当時はその美貌と実力で、バレーボール選手として人気を博していた益子直美さん。引退後はタレントに転身し、12歳年下のプロ自転車ロードレーサー・山本雅道さんと結婚されていますが、不妊治療や心臓の病気などさまざまな苦労があったようです。
益子直美さんの結婚や不妊治療、最近した心臓病の手術などについてまとめてみました。
この記事の目次
益子直美プロフィール
益子 直美(ますこ・なおみ)
生年月日: 1966年5月20日
出身地: 東京都葛飾区
身長: 175cm
体重: 58kg
血液型: A型
バレーボール界のアイドルだった益子直美
テレビアニメ『アタックNo.1』に影響を受け、中学からバレーボールを始めた益子さん。
中学3年生ではチーム主将となり、東京の選抜にも選ばれました。
高校は地元の共栄学園高等学校に進学し、1984年の第15回春高バレーでは準優勝。
高校3年生で全日本代表メンバー入りし、「下町のマコちゃん」のニックネームで大林素子選手らと共に1980年代後半から1990年代前半の女子バレーボール界を支えました。
1985年にイトーヨーカドー女子バレーボール部に入団し、全日本代表メンバーとしても活躍し続けましたがオリンピックには出場できずに終わっています。
1992年に現役引退後は、スポーツレポーターやバレーのコーチなどを務め、1993年にタレントに転身。NHK『トップランナー』のMCや趣味番組への出演やラジオ番組など、芸能の方でも活躍しています。
TBSアナ・安東弘樹に婚約破棄された過去も
益子直美さんは山本雅道さんと結婚する10年ほど前の1996年頃、TBSアナウンサーの安東弘樹さんと婚約をしていました。
身勝手な理由で婚約破棄した安東アナ
しかし、とんでもなく身勝手な?理由で安東アナから婚約破棄をされてしまいました。
益子直美さんは2人で一緒にお風呂に入っていた時に、結婚するんだし、いいかっ!とお風呂の中でオナラをしてしまったそう。それに安東アナはドン引きして、それから関係がぎくしゃく。
結果、一方的にさよならを告げられたそうです。こんな理由でぎくしゃくするなら、結婚しなくて逆にラッキーだったのかもしれませんね。
益子直美の結婚相手は12歳年下のプロ自転車ロードレーサー・山本雅道!
山本雅道プロフィール
益子直美さんは、2006年12月にプロ自転車ロードレーサーの山本雅道さんと結婚しています。
山本 雅道(やまもと・まさみち)
生年月日: 1978年8月4日
出身地:神奈川県藤沢市
最終学歴:私立横浜高校
身長 171cm
体重 64kg
所属: シエルヴォ奈良
分野: ロードレース
横浜高校卒業後にプロデビューを果たし、主にイタリアやフランスで活動。
1999年、2000年の全日本選手権U-23を連覇し、2001~2007年までシマノレーシング(スキル・シマノ)に所属していました。
2008年にはチームブリヂストン・アンカーに移籍し、2011年8月に現役引退を発表しましたが2015年にキナンサイクリングチームで現役復帰。現在は2016年、シエルヴォ奈良に監督兼選手として所属しています。
益子直美と山本雅道の馴れ初め
益子さんと山本さんが出会ったのは、2002年に益子さんがテレビで自転車ロードレースのレポーターをしたことがきっかけでした。
ふたりが出会ったのは2002年。直美さんがテレビの仕事で自転車ロードレースのレポートをしたのが、キッカケだった。レース中、先導車に乗り込んで直美さんがレポートをしている時のこと。ひとりの選手が車の横を自転車で通った。その選手は並走しながら車中の直美さんに声をかけた。
「(益子さん綺麗なので)見とれちゃいました」(雅道さん)
なんとレース中にも関わらず、山本さんは益子さんに声をかけたと言います。
この時のみならず、宿舎に戻っても山本さんの益子さんへの猛アタックは続いたと言い、山本さんは益子さんの12歳下でしたが、そんなことはものともしない山本さんのアプローチが通じて後に2人は交際を開始。
約1年半の交際の末、2人は結婚しています。
2006年12月5日に結婚
このとき益子さんは40歳で、山本さんは28歳でした。
