数々の奇行で話題になった泰葉さん。先日、ここ数年間はうつ病で仕事どころか日常生活もできない状態だったことを告白し、復帰会見をしました。
泰葉さんの鬱や奇行の原因は何だったのでしょうか?泰葉さんと春風亭小朝さんの離婚の真相とともにまとめました。
泰葉(やすは)のプロフィール
本名:海老名 泰葉(えびな やすは)
生年月日:1961年1月17日
出身地:東京
ジャンル:シンガー・ソングライター、タレント
デビュー作:フライディ・チャイナタウン (シングル)
特技:料理
趣味:詩集 編み物
血液型:A型
落語家の初代 林家三平(享年54)の娘。落語家の春風亭小朝(61歳)の元妻。
所属事務所は、小澤音楽事務所→レッドバス・エンタープライズ(結婚による芸能界引退まで)→アイアン・キャンドル→ねぎし事務所(亡父の事務所で実母が代表者)→株式会社FISEMAN→ねぎし事務所→泰葉エンターテイメント。(結婚引退中は、小朝の事務所「春々堂」の社長)
結婚を機に芸能界を引退していましたが、2007年の離婚後に復帰しています。
泰葉と春風亭小朝の離婚、奇行とうつ病まとめ
2007年11月、泰葉さんと小朝さんの突然の離婚会見にびっくりした方も多いかと思います。二人は1988年に結婚しておりオシドリ夫婦で有名でした。
泰葉と春風亭小朝の離婚
88年に結婚して19年。おしどり夫婦で知られていた。
出典:http://blog.livedoor.jp/
離婚会見中の小朝さんのコメントにも・・・
小朝「めちゃくちゃ仲がいいんです。一度もどなり合ったことないし」
泰葉さんも・・・
妻の泰葉(46)「今でも好きで、でもこれ以上両立はできません」。
お互いに好きなのに、なぜ?といった感じですが、離婚の理由は、
離婚の理由について泰葉は「家庭のことが気になって、仕事に集中できない。江戸っ子気質というのか白黒つけたかったんです」。泰葉といえばシンガーソングライターで有名だが、今のめり込んでいる仕事はイベントのプロデュース。
泰葉さんから離婚を切り出し、泰葉さんが仕事に集中したいからというのが離婚の理由ということでした。小朝さんは寝耳に水状態のような話し方でした。
この離婚会見は、いろいろと泰葉ワールドが全開で・・・
離婚会見には超異例とも言える“金屏風”をセッティングした泰葉
この金屏風の意味は、「新たな門出の祝福」の意味合いがあったそうです。
おしどり夫婦と呼ばれる所以となっていた夫婦でのTVに出演については、
夫婦揃ってのテレビ出演が多い2人だったが泰葉は、あくまで「思い出作りでした」と“驚愕”の説明。
離婚話は泰葉さんからの一方的なものだというような説明。
「私、女将さん業ができない。迷いは無く、江戸っ子気質でスパっと言ってしまった」。
離婚会見の当事者の両サイドに泰葉さんの兄弟である林家正蔵、いっ平を配置。
この離婚は、泰葉さんの奇行の一つとして片づけてしまった感じです。
共に「浮気、不倫は無かった」とあくまで“円満離婚”を強調、今後も仕事のパートナーとして歩んでいくと誓った2人。
結果的にこの会見は、円満離婚会見と思われたのですが・・・
会見の最後に記者からの無茶なリクエストに対して泰葉さんだけがこたえました。
この離婚会見にちなんだナゾかけをしたのですが、これが、とても意味深です
会見最後に泰葉がナゾかけを披露した。「この会見とときまして、泰葉とときます。そのこころは小朝(怖さ)しらず」。
このナゾかけに泰葉さんは離婚の真相を含めたのかもしれません。
この離婚会見をみていたキャスターの小倉智昭さんも、
小倉は「表には出せないものが、いろいろあると思いますよ」「離婚て結婚よりパワーが必要なもの。落語家の妻というのも、お母さんを見てわかっているわけだから、それだけじゃないと思いますね」と妙にしんみり。
離婚の真相を、おかみさんと仕事を両立できないことだけではないのでは?と疑問視していますね。
円満離婚のはずが、泰葉ブチ切れ騒動 【奇行】
きっかけは、泰葉さんがプロデュースする公演に小朝さんの出演要請をしたものの拒否されたことが始まりで、泥仕合に突入。
泰葉さんのキレ方が尋常ではなく、奇行と呼べるレベルでした。そのため、泰葉さんに批判の声が集まりました。
奇行その①「金髪豚野郎」を含め、数々の元夫への暴言
自身のブログで小朝を「金髪豚野郎」と、人格を非難
歌手として出演する予定だった東京・上野公園音楽祭を小朝の圧力で
欠席に追い込まれたとファクスで主張、「戦います」と宣戦布告
