ディスカウント大手「ドンキホーテ」を一代で築いた安田隆夫さんが話題です。
この記事では安田隆夫さんの生い立ちや実家の親などの家族、韓国籍や中国籍の噂、大学などの学歴、ドンキホーテで成功するまでの経歴、総資産や自宅の豪邸、結婚歴と離婚した元嫁、子供についてまとめました。
この記事の目次
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)のプロフィール
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の生い立ち
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の実家は岐阜県大垣市
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の実家の家族① 父親は工業高校の教師
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の実家の家族② 母親
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の国籍が韓国や中国というのはデマ
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の学歴① 大垣南高校
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の学歴② 慶應義塾大学法学部
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の経歴① 大学卒業後は不動産会社に就職
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の経歴② ギャンブルで食い繋ぐ生活
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の経歴③ 「泥棒市場」を開業
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の経歴④ 「ドンキホーテ」で成功
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の資産は6380億円(Forbes長者番付)
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の自宅はシンガポールと東京世田谷区
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)は結婚しており嫁は絢夫人
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の離婚と元嫁
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の子供① 元嫁との間の長男は廃嫡の噂
- 安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の子供② 現在の嫁との子供は裕作
- まとめ
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)のプロフィール
安田隆夫のプロフィール
生年月日:1949年5月7日
出身地 :岐阜県大垣市
安田隆夫さんは、ディスカウントストア「ドンキホーテ(驚安の殿堂ドン・キホーテ)」の創業者として知られる実業家です。
安田隆夫さんは2015年に一時現役引退を表明して経営から退きましたが、2019年に「ドン・キホーテホールディングス」から社名変更した「株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス」の非常勤の取締役として復帰しています。
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の生い立ち
出典:https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/
安田隆夫さんの生い立ちについては本人の著作などでたまに語られています。
安田隆夫さんは岐阜県大垣市の生まれで、両親は真面目で堅いタイプでNHK以外のテレビを見る事が禁止の家族で育った生い立ちを持つようです。
ただ、安田隆夫さん自身は小・中学時代はガキ大将で、負けん気が強く人に言われた通りにやる事が大嫌いま反骨精神に溢れた少年だったそうで、反抗ばかりしていたのだそうです。
