世界的音楽グループ「YMO」のドラマーとして知られる高橋幸宏さんが70歳で死去しました。
この記事では高橋幸宏さんのYMOでの活躍など若い頃の画像や経歴、中原理恵さんとの不倫疑惑、結婚した嫁や息子や娘などの子供、軽井沢の自宅、脳腫瘍と死因などについてまとめました。
この記事の目次
高橋幸宏(YMO)のプロフィール
高橋幸宏のプロフィール
生年月日:1952年6月6日
没年月日:2023年1月11日(享年70歳)
出身地 :東京都目黒区
身長 :170cm(YMO全盛期の公表データ)
血液型 :A型
高橋幸宏(たかはし・ゆきひろ)さんは、世界でも高く評価されているテクノ音楽グループ「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」や、1970年代に活躍した伝説的ロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」などで活躍したドラマー、ミュージシャンです。
高橋幸宏さんはミュージシャンや音楽プロデューサーとしての活動の他にも、ファッションデザイナーや映画俳優、文筆家など様々なジャンルで表現者として活躍されていました。
そんな高橋幸宏さんが2023年1月11日に70歳で逝去し、その死を惜しむ声が多数上がっています。
ここではこの高橋幸宏さんについて改めて紹介していきます。
高橋幸宏(YMO)の若い頃の画像や経歴① 中学時代にバンドを結成
高橋幸宏さんの若い頃の画像や経歴について紹介していきます。
高橋幸宏さんは、兄の信之さん(現在は音楽プロデューサーとして活躍)が「フィンガーズ」というバンドを組んでいた影響で、小学校の頃からドラムを叩き始めています。
小学校時代の同級生に、後に「バズ(BUZZ)」などで活躍する東郷昌和さんがおり、私立の立教中学校(現在の立教池袋中学校)に進学後に、東郷昌和さんと音楽バンド「ブッダズ・ナルシィーシィー」を結成して本格的に音楽活動を始めています。
当時からパーティ(イベント)での演奏を担当するなど、ハイレベルな音楽活動を展開されていたようです。ちなみに、ユーミンこと荒井由実さん(松任谷由美)と高橋幸宏さんは中学時代からの友人でした。
内部進学で立教高校(現在の立教新座高等学校)へと進学後の1969年には、高橋幸宏さんはフォークロックバンド「ガロ」(正式な結成は1970年)にサポートドラマーとして参加し、1972年頃まで活動されていました。
高橋幸宏(YMO)の若い頃の画像や経歴② サディスティック・ミカ・バンドに加入
出典:http://35.166.35.201/interview/takahashiyukihiro/
高橋幸宏さんは、立教高校卒業後は、武蔵野美術大学短期大学部の生活デザイン学科へと進学。
その在学中、高橋幸宏さんは、上述の「ガロ」から脱退後の1972年に同年にメジャーデビューしたロックバンド「サディスティック・ミカ・バンド」にドラマーとして加入しています。(上の画像はサディスティック・ミカ・バンドのアルバム「黒船」のフォトセッションでの若い頃の高橋幸宏さん。当時22歳)
上の画像の中央が、サディスティック・ミカ・バンド時代の若い頃の高橋幸宏さんです。1975年に撮影されたものなので当時23歳と思われます。
サディスティック・ミカ・バンドは1975年にイギリスのロックバンド「ロキシーミュージック」の全英ツアーのオープニングアクトを務めますが、帰国後に突如解散しています。
出典:https://livedoor.blogimg.jp/