小朝へ数百通に及ぶ脅迫メールを送っていたことを告白。
「本人に直接、豚野郎と言いました」「あんな奴、こりごりです。二度とお目にかかることは
ないでしょう」と、元夫をののしる言葉のオンパレードで一方的な絶縁宣言
一番すごかったのは『切腹しろ! 私が介抱してやる!』と放送できない
ようなことも伝えた」と明かした。
「介抱」ではなく、「介錯」の間違いですね。
介錯(かいしゃく)は、切腹に際し、本人を即死させてその負担と苦痛を軽減するため、介助者が背後から切腹人の首を刀で斬る行為。
奇行その② 2008年10月の会見騒動
この泥仕合について、泰葉さんは、2008年10月に会見を開きました。
この会見では、「撮るなー!こんな姿撮るなー!」と騒いでみたり、泣きじゃくってしまったり、最後はフラフラになって抱えられながらの退席となりました。
出典:http://blog.livedoor.jp/
また泰葉さんの奇行の一つとして有名になってしまいましたね。
出典:http://livedoor.4.blogimg.jp/
この会見に対するネットの反応は・・・
もうなんか人間として壊れてるだろこれ・・
完全に更年期障害ですやん
途中泣き始めて「撮るなー!こんな姿撮るなー!」とか騒いでたな
意味わかんねえ
以前から挙動おかしかったが。。全開だなw
暴れれば暴れるほど、喚けば喚くほど
小朝に同情集まりまくりwww
で、なんでこの女は円満離婚したくせに絡むんだ?
この会見は壮絶でしたね。この時点では小朝さんに同情する声ばかりでした。
その後も泰葉さんの奇行は止まることなく・・・
奇行その③ 初冬の屋外ライブで2リットルの水浴びパフォーマンス
2008年11月には、離婚で芸能復帰後の初ライブでは、突然水をあびるパフォーマンスを披露しました。
デビュー曲「フライディ・チャイナタウン」や新曲「お陽様よほほえんで」などを披露したが、4曲目の「モーニング・デート」を熱唱中にヒートアップしたのか壇上に置いていた2リットルのペットボトルの水を頭から大量にかぶってみせた。
突然の仰天パフォーマンスに観客は、驚きの表情を見せたが、泰葉は気にするそぶりもなく2度の“水浴び”を敢行。そのまま全5曲を歌い上げると、完全燃焼したのか、最後はフラフラになり、関係者に抱きかかえられながら退場した。
出典:http://saisinnnewstowatasi.seesaa.net/
屋外ステージで11月に水浴びとは、ライブで熱くなっているとはいえ、寒そうです。観客の方が冷静にみてしまっていますね。
奇行その④ 年末にプロレスラーとしてハッスル
そして、2008年年末には、プロレスラーになってしまうというハチャメチャぶりです。
出典:http://kimagure-guda.jugem.jp/
最初はリングで歌うだけの予定だったが、途中で乱入した高田総統から「プッツンオバちゃん」呼ばわりされ、試合に勝ったら歌わせると要求を突きつけられた。これに対し、「試合に勝って歌ってやる」と泰葉も承諾した。かくしてこの段取りバレバレの場外乱闘劇で、泰葉の「参戦」が正式に決まった。
しかも、参戦するという会見は、あえて金屏風の前で行われました。
出典:http://blogs.yahoo.co.jp/
数々の奇行は、離婚による「うつ病」が原因
2016年9月、泰葉さんは記者会見を開きました。
出典:http://www.oricon.co.jp/
2007年に春風亭小朝と離婚後、「双極性障害によるうつ病を発症していた」と明かした。
さきほどの奇行の数々は、うつ病によるハイな状態の時だったようです。その後は、動けない無気力状態が2,3年続き、TVにも出られなかったそうです。
支えてくれたのは、2人の弟ということでした。
随分とやつれたように感じますね。うつ病の闘病が壮絶だったことが想像できますね。
泰葉と春風亭小朝の離婚原因を検証
泰葉さんからの一方的な離婚、その後の小朝さんへの暴言等で、泰葉さんばかりが悪い印象を持たれていましたが、実は、離婚の原因は小朝さんのほうにあるという噂もあります。
春風亭小朝(しゅんぷうていこあさ)のプロフィール
本名:花岡 宏行(はなおか ひろゆき)
生年月日:1955年3月6日
出身地:東京都北区
東京電機大学高等学校卒業。
師匠柳朝は8代目林家正蔵(後の林家彦六)の総領弟子。8代目の孫弟子に当たる。
また、彦六にとっては2人目の孫弟子である。なお、彦六存命中に真打になった孫弟子は小朝だけ。