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の実家は岐阜県大垣市
安田隆夫さんの実家は岐阜県大垣市ですが、ごく一般的な家庭で実家が資産家だったといった事ははないようです。
安田隆夫さんは実家を頼らずに一代で実業家として成功を収めました。
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の実家の家族① 父親は工業高校の教師
安田隆夫さんの実家の家族についてもみていきます。
安田隆夫さんの実家の父親は、岐阜県大垣市で工業高校で技術科の教師をされていたそうです。
親父は工業高校で技術の教師をしていまして、真面目一徹な堅物でした。家にいる時も複雑なコードをいじっているような人で、わたしとは正反対。
安田隆夫さんの著作によると、父親は1949年に岐阜県大垣市で生まれ、「厳格な教育者のイメージそのままの堅物」、「酒もたばこも一切やらない」、「父親は戦争を経験し、家庭を守るために必死だったのかも知れない」との事で、典型的な昭和の時代の一徹な父親だったようです。
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の実家の家族② 母親
安田隆夫さんは母親については、父親とは全然違う性格だったとインタビューで語られています。
お袋は頭の回転が速い人で、変化対応がうまくて親父とは全然違う性格でした。
上の発言から推測して、安田隆夫さんの母親は柔軟で発想が豊かな方だったのではないかと思います。安田隆夫さんは一徹で職人肌の父親と、自由な発想を持つ母親というタイプの全く違う両親に育てられた事で経営者としての才能を開花させたのかも知れません。
なお、安田隆夫さんの両親は「株式会社ドンキホーテ」が上場する頃までは存命だったとの事ですが、現在は両親とも亡くなられているとの事です。
ご両親はある程度、安田さんが成功するところまで見届けることができたんですか。
安田 ええ。上場したあたりまでは生きていましたから、少しは安心できたと思いますが、それでも何をやっているのかは2人とも最後までよく理解できていなかったと思います。
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の国籍が韓国や中国というのはデマ
安田隆夫さんの国籍について、在日韓国人で韓国籍だとするものや、元々は中国籍で帰化人だとする噂があるようです。
しかし、安田隆夫さんの著作で実家の両親についてや生い立ちについて書かれている内容を見る限り、安田隆夫さんが韓国籍や元中国籍という事実はなく、両親ともに日本人の生粋の日本国籍である可能性が高いようです。
安田隆夫さんが韓国籍や元中国籍だという噂はデマの可能性が高いようです。
安田隆夫氏が在日コリアンや帰化人であるという、これら珍妙な都市伝説は、氏の自伝である『安売り王一代 私のドン・キホーテ人生』(文藝春秋)からして、一目瞭然で間違いだとわかる。
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の学歴① 大垣南高校
出典:https://jice.homemate-research.com/
やんちゃなイメージがある安田隆夫さんですが実は高学歴の持ち主です。
安田隆夫さんの出身高校は地元大垣市の公立「大垣南高等学校」(最新の偏差値は59)です。
安田隆夫さんは実家を出て都会に行きたいとの一心で、高校2年生の頃から勉強をかなり頑張られたそうです。家族のところでも触れたように安田隆夫さんの両親は真面目な性格だったため、実家を出て東京へ行くには東京の難関大学に合格するしかないと考えたのがその理由だったようです。
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の学歴② 慶應義塾大学法学部
高校2年生から本気で勉強に取り組んだという安田隆夫さんは、元々の地頭の良さもあってか、難関である「慶應義塾大学」の法学部(最新の偏差値は67.5)に見事合格し進学し、念願叶って大垣市の実家を出て上京を果たしています。
ところが、安田隆夫さんは慶應義塾大学に多い都会風のいわゆる「慶應ボーイ」達に馴染めずに、入学して2週間ほどでドロップアウトして大学に行かなくなってしまったそうです。
慶應大学法学部に入学するも、シティボーイの多い環境になじめずすぐにドロップアウトした。
安田隆夫さんはキラキラした慶應ボーイ達に羨望を抱きつつ嫉妬し、持ち前の負けん気から「こいつらの下で働く人間にだけはなりたくない。ならば自分で起業してビッグな経営者になって見返してやろう」という思いを抱くようになったそうで、これが安田隆夫さんが経営者を目指した最初の動機だったのだとか。
