タレントの向井亜紀さんは過去に子宮頸がんで手術を受けており、現在の子供は代理母出産だそうです。
今回はそんな向井亜紀さんの旦那や子供の代理出産について、また子宮頸がんのステージなど情報を総まとめしました。
この記事の目次
向井亜紀プロフィール
名前:向井 亜紀(むかい あき)
本名:髙田 亜紀
生年月日:1964年11月3日
向井亜紀さんは映画、テレビドラマ、Vシネマに役者として出演しながらも役者だけの活動ではなくバラエティ番組やトーク番組にも出演し、タレントとしての活動もしています。
夫はプロレスラーで総合格闘家の高田延彦さん、所属事務所も現在は高田道場となっています。
向井さんは埼玉県大宮市出身で、小学校の頃は引っ越すことも多く小学校1年生は蕨市立北小学校、小学校2年生は大宮市立馬宮東小学校、3年生~6年生までは大宮市立栄小学校で過ごし、大宮市立馬宮中学校、埼玉県立浦和第一女子高等学校を経て、日本女子大学家政学部家政理学2部生物系に進学するものの、芸能界入りしたことにより学業との両立が困難となったことから、2年次在学中に中途退学してしまいます。
父親は医師・母は高校の化学教師
父親は医師で母親は高校の化学教師、実家は耳鼻科医院という立派なお家柄です。その影響から、幼い頃から理系を志望しており、将来は中学校の理科教師を目指していました。
デビューは文化放送「ミスDJリクエストパレード」でデビューを飾り、当時はアイドルとしてグラビア・写真集、トレンディードラマなどにも出演していました。
向井亜紀の旦那・髙田延彦プロフィール
名前:髙田 延彦(たかだ のぶひこ)
本名:髙田 伸彦
通称:平成の格闘王/青春のエスペランサー/わがままな膝小僧/最強/アイ・アム・プロレスラー/ジャパニーズ・ラスト、出てこいや!
生年月日:1962年4月12日
出身:神奈川県横浜市泉区
身長:183cm
体重:100kg
階級:ヘビー級
髙田延彦さんはレスリングと格闘技の道場「高田道場」の主宰者であり、格闘技イベント「PRIDE」の統括本部長を務めていたことでも有名です。
少年時代は長嶋茂雄さんに憧れる野球少年で、少年野球ではオール橫浜に選出されるが、長嶋茂雄さんの引退と共に野球熱が冷めてしまいます。
アントニオ猪木にあこがれプロレスの世界へ
高田さんは、アントニオ猪木さんに憧れて、中学生になった頃にはプロレス入りを決意。中学校卒業後にはアルバイトをしながら独自の方法で体を鍛え、1980年に新日本プロレスへ入団し、1981年5月9日に保永昇男戦でデビューを飾ります。
1984年に師匠藤原喜明さんの誘いで、新日本プロレスを離脱し、オープニングシリーズでは選手貸出しの形で参戦していたUWFに移籍して前田日明さんと合流を果たします。また、「わがままな膝小僧」という異名は当時「ワールドプロレスリング」の実況を担当していた古舘伊知郎さんからつけられたものです。
UWFインターナショナルを設立し社長に就任すると人気を博し、1992年にはプロレス大賞のMVPである年間最優秀選手に選ばれます。
しかその後、自らは興行会社としてのプロレス団体ではなく所属選手を持つ格闘技の道場として「高田道場」を設立します。
総合格闘家時代は早く2002年11月24日、PRIDE.23の田村潔司さん相手に引退試合を行い、2Rに右フックで失神KO負けをしてしまい、引退をし、引退後はPRIDE統括本部長に就任し、同時にPRIDE中継の解説も行い、2015年にはRIZIN FIGHTING FEDERATIONの統括本部長に就任しています。
向井亜紀の子宮頸がんのステージは?
妊娠判明と同時に子宮頸がんが発見された向井亜紀
2000年9月に妊娠判明と同時に子宮頸がんが発見されてしまいます。妊娠16週の時に妊娠継続をあきらめ、2000年11月21日広汎子宮全摘出手術を受けることとなりました。
当時子宮頸がんのステージはレベル5でした。
レベル5は明らかに悪性と断定できる異型細胞があり、進行したがんが疑われる状態です。
向井亜紀さんは一気に天国から地獄に落ちた様な気分になったそうです。
赤ちゃんができたという天国のような気持ちから、真っ逆さまに地獄に突き落とされたような気分になり、2週間以上激しく落ち込みました。
赤ちゃんが出来た嬉しい気持ちから子宮頸がんが発見されたこと、そして出産を諦めなければいけなくなってしまったこと、そうなってしまえば落ち込むのは当たり前のことでしょう。
子宮頸がんとは?
子宮頸がんはとにか早期の発見が重要です。特に初期の子宮頸がんは、全く症状がなく、なかなか気づくことが出来ないそうです。なので、基本的にいつもと違う症状を感じたらすぐに病院で見てもらうのが良いのです。
子宮頸がんは、子宮の入り口の子宮頸部とよばれる部分から発生します。子宮の入り口付近に発生することが多いので、普通の婦人科の診察で観察や検査がしやすいため、発見されやすいがんです。また、早期に発見すれば比較的治療しやすく予後のよいがんですが、進行すると治療が難しいことから、早期発見が極めて重要といえます。
引用:子宮頸がん 基礎知識
子宮頸がんが発生してしまう理由としてはヒトパピローマウイルスという感染が関連しているのだそうで、これは性交渉で感染することが知られているウイルスです。
実際子宮頸がんの患者さんの90%以上からこのウィルスが検出されています。
しかし、感染そのものはまれではなく、感染しても、多くの場合、症状のないうちにHPVが排除されるそうですが、排除されず感染が続くと一部に子宮頸がんの前がん病変や子宮頸がんが発生するのだそうです。
また喫煙も、子宮頸がんの危険因子になることがあります。
向井亜紀の子供は代理母出産でうまれた!