サディスティック・ミカ・バンド解散後、高橋幸宏さんは同バンドのメンバーだった高中正義さん、後藤次利さん、今井裕さんとロックバンド「サディスティックス」を結成し1978年まで活動しています。
上の画像の正面から見て左から2番目が、サディスティックス時代の若い頃の高橋幸宏さんです。
上の画像では、正面から見て右から2番目が、高橋幸宏さんです。25歳から26歳頃の若い頃の高橋幸宏さんです。
高橋幸宏(YMO)の若い頃の画像や経歴③ YMOで世界的な成功を収める
1978年に高橋幸宏さんはソロでの活動を開始し、他のメンバーも同様に自身の音楽活動が忙しくなったため「サディスティックス」は解散します。
そしてその年、高橋幸宏さんは学生時代からの知り合いだった細野晴臣さん(「はっぴいえんど」などで当時既に知られたミュージシャンだった)と、その知人の坂本龍一さん(スタジオミューシャンとして活躍していた)と新たに「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」を結成。
下の画像の真ん中がYMO結成当時の若い頃の高橋幸宏さんです。(正面から見て右が坂本龍一さん、左が細野晴臣さん)
YMOは、1979年には全米デビューも果たし、国内でも同年9月発売のセカンドアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」オリコンチャート最高1位、国内でのレコード販売数100万枚突破などブレイクを果たしています。このアルバムにはYMOの代名詞となる「ライディーン」が収録されていますが、この「ライディーン」を作曲したのが高橋幸宏さんでした。
高橋幸宏さんの代表曲である「ライディーン」のミュージックビデオは「ALFA MUSIC」のYouTubeチャンネルで公式に公開されているので紹介しておきます。
YMOは、1979年10月からワールドツアーを行い、そのハイセンスな音楽性と個性的なヴィジュアルが話題を呼び、世界的な評価を得ました。
このワールドツアー成功は日本国内でも大きく報じられ、それに伴って国内でもYMOは爆発的なブームを引き起こしました。
1980年にもYMOは2度目のワールドツアーを成功させ、1983年に解散(YMOメンバーは「散開」と表現。その後2度再結成している)しています。
YMO解散後、高橋幸宏さんはソロでの活動を本格化させ、鈴木慶一さんとの音楽ユニット「THE BEATNIKS」など幅広い音楽活動を展開されていました。(上画像正面から見て右が若い頃の高橋幸宏さん)
高橋幸宏(YMO)には中原理恵との不倫疑惑報道の過去も
出典:https://www.special-actors.jp/
高橋幸宏さんはYMOを解散後の1986年に、写真週刊誌「FRIDAY」に、歌手で女優の中原理恵さんとの不倫疑惑をスクープされた過去もあります。
当時、高橋幸宏さんは結婚していましたが、当時の報道によると中原理恵さんと不倫関係で同棲状態にあり、嫁とは別居しているとの事でした。
この報道が影響したのかは不明ながら、中原理恵さんは翌1987年に、番組スタート時から司会を務めていた「ミュージックステーション」を降板しています。
また、中原理恵さんは当時の人気バラエティ「欽ドン!」の人気コーナー「良い妻、悪い妻、普通の妻」にレギュラー出演していましたが、高橋幸宏さんとの不倫疑惑報道で萩本欽一さんの逆鱗に触れて降板させられたという噂も流れました。
良い妻悪い妻普通の妻は中原理恵が演っていたけど高橋幸宏との不倫騒動で降板したことを覚えている人はまだいるのか?