少年期から「落語の天才」よばれた。1970年、高校生の時に5代目春風亭柳朝の下へ弟子入りし、80年には36人抜きという異例のスピードで真打ちに昇進した。
小朝の性格
調べてみると、あまりいい評判はないようです。
「小朝に人望がないのは、落語業界では特に有名。何事も独断専行ですからね。落語協会会長の鈴々舎馬風も、小朝の扱いには手をこまねいていますよ」(演芸ライター)
独断専行な性格は、正蔵襲名披露にも・・・
小朝は当時、協会の理事という重職にもかかわらず、協会に相談もせず、襲名披露を独善的に進めたことが協会内で問題視されることになる。
小朝さんは、あのビートたけしさんでさえも利用していたようです。
小朝は、泰葉と結婚する直前まで、岸本加世子と交際していた。ただ、マスコミに書かれるのを恐れて、当時、仲の良かったビートたけしを岸本とのデート現場に誘って、彼をカモフラージュに利用していたというのは業界内では有名な話。
あの鶴瓶さんも小朝さんのことはよく思っていません。
一緒に主催していた公的行事に近い落語祭の終了を小朝さんが独断で決めたためです。
鶴瓶もある高座で、「金髪が何でもひとりで決める。私たちは指示に従うだけ」と暴露。「金髪は腹を割らない男」と人格まで批判した。
離婚原因①小朝の出世欲
「実力もあるし、天狗になるのも無理はない。しかも、彼には強い出世欲があって、泰葉との結婚も打算から踏み切ったと囁かれてきました」(同)
「アイツは、海老名家が持っている、林家正蔵・三平という名跡欲しさに結婚した。名誉欲が強い奴だ」と憤慨した(ビートたけし)
どうやら泰葉さんとの結婚は計算づくの政略結婚的なものだったようです。
林家正蔵の8代目の孫弟子であった小朝さんは、林家正蔵の名跡が欲しく、泰葉さんと結婚すれば襲名できると思っていたようです。しかし、結婚してでも欲しかった正蔵の名は弟へ渡ってしまい、誤算だったというわけです。
小朝さんが泰葉さんと結婚してでも欲しかった名跡(みょうせき)とは・・・
芸道・芸能や相撲・武道の世界などにおいて代々襲名する名前(フルネーム)。
名跡により継承されるのは「信用」「伝統」「歴史」「良きイメージ」「芸統・気風」すなわちブランドであるが、それのみならず、「顧客リスト(ハウス・リスト)」(=優良な顧客層、ご贔屓筋、スポンサー、タニマチ、借金の貸主)そのものも含む。
芸人も誰しも大名跡は継ぎたい。まして、落語界は、血筋優先の歌舞伎役者と異なり、誰でも襲名争いに「参加」できる。
名跡が継げないとわかり、泰葉さんといる価値がなくなったと言われています。
離婚原因②妻・泰葉の母への暴言
ほかにも、泰葉さんのお母さんに酷い呼び名をつけていたことも離婚原因かもしれないですね。
ブログによると、泰葉の元夫・春風亭小朝は、泰葉の母・海老名香葉子のことを20年間「ゲロ」と呼んでいたのだという。
「私を生んでくれた人をなぜゲロという。私の心の中にたまった20年分のゲロは会見の金屏風となり、ピースサインとなって吹き出した
誰でも自分の母親のことを悪く言われてうれしいはずがありません。あまりにも配慮のない言葉のように感じますね。
離婚原因③小朝の浮気癖
俗にいう「芸の肥やし」というやつですが、小朝さんももれなくでした。
“肥やし”は07年の離婚の原因にもなったという。
「すぐ分かりましたよ、芸を見れば。浮気してきたな、って」と当時を振り返って泰葉は話した。「(落語では)くるわの話とかする。(浮気した)次の日は全然違う。うわー、こりゃ浮気しちゃったわ、と」。
(芸が)あんまり素晴らしいんで、いいわ、何十人でもいいわ、って。20年間ですからね。“何百人”を超えてるんじゃないですかね」
芸の肥やしと黙認していたようですが・・・。何百人と浮気をされたら、心穏やかではいられませんね。
女性問題で、ずっと泰葉さんは苦労したよう、だから怒りが爆発し、金髪豚野郎になった。泰葉さんの苦悩を、峰さん・正蔵師匠・三平師匠も知ってるので、豚野郎を否定しない。
引用:Yahoo!知恵袋
芸の肥やしとは言え、やはり我慢の限界がきてもおかしくないですね。
泰葉と春風亭小朝の離婚の真相まとめ
泰葉さんと小朝さんの離婚会見から、泰葉の奇行やうつ病の話までをまとめていて感じた印象ですが、どうやら小朝さんのほうに非があるように思えました。
泰葉さんは、長年耐えてきて、ようやく離婚したものの、仕事のつながりも自分勝手に拒否されて、心が壊れてしまったのかなと思います。
泰葉さん、うつ病を克服して今は元気に復帰されてよかったです。今後の活躍に期待したいですね。