安田隆夫さんは大学を留年したために実家の両親からの仕送りが止められ、横浜の港湾労働者として働いて生活費と学費を稼いだのだそうです。
それでも安田隆夫さんは1973年に慶應義塾大学法学部を無事に卒業されています。
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の経歴① 大学卒業後は不動産会社に就職
安田隆夫さんは慶應義塾大学卒業後は、あえて誰でも入れるような小さな不動産会社に就職しています。これは、小さい会社の方が経営のノウハウを実戦で学びやすいと考えたためだったようです。
ところが、この不動産会社は原野商法(価値のない土地を騙して高値で売りつける)を手がける悪徳会社で、安田隆夫さんはそれに愛想を尽かして辞めようと考えていたところ、入社してわずか10ヶ月後にオイルショックの影響を受けてこの会社は倒産してしまったそうです。
大学卒業後は不動産会社に就職したが、その〝悪徳商法〟ぶりに愛想をつかし、辞めようと思った矢先に会社が先に倒産。入社10カ月後の出来事であった。
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の経歴② ギャンブルで食い繋ぐ生活
入社わずか10ヶ月後に就職した不動産会社が倒産し、無職になってしまった安田隆夫さんは、先輩と2人で不動産会社を起業するもうまく行かず頓挫。
その後は、どうしてもサラリーマンに戻る気になれなかったのだそうで、再就職も目指さずに賭け麻雀などのギャンブルで食い繋ぐ生活を数年間送ったのだそうです。
大学卒業後は小さな不動産会社に就職したが、入社してからわずか十カ月後に倒産。そこからは再就職もせずに、ギャンブルで食いつなぐような放浪と無頼の日々が始まった。当時の私のライフスタイルは、徹夜麻雀をして朝帰りし、夕方にまたゴソゴソと起き出して雀荘に出掛けていくという、自堕落を絵に描いたようなものだった。
安田隆夫さんはギャンブルで負けが込んで所持金が5円になり、求人誌や面接に行く電車賃もない状態になり、自販機にお金を入れたがお釣りが出てこなかったと嘘を言って100円玉をもらい、それで求人誌を買ったり、ゴミ箱を漁って拾った新聞で求人を探したりと綱渡りの生活を送っていたそうです。
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の経歴③ 「泥棒市場」を開業
出典:https://assets.st-note.com/
賭け麻雀などのギャンブルで食い繋いでいた安田隆夫さんでしたが、30歳が目前に迫った29歳の終わり頃に、「自分は大学まで出て、一体何をやっているのか。さすがにこれはまずい」焦りを覚え、一念発起して再び起業を目指すために動き始めました。
安田隆夫さんはギャンブルで貯めていた800万円を開業資金に充て、1978年に東京都西荻窪に18坪という小さなディスカウント店「泥棒市場」を開業しています。
「さすがにこれはまずい」と、三十歳を目前に一念発起。目をつけたのは、各地にぽつぽつと登場し始めていたディスカウントストアだった。心を入れ替えて必死で稼いだ軍資金の八百万円を全て突っ込み、一九七八年、東京・西荻窪にわずか十八坪の小さな雑貨屋「泥棒市場」を開いた。
「泥棒市場」というインパクトの強い店名ですが、これは広告費もかけられず、看板を設置できる面積も小さかったため4文字くらいで印象的な店名をと考えた結果つけられたのだそうです。
最初は1日の売り上げが2000円ほどしかなく、開業資金800万円もすぐに底をつき、倒産の危機を迎えますが、ここで安田隆夫さんはメーカーや問屋に通い詰めて、廃版や傷物など訳ありの商品やサンプル品、返送品などをタダ同然で譲ってもらい、それを激安価格で売るというビジネスモデルを思いつき、これが評判を呼びました。
山のような商品を狭い店内にぎっしりと並べ、手書きのPOPを貼りまくるという「ドンキホーテ」の名物となった商法は、この「泥棒市場」の時代に苦肉の策として生み出されたものでした。
棚に商品をぎっしり詰め込む「圧縮陳列」や、POPを貼りまくる「POP洪水」など、後にドンキ名物となる売り方を編み出した。
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の経歴④ 「ドンキホーテ」で成功
出典:https://president.ismcdn.jp/
「泥棒市場」の開業から2年後の1980年、安田隆夫さんは泥棒市場を法人化し、卸売販売及び小売販売の「株式会社ジャスト」(現在のパン・パシフィック・インターナショナルHD)を設立。
