2018年のFIFAワールドカップ・ロシア大会に日本代表選手として出場したSD(サイドバック)の酒井高徳さん。ドイツ・ブンデスリーガ所属のハンブルガーSVでキャプテンを務めるイケメンハーフの選手です。
酒井高徳さんのプロフィール、父・母・兄弟など家族情報、そして結婚した嫁と子供の情報など現在までを総まとめしました。
この記事の目次
酒井高徳のプロフィール~ハーフや家族について
酒井高徳は父親が日本人、母親がドイツ人のハーフ
ドイツにゆかりのあるハーフイケメン選手・酒井高徳
酒井高徳さんはJリーグの当時J1所属のアルビレックス新潟からプロデビューを果たし、母親の生まれ故郷であるドイツのブンデスリーガ1部所属のシュトゥットガルトを経て、現在は2018年に2部に降格してしまったハンブルガーSVで活躍しており、2017年末に2021年6月までの契約更新をしていることを発表しています。
本名: 酒井 高徳(さかい ごうとく)
愛称: ゴートク、ゴウ
国籍: 日本
生年月日: 1991年3月14日
出身地: 新潟県新潟市
身長: 176 cm
体重: 74 kg
在籍チーム: ドイツの旗 ハンブルガーSV
ポジション: DF (SB) / MF
背番号: 24
利き足: 右足
引用:Wikipedia – 酒井高徳
酒井高徳さんの父親は日本人で母親がドイツ人であり、4兄弟の次男です。左の画像からは母親はとても豪快なお母さんという感じが分かります。
酒井高徳さんはドイツ人の血を引いていますので体格に恵まれており、日本人にはないフィジカルの強さを持っています。
酒井高徳の兄弟は全員プロのアスリート
酒井高徳さんの兄弟もそれぞれプロのアスリートですが、一番の稼ぎ頭はやはり酒井高徳さんのようですね。
長男、酒井高喜(さかい ごうひ)
酒井高徳さんの長男・酒井高喜さんは柔道家だということです。
三男、酒井宣福(のりよし)
三男の酒井宣福さんは酒井高徳さんも所属していたアルビレックス新潟ユースに入団し、アビスパ福岡、ファジアーノ岡山を経て現在は大宮アルディージャで活躍するなどJ2リーグのプレーヤーです。
四男、酒井高聖(ごうそん)
酒井高徳さん、酒井宣福さんら兄と同様にアルビレックス新潟ユースに入団し、J3リーグ・福島ユナイテッドFCを経て現在はドイツ4部リーグのリューネブルクSKハンザに所属しています。
酒井高徳、通信制高校で学びながらアルビレックス新潟ユースで活躍
酒井高徳さんの生まれはニューヨークで、父親の仕事の事情で2歳の時に新潟県三条市に一家で移住しました。
幼少期からサッカーに慣れ親しんでいた酒井高徳さんが本格的にサッカーを始めたのは10歳の頃で、三条市立大崎小学校に通いながら三条サッカースポーツ少年団、レザーFSジュニアユースを経て2006年にアルビレックス新潟ユースに入団しました。
また、高校はアルビレックス新潟ユースの選手たちが籍を置く通信制の開志学園高校に進学しています。
その後、17歳頃となる2008年に同チームのトップチームにも籍を置くことになり、同年11月5日は完全にトップチームへの昇格が決まりました。
同年11月15日には天皇杯の5回戦でFC東京と対戦し、これが酒井高徳さんにとってのトップチームでの公式デビュー戦となりました。
そして、2009年3月7日に開催されたJリーグ開幕戦で再びFC東京と当たり、酒井高徳さんはJリーグデビューをしています。
酒井高徳、母親の母国ドイツでの活躍と日本代表からの引退
酒井高徳、ドイツ・VfBシュトゥットガルトに移籍
母親の母国・ドイツに挑戦した酒井高徳
酒井高徳さんは2011年12月23日に母親の母国であるドイツリーグ・ブンデスリーガ所属のVfBシュトゥットガルトへ期限付きでの移籍が発表されました。
VfBシュトゥットガルトとは2013年6月30日までの期限付きという契約でしたが、アルビレックス新潟出身の選手が欧州リーグにチャレンジしたのは酒井高徳さんが初めてでした。
