テレビ宮崎のアナウンサー・柳田哲志さんは、生放送中の事故により頸椎骨折の重傷を負いましたが、下半身まひの後遺症が残りながら現役復帰し活躍しています。
この記事では、柳田哲志さんの事故の詳細とその後現在、そして支えてくれた家族などについて詳しくまとめましたのでご紹介します。
この記事の目次
テレビ宮崎アナウンサー・柳田哲志のプロフィール
柳田 哲志(やなぎた てつし)
生年月日: 1967年9月1日
出身地: 宮崎県宮崎郡砂土原町(現・宮崎市)
- 血液型: A型
- 出身大学: 同志社大学
職業: アナウンサー
所属: テレビ宮崎
家族構成: 妻、長男、長女
テレビ宮崎の公式ホームページに掲載されている柳田哲志さんの自己PRはこちら。
自分の性格
真っ直ぐで繊細。のんびり屋。めげない。何事にもポジティブ。誰とでも仲良くなれ、話が出来る。
特技・趣味
特技→クレーンゲーム、
趣味→映画、音楽、トールペインティング、ONE PIECE(漫画)、パチンコ、カラオケ、食べ歩き
好きな食べ物
宮崎が育んだ農畜産物なら何でも大好きです!
嫌いな食べ物は全く無く、何でも美味しく頂きます。
アナウンサーになりたいと思ったきっかけ
・深夜のFM放送のナレーションに憧れていた。
・テレビの向こう側に笑顔を届けられるような仕事がしたかった。
もしもアナウンサーになっていなかったら
売れない役者か、ビジネスマン?
引用:テレビ宮崎 – 柳田哲志
柳田哲志さんはプロフィールにて自身の性格を「何事にもポジティブ」と書いていますが、頸椎骨折による下半身や腕の麻痺の後遺症があっても、明るい性格は失われなかったようです。
とはいえ、いくら根明な柳田哲志さんでも、医師から「一生寝たきりの可能性が高い」と言われた時には絶望し、生きる気力が失われかけたこともあるかもしれません。
想像を絶する苦難を乗り越えて現在もテレビで笑顔を届けている柳田哲志さんですが、愛する妻と2人の子供がいたからこそ頑張れ続けているのでしょう。
柳田哲志の頸椎骨折事故…生放送中の尻相撲で全身麻痺状態に
柳田哲志、尻相撲イベントで頸椎を骨折
笑いを取ろうと自ら田んぼに頭から落ちた柳田哲志
2008年6月14日に生放送された宮崎県のローカル番組『UMKスーパーサタデー JAGA2天国』において、高千穂町で尻相撲イベントが行われその様子を柳田哲志さんが中継していました。
水田に用意された発泡スチロール製の土俵上で尻相撲をする地元の恒例行事であり、参加する予定は無かった柳田哲志さんが急きょ飛び入りで土俵に上げられました。
柳田哲志さんは笑いを取ろうとして自ら水田に頭から飛び込みましたが、泥水は浅く堅い地面に頭頂部を打ち付けてしまい、頸椎骨折と脊髄損傷の重傷を負ってしまいました。
水田に落ちて動かなくなった柳田哲志さんを見た周囲の人は、笑いを取ろうとしていると思い込んでいてしばらく緊急事態であることに気づかなかったようです。
柳田哲志の事故動画
生放送中に起きた痛ましい事故
以下のYouTube動画は柳田哲志さんが事故に遭う部分を切り出したものですが、かなりショッキングな映像になっているため自己責任にて試聴してください。
ともに生中継を盛り上げていた女子アナウンサーの小西麻衣子さんも、動かない柳田哲志さんの頭に泥水をかけたり動かしたりと、事態に気づいていない様子でした。
番組中に事故が遭ったことを御茶の間に気づかれるとドン引きさせてしまい、今後の視聴率に大きな影響が出る可能性があるため、中継を笑いのまま終わらせたようですが、その後現場には悲鳴が挙がっていたことでしょう。
柳田哲志に小西麻衣子が追い打ちをかけたと批判も
動けない柳田哲志を小西麻衣子が無理に動かした?
