圧倒的な強さから「ミスター・女子プロレス」とも呼ばれている神取忍さんは、過去の名勝負が話題です。
今回は神取忍さんの若い頃の経歴、ジャッキー佐藤さん・北斗晶さん・ギャビ・ガルシアさんとの試合、結婚歴や現在を紹介します。
この記事の目次
- 神取忍は「ミスター・女子プロレス」と呼ばれたプロレスラー
- 神取忍の若い頃① 柔道家として活躍
- 神取忍の若い頃② 友人が勝手に履歴書を送り、プロレス転向を決意
- 神取忍の若い頃③ 「ジャパン女子プロレス」に入門直後に炎上
- 神取忍の若い頃④ 男子とスパーリングしていた
- 神取忍の若い頃⑤ プロレス界初のフリーランスレスラーに
- 神取忍の名勝負① ジャッキー佐藤とのデビュー戦
- 神取忍の名勝負② ジャッキー佐藤とのケンカマッチ
- 神取忍の名勝負③ 北斗晶との血みどろ試合
- 神取忍の名勝負④ ギャビ・ガルシア戦は幻のまま
- 神取忍の名勝負⑤ ギャビ・ガルシアの別の試合に乱入
- 神取忍の現在① プロレスは現役続行中
- 神取忍の現在② 北斗晶と仲良しショットを披露し話題に
- 神取忍の現在③ 新人育成・全国でスカウト
- 神取忍の現在④ 結婚しているの?
- まとめ
神取忍は「ミスター・女子プロレス」と呼ばれたプロレスラー
神取忍のプロフィール
出典:https://wpb.shueisha.co.jp/
神取 忍(かんどり しのぶ)
本名: 神取しのぶ
生年月日: 1964年10月30日
出身地: 神奈川県横浜市磯子区
身長: 170cm
体重: 75kg
神取忍さんは、1986年から現在に至るまで現役続行中の女子プロレス選手です。
女子選手でありながら男性選手とも練習を行うなど自分を高め続け、プロレスのセンスや技は高い評価を受けています。
そしてその強さから、女性であるにも関わらず「女子プロレス最強の男」、「ミスター・女子プロレス」などの男前な異名の持ち主なんです。
また、2004年の第20回参議院議員選に当選して参議院議員を務め、プロレスリングのイベント企画を行っている株式会社LLPW-Xの代表取締役としても活動しています。
神取忍の若い頃① 柔道家として活躍
出典:https://news.livedoor.com/
神取忍さんと言えば、女子プロレスラーとしてのイメージが強いかもしれませんが、実は若い頃は柔道の選手として世界大会でメダルを獲得するなど将来を嘱望されていました。
ここでは、柔道選手時代、プロレスラーに転向した理由についても調査しました。
中学校3年生で柔道を開始
出典:https://www.meijo-u.ac.jp/
神取忍さんが柔道を開始したのは中学校3年生の時のこと。生まれ育った地域にあった道場に入りました。
高校進学後も道場通いを続け、次第にその実力が注目されていくと、柔道の強豪大学への進学や実業団入りを周囲から勧められたものの、神取忍さんが首を縦に振ることはありませんでした。
通っていた道場は、体育会系の部活にありがちな厳しい体罰や上下関係といったものとは一切無縁で、神取忍さんは自由な雰囲気で柔道を楽しんでいたからです。
そのため、学校や実業団などの組織の中に入ってしまうと、純粋に柔道を楽しむことができないと考えていたんだとか。
自由に楽しむスタイルでありながら、全日本選抜柔道体重別選手権の66kg級で3連覇、1984年の世界柔道選手権3位、福岡女子柔道選手権大会2位など、次々に好成績を収めていきました。
団体に所属しないがゆえに不便もあった
出典:https://zexy.net/
15歳で柔道を始め、私立の高校や大学に所属せず、実業団にも入らず、町の道場出身ながらメダルを次々に獲得していった神取忍さん。
「他の柔道家から見たら嫌なヤツだった」と当時を振り返っています。
一方、団体に所属すると選手に合った練習メニューを考案してもらえ、練習試合や大会に参加しやすいというメリットがあります。
しかし、団体に所属しない神取忍さんは総本山の講道館から敬遠されており、町道場の人脈ではなかなかスムーズに選手として大会に出場できず、不便も感じていたそうです。
また、当時は1988年のソウルオリンピックに向けて練習を重ねていたそうですが、当時はまだ女子柔道はオリンピックの正式な競技ではなく公開競技でした。
そのため、神取忍さんはメダル獲得へのモチベーションが上がらないまま、時間が過ぎていったといいます。
神取忍の若い頃② 友人が勝手に履歴書を送り、プロレス転向を決意
出典:https://www.staffservice.co.jp/
そんな時、柔道仲間の1人が神取忍さんの履歴書を「ジャパン女子プロレス」に送ってしまったそうです。
