日本では知らない人はいないであろうサザンオールスターズの桑田佳祐さんですが、だいぶ昔に結婚もしており、今は子供もいらっしゃいますがどんなお子様なのでしょうか?
そんな桑田佳祐さんの結婚の馴れ初めや子供の情報などに関してまとめさせて頂きました。
桑田佳祐プロフィール
名前:桑田 佳祐(くわた けいすけ)
別名義 :嘉門 雄三/桑竹 居助/JOHN PAUL MacLENNON/夷撫 悶汰/古賀 紅太
愛称:けいちゃん/桑っちょ
生年月日:1956年2月26日
出生地:神奈川県茅ヶ崎市
身長:170cm
血液型:A型
国民的人気バンドのサザンオールスターズのヴォーカルを務めるのがこの桑田佳祐さんで、サザンオールスターズデビュー後は、1987年からソロ活動も開始しています。
桑田佳祐さんが音楽に興味を持ったのは、お姉さんの影響が強く学生時代にはお姉さんが集めていたビートルズのレコードなどを聴き漁ってたそうで、影響を受けたアーティストは、ビートルズにエリック・クラプトンやリトル・フィート、ボブ・ディランなどの洋楽ロックがメインです。
お姉さんはサザンオールスターズや桑田佳祐さんソロの曲で英語補作詞として参加する事もあります。
しかし学生時代に関しては、高校生時代にバンドを組んだりしていたものの、プロボウラーを目指していたそうで、アマチュアのボウリング大会に出た時の公式記録は297だそうです。
本格区的にバンド活動を開始したのは大学時代からで、大学の音楽サークル「Better Days(ベター・デイズ)」に所属し、バンド名やメンバーチェンジを繰り返しながらも1976年頃から「サザンオールスターズ」の名を使用し始め、メンバーも固定されはじめます。
サザンオールスターズとしては「勝手にシンドバッド」でメジャーデビューし、並行してソロ活動も勢力的に行っています。
桑田佳祐さんと言えば独特の歌唱法が特徴的ですが、この歌唱法は高校時代から大ファンだった前川清さんから来ており、学生時代に声質をより近付けるため、ウォッカで喉をうがいしたり、枕に顔を押し付けて大声を出し続ける等などの荒行も行っていたそうです。
桑田佳祐さんは歌以外にも楽器を演奏する事もあり、レコーディングに関してはギターを担当する事がほとんどで、その他にもベース、ブルースハープやドラムス、キーボード、パーカッションなども演奏するマルチプレイヤーでもあります。
ソロでリリースされている曲の「素敵な未来を見て欲しい」や「MUSIC TIGER」などは桑田佳祐さんが一人で全てを演奏している楽曲になっています。
このソロ活動については違いが分かりにくいとの指摘をされる事もしばしばあり、この指摘に関して本人はサザンオールスターズは家族・家庭であり、ソロ活動は愛人と逢っているようなものと例えています。
サザンオールスターズ
メンバーは青山学院大学の学生らで結成され1974年から活動が始まり、1978年に「勝手にシンドバッド」でデビューし、1979年に「いとしのエリー」が大ヒット、1980年代では「チャコの海岸物語」がヒットし、その後にも「涙のキッス」「エロティカ・セブン」などの様々なヒット曲を生んでいます。
2000年にリリースされた「TSUNAMI」はダブルミリオンを記録し現在でもサザンオールスターズの代表曲として人気のある一曲となっています。
この様にデビュー当初の1980年代から2010年代まで4つの年代でチャート1位という記録を持っていて幅広い世代に支持されているロックバンドです。
桑田佳祐の嫁はメンバーの原由子さん
名前:原 由子(はら ゆうこ)
生年月日:1956年12月11日
出身:神奈川県横浜市
愛称:原坊(ハラボー)
桑田佳祐さんのお嫁さんは同じサザンオールスターズのメンバー、サザンオールスターズではキーボードを担当している原由子さんです。
原由子さんの音楽へのきっかけはフェリス在学中に、友人とフォークデュオ「ジェロニモ」を組んでボーカル・ギター担当で活動した事がきっかけで、大学入学後に桑田佳祐さんも所属していたサークル「BETTER DAYS」へ入ります。
サークルに入るのと同時にピアノの技術を買われ、桑田佳祐さんのバンドにもピアノとして参加する事になります。
当時は桑田佳祐さんと結婚するとは夢にも思わなかったと語っています。
ピアノに関しては幼少時から習っていて、お兄さんのの影響でエルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、レオン・ラッセル、エリック・クラプトンなどのブルースを特に好み、泥臭いプレイが好きで本人も「ピアノを弾く時は男のつもりで弾いている」と語っています。
原由子さんはサザンオールスターズの楽曲の中で歌を歌う事もありますが、その歌声はコブシを効かせた昭和歌謡・グループ・サウンズ風の歌い回しから、ポップス調の曲の柔和な歌唱まで幅広く聴かせる事が出来、その歌声はミュージック界を代表する女性ボーカリストの一人としても挙げられる程です。
また、公で演奏する事は少ない物のアコースティックギターも演奏する事が出来、スリーフィンガーやアルペジオに関しては桑田佳祐さんも「俺より上手い」と認める程の腕前です。
桑田佳祐さんと同様サザンオールスターズだけでの活動ではなく、ソロとしての活動もしており、ソロ作品も数年置きのペースでリリースし、「恋は、御多忙申し上げます」「あじさいのうた」「花咲く旅路」など多くのヒット曲を残しています。
桑田佳祐と原由子の馴れ初めは?
