フリーアナウンサー・岩佐まりさんは、20代の頃から若年性アルツハイマーを発症した母親・桂子さんと向き合い、長年シングル介護をしてきたことで話題となっています。
こちらでは、岩佐まりさんの家族や母親の病気、結婚や出産など現在についてまとめています。
この記事の目次
岩佐まりプロフィール
岩佐 まり(いわさ・まり)
生年月日: 1983年9月27日
出生地: 大阪府
身長: 157cm
血液型: B型
職業: 女優、フリーアナウンサー
ジャンル: 情報・娯楽
事務所: オフィスキイワード
岩佐まりさんは、芸能事が好きな母親を喜ばせたいという思いや10歳年上のいとこが女優として大阪で舞台中心に活動していたことなどから、高校2年生の時に芸能事務所のオーディションを受け合格。
すぐにでも上京したいと思っていたそうですが、「せめて高校だけは卒業しなさい」と親に説得され、高校卒業後の2002年に舞台女優を目指して上京しています。
当初は円谷プロダクションに在籍しており、3人組グループ『i-chips』で活動していました。
2010年には『恋のから騒ぎ』に16期生として出演しています。
リポーターやキャスターの仕事が増えたのをきっかけに、2011年にフリーアナウンサーの仕事に一本化し、現在も活躍を続けています。
岩佐まりの母親は若年性アルツハイマー!シングル介護のブログが話題に
岩佐まりさんは、55歳で若年性アルツハイマーを発症した母親の桂子さんをシングル介護しており、その日々を綴ったブログが話題となっています。
ブログ「若年性アルツハイマーの母と生きる」
岩佐さんのブログでは、母・桂子さんの介護生活を包み隠さず披露しており、同じ境遇の人たちから支持されるように。
アメブロランキングでは常に上位となっています。
岩佐まりオフィシャルブログ「若年性アルツハイマーの母と生きる」
岩佐アナは横浜市内の家賃9万円の2DKマンションで重度アルツハイマーを患う母・桂子さん(69)と2人暮らし。日常生活全てに介護が必要な桂子さんの世話を1日中している。「母は車イスになってから、言葉が出なくなって。シーンとした寂しい家ですよ」と苦笑する岩佐アナ。
29歳で母・桂子さんを引き取り、シングル介護を続けていた岩佐さん。
デイサービス代や日々の生活のためにフリーアナウンサーとしての仕事もこなし、睡眠時間4時間の日々が続いていたこともあったといいます。
2017年頃の月収は25万ほどだったそうですが、そのほとんどが介護に消えてしまうというなかなか厳しい生活を送っていたようです。
岩佐まりと母親・桂子さん
とてもいい関係であることが伝わってきます。
一時期は人気ブログなこともあってかコメント欄が荒れてしまったこともあるようで、岩佐さんはブログにてこのことに言及している場面もありました。
今後、このブログでアルツハイマー闘病日記と関わりのない、コメント同士での言い争いを禁止します。
「私のことで論争している」
「放置するな」
なんてコメントもやめてください。引用:「削除します」
ですが岩佐さんもこのブログに支えられていることを語り、「皆さまからいただく温かいコメントを頼りに生きていた私なんです。」とも綴っています。
若年性アルツハイマーの母親をシングル介護の岩佐まり、父親や兄弟は?
岩佐まりは父親の介護に限界を感じ、シングル介護の道を選択
岩佐まりさんの母・桂子さんは55歳の時に「アルツハイマー型軽度認知障害」の診断を受けています。
まりさんのお母さんは、2003年、55歳で物忘れがはじまった。次第にもの忘れがひどくなり、料理などの家事ができなくなる。2006年に病院でMCI(アルツハイマー型軽度認知障害)と診断、2008年にはついに、アルツハイマーと診断された。
やがてアルツハイマーの薬もきちんと飲めなくなり、大阪で同居していた父親とのいさかいが絶えなくなったのをきっかけに、お母さんを東京に一時的に呼び寄せる。
2009年、岩佐さんが26歳のときには父親とうまくいかなくなった桂子さんを一時的に岩佐さんの元へ呼び寄せて同居と介護を始めたそうですが、父親から「帰ってきてほしい」という手紙が届き、桂子さんも寂しさもあってか半年ほどで大阪へ帰ってしまったと言います。
その後桂子さんは父親と一緒に暮らしていたそうですが、数年後にひさしぶりに実家に帰った岩佐さんは母親の姿に衝撃を受けます。
12年の夏、久しぶりに実家に帰った時、衝撃を受けました。母の体がガリガリにやせ細っているのです。父が用意した食事を部屋にこもって食べていたのですが、食べていることを途中で忘れてしまい、放置するとのことでした。お風呂にも入っていない様子でした。
岩佐さんは、「父一人では無理だ」と確信し、桂子さんを改めて自宅に迎えることに。要介護認定を受け、日中はデイサービスを利用できる態勢も整えた。
いわゆる「昭和の父」であった岩佐さんの父親も家事を頑張っていたと言いますが、やはり介護までは手が行き届かず、次第に愚痴も多くなっていったそうです。
岩佐さんは父親による介護の限界を感じ、自身が桂子さんを引き取り介護することを決意しています。
2013年に岩佐まりのシングル介護生活がスタート、兄弟はいる?