動画を観る限りでは、柳田哲志さんは水田に頭から落ちた瞬間に力なく倒れ込み、まるで気を失っているかのようにピクリともしませんでした。
しかし、柳田哲志さんが後に語ったところによれば、この時も意識ははっきりしており、腕や下半身が麻痺していたため動くことができずにいたようです。
柳田哲志さんが笑いを取ろうとしていると思い込んでいた小西麻衣子さんを始めとした周囲は無理に起こそうとしたため、ネット上では「頸椎を損傷した状態で無理に起こした」として一部で批判があがっていました。
当然小西麻衣子さんや柳田哲志さんを抱え起こした現地の女性には悪意はなく批判される理由はありませんが、形はどうあれ早く起こさなければ柳田哲志さんは泥水で窒息死していたため、むしろ命の恩人とも言えるかもしれません。
柳田哲志、事故後の手術で生還
柳田哲志の手術は命がけだった
柳田哲志さんは事故直後から体は動かないものの意識ははっきりとしており、魂が宙に浮いたような状態を感じていたと語っています。
熊本県の病院に救急搬送された柳田哲志さんは、手術後に意識が戻らない可能性もあったため医師から最期の言葉を残すように促され、病院に駆け付けていた妻と息子、娘に対して「帰ってこんかったらお母さんをよろしくね」と伝えて手術室に入りました。
事故から9時間が経過した頃に手術室に入った柳田哲志さんは、意識がもうろうとする中で清掃のおばちゃんが励ます涙声の呼びかけを何度も聞いていたようです。
柳田哲志、過酷なリハビリで全身麻痺から車いすが乗れるまで回復
事故直後はは医師から全身麻痺状態で「99%寝たきりでしょう。車いすに乗れるようになれば万々歳」と言われていましたが、通常は絶望するところ持ち前のポジティブさで「1%でも車いす生活ができる可能性があるなら」と希望を抱いて奮起しました。
しかし、現実はとても残酷であり、リハビリ生活を始めた最初の頃は、柳田哲志さんは上半身を起こされると神経損傷による血圧調整ができないため気を失っていました。
しかし、柳田哲志さんは懸命なリハビリを続け、動かない腕をわずかに動く肩の筋力を鍛えて上げられるようにしましたが、手で顎に触れるまで30センチ上げるのに1年かかりました。
柳田哲志さんは事故後ブログの更新を停止していましたが、この頃2009年6月8日にブログを再開しました。
入院から10ヵ月後には車いすにて一時帰宅ができるようになり、柳田哲志さんはテレビ宮崎本社にも顔を出しました。
柳田哲志さんは、2010年8月2日には大分県別府市のリハビリ施設で自助具を使ってパソコンや、髭剃りの訓練をしていることをブログで伝えていました。
柳田哲志、事故から約3年ぶりにテレビ宮崎に職場復帰
3年ぶりにテレビ復帰をした柳田哲志
柳田哲志さんは2011年8月21日に放送された宮崎テレビの『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』にて約3年ぶりのテレビ出演を果たしました。
リハビリ期間中にはITパスポートの資格も取得し、柳田哲志さんは2012年4月7日に放送開始した『JAGAJAGA天国』の後継番組『マッポス』にレギュラー復帰を果たしました。
柳田哲志、宮崎県ボッチャ協会副会長になる
リハビリ中にボッチャに出会った柳田哲志
柳田哲志さんはリハビリ中に障碍者スポーツのボッチャに出会っており、様々な大会に出場するなど本格的に取り組んでいました。
そうした活動から柳田哲志さんは宮崎県ボッチャ協会副会長に就任しており、テレビマンとして影響力を生かして普及活動に努めています。
ボッチャはヨーロッパで生まれたスポーツであり、パラリンピックの正式種目にも選ばれていますので、柳田哲志さんの貢献活動から将来の日本代表選手が生まれるかもしれません。
柳田哲志が結婚した嫁と子供について…家族の助けで奇跡の復活
柳田哲志は妻や子供を公開していない
柳田哲志さんは結婚時期などは不明ですが既婚者です。子供は2人いるようで、事故当時で息子が小学6年生、娘が5年生と年子のようですね。
前述のとおり車椅子生活ができるまでに回復したのも、奥さんや子供たちの支えがあったからでしょう。
苛酷なリハビリ生活はご3年10か月にも及び、熊本市、福岡県飯塚市、大分県別府市の病院や施設を転々としながら日常生活ができるまでになりました。
柳田哲志のその後現在…アナウンサーとして朝の情報番組に出演中
『みやざきゲンキTV』で活躍中
現在の柳田哲志さんは、毎週日曜日の朝9時35分から9時50分まで放送されているローカル情報番組『みやざきゲンキTV』にてレギュラー出演をしています。
今も固定ベルトなしでは座ることができない。毎日のように両手を見つめ「指、動かないかな」と思う。それでも肩の力で車いすをこぎ、自助具を使ってパソコンを操作する。
「限界なんて、自分がつくるもの。小さなことに悩んでいた昔の自分にも言ってやりたい。『五体満足な人間が何を悩んどるんか』ってね」
毎週土曜が待ち遠しい。出番は正午に始まる情報バラエティー「マッポス」。自ら取材した地域情報を紹介する。腹筋も使えないのにカメラの前では不思議と声を張れる。今日もレンズの向こうに、たくさんの笑顔が見えた。
引用:全国頸髄損傷者連絡会 – 【ニュース】復職されていました-希望の声今届ける 放送中事故で四肢まひ復帰 テレビ宮崎アナウンサー柳田哲志さん
(インタビュー内で出てくる『マッポス』はすでに終了)
柳田哲志さんの人柄が感じられる番組タイトルですが、アナウンサーを志した「テレビの向こう側の人々に笑顔を届けたい」という想いを現在も全力で伝えているようです。
今更ですが、柳田哲志アナ復活されたんですね。率直に凄いと思うし、頑張って欲しいd(^_^o)
— いなりんこ (@inarinko) April 7, 2012
柳田哲志についてまとめると…
・柳田哲志は既婚者ですでに成人している子供が2人いる
・柳田哲志は過酷なリハビリ生活により全身麻痺状態から車椅子にのれるまで回復した
・柳田哲志は現在、アナウンサーとして復帰し番組レギュラーを持っている
全身まひの後遺症に苦しみながらも、弱気な姿勢や愚痴を見せなかったポジティブな柳田哲志さんの姿は、多くの同じ障害を持つ人々を勇気づけたことでしょう。
そして、柳田哲志さんは宮崎県のボッチャ協会副会長として、パラリンピック日本代表選手の輩出にも貢献するかもしれません。