二人の馴れ初めはプロフィールからもわかる様に、同じ大学のサークルでの出会いがきっかけとなります。桑田佳祐さんは実は原由子さんの友達の女の子目当てで原由子さんと近づいたそうなのですが、話していくうちに洋楽の好みなどでも意気投合し、お互いの演奏の腕や歌唱力を認める仲になり、距離が近づいていき、デビューまでの間にはお付き合いする関係になっていたそうです。
そして、1979年、桑田佳祐さんからが原由子さんへ「ずっと一緒にいよう!」と告白して、その数日後に原に電話口から聴かせた曲が「いとしのエリー」ととてもロマンチックな告白をされています。
1982年2月26日にめでたく入籍し、2月28日にはファン3000人を招待し、東京プリンスホテルで結婚披露宴を行います。会場にはタモリさんやラッツ&スターなどの大御所と呼ばれる芸能人も多く出席していたそうです。
桑田佳祐と原由子の現在の夫婦仲は?
世間的にもおしどり夫婦として有名なお二人ですが、お二人の仲の良さは原由子さん著書「あじわい夕日新聞~夢をアリガトウ~」に収録されている、桑田佳祐さん綴った「あとがき」からも分かります。
「彼女はずっと僕のことをフォローしてくれて、とても有難かったし、時には“申し訳ないなぁ”という想いもあった」
といういつもの陽気な桑田佳祐さんのキャラではなく、夫としての優しい気持ちを綴っています。
また原由子さんに関しても桑田佳祐さんが伝わります。
「術後初めて声を出した、歩いた、ご飯を食べた、ついに歌ったとか、そんな事一つ一つが感動でした」
サザンオールスターズで支えあう仲でもありながら、夫婦として支えあっている事が物凄く伝わるコメントで、お二人が本当に心の底から愛し合い、信頼しあっているのがわかります。
このコメントを見るだけでも誰もが認めるおしどり夫婦なのはわかりますね。
桑田佳祐と原由子の間に子供は?
お二人の間には二人の子供がいて、どちらも男の子です。
長男は桑田佑宜(ゆうき)さん、1986年2月10日生まれで、両親の血を引き音楽活動もされています。次男は桑田洋輔さんと名前まではわかっていますが、桑田洋輔さんに関しては音楽的な活動もしておらず情報は出回っていません。
長男:桑田佑宜さん
長男の桑田佑宜さんはREADALOUDというバンドでCDデビューもしており、メジャーデビュー目前までいったものの音楽性の違いから解散してしまい、ついにメジャーデビューは果たせなかったそうです。
桑田佳祐さんは桑田祐宜さんの音楽活動に対して「甘い世界じゃない!」と最初は反対していたそうですが、桑田佳祐さんが病気で入院したときに「好きなことをやらせたい」と気持ちが変わったのだそうです。
見た目に関しては桑田佳祐さんと底まで似ていると印象もありませんが、歌声に関してはサザンオールスターズでの桑田佳祐さんの歌声とは違うものの部分部分で似ている印象も受けます。
まとめ
今回は桑田佳祐さん自身から、桑田佳祐さんのお嫁さんである原由子さんにお子様の事までまとめさせて頂きました。
何年たっても色あせる事なく常に日本の音楽界をリードしてくれるサザンオールスターズですが、いつか長男の桑田祐宜さんとの共作や共演も見てみたいですね。
また、桑田佳祐さんと原由子さんのおしどり夫婦ぶりは有名なので、このままいつまでも長く仲良しなおしどり夫婦で活動も続けていってほしいです。バラエティ番組などに出演される際は桑田佳祐さんは下ネタなども多いですが、きっと根は物凄く真面目な方なのでしょう。
サザンオールスターズの楽曲ももちろんですが、二人の馴れ初めなどを聞いているとそういった人間性の部分でもファンになってしまいますね。