたワンターレンさんも「所沢のタイソン」さんも瓜田さんの元から去ることになりました。
2012年6月になると、瓜田さんが葉巻を持って石元さんの経営するジムに謝罪に出向いたものの騒動は解決とならず、最終的には瓜田さんが石元さん一派からリンチをされることになってしまったようです。
瓜田純士が2012年3月にJOYの姉・ソフィアを脅して逮捕
瓜田純士さんは、石元太一さんから追い込みをかけられている最中である2012年3月に、タレントのJOYさんの姉であるモデルのソフィアさんを脅迫した容疑で逮捕されています。
田無署によると、瓜田容疑者は昨年末からSophiaと交際していた。一緒にバンドを組み、1月にはSophiaをボーカルにしてレコーディング。CDデビューを視野に入れていた。同31日夜にバンドメンバーの打ち上げに参加した後、Sophiaと一緒に東京・新宿区内の自宅に滞在。翌2月1日午前6時ごろ、「芸能界から消えろ。家族や事務所ごとつぶしてやる。弟(JOY)がどうなっても知らない」などとSophiaを脅したという。取り調べに対して「酒に酔っていて覚えていない」と容疑を否認している。
瓜田さんがソフィアさんを脅迫した原因に関しては、ソフィアさんの所属事務所からの許可を取らずに開始した音楽活動が案の定NGとなり、逆上してしまったようですね。
Sophiaさんは、歌唱力もあり、2月14日放送のフジテレビ系「歌うま女王は誰だ!?」で準優勝している。それに目を着けた瓜田容疑者が、自らはプロデューサーとなってSophiaさんらのバンドを立ち上げ、1月中にレコーディングまでした。ところが、Sophiaさんが所属事務所から許しをもらえないと音楽活動を辞退したことから、瓜田容疑者が激怒したというのだ。
ちなみに、瓜田さんはその後もシャバ暮らしを満喫しているため、この事件のせいで服役をするようなことはなかった模様です。
瓜田純士が2013年10月にファミレス駐車場で刺された
瓜田純士さんは、2013年10月になると、ファミレス駐車場にて路上刺傷事件に巻き込まれています。
事件現場となったのは、同区幕張西にあるファミリーレストランの駐車場。当日、事件を目撃したという会社員(24)が、そのときの様子を語る。
「夜8時半頃、近くを通りがかったら、駐車場のほうから怒鳴り声が聞こえた。驚いて振り返ると、グレーのスーツを着た暴力団風の男性が、短髪の男性を突き飛ばしているところだった。その後、短髪の男性の仲間とおぼしき2~3人の男性が駐車場の奥のほうから駆けつけて来て、もみくちゃのケンカが始まったのだが、あとから来たうちの1人が、いつもブログで見ている瓜田純士さんだったから驚いた」
暴力団風の男に絡まれることとなった短髪の男性に関しては、格闘家の内藤裕さんでした。
内藤さんは、少年時代は「KGB」というギャンググループに所属し、「人刺し裕」と呼ばれていたアウトローであり、瓜田さんとは不良仲間同士だったようですね。
暴力団風の男が最初から刃物を用意していたことから、路上刺傷事件は計画的な襲撃説が有力視されております。
瓜田 「酔ってたから細かいことは覚えてませんが、天の声によると、この事件は突発的に起きたんじゃなく、計画的に起きたみたいですね。相手はたぶん殺す気で来ていた。といっても我々を殺しに来たわけじゃなく、我々と一緒にいた別の人間を殺しに来た。僕と内藤の兄貴は、その刃物を持った男を止めようとしてケガをしたと、天の声が言ってます」
路上刺傷事件では、刃物を振り回す男相手に、瓜田さんが腕を刺されて上半身血まみれになっただけではなく、内藤さんも首を刺されて3日間意識不明の重体となっていますが、幸いにも死者は出ませんでした。
この会社員はとばっちりを受けるのを恐れ、いったんその場を離れたが、数分後に戻って来たときには、現場は凄惨な状況だったという。
「最初に突き飛ばされた男性は、首から大量に出血した状態で仰向けに倒れていて、意識がないようだった。それを泣きながら介抱していた瓜田さんもケガをしており、上半身が血まみれだった。その近くでもう1人、若い男性が痛そうにうずくまっていた。スーツの男性は、現場からいなくなっていた」
路上襲撃事件については、被害にあった瓜田さんらが被害届を提出しなかったため、警察も本格的な捜査が出来ずに犯人は不明なままになっています。
