平成最強助っ人のアレックス・ラミレスは14歳年上の元嫁エリザベスと離婚し、日本人の嶋津美保さんと結婚し話題です。
今回はラミレスの経歴や成績、年俸推移、監督解任の噂、元嫁と現在の嫁、ダウン症の長男など3人の子供、現在の活動をまとめました。
この記事の目次
ラミレスはレジェンド級の元プロ野球選手
アレックス・ラミレス
本名:アレキサンダー・ラモン・ラミレス・キニョーネス
生年月日:1974年10月3日
出身:ベネズエラ
身長:180cm
ポジション:外野手
投球・打席:右投右打
ラミレスはNPBで長く活躍した元プロ野球選手です。
NPBでは3球団に所属し、外国人選手枠入団の選手としては初めて2000本安打を記録し、名球会入りしています。
また、外国出身ですが、NPBの横浜DeNAベイスターズで監督も務めました。
2019年には日本に帰化していますので、現在は日本人ですね。
明るいキャラクターも人気!
出典:oricon.co.jp
ラミレスはファンから愛された選手でした。
野球の成績がレジェンド級であるのはもちろんですが、いつもニコニコして明るいキャラクターで、ムードメーカーの役割を担っていました。
ホームランを打った後やヒーローインタビューでは、芸人のギャグを披露することが多く、志村けんさんの「アイーン」やダンディ坂野さんの「ゲッツ」などをカメラの前でやっています。
また、外国人選手の中では珍しく、日本語がとても上手なんです。
通訳をつけてはいたものの、実は通訳がいらないと言われるほどの日本語レベルで、選手とは通訳なしで意思疎通が十分にとれていました。
ただ、記者会見や戦略の話の場合は、細かいニュアンスが伝わらない・誤解を生む可能性を考慮して通訳をつけています。
また、通訳なしでも大丈夫だけど、そうすると自分の通訳が失業してしまうから、あえて通訳をつけているという説もあります。
そんな説が出るほど、ラミレスは愛されキャラなんです。
野球の成績も文句なし!日本で長くプレーしてくれている!さらに愛されキャラ!だから、ラミレスはファンから愛されているのでしょう。
ラミレスの経歴まとめ
生い立ち
ラミレスはベネズエラ出身で、首都の近郊にある小さな町「ピニャンゴ・デ・ジャレ」で育ちました。この町は人口200人でそのうち4分の3は、ラミレスの親戚というビックリな町です。
ラミレスは日本に来てからも、多い時は親戚100人に仕送りをしていたと言われています。
「親戚100人!?」と思うかもしれませんが、そんな町で育っていたら、みんな親戚・みんな家族のようなものですから、100人に仕送りをしていたのでしょう。
野球は5歳から始め、15歳で本気で野球選手になるために学校を退学して、野球に打ち込みます。
そして、18歳の時にベネズエラ国内の大会に出場していた時に、アメリカのメジャーリーグのスカウトの目に留まり、マイナー契約をすることになり、渡米が決まりました。
メジャー時代
出典:asahi.com
マイナーリーガーとして野球選手のキャリアをスタートさせたラミレスは、当時のメジャーリーグのストライキの影響もあり、なかなかメジャーに上がることができませんでした。
1998年にAAAで好成績を残して、同年9月に初めてメジャーに昇格したものの、チャンスは1打席しか与えられず、三振に終わりました。
2000年にはパイレーツに移籍します。移籍当初は好調だったものの、途中からスランプに陥り、スタメンから外されるようになりました。
NPB時代
2000年11月、ヤクルト・スワローズへの入団が発表されます。
NPBでは好成績を残し、2001年はヤクルトのリーグ優勝と日本一に貢献。
その後もコンスタントに好成績を残し、2007年には外国人の右打者としては初めて、シーズン200本安打を記録しました。
2007年オフにはヤクルトと契約交渉で決裂し、2008年シーズンからは巨人に移籍します。
巨人では長く4番を務めていましたが、統一球になったことやチーム事情が原因で、2011年オフに巨人を退団し、横浜DeNAベイスターズに移籍することになりました。
横浜DeNAベイスターズでは、2013年シーズンに外国人選手初の2000本安打を達成しますが、成績不振で戦力外通告を受け、2013年オフに退団しました。
NPB引退後
出典:nikkei.com
