宇多田ヒカルさんの母親・藤圭子さんは2013年8月22日に自殺で亡くなりました。
壮絶な半生を送った藤圭子さんの生い立ちと悩んでいた病気、そして死因まで総まとめしたのでご紹介します。
この記事の目次
藤圭子(宇多田ヒカル母)がデビューに至るまで~壮絶な半生のまとめ~
名前:藤 圭子(ふじ けいこ)
本名:宇多田 純子(うただ じゅんこ)
生年月日:1951年7月5日
没年月日:2013年8月22日(62歳没)
出身:岩手県一関市
父は浪曲歌手の阿部壮さんで、母は三味線瞽女の竹山澄子さんであり、幼い頃から門付に同行し旅回りの生活を送っていました。
転々としながらも勉強好きで成績優秀だったものの貧しい生活を支えるために、高校進学を断念してしまいます。
貧乏で小さい頃より苦労をしてきた藤圭子さん。
そんな藤圭子さんに17歳で転機が訪れます。
岩見沢で行われた雪祭り歌謡大会のステージで歌う姿がレコード会社の関係者の目に留まり、上京することとなりました。それから約1年間、初代林家三平さん宅に下宿をしていました。
それからまもなくした、1969年9月25日、RCAレコードより「新宿の女」でデビューを果たします。
以後、作詞家の石坂まさをさんと組んでヒット曲を連発することとなり、ドスの効いた声が可憐な風貌とのギャップも相俟って当時の社会に衝撃を与える存在となりました。
新宿の女/藤 圭子
ファーストアルバム「新宿の女」は20週連続1位、間を置かずリリースされたセカンドアルバム「女のブルース」は17週連続1位を記録、計37週連続1位という空前絶後の記録も残しています。
しかしその以後は不幸が続き、1971年には当時ともに絶頂期であった内山田洋とクール・ファイブのボーカル前川清さんと結婚するものの、すれ違いが重なり、翌1972年には離婚してしまいます。
そして、1974年には喉のポリープの手術を受け、かつてより歌に幅がなくなったことを悔やみ、引退を考え始めます。
その後、最愛の母を父のDVから守るために離婚させ、それを契機に引退を発表します。
そんな藤圭子さんは実は浪費家であるということでも有名で、芸能界の中でも極めて金遣いが荒く、5年間ファーストクラスで世界中を旅行したり、
滞在先のカジノでギャンブルやホスト遊びをするなどもしていたそうです。
生前のインタビューでは、5年間で遣った金額は5億円にも上ると豪語する程でした。
藤圭子さんの意外な素顔ではありますが芸能界ではかなり有名な話だったそうです。
藤圭子(宇多田ヒカル母)が宇多田照實と再婚!そして娘の宇多田ヒカルが誕生
藤圭子と宇多田照實の再婚と娘の誕生
藤圭子さんと言えば必ずと言って良い程名前が挙がるのが娘の宇多田ヒカルさんですよね。
前川清さんと離婚後、1982年に、宇多田照實さんと再婚。
再婚をしてすぐ、1983年1月に娘の宇多田ヒカルさんが誕生します。
藤圭子さんは、宇多田ヒカルさんを溺愛していたそうで、宇多田ヒカルさんがデビューしたばかりの頃にはアール・エフ・ラジオ日本で青江三奈さんがDJを務める番組にゲスト出演し、娘自慢を繰り広げていました。
宇多田ヒカルのプロフィール
名前:宇多田ヒカル(うただヒカル)
別名:Utada
生年月日:1983年1月19日
血液型:A型
1998年12月9日に15歳で歌手デビューした宇多田ヒカル。
作詞作曲を一人でこなし、その伸びやかな歌声に日本中が衝撃を受けましたね。
1stアルバム「First Love」は累計売上枚数765万枚を超え、
日本国内の歴代アルバムセールス1位になっているほか、2ndアルバム「Distance」では初週売上枚数が歴代1位となる300万枚を記録するなどセールス面でも、数々の記録を塗り替えました。
また受賞歴も多く、「日本ゴールドディスク大賞」「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」を2度、CDショップ大賞などにも輝いています。
2003年に紀里谷和明さんと結婚しましたが、4年後の2007年に離婚。
2014年2月にイタリア人男性と再婚し、2015年7月に第1子となる男児を出産し、現在はママとなり、家族でイギリスに住んでいるようです。
作詞・作曲・編曲はもちろんのこと、プログラミングも行っています。
2ndアルバム「Distance」収録の「DISTANCE」および8枚目のシングル「FINAL DISTANCE」から編曲においても大きく関わるようになりました。
2004年発表の「誰かの願いが叶うころ」以降は、ほぼすべての楽曲の編曲を単独で行うようになっています。また、楽曲においてのバックコーラスの声も多重録音によりすべて本人が歌っています。