団体代表の話だけと思って、面接に行くと代表からは「女子柔道でオリンピックのメダルを獲得できたところで、それで食べていけるのですか?」と問われたといいます。
もともと将来性について疑問を持っていた神取忍さんは「3年だけプロレスをやってみよう」と女子プロレスへの転向を決意。
このニュースが流れると、「鳴り物入りの選手がやって来る」と女子プロレス界は震撼したといいます。
神取忍の若い頃③ 「ジャパン女子プロレス」に入門直後に炎上
出典:https://www.judo.or.jp/
1986年に新団体「ジャパン女子プロレス」に入門した神取忍さん。
普通であれば、下積み生活を送りトレーニングを積み重ねて、やっとリングに上がることができるのですが、神取忍さんは一切下積みなしでデビュー。
また、入門してすぐに「ダンプ松本は10秒で倒せる」と言い放ち炎上しています。
ダンプ松本さんと言えば、1980年にデビューした先輩レスラーで、ヒールとして人気を博し、テレビ番組や雑誌のコラムを担当するなどプロレスに詳しくない人にも知られていました。
そのため、神取忍さんは「プロレスを愛していないからこんなことが言えるんだろう」と陰口を叩かれてしまいました。
しかし、プロレス界最初の師匠である山本小鉄さんの「プロレスはお互いの思いやりがあって成り立つ」という教えをしっかり心に刻んでいたという神取忍さん。
外野からのバッシングは受け流し、真剣にプロレスの練習に取り組んでいます。
神取忍の若い頃④ 男子とスパーリングしていた
出典:tps://sports.yahoo.co.jp/
「ジャパン女子プロレス」は「新日本プロレス」と提携していたので、練習相手は男子選手が基本だったそう。
柔道で輝かしい経歴を持っているからこその練習メニューでしたが、男子選手との練習は想像以上にハードで、さらにまだプロレスに慣れていないことでの苦労もあったそうです。
例えば、柔道の癖が抜けず、相手が道着を着ていないのについTシャツや筋肉を思いっきり掴んでしまうこともしばしば。
余程の力で握られたからでしょう。先輩レスラーからは「何やってんだよ!」と力いっぱい殴られてしまい、いつも顔を腫らしていたといいます。
神取忍の若い頃⑤ プロレス界初のフリーランスレスラーに
出典:https://www.sanspo.com/
「ジャパン女子プロレス」は当時、1986年に旗揚げされたばかりで、後楽園で開催された旗揚げ試合では当時人気だったアイドルらがリングで歌を披露するなど華やかなものでした。
出だしは好調だったものの、その後はたびたび経営不安が発生し、創設者の椎名勝英さんは早々に退陣。
その後の新たな戦略として「男子プロレスや空手などあらゆる格闘技を融合した格闘技連合として再出発する」というコンセプトを掲げます。
するとコーチや選手達から反対の声が続出し、神取忍さんもその1人でした。
そして、環境に限界を感じた神取忍さんは、フリーランスのプロレスラーとして再出発することを決意します。
今でこそフリーランスとして活躍する人は珍しくありませんが、当時の日本のプロレス界ではフリーランスという発想はなく、神取忍さんが業界初のフリーランスレスラーとなりました。
神取忍の名勝負① ジャッキー佐藤とのデビュー戦
出典:https://omimi.biz/
格闘技界には名勝負と呼ばれる試合が幾つも存在しますが、プロレスにおける名勝負の1つが、神取忍さんのデビュー戦です。
相手は、史上空前の女子プロレスブームを起こした「ビューティ・ペア」の1人、ジャッキー佐藤さんでした。
一体どんな名試合になったのでしょうか。そして、試合のその後についても紹介します。
ジャッキー佐藤のプロフィール
出典:https://tokyojapan3939.com/
本名: 佐藤 尚子(さとう なおこ)
生年月日: 1957年10月30日
没年月日: 1999年8月9日
出身地: 神奈川県横浜市港南区
身長: 173cm
ジャッキー佐藤さんは1975年に女子プロレスラーとしてデビューし、1976年にマキ上田さんと共に「ビューティ・ペア」を結成、WWWA世界タッグ王座に輝きました。
その人気は凄まじく、「かけめぐる青春」でレコードデビュー。80万枚セールスの記録を叩き出し、試合前には歌を披露するなど、プロレス界のアイドルポジションでした。
1988年3月20日の試合をもって現役を引退。
スポーツプログラマーやヘルスケアトレーナーの資格を取得し、第2の人生を歩き始めますが、1999年8月9日に胃がんのため、入院先の神奈川県川崎市の病院で死去。享年41歳でした。