夫となる山本選手については「年下なのですが、とってもしっかりしていて、頼りがいがあります」とした。新婚旅行は北海道を電車で観光した。益子は結婚後も仕事を続けるが「40まで待ってて本当によかったなあ」と本音をこぼしている。
益子直美と山本雅道のツーショット
とても仲がよさそうなおふたりです。
益子直美と山本雅道の子供は?長年の不妊治療生活も
5年にも及ぶ不妊治療を続けた益子直美
40歳で結婚した益子直美さんですが、スポーツをしていた経験や病気もしたことがなかったという自信もあり、子供も自然にできるだろうと考えていたと言います。
ですが42歳になっても妊娠できず、検査を受けたところ子宮にキノコ状のポリープが見つかり、これでは妊娠できないと言われ切除手術を受けることに。
それをきっかけに、「やっぱり自力では無理だな」と感じ不妊治療に踏み切ったと言います。
不妊治療が始まった。不妊治療は日常生活に大きな負担となる。直美さんの場合、妊娠しやすい体を作るために、毎日、女性ホルモンを投薬。更に、卵子の状態を整える「排卵誘発剤」を自ら注射。婦人科医に聞いてみると「高齢になればなるほど、妊娠しやすい卵子が得られにくくなるので、注射の数は増えます。たいてい毎日ですが、お腹に自分で打つ形になります」
半年後には、42歳と言う年齢もあり顕微授精へと進んでいます。
この間、ほぼ仕事はしていません。
いつ生理になるかわからないし、排卵するかわからなかったので。
事務所にお願いして、出張の仕事、自分がストレスと感じる仕事は抜いてもらっておりました。
毎日薬を飲み、自己注射をし、体調も悪く、寝込むことも多かったので、
仕事どころではありませんでした。
ですが、顕微授精は保険が効かず自己負担の治療であることもあり、費用のためにも完全に仕事を辞めることはできなかったと語っています。
益子さんの場合は一度の顕微授精で40~60万はかかったそうで、年間にすると約200万円はかかっていたと明かしています。
また、周囲の言動などにも過敏になり、不妊治療中はいろいろとつらい思いもしたそうです。
また、心無い友人からは「不妊治療なんかやめちゃえば? そうしたら奇跡的に妊娠するんじゃない?」と、無責任な言葉を投げかけたそう。
不妊の悩みから自分の殻に閉じこもり、誰とも会わなくなっていた当時を、益子は「自暴自棄じゃないけど、幸せなんて思えない。幸せになりたくてやってたのに、ものすごい辛い時間だった」と振り返っている。
そんな苦しむ益子さんの姿を見て、山本さんも励ましの言葉をかけるにも難しく、複雑な思いを抱えていたようです。
そして、山本さんは益子さんにある提案を持ち掛けます。
苦しむ妻の姿に山本さんは不妊治療のタイムリミットをもうけることを提案。どうしても子供が欲しかった益子さんは延長を望んだが、山本さんは「2人で楽しく、幸せになることを考えたい」「直美の笑顔が見たい」と話し合い、11年5月20日の益子さんの45歳の誕生日に不妊治療を卒業した。
「笑顔の直美と一緒にいたいから結婚した」という山本さんの言葉に、45歳を迎えた誕生日に益子さんは体温計や排卵周期グラフ、ホルモン療法の薬などを全て捨てたと言います。
治療を振り返り益子さんは12歳年下の夫・雅道さんに心のわだかまりを告白。「私でなく他の若い女性と再婚すれば子どもを持てるのに、と今でも思っている」と話す益子さんに雅道さんは「子どもを持つことだけが人生じゃない。直美には人生を楽しむことを教わった」と優しく応えました。益子さんは「治療をやり切ったからこそ今がある」と納得がいった様子でした。
益子さんは山本さんや理解してくれた山本さんの親にも感謝の言葉を述べており、不妊治療を終えてからは、山本さんともっと仲良くなったと語っています。
益子直美が心臓の病気で緊急手術を受けていた
不妊治療も終え、山本雅道さんの故郷である湘南にも引っ越し新たな生活を歩み始めていた益子直美さんですが、「心房細動」という心臓の病気が発覚し2017年の4月に手術を受けていたことがわかりました。
「飛行機の中から脈が早くなって、なかなか治まらず、ホテルに入っても続いて、、、
