大仁田厚さんはこれまでにプロレスラーやタレント、政治家などとして活動してきました。私生活では1度結婚しており子供を一人もうけていますが、2006年に泥沼裁判を経て離婚しています。
ここでは大仁田厚さんの名言や嫁と子供など家族情報、引退回数と現在の活動などをまとめています。
この記事の目次
大仁田厚のプロフィール
名前:大仁田厚(おおにたあつし)
出身地:長崎県長崎市
生年月日:1957年10月25日
学歴:瓊浦高等学校中退→(以下は41歳以降の話)駿台学園高等学校定時制課程普通科第3年次(1999年4月編入)→明海大学経済学部(2000年4月入学)→その後中退→明治大学政治経済学部経済学科夜学(2001年4月入学)し、その後4年で卒業。
大仁田厚さんは、大きく分けてプロレス界、政界、芸能界という3つの分野で活躍している人物です。
大仁田厚、1973年に全日本プロレスに入門
プロレスラーとしての大仁田厚
1973年に全日本プロレスに入門。ジャイアント馬場に憧れ付き人となり、1974年4月の試合でデビューを果たし、1982年にはNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を獲得しました。
1983年に試合後にリングから飛び降りた際に再起不能と言われるほどの大怪我を負い、1984年には一度引退しています。
1989年にFMWというプロレス団体を立ち上げ、「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」などで人気を博し、「デスマッチの教祖」「涙のカリスマ」「邪道」等という異名をとりました。1995年に2度目の引退を行い、またFMWの経営陣らと対立し1998年に追放されています。
その後は新日本プロレス参戦で佐々木健介、蝶野正洋、長州力らスター達と電流爆破マッチを行い、また地方などへの自主興行を敢行。そして現在も引退・復帰を繰り返すプロレス界のレジェントです。
大仁田厚、80年代後半からはタレント・俳優としても活躍
タレント・俳優としての大仁田厚
1980年代後半ぐらいから、ドラマ・映画・バラエティ・CMなどに出演し、タレントとして活動するようになりました。
プロレスラーとしての前提はもちろんありましたが、積極的に芸能活動を行っており、1996年には俳優としてNHK大河ドラマ「秀吉」(1996年)に出演。バラエティ番組では、プロレスラー時のような破天荒さでもってスタジオで大暴れすることも。
大仁田厚、参議院議員としても活躍
政治家としての大仁田厚
参議院議員:2001年〜2007年
政党:小沢自由党(選挙前)→自民党→無所属
2001年に小泉チルドレンの一人として自由党から参議院選に比例区で出馬し、初当選。2007年6月には突然の政界引退を表明、これは週刊誌で乱痴気スキャンダルが出てしまい再選の見込みがなくなったためだと言われています。
2007年7月に自民党に離党届を提出後は野党の応援演説にいったため、自民党から除名され無所属となり、同月28日に任期を迎えました。
2010年には参議院議員時代から噂されていた長崎県知事に立候補しましたが、候補者6名中3位で落選。2015年に千葉県袖ケ浦市長選挙を断念、2018年には佐賀県神埼市長選挙に立候補しましたが現職に破れ落選しました。
大仁田厚のプロレス名言~「邪道」の人生哲学とは?
邪道!大仁田厚の名言
「真鍋!笑うなら笑え、笑うなら笑え!俺は無様だ!」
「体制に媚びるな、このヤロー!!」
「ブーイングはリングに咲く花」(sportiva)
「最後の一言を言うとしたら、俺は死ぬまでプロレスラーです」(バトル・ニュース)
「オレたちは姿恰好にとらわれない邪道、縛られるものは何もないんじゃ。」(sportnavi)
「俺はリング上での時間が自分が使う時間の中で一番大好きな時間だ先週も肩の骨が骨折していても楽しかった人間は不思議なものだ」(ブログ)
「いくらプロレスラーだって常識もあれば義理もあるのだ!だけど全部答えはリングの中野球やサッカーがうらやましい時もあるが俺は根っからプロレスラーなんだ」(ブログ)
「レスラーはどんな感動的な試合をしても人は忘れていく…だけどリングに上がり続ける…いいじゃあねえか…プロレスが大好きだから…地位とか名誉とか関係ない世界で胸いっぱい生きてんだから」(ブログ)
「天才や頭のいい奴才能ある奴に憧れるがまぁ俺はどんくさくても人間味のある人生を選ぶだろう!だから俺は振り向かないのだ」(ブログ)
「俺はガチで引退しようと思っている。ガチで引退して、ガチで戻ってくる」(ENCOUNT)
「俺らはエンターテインメントの商売をしているわけだから、目立ってなんぼ。一番つらいことは、人から無視されることなんだよ。ファイヤー(炎上)してなんぼだろ。」(ENCOUNT)
大仁田厚の結婚・離婚歴~泥沼離婚した嫁との間に子供は1人
結婚していた大仁田厚…離婚時は泥沼離婚裁判
大仁田厚さんと結婚離婚した元奥さんについては、一般人だったためか情報がありませんが、年齢は大仁田さんよりも1つ年下です。
1986年には二人の間に子供(息子)が生まれていますので、それ以前に結婚し2006年に裁判を経ての離婚が成立しました。
離婚裁判の経緯としては、2004年に「長年の別居生活で夫婦生活は破綻している」と離婚の申し立てをしたのは大仁田厚さんで、奥さん側は「プロレスラーの地方巡業であり、普通の夫婦別居とは違う」とし離婚を拒否。
その後、泥沼裁判へと発展しましたが、2006年に和解し離婚が成立しました。
当時の報道によると、慰謝料などとして1億円が大仁田さんから元奥さんに渡ったとされます。
奥さん側は家のローンや子供の教育費などで経済的に苦しかったとされますが、大仁田厚さんはかねてより愛人問題で世間を賑わすなどしていました。
大仁田厚さんのブログにも元嫁や子供についての話が出てくることはなく、こんな文言まで。
嫁さんもいないし
子供もいない俺だが
大仁田厚の離婚の真相~女好きで既婚者の冨田リカとW不倫していた
大仁田厚、モデルの冨田リカと離婚調停中に不倫関係に
モデル冨田リカとの不倫
2005年〜2006年頃に不倫関係に?