デビュー戦は健闘するも敗北
出典:https://www.tv-tokyo.co.jp/
神取忍さんのデビュー戦は、1986年8月17日に後楽園のメインイベントとして行われ、対戦相手は実力も人気もあるジャッキー佐藤さんという破格の待遇でした。
そのため、試合前は「いくら柔道が強いからってプロレスは簡単にできるもんじゃない」と批判も多かったそうです。
しかし実際に試合が始まると、新人とはとても思えぬ神取忍さんの力強さと迫力、緻密なテクニックに、そんな批判的な声はすぐに吹き飛んでしまいました。
このデビュー戦は惜しくも負けてしまったのですが、20分以上に渡り試合を続け、観客は瞬きを惜しむほど魅せた試合っぷりに、「これまでにない名試合」と絶賛されています。
神取忍さんは、2001年のインタビューで、デビュー戦を以下のように振り返っています。
「あいつが(プロレスを)できるわけないよ」って。この世界は「練習生から入って付き人やって、下積みから叩き上げるのが女子プロ」という常識があったから。
当時は全日本女子しかなくて、ひとつの価値観しかなかったしね。でも私は「そんなの関係ないよ。試合でそれを見返してやろう」っていう気持ちが強かった。
引用:ザ・インタビュー(神取 忍さん)- 東京ドームシティhttps://www.tokyo-dome.co.jp/
それまでの女子プロレスの悪い習慣や周囲の偏見を実力で打ち破ってやろう、という神取忍さんの強い気持ちが感じられますよね。
この試合を機に、神取忍さんは日本女子プロレスの四天王入りを果たしました。
神取忍の名勝負② ジャッキー佐藤とのケンカマッチ
出典:https://brush-stock.com/
1987年7月6日の葛西大会において、場外でジャッキー佐藤さんから不意打ちのラリアットを食らい、目を負傷してしまった神取忍さんは激怒します。
ジャッキー佐藤さんに向かって「そのつもりなら、そういう試合をしましょうよ」と告げ、決着戦を申込んだのです。
決戦は12日後の7月18日に大和車体工業体育館大会で行われ、神取忍さんの作戦は先制で相手の顔にパンチを叩き込んで戦意喪失を狙うというハードなものでした。
後日、プロレスの範疇を超えた試合内容は「ケンカマッチ」と呼ばれることに。腕を抑え込み、ギブアップを取って神取忍さんは勝利し、リベンジを果たしました。
こういった相手の心を折って戦意を失わせる戦い方は「シュートマッチ」と呼ばれます。
ただ、2015年に行われたインタビューで神取忍さんは、団体とジャッキー佐藤さんに了承を得た上で繰り広げた試合だったことを明かしています。
プロレスはエンターテイメントの一面を持っているので、いつも同じパターンの試合にならないよう注意しなくてはいけません。
そして観客の目を引くような試合内容の場合、リングに上がった当事者も観客もメリットがあるように、事前交渉をした上で展開することが往々にしてあります。
神取忍さんのエンターテイナーの素養がうかがえるエピソードですよね。
神取忍の名勝負③ 北斗晶との血みどろ試合
出典:https://kensuke-office.co.jp/
神取忍さんの2つ目の名物勝負は、1993年4月に横浜アリーナで開催された北斗晶さんとの一戦で、令和になった現在も語り継がれています。
北斗晶のプロフィール
出典:https://mirashiru.dai-ichi-life.co.jp/
本名: 佐々木 久子(ささき ひさこ)
生年月日: 1967年7月13日
出身地: 埼玉県吉川市
身長: 168cm
体重: 70kg
現在は「鬼嫁」の異名で知られる北斗晶さんですが、若い頃は女子プロレスラーとして活躍していました。
デビュー戦は1985年で、1995年6月に北斗建介さんと結婚。1998年に長男を出産後は産休を取るも翌年復帰を果たし、日本初のママレスラーに。
2002年に親友を亡くしたことを機に引退。その後はママタレントに転向して現在に至ります。
下馬評では神取忍の楽勝
1993年4月2日に行われたマッチは、言わば女子プロレスのオールスター戦にあたるものでしたが、カードそのものは試合が始まるまであまり注目を集めていませんでした。
その理由は、神取忍さんは圧倒的な人気を誇っていたものの、対戦相手の北斗晶さんは中堅どころの2番手、3番手というポジションで、実力の差が歴然としていたからです。
このため、プロレスファンの下馬評では「楽に神取忍さんが勝つだろう」と見られていました。
実際、この日のメインマッチは別に設定されていて、前座に近い試合だったようです。
