元五輪選手の国会議員・橋本聖子さんが東京五輪・パラリンピック組織委員会会長に就任し話題です。
この記事では橋本聖子さんの身長などプロフィールや学歴、若い頃の写真、家族や結婚した旦那さんと子供、再炎上している高橋大輔さんへのキス強要疑惑などについてまとめました。
この記事の目次
橋本聖子が東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長に就任
女性蔑視発言を批判され、東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長を辞任した森喜朗さんの後任問題が議論されていましたが、元五輪銅メダリストで自民党参議院議員で五輪相も務めていた橋本聖子さんが、2021年2月18日に正式に同委員会の会長に就任され注目を集めています。
女性蔑視発言で辞任した東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗前会長(83)の後任に18日、橋本聖子五輪相(56)=同日付で辞任=が就任した。
森喜朗前会長の女性蔑視発言が批判を受け全世界からの注目を集めている東京五輪・パラリンピック組織委員会会長への就任という事で、橋本聖子さんも強いプレッシャーを感じられているようです。
今回はこの橋本聖子さんについてまとめていきます。
橋本聖子の身長などのプロフィール
橋本聖子のプロフィール
生年月日:1964年10月5日
出身地 :北海道勇払郡早来町(現在の安平町)
身長 :156cm
血液型 :B型
橋本聖子の若い頃のスピードスケート選手としての経歴
橋本聖子さんは1964年10月5日、北海道の生まれで、3歳の頃にスケートを始め、学生の頃からスピードスケート選手として頭角を現し、1981年から1990年までの10年にわたって全日本選手権を制覇し、国際試合にも出場し活躍されています。
1984年のサラエボオリンピックで冬季五輪初出場を果たし、次の1988年のカルガリーオリンピックでは、スピードスケート女子全5種目に出場し、全ての種目で日本記録を更新しています。
この1988年には、橋本聖子さんは夏季のソウルオリンピック(当時は夏季五輪と冬季五輪が同じ年に開催されていた)にも自転車競技の代表として出場しています。夏季と冬季の五輪に同じ年に出場するのは日本人としては史上初でした。
1992年のアルベールオリンピックでは、女子スピードスケート全5種目出場し、女子1500mでは銅メダルを獲得。日本人の女子選手としては史上初となる快挙でした。この年には夏季五輪のバルセロナオリンピックにも自転車競技で出場し女子3000m個人追抜競技で11位の記録を残しています。
1994年のリレハンメルオリンピック(この年から夏季五輪と冬季五輪が2年ごとに交互に行われる現在の形に改定された)にも出場し、日本選手団のキャプテンを務めています。女子スピードスケート4種目に出場し、女子3000メートルでは、日本新記録となる6位、5000メートルで8位の記録を残されています。
1996年のアトランタオリンピック(夏季)には自転車競技で出場し、女子3000m個人追抜12位、女子2万4000mポイントレース9位の記録を残されました。
橋本聖子さんは合計で7大会(冬季4回、夏季3回)のオリンピックに出場しており、これは日本女子としては最多の記録です。
橋本聖子の身長について
橋本聖子さんの身長は「156cm」で、スピードスケート選手としては小さくかなり不利だといえますが、橋本聖子さんはこの身長的ハンデを圧倒的な練習量でカバーして世界の強豪選手と渡り合った偉大な選手でした。
1995年に参議院議員に当選してからの橋本聖子の経歴
橋本聖子さんは、まだスケート選手として現役だった1995年に参議院議員選挙に自民党から立候補して当選し、国会議員になっています。
政治家とスポーツ選手の二足のわらじに挑戦し、その翌年アトランタオリンピックに出場しましたが、国会議員としてオリンピックに出場した事が、政界とスポーツ界の両方から批判され、この大会を最後に現役を引退されています。
その後、橋本聖子さんは政治家として活躍されており、参議院議員として現在までに5期連続で当選されています。
