代表曲「さそり座の女」で知られる歌手の美川憲一さん。
この記事では、美川憲一さんの若い頃、過去の薬での逮捕事件とその後、そして紅白落選で仕事激減の件など昔から現在までを時系列で振り返ります。
この記事の目次
美川憲一のプロフィールや若い頃の美少年時代
出典:http://www.officiallyjd.com/
芸名:美川憲一(みかわ けんいち)
本名:百瀬由一(ももせ よしかず)
生年月日:1946年5月15日
出生地:長野県諏訪市
職業:演歌歌手、タレント
ジャンル:演歌
事務所:ABプロ
東宝芸能学校入学後、第17期「大映ニューフェイス」に合格した美川憲一さん。
古賀政男氏の指導を受けた後、1965年に「だけどだけどだけど」で歌手デビュー。デビュー当時は青春歌謡路線で、当時は男装・美少年キャラクターであった。
美川憲一の若い頃がふと気になってググったらめっちゃ美形だった pic.twitter.com/mHw513idp2
— バーチャルツイッタラーうめ子 (@UmeBC) September 25, 2019
昔の美川憲一、知ってても美青年すぎてびっくりする pic.twitter.com/qKq6HMezOC
— 桃月まどか (@momotsuki_) July 11, 2018
1966年、20歳のときに「柳ヶ瀬ブルース」が120万枚を売り上げる大ヒット。この曲のヒットにより、ムード歌謡・演歌路線へとシフトしていくこととなる。
出典:柳ヶ瀬ブルース/美川憲一
某番組に出演していた際、ご本人の口から語られたところによれば、(柳ヶ瀬ブルースのヒットした当時の)大卒初任給が2万5千円であったが、美川さんの月収は15万円。現在の金額に換算すると月収300万円であったとされる。 |
1968年、22歳のときに「釧路の夜」が45万枚を売り上げるヒット。第19回NHK紅白歌合戦にも同曲で初登場を果たしている。
本人談によると「釧路の夜」の夜がヒットした当時の月収が300万円であった。これは現在の金額に換算すると月収2,400万円となる。つまり、当時の年収は単純計算で2億8,800万円であったということになる。 |
1970年には、「みれん街」「大阪の夜」「おんなの朝」と立て続けにヒット作にも恵まれ、第3回日本有線大賞特別賞を受賞。翌年には、第4回有線放送大賞スター賞・第4回日本作詞大賞も受賞するなど、名実ともにトップスター歌手の仲間入りを果たす。
1972年、後に美川憲一の代表曲ともなった「さそり座の女」がヒット。しかし、その後はヒット作に恵まれず、1975年にはNHK紅白歌合戦に落選。これにより7年連続の紅白出場歴が途絶えることとなった。
美川憲一は若い頃に大麻取締法違反により2度の逮捕
美川憲一の2度の薬逮捕について
1977年、「駅」がドラマで使用され、リクエストランキング上位ともなったことから、ヒット作の期待が出始めていたのと時を同じくして、美川憲一さんは「大麻取締法違反」で逮捕され、起訴猶予となったものの、ヒット曲に恵まれることはなかった。
その後も美川憲一さんは不遇の時期が続き、1984年に大麻取締法違反で2度目の逮捕。懲役1年6ヶ月、執行猶予3年。テレビの出演は急減し、スナック回りや地方の温泉営業などで食いつなぐ苦しい時期を過ごした。
1977.10.13 大麻取締法違反
1977.10.14 起訴猶予
1984.6 大麻取締法書類送検
1984.8.23 自宅マンションで大麻取締法現行犯逮捕
懲役1年6ヶ月執行猶予3年
美川憲一が大麻で2度も逮捕されたと知り、人のこと説教する資格あんのかよと思ってしまったなこりゃ。
— mog (@mog_moooog) March 31, 2019
説教されてる世代は逮捕歴知らんやろ。
Wikipedia見てみたら美川憲一って大麻取り締まり法で二回捕まってるじゃん
— 獅子丸 (@gYFP6T9kaRtfjJ8) March 22, 2019
そんな人が芸能界のご意見番って言ってる時点で芸能界は怖い#因縁
美川憲一さんのことを最近知った人は、過去に大麻で2度逮捕されていることを知らない人が多いです。
美川憲一の逮捕その後~コロッケのものまねにより再ブレイク
出典:Mikawa Ken ichi ”Sasoriza no onna” Imitation
ものまねタレントの第一人者として知られるコロッケさんが美川憲一さんのものまねで人気となり、1989年末に「オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!」で初めて2人が共演。
ものまねの途中で、美川さんがサプライズ登場するという「ご本人登場」第1号として、このときの出演が大きな反響を呼び、再ブレイクのきっかけとなった。
ちなみに、コロッケさんが美川憲一さんのものまねをしているのは、実は美川さんがコロッケさんに依頼をしたことが発端であるとされる。
1990年、ちあきなおみさんと共演した金鳥のCMが話題を呼び、CMでの「もっと端っこ歩きなさいよ」や「おだまり」のフレーズが流行語となった。
出典:【CM 1990-91】KINCHO タンスにゴン 30秒×2
この当時、1回のコンサートのギャラが800万円で、その内の人件費や機材費が300万円。それを年間187本行っていたと語られているので、年間で9億3,500万円ものギャラを得ていたと推測される。
1991年末、NHK紅白歌合戦に復帰。以降19年連続出場、通算26回出場を果たし、小林幸子さんとのド派手な衣装対決は毎年視聴者の楽しみとなる同番組の風物詩となる。