— masaakimorita (@masaakimorita) March 6, 2012
中原理恵は某ミュージシャンと不倫してたことが欽ちゃんの逆鱗に触れて干されたんだよね… #kakiiin
— 🐐安田 桜♑️ (@tuneniuijin) October 24, 2011
ただ、この萩本欽一さんの逆鱗に触れて降板というのは事実ではなく、中原理恵さんが他の活動に専念したいとの意向から自ら降板したというのが真相だったようです。
事実、高橋幸宏さんとの不倫疑惑報道後も、中原理恵さんは女優や歌手として芸能活動を続けており、芸能界から干されたといった事はありません。
高橋幸宏と不倫疑惑報道が出た中原理恵のプロフィール
生年月日:1958年6月17日
出身地 :北海道函館市
身長 :160cm
血液型 :O型
高橋幸宏(YMO)の結婚① 元嫁は東郷昌和の姉の恵美子さん
高橋幸宏さんはこれまでに2度結婚されており、1度目の結婚相手(元嫁)は恵美子さんという一般の女性です。
この高橋幸宏さんの元嫁の恵美子さんですが、高橋幸宏さんの小学校時代からの友人で、中学時代にはバンド「ブッダズ・ナルシィーシィー」を組んでいた、BUZZの東郷昌和さんの実の姉です。
高橋幸宏さんの元嫁の恵美子さんですが、結婚していた当時は坂本龍一さんのラジオに夫婦でゲスト出演したり、ソロアルバムのジャケットに登場したりとファンの間では知られた存在でした。
しかし、高橋幸宏さんと恵美子さんは1985年までに離婚しています。
これは、上でも触れた中原理恵さんと高橋幸宏さんの不倫疑惑報道が関係しているとも言われていますが、FRIDAYの報道は離婚後の1986年の事なので事実ではありません。
FRIDAYの報道では、高橋幸宏さんが嫁と別居中で中原理恵さんの自宅に泊まったり釣りに行ったりしていると報じられていますが、この当時の高橋幸宏さんの嫁は2度目の結婚相手であるモデルの髙橋喜代美さんでした。
高橋幸宏さんの元嫁の恵美子さんは、高橋幸宏さんとの離婚後にイギリスの高名なロックミュージシャン、ビル・ネルソンと1994年に再婚していて、結婚後はイギリスのロンドンに住んでいるようです。
BUZZの東郷昌和氏の実姉・恵美子氏は、高橋幸宏氏の前妻で、いまはビル・ネルソンの妻として英国に住んでるのかあ。知らなかったなあ。83、84年頃って幸宏氏とビル・ネルソンがしょっちゅう共演してたもんなあ。
— featherstone (@ishi_honjama) May 28, 2012
ちなみに、ビル・ネルソンのアルバム「Return To Jazz Of Lights」のジャケットにはこの高橋幸宏さんの元嫁・恵美子さんの若い頃の着物姿の写真が使われています。
出典:https://static.wixstatic.com/
高橋幸宏(YMO)の結婚② 現在の嫁はモデルの高橋喜代美
高橋幸宏さんは元嫁の恵美子さんと離婚後の1985年頃にモデルの髙橋喜代美さんと2度目の結婚をされています。高橋幸宏さんは2度目の結婚相手の髙橋喜代美さんとは亡くなるまで連れ添っています。
高橋幸宏さんの嫁の髙橋喜代美さんは1955年1月6日生まれで、高橋幸宏さんの2学年年下です。
高橋幸宏さんの嫁の髙橋喜代美さんは、大学生だった19歳の時にモデルとしてデビューし、若い頃はファッション雑誌「装苑」や「non‐no」などで活躍しました。当時は「しもいきよみ」という芸名で活動されていました。
身長は150cm台でいわゆるミニマムモデルとして活躍されています。
高橋幸宏さんと嫁の髙橋喜代美さんの結婚時期についてですが、髙橋喜代美さんの再デビュー後のメディアインタビューの記事で、30歳の時に高橋幸宏さんと結婚しモデル業を引退と紹介されているため、結婚は1985年頃だったと推測されます。
10代でデビュー、『装苑』『non‐no』で活躍後、ミュージシャンの高橋幸宏さんと結婚し30歳で引退した、モデルの高橋喜代美さん。
30歳で高橋幸宏さんとの結婚を機にモデルを引退していた髙橋喜代美さんでしたが、55歳だった2010年にファッション雑誌「eclat(エクラ)」でモデル業を再開し奇跡の50代として話題になりました。