アメリカでの代理母出産を決意した向井亜紀
子宮頸がんにより一度は出産を諦めてしまった向井亜紀さんですが、2002年8月「高田延彦さんの優秀な遺伝子を残したい」との理由で代理出産依頼のためアメリカ合衆国・ネバダ州へ渡ります。
8月、12月と2度、体外受精による胚を代理母サンドラの子宮に移植し着床を試みるが失敗してしまいますが、翌年2003年、新薬による成果で奇跡的に卵子が3つ採卵でき、高田延彦さんの精子と体外受精を行い、胚を代理母シンディの胎内に移植したところ、2つの胚が着床に至り、
2003年11月に代理母シンディの帝王切開出産により、双子の男児が生まれます。
2003年11月、代理母出産により万里くんと結太くんが誕生
子供たちの名前は、代理母を引き受けてくれたアメリカ人・シンディ・ヴァンリードさんの名前から「ばんり」をもらい、代理出産という長い道のりを太く結んでくれたという意味で「ゆうた」と名付けたそうです。
子供たちの戸籍に関しての質問に対して向井亜紀は「アメリカ人であろうが、日本人であろうが、実の親子であろうが、養子であろうが、自分たちが親子であればそれでいい。紙の上のことは後付けでいい。本当の家族であることに変わりない」と宣言し、父親である高田延彦さんも「法改正に頑張ろうという気持ちはない。今あることが僕たちの家族のスタイル」と答えました。
向井亜紀 代理母出産後の出生届不受理で裁判するも敗訴
「実子」として出生届を提出するも受理されず裁判へ
実際向井亜紀さんを「母親」とし「実子」として出生届を提出すると、分娩者を母親とする日本の戸籍法の解釈から区役所側は法務省に判断を仰ぐとして書類を受理せず預かりの形となってしまいます。
そして双子の出生届は不受理となり、向井夫妻は出生届不受理決定を不服とし、東京家裁へ処分取り消しを申し立てるものの、東京家裁は申し立てを却下し向井夫妻は東京高裁に即時抗告しました。
2006年9月29日に東京高等裁判所は「子供の福祉の観点」「米国の確定裁判を承認すべき」との理由により、品川区役所に出生届受理命令の判断を下すものの、法務省は、「我が国の従来の考え方と異なり、問題が残っている」「(法解釈では)出産した女性を母親とする」「議論を深める必要がある問題だ」として最高裁判所の判断が必要と不服申し立てをするよう品川区役所に指示しし、品川区役所によって、高等裁判所の判例において判例違反及び法令解釈上、非常に重要な問題が含まれている場合に抗告の許可を求めて行われる、許可抗告が申し立てられ、これにより、代理出産により生まれた双子の出生届受理に関する結論は最高裁まで持ち込まれてしまいます。
そして2007年3月23日、最高裁は「立法による速やかな対応が強く望まれる」としながらも、東京都品川区の出生届の受理を命じた東京高裁決定を破棄し、受理は認められないとする決定、つまり向井夫妻は敗訴してしまったのです。
同じく代理母出産で男児を授かった丸岡いずみ・有村昆夫妻
代理母出産で第一子男児を授かった丸岡いずみさん、有村昆さん夫妻
なぜ今、向井夫妻に焦点が当たっているかというと、フリーアナウンサーの丸岡いずみさんと映画コメンテーターの夫・有村昆さんとの間に2018年1月3日、ロシア在住の女性の代理母出産で第1子男児を授かったことからです。
このことに対して向井亜紀さんもコメントをしています。
向井は「おめでとうございます」のタイトルでブログを更新。通常の朝はバタバタすることから、テレビはつけないというが、「雪の情報を知りたくて、珍しくテレビのスイッチを入れたところ。飛び込んできたのが、有村さん丸岡さんご夫妻のベビちゃん誕生のニュースでした」とつづり「おめでとうございます。ものすごーく静かに応援しておりました」と祝福した。
代理母出産でうまれた双子の現在は?
現在は中学生となった向井さんの子供、万里くんと結太くん。
向井さんと高田さんは、代理母出産で生まれてきたことを正直に伝えてきたそうです。
「少なくともここまでは、子どもたちに出自を正直に伝え続けてよかったと思っています。命を大切に生きていってほしい。本当にもうそれだけです」とブログに綴っていました。
まとめ
・向井亜紀は2000年9月、妊娠判明と同時に子宮頸がんが発見され、妊娠を諦め子宮全摘出をした。当時のがんの進行度はステージ5だった。
・向井亜紀は2003年11月、代理母出産で双子の男児を授かった。名前は「万里」と「結太」。
これから先も代理母出産を選ぶ人は増えてくるでしょう。しかし、向井夫妻もぶつかった日本の法律の壁に関してはこの先どうなっていくかわかりません。このまま代理母出産が増えてくるならばいずれは法改正も考えていかなければいけないのではないでしょうか。
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