そのうち、呼吸が苦しくなり、意識あるうちにどうにかしないと」
という状態になり、病院に赴いて検査を受けたところ、心房細動という診断結果を告げられ、医師からは、その場で手術を勧められたという。
心房細動は洞結節の正常ペースメーカからの信号では心房の興奮が始まらず、心房内(主に左房にある肺静脈付近)で1分間に350~600回の不規則な電気信号が発生し、心房全体が小刻みに震え、心房の正しい収縮と拡張ができなくなる不整脈です。
引用:心房細動とは
益子さんが感じていたような一過性の発作時には動機や息苦しさなどがあるそうですが、慢性化してしまうと自覚症状も少なくなり、血栓が起きる可能性もありそれによる脳梗塞や心筋梗塞、やがて心不全にもなることもある危険な病気だと言います。
「先生にその場で『手術した方が良いですね』って言われて、心臓?って…初めて死と言う言葉を意識しました」と苦悩を語った。さらに、「さすがに50歳になって、体力落ちてるし、子供も作ってあげられなかったし、心臓の病気でポンコツになるし、結婚相手が私で本当に良かったのかな…」と涙ぐんだ。
今までに経験したことのない重い病気が発覚したことで益子さんはこのような思いを口にし、今年4月に受けた緊急手術当日には、もし万が一のときのためにと山本さんに渡した1冊のノートには、「いい人を見つけて再婚して子供をつくってほしい」などと想いが綴られていました。
緊急手術を受けた益子直美
手術の10日前に夫婦でテレビの収録に参加していた益子さんは、山本さんからの「絶対に俺より先に死なないで」という手紙に涙していました。
この後、およそ2時間半の手術は無事成功しています。
現在は夫婦でサイクルプロショップを経営!
現在、益子直美さんは旦那さんの山本雅道さんと共に「BICYCLE FACTORY YAMAMOTO」というサイクルプロショップを経営しています。
もともと同じ場所には山本さんが若いころから通い続けた数多くの有名ロード選手を輩出した名店「ワタナベレーシング」がありましたが、昨年夏にオーナーが亡くなった際に山本さんが継ぐ話が浮上し、在庫商品とクラブチームを引き継ぐことを条件に実現に至ったそうです。
「BICYCLE FACTORY YAMAMOTO」
JR藤沢駅の北口から徒歩10分ほどの場所にあり、益子さんも時間があればお店に立っているそうです。
BFY-YAMAMOTO
益子さんも「タレントの仕事より接客商売にハマりそう!」と語っており、接客を楽しんでいるようです。
また、益子さんは淑徳大学バレーボール部の監督として、23年ぶりにバレーボールの現場へ復帰も果たしています。
ネット上でも、益子さんと山本さんの夫婦仲に好感の声が上がっていました。
18. 匿名 2017/04/18(火) 08:53:21
ご主人、優しいな…
益子さんの葛藤を思うと、胸がキュッとなるけどね
24. 匿名 2017/04/18(火) 08:54:40
旦那さんも益子さんも本当に仲良くて素敵な夫婦だと思った
だからこそ子供欲しいって望んでたんだろうね
不妊治療のやめ時って決めるの難しかったと思う
子供がいても旦那さんに悩まされている人も大勢いる中、優しい旦那さんがいることが羨ましいという声もありました。
50歳という年齢ながら、美貌を保ち続けている益子さんに以下のような称賛の声も。
318: 2017/04/17(月) 19:21:48.96
可愛い50歳だな
372: 2017/04/17(月) 19:24:10.93
50でこんだけ美人て、
そこらの女優より上やろ
まとめ
・益子直美は結婚後5年にも及ぶ不妊治療を続けていた。
・益子直美は2017年4月、「心房細動」という心臓病が見つかり手術を受けた。
不妊治療、心臓の手術と大きな山を越えてきた益子さんですが、現在は夫婦2人でとても幸せそうな様子です!
これからも身体にきをつけて監督業やサイクルショップの運営を頑張ってほしいですね!
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