横浜DeNAベイスターズを退団した後、NPBでの現役続行を希望していましたが、2014年2月にBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスにコーチ兼選手としての入団が発表されました。
しかし、2014年のシーズン途中に「家族の病気療養の付き添い」のため、2回ベネズエラに帰国し、そのまま現役を引退してしまいました。
その後はオリックス巡回コーチなどを務め、2016年~2020年シーズンまで古巣の横浜DeNAベイスターズの監督を務めました。
ラミレスの成績まとめ
出典:iza.ne.jp
ラミレスのNPBでの成績を見ていきましょう。
年度 | 試合数 | 安打数 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
2001年 | 138 | 143 | .280 | 88 | 29 |
2002年 | 139 | 159 | .295 | 92 | 24 |
2003年 | 140 | 189 | .333 | 124 | 40 |
2004年 | 129 | 160 | .305 | 110 | 31 |
2005年 | 146 | 168 | .282 | 104 | 32 |
2006年 | 146 | 161 | .267 | 112 | 26 |
2007年 | 144 | 204 | .343 | 122 | 29 |
2008年 | 144 | 175 | .319 | 125 | 45 |
2009年 | 144 | 186 | .322 | 103 | 31 |
2010年 | 144 | 172 | .304 | 129 | 49 |
2011年 | 137 | 133 | .279 | 73 | 23 |
2012年 | 137 | 143 | .300 | 76 | 19 |
2013年 | 56 | 22 | .185 | 14 | 2 |
通算 | 1744 | 2017 | .301 | 1272 | 380 |
通算打率は3割を超えています。しかも、実働13年で2000本安打を達成できるのは、「さすがラミレス!」としか言えない成績です。
次に、個人タイトルを見てみましょう。
・ホームラン王:2回(2003年、2010年)
・打点王:4回(2003年、2007年、2008年、2010年)
・最多安打:3回(2003年、2007年、2009年)
・MVP:2回(2008年、2009年)
・ベストナイン4回:(2003年、2007年、2008年、2009年)
ラミレスは首位打者のタイトルは1回しか取っていないですね。
打率が.343の2007年は、ヤクルトの青木選手が.346で首位打者を獲得しています。レベルが高いシーズンでした。
ラミレスが「平成最強助っ人」と呼ばれているのも納得の成績です。
ラミレスの年俸の推移まとめ
ラミレスのNPBでの年俸の推移を見ていきます。
・2002年:9000万円
・2003年:1億4500万円
・2004年:2億円
・2005年:3億円
・2006年:3億円
・2007年:3億円
・2008年:5億円
・2009年:5億円
・2010年:5億円
・2011年:5億円
・2012年:3億5000万円
・2013年:3億5000万円
さすが、平成最強助っ人の年俸です。合計すると40億9000万円になります。これに出来高も加わりますので、NPBでの総年俸はさらに高くなると思われます。
ちなみに、横浜DeNAベイスターズの監督時の年俸は7000万円でした。
ベネズエラの人口200人の町から出てきて、はるばる来日し、40億円以上を稼ぎ出すなんて、NPBはMLBに比べると規模は小さいものの、やっぱり夢がありますね。
ラミレスはまゆゆに似ていると話題に
ラミレスはインターネット上でまゆゆに似ていると話題になりました。まゆゆとは現在は芸能界を引退した元AKB48の渡辺麻友さんのことですね。
主に2ちゃんねるのなんJ(なんでも実況ジュピター)での噂で、ラミレスとまゆゆは激似で、見分けがつかないほどだなんて言われていたんです。
こんなコラ画像まで作られるほどでした。
出典:ameblo.jp
どうでしょう?似ていますか?確かに目元は似ているかもしれませんね。
まゆゆになぞらえて、ラミレスは「らみみ」と呼ばれることもあったほどです。
ラミレスは監督を解任された?