2008年の麻生内閣では外務副大臣、2012年の第2次安倍内閣では自民党参議院政策審議会長、2016年には自民党参議院議員会長などを歴任し、2019年の第4次安倍内閣第2次改造内閣で、東京五輪・パラリンピック競技大会担当女性活躍担当内閣府特命担当大臣として初入閣していました。
橋本聖子の学歴① 出身小学校は早来町立早来小学校
出典:https://www.seiko-hashimoto.net/
続いては、橋本聖子さんの学歴についてみていきます。
橋本聖子さんの出身小学校は、地元の北海道勇払郡早来町の「早来町立早来小学校」です。現在は「安平町立早来小学校」に名称が変わっています。
橋本聖子さんは小学校2年生の時の札幌オリンピックを見てオリンピック選手に憧れ、地元のスケート少年団に入団して本格的にスケートを始められたのだそうです。
しかし、小学校3年生の冬に腎臓病を患って2ヶ月間入院し、その後、命の危険から2年間も運動が禁止になっています。
橋本聖子さんは、この時入院した小児病棟で一緒になった自分と同じ小学3年生の子が亡くなる直前に言った「私の分まで生きてね、頑張ってね」という言葉が現在も忘れられないのだそうです。この経験は現在、橋本聖子さんが福祉の活動に力を入れられている原点にもなっているという事です。
橋本聖子の学歴② 出身中学校は早来町立早来中学校
橋本聖子さんは早来小学校を卒業後、そのまま地元の「早来町立早来中学校」へと進学しています。この中学校も現在は安平町立早来中学校に名称が変わっています。
橋本聖子さんは小学校時代に腎臓病を患い、命の危険から運動を禁止されたため、本格的にスケート競技を再開できたのは中学2年生の時でした。
橋本聖子さんは、中学時代に親元を離れ、苫小牧市内のスケートコーチの自宅に下宿してスケートの練習に打ち込んでいます。なお、Wikipediaには中学3年生の時に橋本聖子さんが全日本ジュニアスピードスケート選手権大会を制覇したとする記載があるのですが、これは情報源が確認できず真偽不明です。
橋本聖子の学歴③ 出身高校は駒沢大学附属苫小牧高校
橋本聖子さんは中学を卒業後、スポーツの強豪校として知られる「駒沢大学附属苫小牧高校」へと進学されています。駒沢大学附属苫小牧高校の最新の偏差値は学科によってかなり幅があり「44から61」となっています。
この高校時代も橋本聖子さんは引き続き苫小牧市のコーチの元で下宿してトレーニングを積まれていました。
橋本聖子さんはこの高校時代にスケート選手として一気に才能を開花させ、1年生の時には世界ジュニア選手権の日本代表に選出され、高校2年生の時には全日本スプリントスピードスケート選手権大会と全日本スピードスケート選手権大会を制覇し、国内の高校生のトップ選手になります。
しかし、高校3年生の時にまたしても橋本聖子さんに苦難が降りかかります。1982年の秋、腎臓病が再発して入院を余儀なくされ、選手として期待されているのに練習できない事や、将来への不安などのプレッシャーから胃に穴が開いて円形脱毛症になり、さらにはストレス性呼吸筋不全症を併発して自力で呼吸ができなるなど追い込まれていきました。
橋本聖子さんは精神的な治療のため精神病院(現在でいうところの心療内科)に入院しますが、なんとそこでもB型肝炎に院内感染して1週間も生死の境を彷徨うなど、これでもかというほどの不運に見舞われています。
当時、医師からは命の危険があるからスポーツをやめた方が良いとの提案も受けたそうですが、ここでも橋本聖子さんは不屈の精神力を発揮し、リハビリで一緒になった体の不自由な子供達との交流によって力を得て、苦しいリハビリを乗り越えて再び選手として復帰しています。
橋本聖子の若い頃の写真
橋本聖子さんの若い頃の写真も紹介します。
上の2枚の若い頃の写真は、1992年のアルベールビルオリンピックのスピードスケート種目女子1500メートルで当時、日本人女性初となる銅メダルを獲得したシーンです。
上写真も1992年のアルベールビルオリンピックの時の若い頃の橋本聖子さんで、競技前のウォームアップ中の姿です。
上の写真はユニフォームから、1988年のカルガリーオリンピックに出場した時の若い頃の橋本聖子さんの写真のようです。
岡崎朋美の写真が何故か若い頃の橋本聖子の写真として拡散されている
下の写真は、美人選手として話題だった元スピードスケート選手の岡崎朋美さんの現役時代の写真ですが、これが何故か若い頃の橋本聖子さんの写真として拡散されているようです。
