2013年12月19日の早朝に京都市内の餃子の王将本社前で起こった王将射殺事件を覚えていますか?犯人を逮捕できないまま9年間が過ぎていましたが、2022年10月28日に急転直下で犯人が逮捕されました。その犯人が田中幸雄です。
田中幸雄の生い立ちや家族・結婚、経歴や大林組襲撃での逮捕や餃子の王将社長射殺事件での逮捕理由、現在などをまとめました。
この記事の目次
田中幸雄は餃子の王将社長射殺事件で逮捕された工藤会系石田組幹部
田中幸雄は餃子の王将社長射殺事件で逮捕された犯人であり、福岡県北九州市に本部を置く工藤会傘下の石田組の幹部です。
2022年10月28日に餃子の王将社長射殺事件で逮捕されましたが、逮捕時は別の事件で福岡刑務所に収監されていました。
ただ、田中幸雄が事件の実行犯であり、社長の大東隆行さんを射殺したことは間違いありませんが、田中幸雄に大東隆行さんの殺害を指示した人物がいるのではないか?と見られていて、事件の真相はまだ解明されたわけではありません。
田中幸雄の生い立ちや家族
田中幸雄の生い立ちや家族については、まだわからない部分が多いです。福岡県出身であることはわかっています。また、2022年の逮捕時点で56歳でしたから、1966年~1967年生まれでしょう。
大学は都内の大学に進学したことがわかっています。
都内の大学を中退し、旅行会社に勤務。関西地方を中心に働いていました。
FRIDAYや朝日新聞の報道では「都内の大学を中退」となっていますが、日刊ゲンダイの報道では「田中容疑者は大卒の元サラリーマン」としているので、卒業している可能性もあります。
家族の情報はありませんが、息子を都内の大学に進学させているご両親ですから、いわゆる「半グレ」とか「育児放棄」とか「DV」とかそのような系統の問題のある両親ではなく、ごく普通の一般的な家庭で田中幸雄は育った可能性が高いです。ちょっと問題ある家庭だったら、わざわざ東京の大学に進学されることはないでしょうから。
しかも、田中幸雄はそれなりに成績が良く、「いい大学」に進学したという情報もあります。
「あれはもう警察も田中さんのことを口にしとりましたけんね。田中さんは口が硬いことは有名でしたよ。ええとこの大学を卒業ばしとるはずです。
このサイゾーの記事(福岡の元暴力団幹部の証言)でも、「大学を卒業」となっていますね。大学中退か卒業かは不明ですが、大学まではごく普通の生活を送っていたと言えるでしょう。
田中幸雄の経歴
田中幸雄は大学中退(もしくは卒業)した後に、旅行会社で働いていました。旅行業界は、裏社会・反社会的勢力と関係がない業界です。大学卒業後はずっとまともにサラリーマンとして働いていたんですね。主に関西地方で働いていたそうです。
田中幸雄が裏社会に足を踏み入れたのは、20年ほど前とのことです。
田中容疑者は大卒の元サラリーマン。20年ほど前に裏社会に足を踏み入れた異色の経歴の持ち主だ。武闘派ながら、組織に尽くすインテリヤクザだという。
引用:「餃子の王将」社長射殺容疑で逮捕された“ヒットマン”の素性…そして創業一族が抱える闇(日刊ゲンダイDIGITAL) – Yahoo!ニュース
現在、田中幸雄は56歳ですから、36歳ごろまでは普通にサラリーマンをしていたんですね。一部情報では公務員もしていたと報道されています。
その石田組で当時、本部長を務めていたのが、某一流大学を卒業後に公務員などの職に就いたのち、現・石田組の門を叩くことになったといわれる田中容疑者ということなる。
それから、工藤会の傘下組織(石田組)を紹介してもらったことをきっかけに工藤会の構成員になったそうですが、何をきっかけにして工藤会の組織を紹介してもらったのかは不明となっています。
公務員から暴力団員・・・。公務員と暴力団員はある意味、真逆のような立ち位置ですよね。あまりに職業の振り幅が広すぎます。
田中幸雄は結婚している?