ラミレスは外国人監督として、2016年シーズンから2020年シーズンまで横浜DeNAベイスターズの監督を務めていました。
2020年シーズンを持って監督を退任していますが、この時「解任されたのではないか?」という噂が出ました。
というのも、ラミレスが「優勝に必要な戦力は全て整っていた。この結果を招いた責任は取らないといけない」と成績不振の責任を取って辞めると述べたからです。
確かに、2020年シーズンのDeNAベイスターズは4位で、Bクラスでした。
しかし、どうやら解任ではないようです。その理由はこちらです。
・三浦大輔監督は既定路線だった
・5シーズンも監督を務めた
・球団はポストを用意していた
本来なら2019年シーズンで契約が切れたのですが、そこから1年契約を結んで、2020年シーズンに臨んでいました。だから、2020年シーズンオフで契約が切れることになります。
さらに、2016年からの長期政権になっていました。さらに、退任報道が出た時、球団は新たなポストを用意し、球団に残ってもらおうとしていました。
そして、何より番長・三浦大輔氏が横浜DeNAベイスターズの監督になるのは、かなり前からの既定路線だったはずです。
それは球団もラミレスも知っていたはずで、三浦大輔氏は2019年は投手コーチ、2020年は二軍監督として経験を積みましたので、2021年に一軍監督になるのは分かり切ったことでした。
だから、解任というわけではなく、ラミレスが横浜DeNAベイスターズの監督を退任したのは既定路線であり、球団もラミレス自身も双方分かっていたことだったと言えるでしょう。
ラミレスと元嫁・エリザベスの馴れ初め~結婚生活
ラミレスが結婚した嫁について見ていきましょう。
ラミレスは離婚歴があります。まずは、最初の嫁のエリザベスさんとのエピソードから紹介していきます。
エリザベスとは来日前に結婚
ラミレスが最初に結婚した嫁は、エリザベスさんという女性で、ラミレスの14歳年上になります。
出会いはアメリカ。ラミレスが18歳の時でした。
マイナー契約をしたラミレスはアメリカに行きましたが、当時は英語が全く話せず、銀行で困っていた時に助けてくれたのが、その銀行で働いていたエリザベスさんでした。
エリザベスさんはプエルトリコ出身なので、スペイン語が話せたのです。そして、自分の窮地を救ってくれたエリザベスさんにラミレスは一目ぼれし、積極的にアプローチします。
エリザベスさんは2人の息子を持つシングルマザーでしたが、1994年に結婚しました。
1994年というと、ラミレスはまだメジャー昇格もしていないマイナーリーガーです。20歳で14歳年上の女性と結婚するなんてすごいですよね。
献身的にラミレスを支える
ラミレスの嫁のエリザベスさんは献身的にラミレスを支えました。
ソフトボールをしていたエリザベスさんは、プレー面でもアドバイス。エリザベスさんのバッティングの助言で、3本連続でホームランを打ったこともあるそうです。
ラミレスのNPB入りの後押しをしたのも、嫁のエリザベスさんでした。そして、まったく文化が違い、言葉も通じない日本に一緒に来て、ラミレスの活躍を支えたのです。
最高の嫁ですよね。エリザベスさんがいなかったら、ラミレスの活躍はなかったかもしれません。
日本に来てラミちゃんカフェをしていた
NPBで13年もプレーすることになったラミレスですが、それは嫁のエリザベスさんも同じです。
エリザベスさんはラミレスと一緒にカフェレストラン「ラミちゃんカフェ」を開き、そこで働いていました。
2013年にテレビで特集された時には、「日本に骨を埋める覚悟」とまで話していたんです。
そして、この時点でラミレスは38歳、エリザベスさんは52歳でしたが、2人はとてもラブラブでした。
2015年に離婚
しかし2014年、エリザベスさんはFacebookに不穏な書き込みをしました。
2014年といえば、ラミレスはBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでプレーをしていた時で、家族の病気療養付き添いのためにベネズエラに2回も長期的に帰国していた時です。
エリザベスさんのFacebookには次のようなことが書かれていました。
主人が5月8日に出て行ったきり、彼とはそれ以来、会っておりません。5月に私の今までの結婚生活がひっくり返り、心が粉々に砕け散った出来事が発覚しました
そして、2015年3月に2人の協議離婚が成立しました。
ラミレスと元嫁・エリザベスの離婚原因とは
2013年の時点ではラブラブだったはずのラミレスと嫁のエリザベスさんですが、2014年5月にラミレスが家を出てしまったとのこと。一体何があったのでしょうか?