岩佐まりさんと母・桂子さん2人の同居介護生活は、2013年4月から始まりました。
岩佐さん29歳、桂子さん65歳のときでした。
シングル介護を始めた頃の2人
岩佐さんは自身の仕事もあるため、デイサービスを利用しています。
このときに、桂子さんは区分変更により要介護3となっています。
当初は桂子さんはデイサービスに行くのを嫌がり、暴言を吐かれたこともあったそうです。
要介護3とは中度の介護を必要とする状態です。
これまでは普通にできていた身だしなみや居室の掃除などといったことができなくなる状態です。また、立ち上がったり歩いたりといったことが自力ではできなくなってしまうのが要介護3の状態です。
日常的な動作である排泄や食事、入浴といったすべてのことに介助が必要となります。
引用:要介護3の状態
同居して10日後には桂子さんが行方不明になり、捜し回ってやっと見つけると「どこ行ってたのよ。捜してたのよ」と言われたそうです。翌月にも同様の事件が起こり、岩佐さんは「毎月こんなことが起きるの?」と途方に暮れたと言います。
母が怒ってぬいぐるみを投げつけてくると、私もカッとして、投げつけて。母も慣れない環境なので、「帰る、こんな狭い家、いやだ!」っていうんですよ。すると腕をつかんで、「帰るな!!」と怒鳴っちゃったり。
最初はどうすればいいのかわからなかったという岩佐さんですが、考えた末に母親を変えることはできず、自分が開き直るしかないという結論に達したそうです。
「怒ってバトルのようになるのは、正解ではない」と考え、以降は桂子さんにつられずにどれだけ自分を抑えられるかやってみようと思ったと言います。
桂子さんに感情をぶつけられて辛いときは、「私は母の介護士よ!」と思い込むようにしているそうで、そうすることで客観的に見られるようになるそうです。
理由があることに気づいた岩佐さんは、ひとつひとつ原因を探り、対処していったのです。 たとえば、お風呂を嫌がるのは脱衣所の寒さと衣服を脱ぐ手順がわからなかったから。そこで冬場は脱衣所を暖め、声かけしながら衣服を脱ぐお手伝いしました。
適切な対応で、暴言暴力が減ることを実感された岩佐さんは、最後に改めて、今後の認知症医療に対する希望と期待を語ります。
その後、桂子さんは要介護4となっており、その介護の様子が2017年のテレビ番組『キテレツ人生!』内で公開されました。
・排泄がほとんどできない
・立ち上がりや片足での立位保持等の複雑な動作がほとんどできない
・歩行や両足での立位保持等の移動の動作が自分ひとりではできない
・見だしなみや居室の掃除などの身の回りの世話がほとんどできない
・多くの問題行動や全般的な理解の低下が見られることがある
引用:要介護4
『若年性アルツハイマーの母と生きる』
岩佐さんは、シングル介護の闘病記エッセイも発売。
反響も大きかったようです。
また、岩佐さんには弟さんがいるようですが、表立って話題にはなっていないようです。
岩佐さんがシングル介護をしている形となっていますが、弟さんも裏側では何らかの支援をしているのではと言われているようです。
岩佐まりの現在…結婚や旦那と子供・父親の死・母親の今
岩佐まりが初恋の相手と交際0日婚
出典:https://ameblo.jp/
中学時代の同級生と結婚
岩佐まりさんは、2020年5月に中学時代の同級生と
の結婚を発表しています。
岩佐まりさんの結婚相手は、中学校時代に半年ほど交際していた男性で、お互いに初恋の相手だったといいます。卒業後会うことはなかったものの、岩佐まりさんのブログを見た結婚相手が自身が勤める会社に提案し、岩佐さんに介護関係の講演依頼をしてくれたことが再会のきっかけとなったようです。
講演当日は会うことができなかったようですが、後日ブログを通じてお相手から連絡があり20年以上ぶりに再会。お相手はずっと岩佐まりさんのことを気にかけ続けてくれていたようで、岩佐さんは「つき合ってほしい」と告白されたそうです。
遠距離であることや母親の介護もあったため、岩佐まりさんが「結婚するならいいよ」と返事をしたとことろOKをもらい、交際0日婚をすることになったといいます。
相手については「故郷大阪の中学の同級生であり、互いの初恋相手でもあります。可愛らしいものでしたが、当時少し交際期間もありました」と紹介。「中学を卒業後は別々の道を進み、20年以上会うことはありませんでしたが、昨年末に夫の職場で介護講演会をさせていただく機会があり、再会をいたしました。20年ぶりに再会した夫は、真面目な社会人に変貌しており(中学の時はヤンチャでした)遠く大阪から私をずっと応援してくれていたことを知りました。そして、夫からの猛烈なプロポーズにより、今回は交際期間を設けずに、入籍いたしました」と、結婚に至った経緯をつづった。