田中幸雄は結婚しているかどうかは不明です。ただ、結婚歴はある可能性が高いです。なぜなら、36歳ごろまでは旅行会社でサラリーマンや公務員として働いていたからです。
36歳でサラリーマンをしていた大卒の男性なら、結婚している確率の方が高いでしょう。ただ、36歳ごろに何かをきっかけに工藤会の構成員になっていますので、その時点では離婚しているかもしれません。
サラリーマン・公務員の男性と結婚したのに、夫がいつの間にか暴力団員にジョブチェンジしていたら、妻は離婚しますよね。しかも、その暴力団は九州最大勢力で、超武闘派とも言われている工藤会です。自分の身の安全、子どもがいたら子供の将来、さらに自分の家族や友達の身の安全などを考えると、離婚を選択するのは当たり前と言えます。
田中幸雄は工藤会系石田組の幹部
出典:saga-s.co.jp
田中幸雄は2002年ごろから工藤会傘下の構成員になりました。
田中幸雄は五代目工藤會の傘下の石田会の門をたたきます。石田組は五代目工藤會の総本部長を務める石田正雄が組長を務める暴力団です。もともとは工藤會3代目会長だった溝下秀男総裁の子分で、もともとは溝下組を率いていましたが、2008年に溝下総裁がなくなった後に溝下組を石田組という名前に変えています。
田中幸雄はその石田組に入り、インテリながらも武闘派のヒットマンとしての役割を果たしました。ヒットマンの条件は「人ごみに紛れ込めるような穏やかな見た目で銃の扱いに慣れ、根性があること」とのことですが、田中幸雄はその条件をすべて満たしていました。
田中容疑者は工藤会傘下組織の有力団体の一つ「石田組」の幹部。ヒットマンとして数々の事件を実行したことで、組織内で昇格していったとみられる。
ある捜査関係者は「何も考えずに指示通りに動ける男だ」と評し、組織内で重宝されていたとみる。
しかも、田中幸雄は口が堅いことでも有名でした。また、普段は無口なコーヒー好きの男だったとのことです。
普段はコーヒーが好きで、煙草を吸って寡黙な男です。しかし、ひとたび決断すると、絶対に仕事をやり遂げてくる。抗争なら相手もヤクザだから躊躇はないが、一般市民でも関係なくやる武闘派です。
引用:餃子の王将・社長銃撃「コーヒー好き」凄腕ヒットマンの寡黙な素顔…元山口組弁護士は「無理筋だが起訴」と語る(現代ビジネス) – Yahoo!ニュース
・銃の扱いがうまい
・中肉中背で目立たないルックス
・口が堅い
・根性がある
・指示通りに動けて上に忠実
田中幸雄はこのようなヤクザで、その武闘派のヒットマンとして実績を積んでいき、工藤会傘下石田組の中で出世していったようです。
工藤会とは
田中幸雄が所属していた工藤会とは九州最大勢力の暴力団です。
福岡県北九州市小倉北区に本部を置く指定暴力団で、2012年からは改正暴対法により全国で唯一「特定危険指定暴力団」に指定されています。2021年末の時点で勢力は約470人とされています。
工藤会は全国唯一「特定危険指定暴力団」に指定されていることからもわかるように、とにかく武闘派であることで知られています。しかも、暴力団同士の抗争をやるのではなく、一般人を対象に攻撃をしていた暴力団でした。
九州で活動するある幹部は、過去の工藤會について、このようなことを口にしている。
「あそこはカタギと身内ばかりに手をかける」
逆に言えば、一般市民にも平気で手を出すことがある組織として、社会に恐怖を与えていたわけだ。
工藤会が市民・一般人・企業を対象に攻撃した事件の一例をご紹介します。
・健康センターに殺鼠剤を撒布
・在福岡中国総領事館を散弾銃で攻撃
・警部宅にガソリンをまいて放火
・パチンコ店や区役所出張所などを銃撃
・暴力団事務所撤去運動に取り組む商店に車で突撃
・暴力追放を掲げていた市議を襲撃
・警察官舎内に爆案を設置
・九州電力会長宅に爆発物を投擲
・西部ガス社長宅を銃撃
・暴力団追放運動主導者の経営するクラブを手りゅう弾で攻撃
・安倍晋三氏の自宅や事務所に火炎瓶を投げ込む
・みかじめ料を断ったパチンコ店などを攻撃
・工藤会追放運動をしていた建設会社役員を射殺
・黒瀬建設社長銃撃事件
これら市民を対象にした銃撃・暴力事件を工藤会は引き起こしています。特に、次の4件は「工藤會による市民襲撃4事件」とされています。
・1998年2月:元漁協組合長の男性射殺
・2012年4月:工藤會の捜査を担当していた元福岡県警警部の男性銃撃
・2013年:局部の増大手術と周辺の脱毛手術に不満を持ち、担当した女性看護師刺傷
・2014年:元漁協組合長の孫の歯科医師男性刺傷
