10代の頃に異性スキャンダルで失脚してしまった「わらべ」の高部知子さんですが、現在は第二の人生で奮闘中のようです。
この記事では、高部知子さんの若い頃の喫煙ニャンニャン写真スキャンダルの詳細、そして結婚した旦那と子供や現在についてまとめました。
この記事の目次
高部知子のプロフィール
名前:高部知子(たかべ ともこ)
生年月日:1967年8月25日
出身地:東京都文京区
高部知子、「わらべ」のメンバーとして一躍有名に
高部智子さんは、1980年より芸能活動を始めており、「ガラスのうさぎ」や「我が子よ」といったドラマに出演していた売れっ子子役でした。
そんな高部さんが、国民的アイドルになった理由は、1982年9月より出演していたバラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」にて、「わらべ」の一員に抜擢されたことがきっかけとなります。
「わらべ」は、1982年12月にシングル「めだかの兄妹」でレコードデビューを果たしておりますが、同曲が1983年のオリコン年間チャートで3位に輝く大ヒット(88.5万枚)を記録することになりました。
翌1983年2月からは、ドラマ「積木くずし 〜親と子の200日戦争〜」にて主人公・穂高香緒里役を演じることとなった高部さんは、同ドラマの最終回が視聴率45.3%を記録するなど、社会現象を巻き起こしております。
ひかりTVで高部知子の積み木くずしをやってたので、これはヤバすぎる!と思い、録画しつつちょっと見入ってたら娘も真剣に見てたので「(笑)面白い?」と聞いたら「…いや、すご…と思って…」と言ってた。三歳が見てもすごいものはすごいのね。 #mamajp #3歳児 #娘
— Hiromi.O (@Gabby__S) 2012年11月20日
高部知子の若い頃のスキャンダル~喫煙ニャンニャン写真が流出
高部知子、フラれた元彼氏が『FOCUS』編集部に写真を持ち込んだ
若くして芸能界の頂点に上り詰めた感のあった高部知子さんですが、1983年6月に写真週刊誌「FOCUS」に喫煙ニャンニャン写真が掲載されるといったスキャンダルが勃発しております。
こちらの喫煙写真のリーク元は、高部さんが「積木くずし」に出演した際に知り合い、交際していた3歳年上のエキストラ役の少年・Aさんでした。
2人が知り合ったのは1983年3月頃だったそうですが、高部さんにはすぐに新しい彼氏が出来てしまい、交際2ケ月程度でAさんは捨てられてしまったそうですね。
有名企業の社長の息子だったと言われているAさんは、かなりプライドの高い少年でもあったようで、ポイ捨てされてしまったことに憤り、交際時に撮影していた上記の写真をテレビ局に持ち込むという大胆な行動に出ました。
しかしながら、アイドル業も女優業も絶頂期にあった高部さんのスキャンダルネタは、テレビ局上層部からNGが出た結果、握りつぶされてしまうというオチが待っていました。
おまけに、高部さんのスキャンダルをリークしようとした危険人物として個人情報まで売り渡されたAさんは、暴力団や暴走族といった闇社会の住人から追い込みをかけられる羽目になってしまったとか。
とはいえ、闇社会の住人までも動員した追い込みはさすがに逆効果だったようで、命の危険を感じたAさんが、自衛のために「FOCUS」編集部に写真を持ち込むという結末を生んでしまうことになりました。
高部知子、ニャンニャン事件で全番組を降板する羽目に
通称「ニャンニャン事件」と名付けられた一連のスキャンダルは大反響を呼ぶこととなり、他社の写真週刊誌による後追い報道も相次いた結果、高部知子さんとAさんのキス写真や会話を録音したテープまでも発掘されることになりました。
とはいえ、少女の異性間交遊自体は法律違反でも何でもなかったため、芸能界的に問題視されたのはあくまで高部さんの未成年喫煙問題のみでした。
当時の芸能界は現在以上にモラルに厳しかった面もあり、高部さんは謹慎処分という形で請け負っていた全仕事を降板する羽目になってしまいました。
・映画版「積み木くずし」の主演
・欽ちゃんのどこまでやるの!?」のレギュラー
・文化放送のラジオ番組のレギュラー
・CM(三菱鉛筆、ハウス食品など)
高部知子、ニャンニャン事件で堀越高校を無期限停学処分に
「ニャンニャン事件」の余波は高部さんの実生活にまで及び、通っていた堀越高校でも無期限停学という処分が下ってしまいます。しかし、停学処分はその後にとけたようで高部さんは無事高校を卒業しています。
リークした元彼氏は追い詰められて自殺
「ニャンニャン事件」の反響と高部知子さんの謹慎処分は、リーク主だったAさんの想像を超える出来事でした。