まさかの血みどろの決闘に
ところがそんな予想を打ち砕くかのように、試合早々、北斗晶さんの強烈な先制パンチが決まり、リングに崩れ落ちる神取忍さんの姿が。
仁王立ちで「テメエ!そんなもんか」と絶叫する北斗晶さんの迫力に、観客は一瞬水を打ったような静けさに包まれ、格下とは思えない北斗晶さんの堂々とした態度に会場は沸き立ちました。
烈火のごとく怒る神取忍さんの反撃が始まると、試合は一進一退の攻防となり、場外乱闘にまで発展。2人とも額や顔が切れて、血みどろの試合になります。
お互いに死力を尽くし、得意技を惜しみなく繰り出す展開が続きましたが、最後は北斗晶さんの放ったパンチで神取忍さんがノックダウン。3カウントが取られ、死闘は幕を下ろしました。
なんと試合時間は30分37秒という長丁場に及びました。
なお、神取忍さんは敗れたものの、リングを退場する際に満員の観客から熱いコールを受けたことも名勝負だったと語られるゆえんです。
ちなみに、この対決を制した北斗晶さんは、以降「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになりました。
神取忍の名勝負④ ギャビ・ガルシア戦は幻のまま
出典:https://efight.jp/
3つ目の名勝負は、2015年にRIZINデビューを果たしたギャビ・ガルシアさんです。
2017年に行われた神取忍さんとのマッチは一体どんな勝負だったのでしょうか。
ギャビ・ガルシアのプロフィール
出典:https://jp.rizinff.com/
Gabrielle Garcia(ギャビ ガルシア)
生年月日: 1985年11月17日
出身地: ブラジル
身長: 186cm
体重: 107kg
ギャビ・ガルシアさんはブラジル人で、ブラジリアン柔術の選手としてこれまでに世界選手権で9回優勝、アブダビコンバッドでは3回の優勝歴がありました。
2015年12月31日に行われた、総合格闘技デビューだったRIZINの初戦はKO勝利。
さらに、2016年から2018年に出場したRIZINでは6勝0敗1無効試合という驚異的な成績を残しています。
試合は中止に
最初に対戦が決まったのは2016年のこと。4月に開催されたRIZIN.1での試合が予定されていましたが、直前に神取忍さんは肋骨を骨折してしまい、試合はキャンセルに。
今度こそと1年間かけてトレーニングに励み、2017年の対戦に向けて着々と準備を進めてきた神取忍さん。
しかし、試合前日の2017年12月28日の公開計量で、ギャビ・ガルシアさんは契約体重の95kgを12.7kgもオーバーしてしまい、試合が中止になってしまいます。
ギャビ・ガルシアさんによると、これまで通りにトレーニングを重ね、食事制限もしてきたものの、なぜか体重が落ちず、血圧も上がっていったそう。
関係者による調査の結果、怠慢によるウエイトオーバーではないとの結論に至り、ペナルティは課さないことが発表されています。
「総合格闘技は最後の試合という覚悟で調整してきたので、どうにか試合をさせて欲しい」と、神取忍さんは大会委員長に直訴しました。
大会運営側からは、試合日を12月29日から12月31日に変更する案も出ましたが、たった3日ではギャビ・ガルシアさんの体重はさほど変わらないだろう、と判断され、結局見送られました。
神取忍の名勝負⑤ ギャビ・ガルシアの別の試合に乱入
出典:https://www.daily.co.jp/r
リングに乱入する神取忍
2016年、2017年と試合中止になっていたことで、2018年のRIZINでの2人のカードが注目されていましたが、結局マッチは組まれず、ファンから残念という声が多数挙がっていました。
2018年のRIZINにおけるギャビ・ガルシアさんの対戦相手は、バーバラ・ネポムセーノさんで、ブラジルではキックボクシングに定評のある選手でした。
2人の試合をリングの外から険しい顔で見ていた神取忍さんでしたが、試合が終わると気持ちを抑えきれずリングに乱入しました。
神取忍さんが「ふざけるなこの野郎。やってやるよ、この野郎、逃げてんじゃねえよ」と絶叫すると、観客席はどよめきます。
2017年のRIZINの結果を知っている観客も多く、あわや大乱闘に発展するのでは、と息を呑み見守りました。
ギャビ・ガルシアさんは「神取選手のことは心から尊敬しています。私も戦う用意があります。誰からも逃げません。誰でもかかってきてください」とその挑発を受ける姿勢を見せます。
しかし、飛び掛かろうとした神取忍さんは関係者によってリング引きずりおろされ、乱闘にはなりませんでした。