さらに3年後の1983年には泥棒市場の店舗を売却し、埼玉県和光市に卸専業「株式会社リーダー」を設立。この会社は大きな利益を上げ、1989年3月に東京都府中市に「ドンキホーテ」1号店を開業しました。
「ドンキホーテ」は2年目までは赤字でしたが、すぐに人気と売り上げが伸び、1993年11月に2号店「ドンキホーテ杉並店」をオープンさせた時には1号店の年間売上は20億円にまで成長していました。
その後、「ドンキホーテ」は急成長を遂げ、1996年には「株式会社ドン・キホーテ」は株式店頭公開、1998年には東証二部上場、2000年に東証一部上場を果たしました。
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の資産は6380億円(Forbes長者番付)
出典:https://www.dailyshincho.com/
安田隆夫さんは「ドンキホーテ」で成功を収め莫大な資産を築いています。
「Forbes JAPAN」が毎年発表する日本長者番付の2024年版で安田隆夫さんは第9位にランクインし総資産は「6380億円」となっています。
安田隆夫さんはこのForbes JAPAN長者番付に毎年ランクインしており、2023年は14位で総資産4630億円、2022年は15位で総資産3360億円、2021年は13位で4410億円、2020年は15位で3370億円となっています。資産額の変動が激しいのは安田隆夫さんの総資産のうちかなりの割合が「パン・パシフィック・インターナショナルHD(旧ドンキ・ホーテHD)」の株式であるためです。
安田隆夫さんは現在はDQ Windmolen B.V. という資産管理会社を通して株式を保有しているため、個人としてパン・パシフィック・インターナショナルHDの株を保有しているわけではありませんが、Forbes JAPAN長者番付で発表されている資産総額は実質的に安田隆夫さんの100パーセント持ち株会社であるDQ Windmolen B.V. が保有するものも含め算出されています。
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の自宅はシンガポールと東京世田谷区
出典:https://presidenthouse.net/
安田隆夫さんの現在の自宅は、シンガポールのセントーサ島にある日本円にして16億円の資産価値とされる豪邸です。
安田隆夫さんのシンガポールの自宅はゴルフコースに面し、湖や海を見渡せる最高級の立地で、敷地面積は約8500フィーチ(789平方メートル)、建物は2階建で屋根裏部屋と地下室も備え、寝室4つあり、庭にはプールもあるという事です。
安田隆夫さんはシンガポールに自宅を移した現在も、年間の3分の1ほどは日本に滞在されているようです。安田隆夫さんの日本での自宅は東京都世田谷区の高級住宅街の豪邸です。
出典:https://presidenthouse.net/
また、実際に自宅として利用していたのかはわかっていませんが安田隆夫さんは東京都港区の高級賃貸マンションも保有されていました。
出典:https://presidenthouse.net/
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)は結婚しており嫁は絢夫人
安田隆夫さんはこれまでに少なくとも2度結婚していて、現在の嫁は絢さんという女性です。
後妻である絢夫人との間の子で、一家は2015年にシンガポールへと移住、超高級住宅街セントーサに豪邸を構えた。
安田隆夫さんの現在の嫁が、Ma Yaping(マ・ヤピン)さんという外国籍(名前からシンガポール国籍と推定)の女性だとする情報がありますが、これはシンガポールの社交クラブ「the tanglin club」に2016年の会報にて、新規入会者として安田隆夫さんとパートナーとしてMa Yapingさんという女性が紹介されているために出てきた情報です。
出典:https://assets.st-note.com/
実際には、この安田隆夫さんとMa Yapingさんが結婚しているという情報は確認にできず、どういった関係なのかはわかりません。
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の離婚と元嫁
安田隆夫さんには離婚歴がある事がわかっていますが、元嫁についての情報は明らかにされていませんが、1980年代半ば頃に結婚し、遅くとも2000年代頃に離婚したと見られています。
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の子供① 元嫁との間の長男は廃嫡の噂