瓜田純士は2015年秋ごろからパニック障害になっていた
瓜田純士さんに関しては、2015年秋頃からパニック障害を発症しています。
瓜田 10月初旬ごろです。嫁と二人で家の近所を歩いているときに突然、新宿通りまで出るのが怖くなり、引き返したのが最初。その後も外出しようとする度に、動悸が高まるとともに冷や汗が溢れ出て、空間認識能力が狂うというか、空間に圧迫されるような感覚に陥り、体が硬直してしまう。足掻こうとしても、脳がストップをかけているのか、体が動かないんですよ
パニック障害を発症してしまったきっかけについては、瓜田さん本人は、秋の花粉症で数日間不眠症状態になってしまったことが、心身のバランスを崩すトリガーになってしまったのではないかと考察しています。
病院ではなく鍼灸院に通ったことが功を奏し、程なくしてパニック障害の症状が改善に向かったという瓜田さんですが、完治しにくいうえ再発を繰り返す病気として有名なだけに、予後が気になる話題と言えます。
瓜田純士の現在①YouTuber「瓜田夫婦」としてブレーク
瓜田純士さんは現在「瓜田夫婦」というYouTubeチャンネルを運用しており、YouTuberとしても活動しています。チャンネル登録者も30万人を超えており、多くの人気を獲得している模様です。
瓜田夫婦
https://www.youtube.com/channel/UCv27YAy0FZ-4wwisy5zPmeg
また、格闘家YouTuberの朝倉未来さんとのコラボで路上喫煙に注意する動画も大きく話題となりました。
瓜田純士の現在②格闘家としてブレイキングダウンなどで活躍
出典:https://www.cyzo.com/
2012年に格闘技から引退した瓜田純士さんですが、2018年4月に「THE OUTSIDER」での「瓜田純士に勝ったら10万円」という企画で格闘家復帰を果たしました。
「瓜田純士に勝ったら10万円」は4人の選手がキックルールでトーナメントを行い、勝ち上がった1人がファイナルで瓜田さんと戦うという企画でしたが、瓜田さんは挑戦者にまさかのTKO負けを喫しています。
また、2021年からは、格闘家の朝倉未来さんがスペシャルアドバイザーを務める格闘技イベント「BREAKING DOWN」に参戦しており、大きな注目を集めています。
瓜田さんのBREAKING DOWNでの戦績は、以下のようになっています。
第2回大会(2021年9月) 対 丸出しりょうた 判定3-0で勝利
第4回大会(2022年3月) 対 こめお 判定2-1で勝利
第5回大会(2022年7月) 対 平石光一 判定2-3で敗北
第6回大会(2022年11月) 対 梵頭 判定5-0で勝利
第7回大会(2023年2月) 対 バン仲村 判定5-0で勝利
以前は弱いと酷評を受けていた瓜田さんですが、BREAKING DOWNにおいては好成績を収めており、特に、オーディションで「瓜田純士をボコボコにした男」と自身について語っていたバン仲村さんとの対戦は大きな盛り上がりを見せました。
瓜田純士さんとバン仲村さんはかつては親しい間柄でしたが、2013年にトラブルを起こし、バン仲村さんが傷害や恐喝などで逮捕された過去があります。
因縁を晴らしに来たと語っていたバン仲村さんを相手に、瓜田さんは2023年2月の試合で延長の末に判定勝ちを収めました。
判定結果を聞いた後、2人は涙を浮かべながら抱擁を交わしており、そのような姿に格闘技ファンも心を打たれたようです。
瓜田純士について総まとめをすると…
・瓜田純士は中学時代に関東連合元リーダー・見立真一と知り合いとなり、中学卒業後は暴力団構成員となった。
・瓜田純士は堅気となった後に格闘家として活動するも弱いと酷評されていた。
・瓜田純士には3度の離婚歴があり、元アイドリングの清久レイアさんの母親である麗子さんと4度目の結婚をした。
・瓜田純士は2015年秋ごろにパニック障害を発症していた。現在はYouTuberや格闘家として活動中。
波乱万丈すぎる人生を送って来た瓜田純士さんですが、麗子さんとの結婚以降は地に足のついた日々を送っているようですね。
瓜田さん一家の幸せな日々が末永く続くことと祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。