大仁田厚さんは離婚調停中に既婚者の冨田リカさんとW不倫していたと見られています。ふたりはマンションやホテルで密会を繰り返し、2006年には揃って産婦人科に入る姿が目撃されたとか…。
政治家だった大仁田と冨田が不倫関係に陥ったのは、05年頃だったという。
「最初は、大仁田さんと冨田さんのだんなさんに面識ができて、彼女を紹介された形だったと思う。大仁田さんは元来、寂しがりやで、大勢で食事をすることが大好きです。自然と冨田さん夫妻とも、そうした場を共にすることが多くなった。程なくして大仁田さんは彼女と深い関係になったのですが、3人で食事することもあったようです。」(前出・知人)
大仁田厚さんは冨田リカさんと長い期間不倫交際。彼女のアドバイスで整形したり政界引退したりと、富田さんの存在は大仁田さんにとって公私ともに大きな影響力を持っていたようです。
しかし2008年頃にふたりは破局。経緯はわかりませんが、冨田リカさんはのちに萩原健一との交際報道が出てたため、略奪されたのでは?と噂になったといいます。
大仁田厚、離婚後も複数の女性を囲いハーレム生活
そのほかにも、大仁田厚さんは2001年にも9年間不倫交際していた愛人の存在が報じられるなど、かなり女性遍歴が派手です。
また離婚後も複数の女性たちを囲いハーレム生活を送っていると一部メディアが伝えています。
大仁田厚の愛人疑惑が浮上したのは7名!(2016年のメディアニュースより)
・シングルマザーA子
・会社経営で内田恭子似のB子
・大手企業OLのC子
・犬の訓練士のD子
・占い師のE子
・格闘技ファンのF子
・目黒区在住のG子
第一愛人のA子さんをはじめ、合鍵愛のB子さん、献身的なC子さん‥‥。今回の取材を通じて少なくとも7人の愛人の存在が浮上した。「社会で成功している肩書のある女性が好みみたいで、必ず相手を『先生』って呼ぶんだよな」(前出・レスラー)
今年2月に後楽園ホールで行われた興行では、そんな“先生”たちが集結し、一発触発の危機があった。「みんなにチケットを売らせてたって話。彼女らがそろったロビーにはバチバチの火花が飛び散っていた。事情を知っている現場スタッフは、大仁田さんがリングに上がる前に電流爆破以上の爆発が起きるのではとハラハラ、ドキドキだったよ」(前出・レスラー)
大仁田厚の現在と引退回数~2019年8月にグレート小鹿と初タッグ
大仁田厚の引退回数まとめ
1回目の引退:再起不能の大怪我を負い、1985年1月3日に後楽園ホールにて引退。
2回目の引退:1994年の天龍戦で敗北し1年後の引退を宣言。「デスマッチを続けていると本当に死ぬ」と思ったためで、その後1年かけての引退記念ツアーを行い、1995年5月5日に引退。
3回目の引退:2005年3月26日に天龍&越中戦のデスマッチ後に引退。
4回目の引退:2006年4月1日に矢口&ケルベロス&カカ谷口戦で引退。(1試合のみの復帰)
5回目の引退:2009年に長崎県知事選出馬のため引退。
6回目の引退:2010年5月5日にザ・グレートパンク&初代ザ・シューター戦で引退。
7回目の引退:2017年10月31日に後楽園ホールで藤田和之&ケンドー・カシン&NOSAWA戦で引退。かねてより本気度が低いと見られていた大仁田厚さんの引退宣言でですが、本人は「加齢や体調面などの理由から、今回は本当に完全引退」と説明。
そして現在、2018年9月28日にボランティアレスラーとしての現役復帰をしています。
2019年2月にはジャイアント馬場没後20年追善興行に出場しましたが、その後に変形性膝関節症のため人工関節置換手術を受けました。
大仁田厚、61歳で7度目の本格復帰
大仁田厚さんは2019年7月、「大仁田厚デビュー45周年記念大会」で復帰。8月には大日本プロレスのリングでグレート小鹿さんと初タッグを組むことが発表されました。
5か月ぶりにリング復帰した元参院議員の大仁田厚(61)が、8月25日の大日本プロレス、愛知・名古屋国際会議場大会で、大日本プロレス会長で現役レスラーのグレート小鹿(77)と初タッグを結成して、新・極道コンビとして、青柳政司(62)、高橋匡哉(32)組と対戦することが決定した。
大仁田さんは引退復帰を繰り返すことについて、インタビューで以下のように語っています。
オレは議員生活を終えて、引退と復帰を繰り返したことで批判を浴びました。師匠のジャイアント馬場さんからは「ひとつのことだけをやれ」と教えられましたが、自分の中では”プロレス”という一本の芯は守ってきたつもりです。その一方で、自分としては、思ったままに生きていきたいという思いがあります。
大仁田厚についてまとめると…
・大仁田厚は一般女性と結婚し1986年に息子が誕生、その後2006年に裁判の末に離婚した
・大仁田厚は女癖が悪く、離婚裁判中には既婚者の冨田リカとW不倫をしていた
引退と復帰を繰り返すプロレス界のレジェンド・大仁田厚さん。女性問題なども含め自分の気持ちに正直な方なのでしょう。今後の活動にも注目です。