片岡篤史さんは、1990年代から〜2000年代半ばにかけて日本ハムや阪神タイガースで活躍した元プロ野球選手です。私生活では一般女性と結婚しており、子供が2人います。
ここでは片岡篤史さんの現役時代の成績・年棒、結婚した嫁情報、子供のこと、そして2020年4月に公表した新型コロナウィルス感染についてまとめています。
この記事の目次
片岡篤史のプロフィール
片岡篤史さんは中学時代から野球で頭角を現しはじめました。高校3年時には強豪PL学園で4番打者をつとめ、同志社大学時代は首位打者(1989年春季リーグ)や7年ぶりの秋季リーグ(1990年)優勝に貢献するなどし、1991年のドラフト会議にて日本ハムより2位指名を受けプロ入り。
日ハム時代は低迷することもありましたが、初年度から安定した活躍を見せ、最高出塁率(1998年)、ベストナイン2回(1996年、1998年)、ゴールデングラブ賞3回(1996年〜1998年)などを受賞しています。
2001年オフにFA宣言し、2002年から阪神タイガースに移籍。出番は少ないなかその勝負強さから2003年のリーグ優勝に貢献、ただその後は調子を落としていきました。2006年には戦力外通告を受け、自身の体力の限界もあり引退を決意。2006年10月の最期の試合では2安打を放ち、現役引退となりました。
引退後は、古巣の阪神タイガースで2010年〜2012年と2016年〜2018年の2度にわたり、打撃コーチに就任。それ以外は野球解説者・評論家などとしてメディアに登場するほか、2019年からは自身のYouTubeチャンネルを開設し活動しています。
片岡篤史の現役時代の成績とエピソード…檜風呂応援歌が有名に
片岡篤史、現役時代の成績
優秀な成績と数々のエピソードを残した片岡篤史さん
片岡篤史さんの現役時代の成績(※赤字:最高数値)
日本ハム時代
年度 | 試合数 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 打率 | 出塁率 | OPS |
1992年 | 125 | 431 | 125 | 10 | 53 | .290 | .342 | .755 |
1993年 | 124 | 425 | 122 | 8 | 39 | .287 | .380 | .801 |
1994年 | 99 | 334 | 73 | 11 | 41 | .219 | .312 | .662 |
1995年 | 106 | 357 | 80 | 6 | 39 | .224 | .330 | .649 |
1996年 | 115 | 416 | 131 | 15 | 51 | .315 | .408 | .893 |
1997年 | 135 | 514 | 147 | 17 | 67 | .286 | .383 | .831 |
1998年 | 133 | 466 | 140 | 17 | 83 | .300 | .435 | .905 |
1999年 | 115 | 423 | 116 | 15 | 63 | .274 | .364 | .808 |
2000年 | 135 | 510 | 148 | 21 | 97 | .290 | .406 | .890 |
2001年 | 106 | 401 | 102 | 16 | 62 | .254 | .346 | .770 |
阪神時代
年度 | 試合数 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 打率 | 出塁率 | OPS |
2002年 | 120 | 425 | 97 | 0 | 46 | .228 | .317 | .663 |
2003年 | 110 | 334 | 99 | 0 | 55 | .296 | .366 | .863 |
2004年 | 46 | 88 | 18 | 0 | 7 | .205 | .340 | .704 |
2005年 | 50 | 57 | 12 | 0 | 7 | .211 | .370 | .651 |
2006年 | 50 | 91 | 15 | 0 | 7 | .165 | .230 | .461 |
