ボクシングの亀田3兄弟の次男である亀田大毅さんですが、2015年にボクシングを引退しており、妻子持ちとなっているようですね。
この記事では、亀田大毅さんの経歴、内藤大助さんとの試合前の切腹発言や試合での反則行為、嫁と子供など家族情報、そして現在の様子についてまとめてみました。
この記事の目次
亀田大毅のプロフィール
亀田大毅(かめだ だいき)
生年月日:1989年1月6日
出身地:大阪府大阪市
亀田大毅、ボクシング2階級制覇の実績があった
亀田大毅さんについては、ボクシングの亀田3兄弟の次男としてお馴染みな人物です。
全日本実業団選手権優勝や全日本社会人選手権準優勝の看板を引っ提げて、2006年2月にプロデビューを果たした亀田さんは、WBA世界フライ級とIBF世界スーパーフライ級の2階級制覇を達成するなど、ボクサーとして大きな実績残しています。
そんな亀田さんは、網膜剥離を患い左目の視力が急落してしまったことをきっかけに、2015年11月にプロボクサーを引退することになりました。
関係者によると、大毅は昨年6月のメキシコ合宿でのスパーリング後、左目の視野が真っ暗になり緊急帰国。病院で左目網膜剥離と診断された。医師からは、失明しなかったことが最高の結果と言われて引退勧告もされたが、諦められず、計3度の手術を経てリングに復帰。だが、再起戦は無念の判定負けとなった。現状のままボクシングを続けることが危険と判断し「これで終わるのは悔しいけど、右目だけでできる甘い世界じゃない」と引退を決意した。
引退後の亀田さんについては、現役時代の知名度を活かしてタレント活動を展開しているようですね。
亀田大毅の生い立ち…教育方針の違いで両親が離婚していた
亀田大毅、父親からボクシングの英才教育を受けた
亀田大毅さんがボクシングを始めた理由については、解体職として働きながらプロボクサーを目指した経験のある父・亀田史郎さんが、子供たちに自分の夢を叶えて貰おうと英才教育を開始したことがきっかけでした。
幼少期から近所の空手道場に通い格闘技の基礎を学んだ亀田さんは、11歳からボクシングに打ち込むようになり、学校が終ると史郎さんや兄弟たちと一緒に練習に明け暮れる毎日だったとか。
亀田家の練習メニューといえば、史郎さん発案のユニークなカリキュラムが多かったりしましたが、「子供が遊び感覚で打ち込めるように」との親心があったようですね。
亀田大毅、兄弟の中では落ちこぼれの凡才だった
プロボクサーとして大きな成功を掴んだ亀田大毅さんですが、本人曰く「子供の頃からずっと兄弟の中では落ちこぼれ」だったそうですね。
亀田3兄弟の格闘技センスは、子供の頃から大きな差があったようで、兄・興毅さんは空手のジュニア世界王者、弟・和毅さんは空手の小学日本王者だったのにも関わらず、大毅さんは1回戦負けの常連でした。
ボクシングに打ち込むようなってからは、兄弟で砂浜ランニングをしても自分だけ周回遅れになったり、同じトレーニングをしても自分だけ習得が遅いことが増えて行った大毅さんは、意気消沈して史郎さんに「ボクシングを辞めたい」と訴えたこともありました。
しかしながら、自分の言葉にショックを受けた史郎さんが泣きながら軽い腹パンチを繰り出して来る取り乱した姿に、子供心ながらに「これは禁句なんだ」と理解した大毅さんは、気を取り直してボクシングを続けることを決意したとか。
亀田大毅、両親が教育方針の違いで離婚していた
亀田大毅さんは、2003年になると、父・史郎さんと母・智子さんが離婚するといったアクシデントも経験しています。
ボクシングレッスンを開始して以降は、解体職からお好み焼き屋の店主へ仕事を鞍替えするなど、一家の大黒柱の役割を忘れることはなかった史郎さんですが、息子たちには「学校へ行かなくても良い」と明言するなどボクシングファーストな考えの持ち主でした。
そのため、子供たちがボクシングをすること自体には反対ではなかったものの、しっかりと教育も受けさせたかった智子さんとは何かとぶつかることが多く、離婚の憂き目となってしまったようですね。