SNSなどの発言などが注目されることも多く、時事ネタに関してつぶやいたり、賛否が大きく分かれる時事ネタに関しても自分の意見をはっきりとSNSに書くことがあり、度々炎上し、ニュースなどで取り上げられることも多くあります。
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藤圭子(宇多田ヒカル母)の不幸な生い立ちがヤバすぎる
自身も歌手としても成功し、娘の宇多田ヒカルさんも大人気歌手に成長。
そんな順風満帆に見える藤圭子さんですが、実はその成功の裏には不幸な生い立ちがあったそうです。
藤圭子さんの生まれた家庭は生活が苦しく、両親は自宅のあった北海道や東北を中心に旅回りをし、お祭りや炭鉱、寺の本堂、旧家の大広間などで歌をうたい、その日暮らしの生活だったのそうです。
藤圭子さんも家族を支える為に10才になると両親と一緒に歌を歌うようになり、泊まる宿がない時は、町外れのお堂の中で一家5人肩を寄せ合い眠りにつくというそんな壮絶な人生を送り、家族を支える為に高校進学も諦めてしまっています。
「学校が終わると、毎日歌をうたいに夜の町に出かけるという生活だった藤さんですが、勉強が好きで学校の成績がよかったんです。もちろん進学して、もっと勉強したいという思いは強かったと思います。でも、家族を支えるため、中学卒業後は歌一本でやっていくことを決めたんです」(音楽関係者)
歌手として成功した、1971年には前川清さんと結婚。結婚生活は長く続かず、翌年にはすぐ離婚してしまいます。
その後、1982年、宇多田照實さんと結婚。
当時の宇多田照實さんは素性が明らかでなく、藤圭子さんのマネージャーになるまでは何をしていたかは謎だそうです。その為、宇多田照實さんには収入が一切なく、藤圭子さんの貯金を切り崩し生活していたとか。
そして、この夫婦の特徴的な行動として、なぜかはわかりませんが、何度も離婚と再婚を繰り返しています。
中には離婚をしてから2週間後に復縁するなどもありました。
左:藤圭子さん
右:前川清さん
「時代の“不幸”を歌った圭子さんの歌に多くの人が共感したのは、彼女自身の不幸な生い立ちがあったからこそ。歌手としても大成功を収めただけでなく、20才の若さで結婚し女性としての幸せを掴んでしまったことで、多くのファンがしらけてしまったところがあったのではないでしょうか」
また、前川清さんとの離婚後も喉のポリープ手術や、父親のDVを受けている母親を守る為に引退を決意するなど、歌手としてデビューしてからも決して幸せで順風満帆な人生ではなかったのでしょう。
藤圭子(宇多田ヒカル母)の病気は精神疾患…宇多田ヒカルも悩んでいた
藤圭子は「うつ病」「総合失調症」
人生の中で様々な不幸を繰り返すうちに藤圭子さんは病気になってしまいました。
その病気が、「うつ病」「総合失調症」です。
現在では一般的に浸透してきている病気となり、理解も多くありますが、当時はまだそこまで浸透もしておらず、一人で抱えることも多かったでしょう。
また、鬱病、総合失調症の他に「パニック障害」や「人格障害」を患っていたとも言われています。
藤圭子さんがこの様な病気となったのは、宇多田ヒカルさんが5歳の頃でした。
幼いながらに少しずつ変わっていく母親の姿を宇多田ヒカルさんは見ていたのでしょう。
宇多田ヒカルさんも母親の病気で、かなり悩んでいたそうです。
2006年9月のテレビ朝日のインタビューでは本名の「純子」で取材に応じ、「私はもう藤圭子でもなんでもない。封印した」「原因不明ですけど、この20年間、吐きまくりの人生です。週に3回は吐いてる。今でもそう。だからどっか悪いと思うんだけど」と体調不良を告白している。
引用:Business Journal-転落死の藤圭子さん、うつ病も影響?白髪で別人の容姿「話す人おらず寂しい。吐きまくり」-
この様に自分でも自覚症状はかなり出ていた様です。こんな体調不良の藤圭子さんを見て、周囲の人も藤圭子さんが鬱病ということには気付いていた様です。
「藤がうつ病を患っているというのは、音楽業界では有名な話だった。人付き合いを避けるようになって対人関係が悪化したり、テレビのインタビューで告白していた摂食障害や吐き気は、うつ病の典型的な症状。以前はかなり強い薬を服用していたようだ」(音楽関係者)
引用:Business Journal-転落死の藤圭子さん、うつ病も影響?白髪で別人の容姿「話す人おらず寂しい。吐きまくり」-
また鬱病だけではなくその他にも網膜色素変性症という病気を患っていたそうです。
藤圭子の他の病気「網膜色素変性症」とは?