これらの事件で4代目会長(5代目総裁)の野村悟は2014年9月11日に殺人・銃刀法違反で逮捕され、5代目会長の田上不美夫は9月13日に殺人容疑で逮捕されています。2021年8月24日には野村に死刑判決、田上に無期懲役の判決が言い渡されました。指定暴力団最高幹部に対する死刑判決は史上初めてのことですが、野村は裁判長に「全然公正やない。あんた、生涯このこと後悔するよ」という恐ろしい言葉を残しています。
野村は控訴していますが、控訴審は2022年時点でまだ開かれておらず、判決が出るまでにはまだ長くかかりそうです。
田中幸雄は大林組襲撃事件で逮捕されていた
田中幸雄は大林組襲撃事件で逮捕されていました。
田中幸雄は工藤会傘下の石田組でヒットマンとして、組の中で序列を上げていきました。田中幸雄は今までに分かっているだけで、2回もヒットマンの役割をしていました。
1回目は2003年のことです。おそらく、石田組に入ったばかりの頃でしょう。2003年に福岡県福岡市東区のパチンコ店「マルハン二又瀬店」に、田中幸雄はトラックで突っ込んだことがありました。
調べでは、田中容疑者はトラックで同店の駐車場から進入。6回にわたり、トラック後部の荷台部分を同店(鉄骨平屋建て1919平方メートル)の正面出入り口近くの壁面ガラス(縦5メートル、横3メートル)に突入させ、ガラス4枚を割り、建物内部のパチンコ台約5台を壊した疑い。
この事件で、田中幸雄は建造物損壊の疑いで警察に現行犯逮捕されていますが、田中幸雄は「工藤会に挨拶に来いと言ったが来なかったのでやった」と供述し、実刑判決を受けています。
2回目のヒットマンとしての役割は2008年です。
2008年1月17日、福岡市博多区下川端町のビル前の路上で、田中幸雄は大手ゼネコン「大林組」九州支店の男性社員ら3人が乗る車に向けて拳銃を数発発砲して、バイクで逃走しました。男性社員3人にはけがはなく、銃弾は車のバンパーやヘッドライトに命中しています。
確定判決によると、田中容疑者はフルフェースのヘルメットをかぶって拳銃から弾丸4発を撃ち、車のバンパーなどに命中させていた。事件前には、共犯者に「特命が来た。体に当てずに乗車中の車に発砲する。間違っても相手にけがさせちゃいかんので、これは自分がやる」などと発言していたことも分かっている。
田中幸雄が大林組の社員らを襲った理由はみかじめ料です。みかじめ料を要求する目的で大林組の車・社員を襲い、事件から10年後の2018年6月28日に、大林組社員襲撃事件の実行犯役として、田中幸雄は殺人未遂と銃刀法委違反で逮捕されています。そして、2019年11月に懲役10年の実刑判決を受けました。
つまり、逮捕された2018年6月からは田中幸雄は警察・検察・刑務所の管轄下にあったということです。
餃子の王将社長射殺事件で逮捕状が出た2022年10月時点では、福岡刑務所に服役していて、懲役10年・2028年までは出所することはなく、身柄を国家権力に確保されているという状態でした。
逃亡の恐れや捜査の手が伸びてきたことによる証拠隠滅の恐れは一切なかったということですね。
田中幸雄が関与した餃子の王将社長射殺事件とは
出典:youtube.com
餃子の王将社長射殺事件とは、2013年12月19日に京都府京都市山科区にある餃子の王将本社前で、餃子の王将の社長である大東隆行さんが何者かによって射殺された事件です。
社長の大東さんは事件当日の朝午前5時半ごろに自宅を出発し、午前5時45分ごろに本社前の駐車場に車を停めて降りたところを待ち伏せていた犯人に至近距離から4発撃たれました。
犯行に使われた銃は小型の25口径の自動式拳銃で、4発すべて胸や腹など急所に命中しています。
社長の大東さんは午前7時ごろに出社してきた社員によって倒れているところを発見され、病院に搬送されたものの死亡が確認されています。
現場に落ちていた遺留品は薬莢4つのみで、大東さんのカバンや財布などは残されたまま、さらに車の中にあった現金百数十万円も盗られていませんでした。このことから、物盗りや脅し目的ではなく、餃子の王将の社長・大東隆行さんの殺害を目的としたプロの犯行と見られていました。
凶器に使われた25口径の自動式拳銃は、手のひらサイズで殺傷能力が低く、銃撃にはスキルを要するため、当初から「プロの仕業」との見方が強かった。犯行は計画性がうかがわれ、発射音を聞いたり、現場を目撃した人もいなかったため、捜査は難航していた。
引用:「餃子の王将」社長射殺容疑で逮捕された“ヒットマン”の素性…そして創業一族が抱える闇(日刊ゲンダイDIGITAL) – Yahoo!ニュース
京都府警は延べ22万人の捜査員を動員して、この餃子の王将社長射殺事件を捜査していましたが、実行犯の逮捕につながる有力な手掛かりは見つからないまま、9年の年月が過ぎていったのです。
田中幸雄が餃子の王将社長射殺事件で逮捕された理由