安田隆夫さんは離婚した元嫁との間に子供がいます。
1人は長男の安田純也さんという方で、かつては安田隆夫さんも後継者とみなしていくつかの関連会社の経営を任せていました。
しかし、2008年に資産管理会社「セルバンテス」の社長を任されていた際にリーマンショックによる世界同時株安で39億円もの損失を出し、そのうち15億7900万円の弁済を拒否したとして証券会社に損害賠償訴訟を起こされました。
大手ディスカウントストア「ドン・キホーテ」の会長を務める安田隆夫氏の実質的な資産管理会社と親族が、証券会社から15億円あまりの損害賠償訴訟を12月19日に起こされていたことが本誌の取材で明らかになった。
訴えられたのは、安田会長の実質的な資産管理会社とみられている「セルバンテス」と、社長を務めていた息子の安田純也氏。
その後、2019年にも安田純也さんが経営する雑貨企画販売会社「トライ・ディー」が金銭トラブルに巻き込まれ、これに対して安田隆夫さんが「バカ息子」といって激怒したと報じられています。
「ドン・キホーテ」創業者・安田隆夫氏の長男・純也氏がとんだトラブルに巻き込まれている。
そして、2024年現在、安田隆夫さんは元嫁との子供である安田純也さんを見放しており、廃嫡されて実質追放状態にあるとの情報を一部のメディアが報じています。
隆夫氏には、前妻との間の長男がいたことは知られています。しかし、10年以上前から金銭トラブルの噂は絶えず、創業家から追放されたとみられています。
安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の子供② 現在の嫁との子供は裕作
出典:https://article-image-ix.nikkei.com/
安田隆夫さんは現在の嫁との間にも子供が生まれています。
安田隆夫さんと現在の嫁との子供は2002年頃生まれた安田裕作さんです。
今回取締役就任が発表された裕作氏は、なんでもその隆夫氏が50代の頃に、後妻との間に生まれた子なのだという。
引用:ドンキ創業者“22歳息子”の取締役抜擢に広がる波紋。若い感性を入れたいとの説明も「これぞ同族経営」「出生ガチャでSSR」など揶揄する声が噴出
2024年8月に行われたパン・パシフィック・インターナショナルHD(ドンキホーテ運営会社)の決算説明会で、この安田裕作さんが取締役候補として選任すると発表されました。
安田裕作さんは安田隆夫さんの長男と報じられており、元嫁との子供の安田純也さんは廃嫡されたのではと噂されています。
この安田隆夫さんですが、ドンキホーテでアルバイト経験があるものの、2024年1月にパン・パシフィック・インターナショナルHDに入社したばかりで、経営の実務経験はないようです。この事から株主の間ではこの人事に疑問を抱く声も見られるようです。
まとめ
今回は、ディスカウント大手「ドンキホーテ」を一代で築き上げた事で知られる実業家の安田隆夫さんについてまとめてみました。
安田隆夫さんの生い立ちについては、実家は岐阜県大垣市で家族は技術科の高校教師だった厳格で真面目な父親に育てられるも反骨心の強い子供で小・中学時代はガキ大将だった事などが明かされています。
安田隆夫さんの国籍が韓国や中国ではないかという噂がネット上に根強くありますが、これは根拠が弱くデマの可能性が高いとみられています。
安田隆夫さんの学歴については、地元の岐阜県大垣市の公立校「大垣南高校」から、「慶應義塾大学」の法学部を卒業しています。
安田隆夫さんの大学卒業後の経歴は、小さな不動産会社に就職するもオイルショックにより10ヶ月で倒産し、その後は29歳まで賭け麻雀などのギャンブルで食い繋ぎ、ギャンブルで貯めた800万円を元手にディスカウントの個人店「泥棒市場」を開業。大胆な経営手法で売り上げを伸ばし、1989年に「ドンキホーテ」1号店をオープンさせ、瞬く間に大企業へと成長させました。
安田隆夫さんの総資産は2024年のForbes JAPAN長者番付によると6380億円となっています。これは、ドンキホーテを運営するパン・パシフィック・インターナショナルHDの株式が大きな割合を占めています。
安田隆夫さんの現在の自宅は、シンガポールのセントーサ島にある豪邸と、東京都世田谷区の高級住宅地帯にある豪邸です。
安田隆夫さんはこれまでに少なくとも2度結婚しています。現在の嫁は絢さんという方で子供は息子の安田裕作さんが生まれています。
また、安田隆夫さんは離婚した元嫁との間にも子供があり、長男の安田純也さんはかつては後継者とみなされていくつかの関連会社の経営を任されていましたが、経営をめぐるトラブルや金銭トラブルがあり、現在は廃嫡されて実質追放状態にあると一部のメディアが報じています。