美川憲一の現在① 2010年紅白落選で仕事が激減
美川憲一さんは後年は、シャンソンにかなり力を入れており、1999年から毎年コンサートも開いている。
しかし、2010年紅白落選以降は仕事が激減しているという。
2010年、それまで19年にわたって連続で出場していた『NHK紅白歌合戦』の落選に行き着く。それを境に、美川の仕事が激減していったのだ。
「月10本あった地方公演が月3本ほどに減りました。しかも、その公演がソロではなく、研ナオコやコロッケとのジョイントコンサートといったものが増えていったんです」(音楽関係者)
ギャラの単価も1本800万~1000万円だったのが、500万円ほどに落ちてしまったという。
その後、2012年、25年間所属した芸能事務所エーピープロモーションを社員6人と共に離脱。独立して新事務所を設立。独立の背景には、紅白落選の追及、ギャラや職員への給料遅配、関係先未払い、事務所社長との関係悪化などがあったとされる。
その後、社長とは和解したものの、個人事務所「ABプロ」をスタートし、現在もABプロ所属歌手として活動している。
2013年末には、エーピープロモーションが美川憲一さんを提訴したものの、2015年に東京地方裁判所がエーピープロモーションの請求を棄却する判決を言い渡している。また、第57回日本レコード大賞・功労賞を受賞。
この年、再ブレイクのきっかけとなったコロッケさんと共に「徹子の部屋」に出演した。
2016年1月には、前事務所との「2億円損害賠償」裁判に全面勝利したことが報じられた。
演歌歌手の美川憲一(69)が、専属契約を一方的に破棄し独立したため損害を受けたなどとして前所属事務所から約2億円の賠償を求められた控訴審の判決が26日、東京・霞が関の知財高裁であり、原告の控訴が棄却された。一審とともに二審でも主張が認められた美川の全面勝訴となった。
前所属事務所から約2億1000万円の損害賠償などを求められた訴訟の控訴審判決が、美川側の全面勝訴で2月上旬に確定。約2年3カ月に及ぶ訴訟が終結後、初めて心境を明かし「すっきりしない。(前事務所社長とは)ともに歩んできただけに“今どうしてるかしら”とか考えてしまう」と訴訟相手に思いを巡らせた。
2013年12月に提訴された当時は、ディナーショーがキャンセルになるなどしたが「どんなに理不尽なことがあっても明るく生きてきた。いい経験をさせてもらった」と振り返った。
この勝訴により、紅白歌合戦復帰かとも思われたが、復帰は叶わなかった。
しかし、現在は、コロッケとのジョイントコンサートや新曲のキャンペーンライブなどで各地を飛び回るなど精力的に活動中である。
美川憲一の現在② ロサンゼルスにある別荘(1億5000万円)が凄い
2017年1月22日、美川憲一さんはトーレンスのアームストロング劇場で自身初のロサンゼルスでのコンサートを開催、成功させた。
また、2018年3月27日放送の『火曜サプライズ4時間スペシャル』で美川憲一さんがロサンゼルスのビバリーヒルズにある別荘を公開していたが、豪邸と話題になった。
美川憲一さんの別荘はビバリーヒルズを一望できる14階建てのコンドミニアム。値段は1億5000万円。ホテルのような立派なエントランスがあり、住民専用ジムやプールも完備されているという。
部屋に入ってすぐに約30畳のリビングがあり、ベッドルームやゲストルームと公開された部分だけでも広さは相当なものであることがわかった。
美川憲一の現在③ 世田谷にある自宅(5億円)が凄い
美川憲一さんは東京都内に2軒も自宅を所有しており、渋谷区と世田谷区に自宅があると言われている。渋谷区にあるマンションは1億5000万円、世田谷区にある戸建ては5億円。
渋谷区にあるマンションは3LDK、150平米の広さで、2009年に購入したと言われている。
世田谷区にある戸建ては本人のきらびやかなイメージとは異なり、落ち着いた感じのようだ。場所は深沢2丁目。世田谷区では成城に次ぐセレブタウン。
【美川憲一邸】
— ☆★☆アノ人の豪邸☆★☆ (@anohitonogoutei) December 19, 2016
世田谷区にあるとか。
本人のきらびやかな
イメージとは異なり(?)
落ち着いた感じが良いですね。 pic.twitter.com/swFVK7WKvm
美川憲一の現在④ 逮捕後でも年収は25億円であることを告白
2017年7月12日放送の『良かれと思って!』に出演した美川憲一さん。大麻取締法違反での逮捕によりどん底に落ちたのち、最高年収25億円を稼ぎ出すまでに復活した過去を告白して話題になった。
美川憲一さんさんは、名古屋の温泉場で営業した際、「引っ込め」と観客からヤジを受けることもあった。しかし、落ち目の時でも1ステージ100万円の収入。
ものまね番組をきっかけに再びスターに返り咲いた1990年代初頭には、1ステージ1000万円で年間250ステージをこなし、最高年収25億円を稼ぐようになったと告白している。
現在の年収は25億円ほどはないものの、毎年開催されている1人41000円のディナーショー、コロッケとのジョイントコンサートや新曲のキャンペーンライブなどでそれなりに稼いでいることが予想される。
まとめ
「さそり座の女」や芸能界のご意見番として知られる美川憲一さんの過去の逮捕事件や現在の活動状況についてまとめてみました。
「徹子の部屋」を見ても分かるとおり、美川さんとコロッケさんの信頼関係はとても強いものだという印象を受けました。現在も2人はジョイントコンサートなどを行われているので、ぜひ一度コンサートを訪れてみてはいかがでしょうか?