あまり聞きなれない病名ですが、この病気は一体どんな病気なのでしょうか。
網膜色素変性症はこの視細胞が、年齢よりも早く老化し機能しなくなってしまう、両眼性の病気です。視細胞が働かなくなった部分は光を感じとれず、映像になりません。
引用:網膜色素変性症
この病気は進行が遅いため、年月と共に視野が狭くなり、最悪の場合は失明に至ってしまうそうです。
そしてこの病気は薬によって病気の進行を遅らせることは出来ますが、今だに完治させる方法が見つかっていません。
この病気は遺伝によって発病することもある為、子供が光を失わない様に子供の名前に「光」という名前をつけたエピソードもあります。
藤圭子(宇多田ヒカル母)の死因は自殺だった!自殺理由とその真相とは
2013年8月22日午前7時頃、藤圭子さんは、、東京都新宿区のマンションの前で倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認されました。
様々な病気を患っていた藤圭子さんですが、死因は病気ではなく自殺でした。
遺書など見つかっていないものの、衣服の乱れや争ったような跡がないことなどから、新宿警察署によって飛び降り自殺を図ったと断定されました。
自殺理由は鬱病のせいだとも言われていますが、違法薬物に手を出していたからではないかという噂もあります。
実際に、藤圭子さんは過去2006年に米ニューヨークのJFK国際空港で米国司法省麻薬取締局により、42万ドルもの多額の現金を没収されたという騒動がありました。
麻薬捜査犬による探知後に、現金から微量の違法薬物が検出されたため、「現金は麻薬取引に使う、もしくはすでに使われた」と結論付け、現金を没収されたのそうです。
しかし、藤圭子さん知る関係者は覚せい剤などには手を出していないとはっきりコメントしています。
ただ、鬱病の睡眠薬などは処方されていたのだそうです。
この鬱病の薬は医師の指示を守らなかったり、過剰に服用すると自殺願望を強めてしまうことがあるのだそうです。
そういったことから薬のせいでの自殺ではないかという噂は現在でもまだ続いています。
ただ、実際藤圭子さんの鬱病はどんどん進行していっていた為、その苦しみもあったのでしょう。
宇多田は「幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました」と明かし、「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです」
藤圭子の壮絶な人生のまとめ
生活は苦しく、その日暮らしの生活をしていた。その為、成績は優秀だったが、高校進学を諦めている。
■17歳の時にスカウトされ、歌手として大ヒットを連発し大成功を収めた。
人気絶頂の1971年には、前川清と結婚したが、翌年離婚。
1974年に父親のDVから母親を守るために歌手を引退した。
■1982年に、現在は音楽プロデューサーの宇多田照實さんと結婚。翌年1月には、歌手の宇多田ヒカルを出産。宇多田ヒカルの幼年期より、鬱病や統合失調症を発症。
■2013年に東京都新宿区のマンションから飛び降り自殺をした。自殺の原因は長年患っていた精神的な病気とみられている。また、一部では、違法薬物に手を出していたとも言われているが、真相は定かではない。
いかがでしたか?
一躍人気となった藤圭子さんですが、そんな成功の裏側には鬱病の苦しみ、過去の不幸な生活の生い立ちなど、大変な時期が沢山あったのでしょう。
自殺してしまったことは悲しいことですが、娘の宇多田ヒカルさんもコメントしている様に藤圭子さんにとっては苦しみからの解放だったのかもしれません。
今は亡くなってしまっていますが、今でも藤圭子さんを応援するファン、藤圭子さんを思うファンの方は多くいますし、娘である宇多田ヒカルさんも現役歌手として活躍しています。
藤圭子さんの最愛の娘でもあった宇多田ヒカルさんを応援することで、藤圭子さんへの弔いとなれる様に、宇多田ヒカルさんの活躍を心から願いましょう。