ラミレスが「家族の病気療養の付き添いのため」と称してベネズエラに帰国したのは2014年6月で、ラミレスが家を出ていった時期と少しずれます。
おそらく、ラミレスはこの時点で不倫をしていたと思われます。
ラミレスこれは不倫で離婚くさいな。
— hide (@hide_f2007) November 29, 2014
ラミレス完全に不倫か
— T-寄り道 (@t_yorimichy) January 6, 2016
しかも、インターネット上の噂では、不倫したことでクラミジアに感染し、それを嫁のエリザベスさんにうつしたとも言われているんです。
そして、不倫相手は現在の嫁の可能性があります。
ラミレスと今の嫁の美保さんが知り合ったのは、美保さんが31歳の時。ラミレスは美保さんの7歳年上だから38歳。そして、それは2014年ごろになります。
長男の出産時期(長男が生まれてから半年後にDeNAベイスターズの監督就任。ベイスターズ監督就任は2015年10月)を考慮しても、遅くとも2014年から不倫をしていたのは明らかです。
となると、やはりラミレスとエリザベスさんが離婚した原因は、ラミレスの不倫で間違いないでしょう。
ラミレスの現在の嫁・嶋津美保とは
ラミレスはエリザベスさんと離婚した後、嶋津美保さんという日本人女性と再婚しています。
2015年に結婚
ラミレスと元嫁のエリザベスさんは、2015年3月に離婚が成立しました。そして、美保さんとはその翌月の2015年4月に結婚しています。これは明らかに不倫していましたよね。
美保さんはラミレスの7歳年下の綺麗な女性です。
2021年2月には、「人生変わる1分間の深イイ話」にラミレスの嫁として出演されていました。
美保さんはジムを経営
ラミレスと再婚した嫁の美保さんは、現在「クロスフィットモトマチベイ」というジムを横浜で経営しています。
ご本人もインストラクターをされていて、ムキムキでスタイルが良いんです。
このジムは2019年11月にオープンしています。この時、長女を出産して2か月後だったということですので、とてもパワフルな女性であることが分かります。
また、美保さんはこれ以外にも株式会社KAMJという会社も経営しています。この会社はラミレスと結婚してすぐの2015年8月に設立されていて、次のような事業をしています。
・バモストゥギャザーヨコハマの企画運営
・スポーツイベントの企画運営
・キッズイベントの企画運営
・プロスポーツ選手のマネジメント
結婚してすぐにこのような会社を立ち上げるのは、なんとなく怪しいと思ってしまうのは、うがった見方でしょうか?
ラミレスの子供(長男)はダウン症
ラミレスの子供はダウン症という噂がありますが、本当でしょうか?
ラミレスの子供の情報を調べました。
子供は3人
ラミレスは嫁の美保さんとの間に3人の子供がいます。
・次男:寿凛(ジュリ)
・長女:莉明(リア)
長男は2015年生まれ、次男は2018年、長女は2019年生まれですね。
ラミレスのInstagramや嫁がやっている「ラミちゃんファミリーです by 嫁」には、3人の子供たちや家族5人の幸せそうな様子の画像がたくさん載せられています。
長男はダウン症であることを公表
長男の剣侍(ケンジ)くんはダウン症であることを、ラミレス自身がInstagramで公表しています。確かに、言われてみると、顔立ちがダウン症特有のものですよね。
また、生まれつき心臓に病気があって、生後2か月で心臓の手術をしたそう。現在でも1年に1回は定期検診を受けているとのことです。
長男はダウン症ですが、ラミレスは長男が生まれた時、次のように美保さんに語ったそうです。
「ベイビー、イッツOK。多分ダウン症だけど、何の問題があるの?きょうあなたは大変な出産をして、こんな素敵な子供が生まれて、何の問題があるの」
引用:ラミレス氏夫人 長男ダウン症と分かり「とにかく泣いた」 前向きな夫に救われる/芸能/デイリースポーツ online
そして、ラミレスさんは言葉だけでなく、行動でもダウン症に対して前向きな姿勢を見せます。
2018年には知的障害をもつ若者に寄付されるLINEスタンプを発売したり、ダウン症の子供たちを支援する活動を積極的に行っています。
その様子は、Instagramなどで見ることができます。
ラミレスの現在
ラミレスは現在、横浜DeNAベイスターズを退任していますので、野球に直接関わってはいません。
奥さんと一緒にジムの経営をしたり、YouTuberとして「ラミちゃんねる!」を運営したりしているようです。もちろん、野球の取材なども行っています。
NPBの監督をしている時よりも、家族と過ごす時間は増えているはずですから、現在の方が充実した時間を過ごしているのかもしれませんね。
ラミレスのまとめ
ラミレスのプロフィールや経歴、成績や年俸の推移、監督解任の噂やエリザベスさんとの離婚原因、嫁の美保さんとの結婚の経緯や子供、現在の活動などをまとめました。
エリザベスさんとの離婚や現在の嫁との結婚時期にはちょっとモヤッとしますが、それでも素晴らしい成績を残し、ファンから愛されたプロ野球選手であることには変わりありません。