スピードスケート選手の見事な太腿がよくわかる写真ですが、これは橋本聖子さんの若い頃ではなく岡崎朋美さんです。
橋本聖子の家族① 父親は北海道で牧場経営
写真左から2人目のサングラスの男性が橋本聖子さんの父親の善吉さん
橋本聖子さんの家族についても見ていきます。
橋本聖子さんの父親は橋本善吉さんという方で、北海道勇払郡早来町で競走馬(サラブレッド)などを主に生産する牧場を経営されていました。
橋本聖子さんが生まれた1964年10月5日は、東京オンピックの開会式の5日前で、「聖火」にちなんで父親の橋本善吉さんが「聖子」という名前をつけられたのだそうです。
父親の善吉さんは、橋本聖子さんを子供の頃からオリンピック選手にしたいと本気で思っており、橋本聖子さんは幼い頃から「オリンピック選手になるために生まれた」言い聞かせて育てられたのだそうです。
父親の善吉さんはとても厳しい方だったらしく、橋本聖子さんは嘘をついたら氷の張った池に放り込まれる、挨拶の時は正座して三つ指をつかなくてはならない、父親にご飯茶碗を渡すときは必ず両手を茶碗に添えて渡さなければ許されない、父親が外から車で帰宅した時は、車が停車しないでもガレージに入庫できるように事前に扉を開けておかなければ激怒される、といった現在なら虐待と言われるようなしつけも受けたようです。
橋本聖子さんの両祖父母は北海道に土地を開拓に来た本土の人間で、父親の家系は宮城県三本木から、母親の家系は奈良県十津川村から入植したそうで、橋本聖子さんの祖父母が土地を開拓し、その土地に父親の善吉さんが牧場を興したという事です。
そうした頼る者のない厳しい環境の中で育った父親の善吉さんが、橋本聖子さんを厳しくしつけたのは当然の事だったのかもしれません。
橋本聖子が五輪担当大臣に任命された時には父親の善吉さんの借金が問題に
橋本聖子さんは、2019年に東京五輪の担当大臣に任命されて初入閣していますが、その時には、父親の善吉さんに約20億円もの借金があるとの疑惑が持ち上がり、週刊誌などで報じられた事がありました。
「聖子さんの父・善吉さんは90歳を過ぎてなお健在ですが、バブル期の前後には地元の『千歳信用組合』から、本来の融資限度額の2倍以上である16億円余りもの融資を受けていました。ところが返済が滞り、そのあおりで千歳信組は99年に経営破綻。翌年には、債権回収を行なう整理回収機構が、信組の元理事長ら4人を相手取り、3億円の損害賠償を求めて提訴したのです」
報道によれば、橋本聖子さんの父親は、「千歳信用組合」から16億円余りの融資を受けており、その返済が滞った事によって1999年の同信用組合の経営破綻につながったという事でした。
また、2006年には、父親の善吉さんが橋本聖子さんの選挙資金だといって知人から2000万円を借り、その一部を返済しなかったため訴訟になり、返済命令が下された事なども報じられています。この時には、父親の善吉さんには総額で20億円もの借金があるとも報じられていました。
「06年には、聖子さんの選挙資金と称して善吉さんが知人から2千万円余りを借り、一部を返済せずに訴訟で返済命令が下ったことが明るみに出ました。この件はひとまず解決しましたが、あわせて善吉さんには借金が20億円以上あるとも報じられたのです」
そんな橋本聖子さんの父親の善吉さんですが、2020年10月19日に96歳で死去しています。死因は老衰と発表されています。
橋本善吉(はしもと・ぜんきち)氏が19日、北海道の自宅で老衰のため死去した。96歳だった。
橋本聖子の家族② 兄1人姉2人の4人兄妹の末っ子
橋本聖子さんは、両親と4人兄妹の家族で生まれ育ちました。
橋本聖子さんは4人兄妹の末っ子で、兄が1人と姉が2人います。
長兄は橋本善一さんという方で、父親から牧場を引き継ぎ馬主としても活躍されているようです。
長姉は睦さんという方で、元衆議院議員の高橋辰夫さん(2001年に72歳で死去)に嫁がれています。
二姉は、小熊あさ子さんという方で、橋本聖子さんの議員活動の手伝いなどもされていたようです。
橋本聖子の結婚した旦那は元警察官の石崎勝彦氏
出典:https://athlete-information.com/
橋本聖子さんは1998年12月に結婚されています。結婚した旦那さんは元警視庁警備部警護課(SP)勤務の石崎勝彦さんという方です。
この旦那・石崎勝彦さんはSPとして、島村宜伸元農林水産大臣ら要人の警護を担当されていたそうです。