ちなみに、両親の離婚後の亀田3兄弟は、妹の姫月さんともども史郎さんの元へ引き取られる形になりました。
亀田大毅が内藤大助戦で大バッシングを受けた原因「負けたら切腹する」「反則」など
亀田一家、兄・興毅の世界戦がきっかけでヒール化していた
亀田一家といえば、日本を代表するヒールだった時期もありました。
元々は、少年時代からTBSの密着取材を受けていた有名アスリート一家だった亀田一家ですが、プロデビュー後は話題作りのためにビッグマウスに興じることが多く、アンチも少なくない状況でした。
その後、2006年8月に開催されたWBA世界ライトフライ級王座決定戦にて、兄・興毅さんが、対戦相手のファン・ランダエタ選手にダウンを奪われながらも判定勝ちをする騒動が勃発。
ランダエタ戦の視聴率が40%を超える人気ぶりだったことも災いし、「疑惑の勝利」を手にしてしまった亀田一家は日本を代表するヒールへ転落してしまいました。
「失敗」というものには、「取り戻せる失敗」と、「取り返しのつかない失敗」の2種類があると思うのだ。そして、最初の亀田vsランダエタを亀田の勝ちにしてしまったのは、間違いなく、亀田の関係者たちの「取り返しのつかない失敗」だろうね。あれは正直に、亀田の負けにしておくべきだったよ……。
— prokakucom (@prokakucom) April 3, 2012
亀田大毅、切腹発言で内藤大助を挑発するも完敗していた
兄・興毅さんに続き、2007年10月になると、当時WBC世界フライ級王者だった内藤大助さんとの初世界戦に挑んだ亀田大毅さんは、試合前の記者会見の場で「負けたら切腹する!」と内藤さんを嘲笑するなど、自身満々な様子でした。
調印式後の会見では、大毅が「オレが負けたら切腹するわ。命がけでいく」と宣言。「内藤は負けたら何すんねん。オマエも切腹しろ」という亀田サイドの挑発に内藤は「オレはそんな約束はできない」とかわしながら、「とにかく良い試合をして勝ちにこだわりたい。国民のために頑張る」と意気込んだ。
しかしながら、実際の試合ではサミングや頭突きといった荒業を駆使しても内藤さんの前に手も足も出ない状況だった亀田さんは、最終ラウンドになると、内藤さんを投げ飛ばしたり押し倒そうとする露骨な反則行為に手を染めてしまいます。
反則もむなしく、内藤さんの前に大差の判定負けを喫した亀田さんでしたが、翌日のスポーツ新聞ではバッシング記事が1面掲載されるなど、世間から大きな批判を受けることになりました。
亀田大毅、内藤大助戦の反則が原因で1年間の出場停止処分を受けた
内藤大助戦後の亀田大毅さんですが、視聴率28.0%を記録した注目試合で明確な反則行為に手を染めてしまった代償は大きく、JBC(日本ボクシングコミッション)より1年間のボクサーライセンス停止処分を受けています。
また、試合のセコンドに付き「肘でもいいから目に当てろ!」と叫ぶなど問題発言が目立った父・史郎さんに関しても、JBCよりセコンドライセンスの無期停止処分を受ける羽目になりました。
亀田大毅はJBCから国内追放処分も受けていた
亀田大毅さんは、所属先だった「亀田ジム」がJBCと揉めた結果、国内追放処分を受けたこともありました。
この時のトラブルの原因については、2013年11月に行われた亀田さんとリボリオ・ソリスさんとのWBA・IBF世界スーパーフライ級王座統一戦が発端となっています。
ソリスが前日計量で計量失格となりWBA王座は空位となっていた為、空位のWBA王座と自身の持つIBF王座を懸けた一戦となった。勝てば王座統一、敗れればIBF王座も空位となるという条件下での試合。結果は1-2で敗れたため、当初はIBF王座は空位になったものの、IBF側の発表により、亀田大毅がIBF王座を保持することが認められた。
引用:亀田大毅
試合に負けても亀田さんのベルトが保持されるというあまりにも不透明すぎる結末を問題視したJBCは、2014年1月になると、「亀田ジム」に資格停止処分を下すことになりました。