酒井高徳さんは2012年2月11日に行われた第21節ヘルタ・ベルリン戦でスターティングメンバーとして出場しブンデスリーガデビュー戦となりました。
酒井高徳さんはすぐにVfBシュトゥットガルトのレギュラーを獲得し、地元紙『WELT』からプレーを高く評価されたことから「ドイツ代表に招集するべき」と伝えられました。
酒井高徳さんは期限付き移籍でしたが2013年1月10日にVfBシュトゥットガルトへの完全移籍が決まり、16年6月までの期限での契約が結ばれました。
2015年2月14日の第21節ホッフェンハイム戦で酒井高徳さんはブンデスリーガでの初得点を挙げてました。
酒井高徳、ドイツ・ハンブルガーSVに移籍
ドイツでのプレーにこだわる酒井高徳
酒井高徳さんはシュトゥットガルトで監督変更などによりレギュラーから外れ出場機会が減ったことや、シュトゥットガルトに移籍した当時の監督だったブルーノ・ラッバディアからオファーを受けて2015年7月5日に同じくブンデスリーガ1部所属のハンブルガーSVへ完全移籍しました。
酒井高徳さんは同年11月7日に第12節ダルムシュタット戦で初出場を果たし、2016年2月7日に行われた第20節ケルン戦からレギュラーメンバーに定着しました。
同年3月6日に行われた第25節ヘルタ・ベルリン戦で酒井高徳さんはブンデスリーガでの通算100試合を記録しています。
酒井高徳さんはハンブルガーSVの監督・マルクス・ギズドルにリーダーシップを認められて同年11月18日にキャプテンに任命され、日本人がブンデスリーガのクラブチームでキャプテンを務めたのは史上初でした。
以降、酒井高徳さんはそれまで務めていたSB(サイドバック)以外にもMF(ミッドフィールダー)のボランチも担うようになり、攻撃機会が増えたことから2017年1月28日に行われた18節FCインゴルシュタット04戦でブンデスリーガで2年ぶりとなる得点をミドルシュートで決めました。
酒井高徳さんがキャプテンに就任した時はハンブルガーSVはブンデスリーガ最下位であり、2部降格の危機に直面していましたが、チームを率いて何とか1部残留を決定しました。
シーズン終了後には今まで一度も2部に降格した事のないチームのキャプテンを任される事について「何が何でも『2部に降格させた初めてのキャプテンが日本人だ』なんていうのは、もう絶対に、絶対に俺のプライドが許さないっていう感じのがありました。その重圧っていうのはすごくありましたね。何なら最終節の試合の途中でも『マジかよ』と思いながらプレーした時間帯もありました」とプレッシャーがかかっていた心境を吐露した
しかし、翌2017年シーズンからもハンブルガーSVは不調続きとなり、リーグを終えてついに2部に降格してしまいました。
ハンブルガーSVは1963年にブンデスリーガが発足してから一度も2部に降格したことがない名門クラブだったことから、ハンブルクの街は深い悲しみに包まれていたそうです。
しかし、酒井高徳さんはキャプテンとしてハンブルクの街の人々からバッシングを浴びることなく、ハンブルガーSVからの期待も変わらず契約更新をしたことを自身のインスタグラムで発表しました。
「親愛なるHSVファンのみなさん。僕はまず、シーズンを通してサポートをしてくれて、最後まで僕たちを信じ続けてくれたみなさんに感謝したい。不運にも結末は望んだ通りにはなりませんでした。失望は深く、誰もが傷つきました。でも、これは終わりを意味するのではありません! むしろHSVにとって新たなスタートなのです。僕は新たな昇格というゴールに向けて、これからもHSVの助けになれればと思います。自分の持てる力を出し切って、すべてをチームに捧げたい。そしてもちろん、今シーズンと同様に、みなさんの偉大なサポートが必要です。一緒にそれを達成しましょう! あらためて、声援ありがとうございました。僕はHSVの選手であることを誇りに思います」
引用:サッカーダイジェストウェブ – 「最高のキャプテンだ!」「涙が止まらない」契約延長を決めた酒井高徳の熱き想いにファン喝采!