旦那の石崎勝彦さんは橋本聖子さんの9歳年上で、学生時代はラグビーをされていたたくましい方という事で、橋本聖子さんは旦那さんに初めて会った時に引き締まった筋肉に一目惚れしたとの事でした。
旦那の石崎勝彦さんの方から「生涯のSPをさせて欲しい」とプロポーズされ結婚されたそうです。
橋本聖子の子供は6人(内3人は旦那さんの連れ子)
写真左が長女の「せいか」さん、右側の長男の亘利翔(ぎりしゃ)さん。
橋本聖子さんは6人の子供の母親です。内3人は、旦那の石崎勝彦さんが橋本聖子さんと結婚する前に死別した前妻との間にできた子供です。
橋本聖子さんは結婚して初めてこの旦那さんの連れ子の3人の子供に「お母さん」と呼ばれた時は、相当嬉しかったそうで「夢のようだった」とこの時の気持ちを語られていました。
そして、結婚後には橋本聖子さんは旦那さんの間に3人の子供(2男1女)を儲けられています。
この橋本聖子さんの3人の子供達の名前は全員がオリンピックにちなんだ名前で、かなり個性的だと話題になっています。
長女は、2000年4月12日に生まれた「せいか」さんです。もちろんこれはオリンピックの「聖火」にちなんでいます。
長男は、2004年に誕生した亘利翔(ぎりしゃ)さんです。これは、2004年に開催されたアテネオリンピック(アテネはギリシャの首都)にちなんでいます。
次男は、2006年に誕生した朱李埜(とりの)さんです。こちらはもちろん、2006年に開催されたトリノオリンピックにちなんだネーミングです。
若干キラキラネーム気味との声もありますが、橋本聖子さんのオリンピック愛が伝わってくるネーミングです。
橋本聖子の現在は高橋大輔へのキス強要スキャンダルが再炎上中【キス強要写真も拡散】
現在、東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長への就任が決まり注目されている橋本聖子さんですが、その事で、2014年2月のソチオリンピックの閉会式後のパーティの場で、橋本聖子さんがフィギュアスケートのスター選手・高橋大輔さんへのキス強要写真が流出したスキャンダルが再び取り沙汰され再炎上してしまっているようです。
当時は、橋本聖子さんは選手強化本部長という立場で選手団に同行しており、このスキャンダルがキス強要でありセクハラだとしてフィギュアスケートファンを中心に炎上騒動となりましたが、その後に高橋大輔さんが「強要されたわけではない」と説明をした事で不問になっていました。
しかし、現在、橋本聖子さんが東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長という世界中からの注目を集めるポジションに就任した事で、この過去のキス強要疑惑スキャンダルが世界的に拡散される兆しを見せており、問題のキス強要疑惑写真と共にこれを報じる海外メディアも実際に出始めています。
橋本聖子さんはこの騒動を受けて、「軽率な行動について深く反省をしています」とのコメントを出されています。
まとめ
今回は、2021年2月に森喜朗さんの後任として東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長に就任し注目されている、元オリンピック選手で参議院議員の橋本聖子さんについてまとめてみました。
橋本聖子さんは若い頃はスピードスケートや自転車競技の選手として、現役時代には合計7回オリンピックに出場し、1992年のアルベールビルオリンピックでは銅メダルを獲得しています。
橋本聖子さんは北海道で牧場を経営する家族で育ち、父親の善吉さんはかなり厳しい人物だったようです。
参議院議員になった後の1998年12月には結婚もされており、旦那さんは元警視庁勤務の警察官だった石崎勝彦さんという方で、その方との間に3人の子供を儲けられています。
現在、橋本聖子さんが東京五輪・パラリンピック組織委員会会長に就任した事で、2014年のソチオリンピックの時に写真が流出しスキャンダルになった高橋大輔さんに対するキス強要疑惑が再び取り沙汰され炎上しており、今後の展開にも注目が集まっています。
色々と前途多難な雰囲気ですが、橋本聖子さんが元アスリートとしても参議院議員としても素晴らしい方である事は間違い無いと思うので、東京五輪・パラリンピックの成功に向けて頑張って欲しいです。