その結果、国内で試合をすることが不可能になった亀田一家は、以降は海外を拠点にボクシング活動を展開する羽目になってしまいました。
しかしながら、騒動の原因はIBFにあるのにも関わらず、「亀田ジム」側が重い処分を受けたことに対しては、トラブル続きの亀田一家を嫌ったJBCの私怨との批判もあったようですね。
亀田側が主張を変えない場合は”追放”とあるが、問題はIBFであって一選手でも、ジムでもないだろう。あきらかな亀田いじめ。JBCの見識を疑う。私は亀田一家は好きじゃないけどね。http://t.co/D6bpUGGNC2
— 石川梵 Bon Ishikawa (@bonlamafa) January 6, 2014
また、不服に思った亀田一家は、処分の違法性を訴えて法廷闘争に出ており、JBCに6億6000万円もの損害賠償を請求してもいたようです。
亀田大毅のファイトマネー情報…最高額は1億円だった
一時期は国民的ヒールとして、大逆風の中でプロボクサー活動を続ける羽目になっていた亀田大毅さんですが、注目度の高さのおかげで破格のファイトマネーを手にしていた時期もありました。
亀田さんのファイトマネーの最高額は内藤大助さんとの世界戦だったようで、高視聴率が期待出来たことに加えて、興行権を亀田さんサイドが持っていたため1億円のファイトマネーを手にしたようですね。
ちなみに、対戦相手でありチャンピオンの立場だった内藤さんのファイトマネーは、1000万円だったと言われております。
亀田大毅の家族情報…交際6年を経て結婚した嫁がいる
亀田大毅さんは、2014年10月になると、8歳年上の一般女性・Aさんとアメリカ・NYで挙式を挙げています。
Aさんについては、タレントの関根麻里さん似の美女なうえ、「優しくて気配りが出来る女性」との兄・興毅さんの人物評も存在します。
2人の馴れ初めについては、内藤大助戦直後に友人の紹介で知り合ったそうで、世間から大バッシングを食らって落ち込む亀田さんを励まし続けてくれたのがAさんだったようですね。
当時の亀田さんは、世間のバッシングの酷さに加えて、1年間の出場停止処分もあってボクシングを引退しようかと考えていただけに、Aさんがいなければ後の「ボクシング世界王者亀田大毅」は存在しなかったことになります。
亀田大毅の子供情報…2男に恵まれていた
亀田大毅さんは子宝に恵まれており、2016年8月に長男が生まれたことに加えて、2020年5月に次男も生まれています。
ちなみに亀田さんは、息子が夜泣きをした際は妻の代わりにあやしたりするなど、イクメンパパ化しているとか。
また、3兄弟がいずれも世界王者経験者という名門ボクシング一家の出となる亀田さんですが、自分の子供には「ボクシングをさせない」と公言しているようですね。
亀田大毅の現在…JBCとの訴訟に勝ち名誉が回復していた
亀田大毅さんの現在については、2020年1月になると、JBCとの裁判が一区切りついたようで、東京地裁より「JBCによる処分は裁量権を逸脱・濫用するもので違法」との判決が下っています。
亀田3兄弟訴訟、JBCに4550万円賠償命令 東京地裁https://t.co/rYujOxQnjG
— 産経ニュース (@Sankei_news) January 31, 2020
兄弟の次男大毅さんの世界戦を巡るトラブルで、JBCは2014年2月、亀田ジムの会長とマネジャーの資格更新を認めない決定をした。3兄弟は国内で試合ができなくなった。
とはいえ、東京地裁の判決に納得をしていないJBC側は控訴をしており、最終的な決着はまだ先の見通しのようです。
亀田大毅についてまとめてみると…
現役時代はトラブルの話題が多かった亀田大毅さんですが、引退後は子宝にも恵まれて心穏やかな日々を過ごしているようです。
亀田さんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。