そのため、自身の短絡的な行動が高部さんのこれまでの努力を台無しにしてしまったことに対して、Aさんは自責の念を感じていた部分もあったと言われております。
その他にも、高部さんとの交際エピソードを得ようとしたマスコミ関係者たちがしつこくAさんに付きまとうなど、18歳の少年にとっては気の休まらない日々が続いていたとか。
その結果、ストレス性胃潰瘍で入院するまで精神が追い詰められてしまったAさんは、1983年9月に自動車排気ガス自殺という形でこの世から去ってしまうことになりました。
Aさんの唐突な自殺に関しては、当時は「芸能関係者に報復として消された!」といった都市伝説まで流れるほど衝撃的な事件だったようですね。
高部知子、謹慎からの復帰と芸能界引退
予期せぬスキャンダルにより謹慎する羽目になっていた高部知子さんですが、1984年10月から放映されたドラマ「転校少女Y」の主演・小野田幸役にて芸能界に復帰しております。
同年の11月になると、シングル「雨の街」でソロ歌手デビュ-まで果たすなど、高部さんの復活劇を彩るために、芸能界側も全面サポートをしていた感がありました。
しかしながら、一度落ちた勢いを取り戻すことは難しかったようで、高部さんは2枚のシングルと1枚のアルバムをリリースした時点でレコード会社より契約を打ち切られてしまいます。
その後は、時代劇進出を図ったりと色々と試行錯誤もしていた高部さんでしたが、再ブレイクに至ることもなく、1990年に芸能界から引退することになりました。
高部知子、ニャンニャン事件はねつ造と否定
謹慎から復帰後の1984年に発売された告白本「ハンパしちゃってごめん」では、Aさんとの異性間交遊や喫煙の事実を認めていた高部知子さんですが、近年は「ニャンニャン事件」を「捏造」と否定する言動が増えています。
くだんの男性は、恋人でもなんでもなく、2~3回会っただけの、友達の一人に過ぎなかったというのだ。しかもタバコは、ドラマは終了していたものの、映画版の撮影を控えていた『積木くずし』の役作りのために持っていたものをふざけてくわえただけで、当時から現在まで喫煙の習慣など一切ないとのことだった。
高部さんが長らく濡れ衣に反論しなかった理由については、騒動が起こってから早々にAさんが自殺してしまったため、遺族感情を配慮して「ニャンニャン事件」に触れないようにしていたためだったとか。
ちなみに、「ハンパしちゃってごめん」自体も事務所と出版社側が勝手に発売を決めて、ゴーストライターが書き上げた代物だったと高部さんは主張しております。
とはいえ、例の喫煙写真自体がラブホテルと思われる場所で撮影されたものであったり、週刊誌の取材により交際していたと思われる証拠が次々と発掘されていたことから、高部さんの弁明を信じるネットユーザーたちは少数派となっています。
4名無しさん@恐縮です2019/05/06(月)
いや完全にタバコに火付いてたけどな
12名無しさん@恐縮です2019/05/06(月)
2~3回会ったことあるだけのただの友人と裸で何してたんだよ
高部知子、スキャンダルは堀越高校3年D組の呪い?
出典:https://ginrou-enr34.c.blog.so-net.ne.jp
高部知子さんは、とある有名な都市伝説の登場人物にもなっています。
こちらの都市伝説は通称「呪われた堀越学園芸能コースD組」と呼ばれており、高部さんの卒業年度の堀越学園OGたちに不幸が相次いでいることで生まれた噂話でした。
上記写真に写る人物の中で、元アイドルの岡田有希子さんが1986年4月に自殺、元歌手の本田美奈子さんが2005年に白血病で病死してしまったことは有名な話です。
それに加えて、上記の写真で岡田さんの隣に写る元女優の松本友里子さんも、実は俳優・松平健さんと結婚中の2010年に自殺してしまったことで世間を騒然とさせた人物となります。
上記の写真には写っていないものの、元女優の菊地陽子さんも1999年に白血病で亡くなってしまうなど、この年度の堀越学園芸能コースD組では、卒業後に若くして4人の死者が出てしまうことになりました。
「呪われた堀越学園芸能コースD組」伝説には、高部さんも「ニャンニャン事件」で貢献していることは言うまでもなく、その他にも元女優の宮崎ますみさがが乳がんを患った経験がある他、女優の南野陽子さんも夫の金銭スキャンダルで世間を騒がせております。
高部知子の結婚・離婚歴~バツ2で最初の旦那との間に子供が2人
高部知子、最初の旦那は幼馴染のコンビニ経営者
高部知子さんは、22歳の頃に幼馴染のコンビニ経営者の男性と結婚しております。
結婚後に芸能界を引退した高部さんは、夫と2人でコンビニを切り盛りしていたものの、わずか数年で離婚の憂き目となってしまいます。