試合はまだ実現していない
その後について気になっているファンも多く、Yahoo!知恵袋を見ると「結局のところ試合はどうなったんですか?」という質問が2021年8月に寄せられています。
しかし、現在もRIZINでの勝負は実現していません。
2021年にインタビューに応じた神取忍さんは「ガルシアとやるにしても動きようがないもんね。それこそ無観客になっちゃうよ」と、収束が見えないコロナ禍について嘆いていました。
しかし、いつマッチが来てもいいように毎日トレーニングは続けているようで、「伝説に残るような試合をお見せしますよ!」と力強く語っています。
実際に行われれば、名勝負の1つになるのは確実視されているので、実現する日が来るのを楽しみに待ちたいですね。
神取忍の現在① プロレスは現役続行中
出典:https://www.oricon.co.jp/
2022年現在の神取忍さんは現役選手として活躍中。
また、還暦を迎える3年後に開催される日本武道館大会の開催に向けて、「還暦武道館」を目標にトレーニングを進めているようです。
神取忍の現在② 北斗晶と仲良しショットを披露し話題に
出典:https://news.yahoo.co.jp/
2022年10月7日に、現役プロレスラーの井上貴子さんがインスタに、神取忍さんと北斗晶さんとのスリーショットをアップして話題になりました。
伝説の名勝負から約30年が経過し、井上貴子さんは「当時では考えられない恐ろしいおふたりの中に混ぜてもらいました」と投稿。
ファンからは「神取さんと北斗さんが並んでいる事が信じられないです。時の流れを感じます」、「この写真は胸熱です」などのコメントが寄せられました。
また、神取忍さん自身も、北斗晶さんとおどけた表情でお互いの顔に拳を当てている写真をアップしています。
ここでも「あの伝説の試合忘れられません。時が流れているのですね」という感無量の思いがファンから寄せられています。
神取忍の現在③ 新人育成・全国でスカウト
出典:https://prcm.jp/pic/
神取忍さんは、女子プロレス界の将来を担う新人の育成にも力を入れているそうで、現在在籍する練習生6人に加え、あと10人は増やしたいと考えているとのこと。
また、最近は芸能人がプロレスリングに上がるのがトレンドになっていますが、神取忍さんとしては、柔道などアスリート出身の新人を獲得すべく、日本全国をスカウトして回っているそう。
しかし、柔道やレスリングのアスリートが転向する先は総合格闘技が人気のようで、なかなか思うようにスカウトができていないと明かしています。
根気強く大会を運営していき、認知度を高めつつやっていくしかないと考えているようです。
神取忍の現在④ 結婚しているの?
出典:https://www.iprimo.jp/
2022年の誕生日で、神取忍さんの年齢は58歳になりますが、これまでに結婚を発表したことはなく、熱愛報道もありませんので、独身だと考えて良いでしょう。
これまでプロレス一筋だったので、結婚について考える時間がなかったのかもしれませんね。
そんな神取忍さんの理想の男性のタイプは、XJAPANのYOSHIKIさんとのこと。
また、「女子プロレス最強の男」と呼ばれていますが、実は女子力は高めで、爪のお手入れは欠かさず、週に2回はコラーゲンマシンに通い、美容代に月5万円を費やしているといいます。
今後、神取忍さんの心を射止める男性は出てくるのでしょうか。
まとめ
神取忍さんは、若い頃は柔道選手としてオリンピックでのメダル獲得を期待されるほどの実力者でした。
1986年に、友人が女子プロレス団体に神取忍さんの履歴書を送ったことをきっかけに、プロレスラーに転向。
デビュー戦の相手は、アイドル的人気を誇っていたジャッキー佐藤さんで、後楽園ホールのメインイベント戦という破格の待遇でした。
いくら柔道選手としては強くてもプロレスは初心者だったため、待遇の高さに批判も出ましたが、20分に渡るバトルを繰り広げて「通用しない」という下馬表をひっくり返します。
その後の北斗晶さんとの血みどろの試合も、名勝負として語り継がれています。
2017年にはギャビ・ガルシア戦も名勝負になると見られていましたが、相手のウエイトオーバーによる試合中止となり、今でもマッチは実現していません。
神取忍さんは悔しい気持ちを持ちながらも、いつでも対戦できるように現役選手を継続しています。
2022年10月30日の誕生日で58歳になり、現在は新人の育成にも力を入れているようです。
還暦の現役レスラーとしてリングに立つことを目指す神取忍さんを、これからも応援していきましょう。