その後、サントリー美容ドリンク「リフタージュ」のイメージキャラクターを務めるなど活躍。60代を迎えた現在も活躍を続けており、その衰える事を知らない美しさから「奇跡の60代」と話題を呼んでいます。
出典:https://instagrammernews.com/
高橋幸宏さんと嫁の髙橋喜代美さんはおしどり夫婦として知られており、若い頃からそのファッションセンスに定評のある高橋幸宏さんに、髙橋喜代美さんが出かける前に必ずファッションをチェックしてもらうというエピソードも明かされています。
ご主人は、やはりおしゃれで知られる、ミュージシャンの高橋幸宏さん。公私ともにおふたりの仲のよさは評判です。外出もほぼご一緒に。
「主人は根っからのおしゃれな人。なので絶対的に信頼しています。出かける前には必ず『どうかなぁ』と、とりあえず見てもらう。『いいんじゃない』と言われたら合格(笑)。
高橋幸宏さんは2020年に脳腫瘍が発覚して摘出手術を受け、その後は入退院を繰り返していましたが、その頃には嫁の髙橋喜代美さんを気遣うツイートを投稿されていました。
なんか心配かけちゃったなぁ,,,
— yukihirotakahashi (@room66plus) June 20, 2021
僕はきっと大丈夫。弱音も吐くし、ホントに弱虫かも知れないし、
でも、天国の両親((お写真)のお水を毎朝変えて、もうすでにEveryday Lifeではないかも、けれど、お祈りしてます。
ワン子の最後はちゃんとみとって涙し、妻も、もういいよって思うまで頑張らして下さい,,
高橋幸宏(YMO)の子供…娘や息子
出典:https://instagrammernews.com/
高橋幸宏さんの子供は娘や息子がいるといった噂がありますが、実際には高橋幸宏さんが自身の子供について語った事はなく、娘も息子もいない可能性が高いようです。
高橋幸宏は甥っ子の娘を可愛がっていた
高橋幸宏さんはインスタグラムやTwitterで甥っ子の娘さんを可愛がっている様子をよく投稿されていたので、この甥っ子の娘さんが高橋幸宏さんの子供だと誤認識され娘の噂が広まったようです。
また、甥っ子(兄の息子)さんの事も大切にされていた様子なので、これが息子がいるという噂に発展したところもあったようです。
女優の中江有里の高橋幸宏の娘役を演じた事を交えた追悼ツイートも話題に
出典:https://www.nikkansports.com/
実生活では子供はいなかったと思われる高橋幸宏さんですが、2020年公開映画「海辺の映画館―キネマの玉手箱」では、娘がいる役を演じています。
高橋さんは大林宣彦監督の遺作となった映画「海辺の映画館―キネマの玉手箱」(2020年公開)に爺・ファンタ役で出演。中江は爺・ファンタの娘で新聞記者の奈美子役を演じていた。
この映画で、高橋幸宏さんの娘役を演じた女優の中江有里さんが、高橋幸宏さんの訃報を受けて、「娘になれて幸せでした」というツイートを投稿し、これも話題になっていました。
2018年夏の尾道で、高橋幸宏さんとご一緒した日々を思い出しています。
— 中江有里 yuri nakae (@yurinbow) January 15, 2023
西日本豪雨と猛暑、大林監督は闘病中。それでも進行していく現場は奇跡のようでした。
幸宏さん演じる「爺・ファンタ」の娘になれて幸せでした。ありがとうございました。 https://t.co/fHd9Owloz1
高橋幸宏(YMO)の自宅は軽井沢
高橋幸宏さんの自宅はずっと東京都内でしたが、死去の10年ほど前からは軽井沢に移住し、そこに自宅を構えていました。
高橋幸宏さんは実家が軽井沢に別荘を保有していた事があり、幼い頃にはよく訪れていたそうで、その思い出の地である軽井沢を終の棲家(ついのすみか)に選ばれたそうです。
晩年の高橋幸宏さんはこの自宅で音楽活動をしながら趣味の釣りを楽しみ、嫁の髙橋喜代美さんと仲睦まじい姿も近所でよく目撃されていたそうです。
「生粋の都会っ子だった高橋さんは今から10年ほど前に終の棲家に選んだのが、幼少期から訪れていたという軽井沢でした。音楽活動をしながら釣りを楽しむほか、喜代美さんと仲睦まじい姿が飲食店などで目撃されていました」(女性週刊誌記者)
高橋幸宏さんは自身のインスタグラムやTwitterでもこの軽井沢の自宅での暮らしをよく投稿されていて、そのオシャレな自宅に「素敵すぎる」という声が数多く寄せられていました。