トータル
年数 | 試合数 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 打率 | 出塁率 | OPS |
15年 | 1569 | 5272 | 1425 | 164 | 717 | .270 | .422 | .789 |
以上のように、阪神時代は成績が落ち、評価も悪くなっているようです。
片岡篤史の現役時代のエピソード
片岡篤史さんは成績以上に、数々の逸話を残したことでも知られています。
①片岡篤史のフォーム&バット投げ
野球選手のフォームはよくモノマネネタになっていることがありますが、片岡篤史さんも少し変わったフォームをしている一人です。
彼の打撃フォームは腰を低く落とすガニ股のオープンスタンス、そしてその打撃後のバット投げは語り継がれるほどの美技とされます。
ただ片岡さんの阪神打撃コーチ時代は、所属する選手のフォームの手直し(改悪)をして成績が伸び悩み、ファンからクレームが出るほどだったとか…。
②松坂大輔デビュー戦の豪快空振り
日ハム時代の対西武戦(1999年4月)で、プロ初先発だった松坂大輔選手相手に大空振り。
これは松坂デビュー戦にあたる試合だったため、片岡さんが空振りする姿がハイライトとしてよく使われており、そのイメージが強い人が多いです。ただその後の対松坂戦の成績はむしろ良いそう。
③モミ岡(結婚式前の破廉恥報道)
2chまとめなどでよく使われる片岡さんの愛称「モミ岡」。場合によっては「モミー」「モミ造」などとも言われます。
これは2001年のフライデー破廉恥報道(女性との恥ずかしい写真)からくるものだそう。奥さんと結婚したのもこの報道と同時期でしたが、この破廉恥な行為をした写真が撮られたのは1999年頃の話。
④応援歌「右投げ左打ち、実家は檜風呂 リフォーム リフォーム 片岡篤史」♪
これは阪神時代初期に歌われた伝説の応援歌です。
阪神時代の片岡さんの応援歌は日ハム時代のものを流用したものですが、歌詞を上記の通りに付け加え。これは片岡さんが実家のためにお風呂を檜風呂にリフォームし、その一番風呂に金村義明さんが入るというテレビ企画からきた歌詞だといいます。
中川家礼二の檜風呂応援歌
ただ現役時代に片岡さんが「歌詞が気になるから止めてくれ」と発言したことで、この応援歌は約2年ほど歌われただけであとは修正されてしまったとのこと。今では長く語り継がれていることからも、好意的にこの応援歌を受けて止めているようです。
片岡さんによると、”檜風呂”は”木製のサウナ”だったという衝撃の事実が!
片岡氏は、「2000年ぐらいに実家のお風呂を改造して、ホーローのお風呂と木製のサウナを付けた様子をテレビが撮ってくれた。それが、どこでどう間違ったか(阪神ファンの間で)檜風呂と認識されてしまい、それが僕の応援歌になっていた」といつの間にか応援歌ができていたと告白。
なお噂によるとこの「右投げ左打ち、実家は檜風呂 リフォーム リフォーム ♪」は、案に片岡さんのその独特なフォームをリフォームしろというファンからのメッセージだったとか、違うとか…。(特にこの応援歌が歌われた阪神時代は、あまり成績が奮わなかったということもある)
以上のように、成績以外のところでも数々のエピソードを残した片岡篤史さん。もちろんプロですので時に辛辣な目を向けられることもありましたが、ファンから愛され、印象に残るような選手だったのではないでしょうか。
片岡篤史の現役時代の年棒…推定生涯年俸は約20億円
2002年が年俸のピーク
片岡篤史さんの現役時代の年棒は以下のように言われています。
〜日本ハム時代〜
1992年 契約金6500万円
1993年 750万円
1994年 2400万円
1995年 4400万円
1996年 4000万円
1997年 3800万円
198年 7700万円
1999年 1.05億円
2000年 1.5億円
2001年 1.3億円
〜阪神時代〜
2002年 1.8億円(出来高含め最高12億円の5年契約)
2003年 1.8億円
2004年 1.6億円
2005年 1.8億円
2006年 1.8億円
〜生涯年棒〜 17億5050万円(出来高含めず)