田中幸雄は事件から9年経った2022年10月28日に、殺人と銃刀法違反の容疑で逮捕されました。なぜ9年経ってようやく逮捕されたのか?逮捕までの過程を見ていきましょう。
以前から工藤会のつながりが指摘されていた
餃子の王将社長射殺事件は、以前から暴力団の工藤会が関わっていると噂されていました。
2015年12月に事件現場近くでタバコの吸い殻が発見されましたが、このタバコの吸い殻から検出されたDNAは工藤会組員のものと一致したことが判明したのです。このタバコの吸い殻が発見された場所は、殺害現場からは死角となっている通路でした。
つまり、事件前にこの場所に工藤会の組員がいた可能性が高いということです。
餃子の王将社長射殺事件はその手口からプロによる犯行の可能性が高いと見られていたこともあり、工藤会のヤクザが実行犯ではないかと見られていました。そして、DNAも一致したということから、誰が実行犯かほぼ確定していたのです。しかし、決定的な証拠はなく、逮捕に持ち込むことはできなかったのです。
田中幸雄は関与を否定
当時は、現場に落ちていたタバコの吸い柄から検出されたDNAと一致した工藤会の構成員は、田中幸雄であるという報道はありませんでした。ただ「現場近くに残されていた遺留品から検出されたDNAと九州の暴力団員のものと一致した」と報道されただけでした。
ただ、警察は「DNAが一致したのは田中幸雄」とわかっていたため、2017年7月に田中幸雄が乾燥大麻所持の容疑で逮捕された時、京都府警の捜査員も福岡に向かい、餃子の王将社長射殺事件について取り調べをしましたが、田中幸雄は事件への関与を否定しています。
2018年6月に田中幸雄がゼネコンの大林組の車を銃撃した容疑で逮捕された時も、同じように餃子の王将社長射殺事件について取り調べをしましたが、事件に結び付くような供述は得られませんでした。
9年かけて田中幸雄が犯人と特定
それでも、警察は諦めませんでした。2018年に田中幸雄が大林組の車銃撃事件で逮捕・実刑判決を受けたことで、田中幸雄は10年は刑務所にいることが確定したため、警察は1つ1つ証拠を積み上げていったのです。
■バイクから火薬成分(硝煙反応)あり
防犯カメラから犯人はバイクで逃走したと見られていました。そこで現場近くで乗り捨てられている複数のバイクを調べたところ、そのうちの1台から硝煙反応が検出されたんです。
■バイクと怪しい車
硝煙反応が検出されたバイクは盗難バイクでしたが、そのバイクは犯行があった時に現場近くを走っていたことがわかっています。また、そのバイクと並走する形で久留米ナンバーのプレートを付けた軽自動車が走っていました。しかも、その軽自動車は福岡県の空港に向かって走っていったことがわかっています。
■田中幸雄は事件1~2日前から行方不明
田中幸雄は福岡県警の北九州地区暴力団犯罪捜査課が事件前から追っていて、行動確認をしていました。しかし、餃子の王将社長射殺事件の1~2日前から、田中幸雄は警察の目をかいくぐって行方不明になっていたのです。
■タバコの銘柄が一致
事件現場近くで田中幸雄のDNAが検出されたタバコの吸い殻の銘柄と田中幸雄がいつも吸っているタバコの銘柄は一致していました。
■タバコは現場で吸ったと特定
現場近くから田中幸雄のDNAが付着したタバコの吸い殻が発見されましたが、捜査を混乱させたり、田中幸雄に罪をなすり付けようとして、犯人が現場に落とした可能性もあります。
だから、「現場で田中幸雄が吸ったタバコである」ということを証明しなければいけませんでした。
事件当日の現場は小雨が降っていました。雨に濡れた道路や壁でタバコの火が消えれば、吸い殻には特徴的な痕跡が残るため、警察は火災の専門家に鑑定を依頼したところ、現場近くに残された吸い殻は田中幸雄が現場で吸ったタバコであるという確証を得て、逮捕状が出たのです。
厳戒態勢の中で逮捕
逮捕状が出た時、田中幸雄は福岡刑務所に収監されていました。
田中幸雄は福岡刑務所で逮捕され、京都に向けて合計9台の車列を組んで厳戒態勢の中で移送されました。田中幸雄を移送する車は、防弾仕様だったとのことです。
田中幸雄の工藤会は日本で最も凶悪なヤクザですから、警察は移送中の襲撃の可能性を考慮し、周囲を警戒しながら移送したとのことです。
移送中に、組織が田中容疑者を奪還しようとする可能性が排除できず、周囲を警戒しながら走行したため、想定より移送に時間がかかったという。
引用:「王将」社長射殺、異例の厳戒態勢で移送…車は防弾仕様・8台で前後挟み奪還警戒(読売新聞オンライン) – Yahoo!ニュース
福岡から京都まで600kmありますが、11時間かけて無事トラブルなく移送が終わっています。
田中幸雄はただの実行犯?餃子の王将社長射殺事件の真相は?