晴れたね。雲がゆっくり流れてる…
— yukihirotakahashi (@room66plus) March 11, 2020
本当なら今頃は川岸に立っているところ。近場なら今からだって行けるよ。何気ない日常の大切さ、つくづく感じてるし。もう少し風がやんだら、いつものように花粉で顔グシャグシャにしながら、誰もいない川岸に立ってみようか。
青空を雲がゆっくり流れてるから… pic.twitter.com/uTx6FZOfMC
こうした投稿を見ると、高橋幸宏さんの軽井沢の自宅は、テラスや暖炉を完備したオシャレな豪邸のようです。
高橋幸宏(YMO)の死因は脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎
出典:https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/
高橋幸宏さんは2023年1月11日に70歳で亡くなりましたが、死因は「脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎」と発表されています。
イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)やサディスティック・ミカ・バンドのメンバーとして世界的な名声を集めたドラマーでシンガー・ソングライター、高橋幸宏さんの所属事務所が15日夕、SNSを更新し、高橋さんが11日午前5時59分、脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎のため亡くなったことを伝えた。
高橋幸宏さんは2020年の夏に脳腫瘍が発覚し、摘出手術を受けて成功していました。
しかし、その後も状態は安定しなかったようで、入退院を繰り返しながら治療を続けられていたようです。
高橋幸宏さんの死因の「誤嚥性肺炎」は、厚生労働省の情報提供サイト「e-ヘルスネット」などによれば、本来気管に入ってはいけない物が気管に入り、それによって生じた肺炎を指すという事です。
老化や脳血管障害の後遺症によって飲み込む機能や咳をする力が弱くなってしまい、口の中の細菌や食べかす、逆流した胃液などが誤って気管に入りやすくなる事が原因とされています。
こうした事から、高橋幸宏さんの死因は「脳腫瘍」が原因となってそうした力が弱まり、「誤嚥性肺炎」を引き起こしたという事だったと思われます。
高橋幸宏さんの最期については嫁の高橋喜代美さんが以下のコメントを発表されています。
2020年夏に判明した脳腫瘍の摘出手術は成功裏に終わり、その後は復帰に向け度重なる治療と入退院を繰り返しながらリハビリに真摯(しんし)に向き合ってきました。昨年11月よりは自宅にて療養しておりましたが、年末から容体が悪化し、帰らぬ身となりました。本人は元より家族親族と最善を尽くしてまいりました。何よりも携わっていただいた医療関係者の皆さまに深く感謝いたします。喪主 高橋喜代美
まとめ
今回は、世界的音楽グループ・YMOなどで活躍したドラマーでミュージシャンで、2023年1月に70歳で死去した高橋幸宏さんについてまとめてみました。
高橋幸宏さんは若い頃から音楽活動で成功しており、武蔵野美術大学短期大学部時代に「サディスティック・ミカ・バンド」のドラマーとしてデビューし、その後YMOで世界的な成功を収めました。
若い頃に恵美子さんという一般女性と1度目の結婚されていますが、その後離婚し、モデルの髙橋喜代美さんと2度目の結婚をされています。この頃には女優の中原理恵さんとの不倫疑惑がFRIDAYにスクープされるなどもしていますが、真相は不明です。
高橋幸宏さんには息子や娘などの子供はいないようですが、甥っ子を息子さんのように可愛がられていたようで、その娘さんとの関わりなども自身のSNSに投稿されていました。
高橋幸宏さんの亡くなるまでの自宅は軽井沢で、SNSで公開されていたそのオシャレな生活ぶりは話題になっていました。
高橋幸宏さんの死因は「脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎」と発表されています。