酒井高徳さんは日本人ながらドイツ人のスピリットも持っているようで、ハンブルクの人々に愛されているようですね。
酒井高徳、日本国籍を選択と日本代表としての活躍
日本国籍を選択した酒井高徳
多重国籍の場合は通常20歳までに選択することが可能ですが、酒井高徳さんはU-15日本代表選手選抜が目前に迫っていたことから日本・アメリカ・ドイツのいずれかからすぐに選ぶ必要があり、迷いなく日本を選択しました。
酒井高徳さんは日本語しか話せないことからも自分をずっと日本人だと認識しており、日本の国籍を選ぶのに何の迷いも無かったことを語っており、それによって日本代表選手になれたことがとても嬉しかったそうです。
日本代表入りをした酒井高徳
酒井高徳さんは2006年のU-16日本代表を始め、U-17、U-18それぞれで代表に選ばれています。
そして、酒井高徳さんは2008年にもU-20日本代表に選ばれており、SBSカップや国際ユースサッカーなどに出場して活躍しています。
酒井高徳さん2010年1月6日のAFCアジアカップ2011最終予選でも日本代表に選出されてイエメン戦を戦いました。
しかし、2010年のW杯・南アフリカ大会では酒井高徳さんは代表チームに入ることができずサポートメンバーとして影から支えました。
また、同時にチームトップクラスのスタミナを持っており、サイドアタッカーとして駆け上がりながらディフェンスにシフトする速さ、左右のサイドハーフでもプレーができる幅の広さも酒井高徳さんの武器となっています。
酒井高徳さんは右利きですが両足どちらでも同じクオリティでボールを蹴ることができ、利き足ではない左でのフリーキックを任されることも少なくありません。
2011年6月にはロンドンオリンピック予選にU-22日本代表として出場した酒井高徳さんは、翌年のオリンピック本大会にも選抜され、右SB(サイドバック)の酒井宏樹さんが怪我をしたため4試合全てに出場してベスト4に貢献しました。
酒井高徳、日本代表戦デビューを果たす
2012年9月6日に酒井高徳さんの実家がある新潟の新潟スタジアムでキリンチャレンジカップ2012が開催され、UAE戦で日本代表デビューを果たしました。
酒井高徳さんは2014年W杯・ブラジル大会の日本代表メンバーに選抜されましたが、本大会では出場機会に恵まれずグループリーグで敗退しています。
酒井高徳、日本代表からの引退を発表
2018年7月、W杯ロシア大会の1次リーグ・対ポーランド戦で初めてW杯のピッチにたった酒井高徳さんでしたが、大会をもって日本代表からの引退を表明しました。
DF酒井高はベルギー戦後に「次のワールドカップ(W杯)を、僕は目指すつもりはない。未来と希望がある選手が目指したほうがいい」と述べ、代表引退する意向を明かした。
🇯🇵酒井高徳🇯🇵
— ⓣⓞⓜⓞ (@gkjuventus) 2018年7月3日
“日本代表引退”😭
クラブチームで頑張ってな💪
ほんとに素晴らしい選手やし、これからも応援し続けます。
本当にお疲れ様です✨ pic.twitter.com/hs36zklcRp
酒井高徳は19歳で同郷の女性と結婚~嫁は中学の同級生
酒井高徳、2010年8月に19歳の若さで結婚
酒井高徳さんの嫁や子供について詳しい情報は公開されていませんが、2010年8月30日の19歳という若さで結婚していると言われています。
嫁は同じ新潟県出身の一般人女性ということで中学の同級生の可能性があります。
一部に酒井高徳さんの嫁がスターダストプロモーション所属のタレントのように噂されていますが、Jリーグの公式サイトで結婚報告がされた際にコメントで一般人女性だと伝えられています。
2人で力を合わせて、幸せな家庭を作りたいと思います。家族を持つことで、これまで以上に責任と自覚を持ち、プレーに打ち込んでいければと思います。
これからも応援よろしくお願いします。
※お相手は一般の方となりますので、プロフィル等は差し控えさせていただきます。
ドイツへ挑戦する直前に結婚しており、結婚後も嫁に何度もドイツに来てもらってサポートされていたことを酒井高徳さんは報告しています。
「彼女はこれまでずっと自分がサッカーに集中できるようにドイツにも何度か足を運んでくれ色々なサポートをしてくれています。この結婚により環境が整ったことで選手として更に上のステージを目指していきます。まだまだ未熟な2人ですが力を合わせて一緒に頑張っていきたいと思っております。これからもアルビレックス新潟と日本のサポートの皆様からの変わらぬ応援をよろしくお願いします。」
酒井高徳には子供は娘が2人
酒井高徳、2010年に長女と2012年に次女が誕生!
酒井高徳さんと嫁の間には2人の子供に恵まれていますが、2010年に第一子となる長女が、2012年に次女が生まれています。
長女の名前は明かされていませんが、次女は結望(ゆの)ちゃんという名前のようです。
嫁が純日本人かどうかは不明ですが、もしそうなら酒井高徳さんがハーフなので子供たちはクォーターということになります。
酒井高徳について総まとめすると…
・酒井高徳は高校時代からアルビレックス新潟ユースに入団。そのため、高校は通信制高校を卒業している。
・酒井高徳は2010年、19歳の若さで同郷の一般女性と結婚した。
・酒井高徳には2010年と2012年に生まれた子供(娘)が2人いる。
・酒井高徳は2018年W杯ロシア大会をもって、日本代表からの引退を表明した。
地元のアルビレックス新潟からプロデビューを果たし、日本代表も務めてきた頼れるSD(サイドバック)酒井高徳さんについて総まとめしてきました。
酒井高徳さんは現在母親の母国であるドイツのブンデスリーガ・ハンブルガーSVでキャプテンを務めていますが、2018-2019年シーズンは1部リーグ復帰を果たして欲しいですね。
W杯・ロシア大会には日本代表選手として出場していましたが、決勝トーナメント初戦のベルギー戦で惜しくも敗退してしまいました。
酒井高徳さんは今大会で日本代表を引退しましたが、酒井高徳さんのようなフィジカルの強い選手が今後増えてきたら決勝トーナメント常連国になっていけるかもしれませんね。