片岡篤史さんの生涯年棒は17億円越えということで、一般人からは想像もつかないような額を現役時代の約14年で稼いでいます。
もちろんアメリカのメジャーリーグの一線で活躍するような選手からすると少ない額かもしれませんが、それでも一流の選手と言えるでしょう。
またコーチ時代も年数千万円(1000〜3000万円程度との推定)稼いでいたようですので、それを合わせると、約18億円前後はいっているのではないでしょうか。その他、もろもろ合わせると、20億も近いでしょう。
片岡篤史の結婚した嫁と子供について
片岡篤史、2001年オフに大学生だった邦子さん結婚
私服がダサいことでも知られた片岡篤史さん
片岡篤史さんは現役時代の2001年オフに結婚しました。お相手は約10歳ぐらい年下で、当時大学4年生だった一般女性でした。(当時片岡さんは32歳ぐらい)。
結婚報道によると、片岡さんの奥さんは(旧姓)竹内邦子さんといい、21歳で明治大学4年生でした。プロポーズは「(大学4年生の奥さんに向けて)永久就職でもええぞ」だったとの話しも。結婚した奥さんはかなり美人な方だそうです。
片岡篤史さんの元彼女は無名だった頃の女優・藤原紀香さんという話しもあるほどで、また週刊誌で破廉恥報道もありましたが、当時女性からモテモテだったのではないでしょうか。
なお片岡篤史さんと検索すると合わせて「ベッキー」とワードが出てきますが、ベッキーが結婚したのは2018年から巨人でコーチをつとめる片岡治大さんです。
片岡篤史、子供は息子が2人
片岡篤史さんの子供は息子が2人いる
画像は2006年の引退試合より。当時お子さんは、2~4歳ぐらいでしょうか。
片岡篤史さんの子供は息子が2人いて、それぞれ大空くんと吉平くんと言うそうです。
以下、2013年の記事より。
今年は長男の大空(だいすけ)(10)、次男の吉平(きっぺい)(8)とも向き合う時間が増えた。「見ていて『もうちょっとシャキッとせいよ』と思うこともある」と苦笑いした顔に、家族思いの一面をのぞかせる片岡。
どちらも2020年現在だと、10代後半ぐらいですね。特に野球をしているとか、そういった情報もありませんでした。
片岡篤史の現在…新型コロナウィルスに感染するも回復して退院
2020年4月に新型コロナウィルス感染を公表
片岡篤史さんは、自身のYouTubeチャンネルを通して新型コロナウィルス感染を公表。動画内での片岡さんのうつろな目、鼻チューブ姿、苦しそうな姿をアップした動画は大きな反響を呼びました。
動画では4月8日から入院していることを明かし、
感染予防を病床から訴えかけました。(感染経路には触れていません。)
感染経路:公表動画内では触れられず
4月8日 入院
4月14日 YouTube動画内で新型コロナウィルス感染公表
4月17日 食事がとれるようになり点滴が外された(高木豊Twitter情報)
4月24日 PCR検査で2回陰性になり退院を報告
片岡情報。
— 高木豊 (@bentu2433) April 17, 2020
やっと食事が少しだけ食べれるようになった。
その事により点滴がやっとはずされた。
豊さん、食べるって大事ですね、
少しでも食べると力が湧く。
当たり前の事だが、それを切実に伝えてくる。
コロナの恐ろしさを知る話だ。
がんばれ、片岡。
片岡篤史さんといえば現役時代から嫌煙家で、強靭な体を持ち活躍した一流の元プロ野球選手です。すでに10数年前に現役を退いているとはいえ、基礎体力はほかの同年代(アラフィフ)と比べれば高いと思います。
そんな片岡さんですが、4月24日に回復して退院したことを報告しました。
片岡篤史についてまとめると…
・片岡篤史は2001年オフに一般女性と結婚し、2人の息子にも恵まれた
・片岡篤史は2020年4月、新型コロナウイルスに感染したことを公表した。現在は回復して退院をしている
片岡篤史さんについてまとめました。2019年にはYouTubeチャンネルを開設し、日々動画を投稿しお元気そうでしたが、そこに新型コロナウィルス感染の報告…。しかし、その後は回復して、PCR検査でも2回陰性となり、退院しました。大事には至らなかったようで良かったです。