高部知子、2度目の離婚後に芸能界に復帰していた
その後、一般男性と再婚をした高部さんですが、2度目の結婚生活も上手くは行かずに、離婚という結末を迎えてしまうことになりました。
2度目の離婚後に芸能界復帰を果した高部さんは、1999年にヌード写真集「Objet D’amour」を発表した他、2000年にはR-15指定を受けた官能サスペンス映画「パラノイア」に主演するなど、迷走していた時期もあったようですね。
高部知子、長女に心臓の疾患があった
高部知子さんには、最初の夫との間に2人の娘が生まれています。
最初の結婚直後に生まれた長女に関しては、生後すぐに心臓の疾患が見つかり手術を受けるなど、色々と大変なことも多かったと言われております。
高部さんが1990年に芸能界から引退した理由には、心臓疾患を持つ長女のそばに寄り添ってあげたいという気持ちが強かったそうですね。
大きなハンデを背負って生まれてきた長女ですが、以降は大病に苦しむこともなく、無事成人することが出来ました。
高部知子に逮捕の噂?~原因はコカイン逮捕の高部あいだった
高部知子さんには、一時期逮捕の噂が流れていたこともありました。
高部さんといえば、10代の頃は「積み木くずし」や「転校少女Y」といったドラマで不良少女役を務めていただけに、その時のイメージからおかしな都市伝説が発生してしまったのかと思いきや、ネットユーザーたちの空目が原因だったようですね。
2015年10月に高部あいさんという女優が「麻薬及び向精神薬取締法違反(所持)」で逮捕されておりますが、こちらの女性の知名度がそれほど高くなかったために、「高部知子が逮捕された」と勘違いしてしまった人が続出してしまうことになりました。
高部あいというタレントさんを実は知らず、「アイドル?元アイドルじゃなくて」と思いました。高部知子さん、失礼な取り違いで申し訳ありませんでしたm(__)m
— 党首(球技ライター大島) (@augustoparty) October 27, 2015
高部知子の現在~カウンセラーに転身して活躍していた
高部知子、猛勉強の末に精神保健福祉士の資格を取得
高部知子さんの現在については、認知症や依存症関連を中心に取り扱うカウンセラーとして活躍しております。
高部さんは、2000年より慶応義塾大学文学部の通信教育課程に入学し、2005年に卒業。その後は、東京福祉大学の精神保健福祉士養成コースで学び、2007年に修了するなど、長い年月をかけて勉強に励み新たなキャリアをスタートさせていたようですね。
高部さんがカウンセラーを目指したきっかけに関しては、長女の病気の際に「日本ではまだまだ患者家族へのケアが不十分」と感じたことからでした。
「芸能界引退を決意したのは出産が機なんですけど、長女が心臓を患ってしまって。自分も子供が闘病していたから強く感じたのですが、苦しむ患者のご家族に対して、ケアしてくれるところがなかなかないんです。それを自分で経験して、今度は自分がそういう患者家族の心を支える仕事をしたいって思うようになったんです」
高部知子の意外すぎるセカンドキャリアに称賛の声
高部さんの意外すぎるセカンドキャリアについては、ネットユーザーたちからも称賛の声が挙がっています。
24 :名無しさん@恐縮です:2015/06/30(火)
KO大学の通信卒業は本当にすごい
ただし本当に自分の力だけでなら
彼女ならレポートくらい代筆してくれる人もいただろうし
それより精神保健福祉士はよくがんばったな
合格率は比較的高いけど一応国家資格だし暗記も多い29 :名無しさん@恐縮です:2015/06/30(火)
>>24
慶應通信は1科目にレポート2~4本提出で持ち込み不可の単位取得試験が
すべての科目にかせられてるから代筆しても無駄。
レポート出せば単位もらえたり授業出ただけで単位貰える通学とはわけが違う。その自力が、国家試験合格に繋がったのでしょう。
引用:【芸能】ニャンニャン写真は今もトラウマ「高部知子」がカウンセラー〈週刊新潮〉 [転載禁止]©2ch.net
高部知子について総まとめすると…
・高部知子の喫煙ニャンニャン写真をリークした元彼氏は精神的に追い詰められて自殺した
・高部知子はバツ2で、最初の旦那との間に子供が2人いる
・高部知子は国家資格である精神保健福祉士の資格を取得、現在はカウンセラーとして活躍している
若くしてスキャンダルによりキャリアを潰されてしまった形となった高部知子さんですが、現在では別の世界で立派に活躍しているということになります。
高部さんの今後のより一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。