結婚後、岩佐まりさんは母親の桂子さんとともに、東京から旦那さんが住む大阪に引っ越しています。
3人での生活が始まったことで岩佐まりさんのシングル介護は終了しました。旦那さんも、桂子さんの病院への送迎やおむつ交換など、懸命に介護のサポートしてくれているのだそうです。
また、岩佐まりさんは2020年9月27日、自身の37歳の誕生日に結婚式を挙げたことを報告しています。結婚式には母親の桂子さんも参列しており、岩佐まりさんは花嫁姿を見せることができて安心したようです。
お父さん、お母さん、
今まで育ててくれてありがとう。
優しい旦那さんと出会えたのも
お父さんとお母さんがいてくれたからです。
いつも口うるさい娘で申し訳ないのですが、
嫌と言われても
これからも側で支えていきますので
どうぞよろしくお願いいたします。
岩佐まりの父親が死去
岩佐まりさんは、2023年1月に父親を亡くしています。父親も認知症や肝硬変、腎不全などを患い要介護3の認定を受けていたようです。
岩佐まりさんは父親とは同居はしていませんでしたが、父親を病院に連れて行ったりご飯を作ったりと母親の介護をしながら父親のサポートをしていました。
父親は自宅で亡くなっているところをヘルパーさんに発見されたとのことで、岩佐まりさんは「孤独に死なせてしまった」と後悔の思いをブログに綴っていました。
透析をしていたので腎臓のことに目が向いていましたが痛みのない肝臓が悲鳴を上げていたのですね。
父を助けることができませんでした。
孤独に死なせてしまいました。
私が側にいてあげられたら…
おととい、母を置いて父に会いに行っていれば…
せめて誰かに見守られながら声をかけられながら息を引き取らせてあげたかったです。
後悔ばかりです。
岩佐まりが第一子を出産
岩佐まりさんは2022年11月に第一子の妊娠を報告しています。妊娠中も母親の介護は続け、車椅子からベッドへの移乗などの力仕事も変わらず行っていたようです。
出典:https://ameblo.jp/youko-haha/
男の子を出産
岩佐まりさんは2023年3月6日に3102グラムの男の子を出産ています。
かなりの難産だったようで、自分の陣痛1日+促進剤による陣痛2日と陣痛による苦しみに耐え出産したことを明かしていました。
出典:https://ameblo.jp/
4人での生活がスタート
子供が誕生したことで、岩佐まりさんは母親と旦那さん、そして長男との4人での生活が始まりました。
介護に加えて子育ても始まり、岩佐まりさんにとってはさらに忙しく体力的にも大変な日々になったようです。
岩佐さん:産後は自分の体調も万全ではないので本当に大変。母の体位を変えるだけでもひと苦労でした。離乳食と介護食をいっしょにつくるのですが、どっちもトロトロしているので、どっちがどっちかわからなくなったり(笑)。
岩佐まりの母親は要介護5で余命宣告も
出典:https://ameblo.jp/youko-haha/
要介護5に
岩佐まりさんの母親・桂子さんのアルツハイマーは重度に進行しており、2018年には要介護5の認定を受けています。
入退院も繰り返しており、2024年2月には「余命1ヶ月」の宣告を受けたことを岩佐まりさんが明かしていました。
2024年2月のブログで「今後、食事の経口摂取は難しい。点滴も刺せる血管がなく限界がきていました。このままだと『余命は1カ月』と言った先生」と、告げられたことを明かした岩佐。3月には延命のため「胃ろう」を作ることに同意し、手術を受けていた。
深刻な状況ではありますが、岩佐まりさんは前向きな気持ちで介護と向かい合っており、現在はブログだけでなくYouTubeでも介護の様子を公開しています。
まとめ
母親・桂子さんをシングル介護しながらも、「どうせなら楽しく介護したい」「一日でも長く母と暮らしたい」と前向きな姿の岩佐まりさん。
そんな岩佐さんの明るい介護生活は、同じく介護に悩んでいる人たちにとって支えとなっているようです。
若くして母親の介護に携わるようになった岩佐さんですが、結婚し自身の幸せも手に入れています。旦那さんも介護に協力的とのことで、旦那さんが精神的にも岩佐さんの支えになってくれていることでしょう。