出典:sankei.com
田中幸雄は餃子の王将社長射殺事件の実行犯として逮捕されましたが、事件の真相はまだ解明されていません。なぜなら、田中幸雄はただの実行犯で、田中幸雄に指示した人物がいるはずだからです。
京都府警の刑事部長も指示役や共犯がいると考えているようです。
中野刑事部長「今回の容疑者は、実行犯という位置付けで考えている。これから捜査するが、共犯者、指示役がいることも視野に入れながら捜査していく」
不動産会社経営男性が率いる企業グループの関与?
餃子の王将は第三者委員会を作り、餃子の王将が反社会的勢力とのかかわりがあり、不動産会社経営の男性が率いる企業グループと不適切な取引があり、約170億円が未回収になっていたことが明らかになっています。
王将の創業者は加藤朝雄氏です。加藤氏は不動産業やゴルフ場経営をしていたA氏と親交があり、手続きやトラブル処理などではA氏の力を借りていました。創業者の加藤朝雄氏が1993年に亡くなると、雇われ社長を挟み、1994年からは長男が3代目社長に就任、次男は金庫番となりました。長男が社長になってからもA氏との交流は続き、この時に子会社を通じてA氏の会社に多額の資金を融資しています。
ただ、そのうち170億円が回収できなくなっています。
王将は企業グループ側から福岡県内の不動産を中心に億単位で次々に購入。さらに企業グループ側が3分の1に満たない額で買い戻し、不当な利益を上げていた。王将はこの間、経営を悪化させていく。
王将は負債が膨らみ倒産寸前になりますが、その状態で社長に就任したのが大東隆行さんです。
大東隆行さんは創業者の妻の弟でした。
大東社長はA氏の企業グループとのかかわりを断とうとしていました。事件の1ヶ月前には一連の不適切取引を指摘する報告書をまとめさせています。そして、不適切取引が明るみに出てから1ヶ月後にあの事件が起こったのです。
これらのことから、A氏が工藤会に依頼して、大東社長を射殺させたのではないかと見られています。ただ、これらはあくまでも状況証拠であり、確固たる証拠は今のところありません。
田中幸雄の現在
出典:ktv.jp
田中幸雄は現在、京都府県警山科警察署で取り調べを受けています。容疑を認めているかどうかは明らかにされていません。
--容疑者の認否は
「今後の捜査に多大な影響を及ぼす恐れがある。差し控える」
また、田中幸雄は口が堅いことで有名ですから、ずっと黙秘をし続ける可能性はあります。
捜査関係者によると、実行役とされる田中容疑者は黙秘を続けており、共犯者や指示役などの供述が得られる可能性は低いとみられる。
ただ、餃子の王将社長射殺事件の真相を明らかにするには、田中幸雄の自供は必須だと思いますので、何とか自供をしてほしいですね。
田中幸雄のまとめ
餃子の王将社長射殺事件の実行犯である田中幸雄の生い立ちや家族・経歴、結婚歴の有無、工藤会傘下の石田組での役割、ゼネコンの大林組の車銃撃事件、餃子の王将社長射殺事件での逮捕や現在をまとめました。
9年間にも及ぶ地道な捜査の結果、ようやく実行犯が逮捕されました。今後、事件の真相が明らかになることを期待したいです。