1990年後半からフジテレビのアナウンサーとして活躍し、現在は弁護士、報道記者として活動している菊間千乃さん。
1998年9月2日に菊間千乃さんはビルの5階からの転落事故を起こし生中継で放送され話題となりました。
菊間千乃さんの現在までの活躍について総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
菊間千乃のプロフィールや経歴
転落事故をきっかけに人生観が変わった菊間千乃
菊間千乃さんがフジテレビのリポーター時代に経験したビルの5階からの転落事故はその後の菊間千乃さんの人生観を一変させたそうです。その後もジャニーズグループ・NEWSのメンバーで当時未成年だった内博貴さんとの飲酒騒動の冤罪により無期限謹慎処分を受けるなど不運に遭っています。
現在もニュース番組でコメンテーターとして出演している菊間千乃さんですが、現在までの活躍を総まとめしました。
菊間千乃さんについてのプロフィールはこちら。
名前:菊間千乃(きくま ゆきの)
生年月日: 1972年3月5日
出身地: 東京都
出身校: 早稲田大学、大宮法科大学院大学
職業: 弁護士、元フジテレビアナウンサー
活動期間 : 1995年 – 2007年 (アナウンサーとして)
日本の弁護士(第二東京弁護士会所属)、フリーアナウンサー。弁護士法人松尾綜合法律事務所所属。元フジテレビアナウンサー。弁護士活動以外はノースプロダクションが窓口。学位は法務博士(専門職)。
引用:Wikipedia – 菊間千乃
菊間千乃さんは趣味として手作りテディベアを挙げていますが、特にブログで公開するなどはしていないようです。
また、競輪が好きで菊間千乃さんの父親の影響でバレーボールが得意なようですね。
菊間千乃さんは現在主に弁護士として活動しているためテレビで見る機会は減りましたが、活躍について総まとめしましたのでご紹介していきましょう。
菊間千乃の生い立ち&経歴
菊間千乃は4人家族の家庭で育った
菊間千乃さんの肉親の家族構成は両親と2歳年上の兄がいるということです。
菊間千乃さんは1972年3月5日に東京都で生まれました。
父親は八王子実践高等学校で女子バレーボール部の監督を勤めていた菊間崇祠さんで、母親は同校でマネージャーをしていたということです。
そして2歳年上の兄がいるということですが、早稲田大学を卒業している菊間千乃さんよりも常に頭が良かったということなので、もしかしたら東大卒なのかもしれませんね。
菊間千乃の父親・菊間崇祠は頑固で優しかった
菊間千乃が心から尊敬している父・菊間崇祠
菊間崇祠さんは元々「卓」という名前だったようですが、何らかの理由で改名しているようです。八王子実践高等学校の女子バレーボール部の監督でしたが全国的に有名で、日本代表選手だった三屋裕子さんや大林素子さんを育成しています。
非常にスパルタ指導をする厳しい監督で知られた菊間崇祠さんは娘・菊間千乃さんには優しかったようで、大学受験に失敗した時も叱責せずに慰めてくれたそうです。
菊間千乃さんが言うには普段はまったく喋らない頑固親父ということです。
2012年に同校の監督を引退した菊間崇祠さんは、その後肺がんになりましたが完治し、現在は元気に生活しているということです。
菊間千乃、転落事故時の母親とのエピソード
菊間千乃は転落事故で人生を悲観していた
菊間千乃さんは26歳というアナウンサーとして最も脂が乗っている時期に転落事故に遭い、1年間もリハビリのために現場を退くことになり相当精神的に参っていたようです。その時にいつも傍らにいたのが母親だったそうです。
菊間千乃さんは転落事故に遭ってICUで10日間の集中治療を受け、その後病室でテレビを見ていた時にすでに代わりのアナウンサーが自分のポジションで仕事をしている姿を見て絶望を覚えたようです。
精神的に不安定になってしまった菊間千乃さんはお見舞いも面会謝絶にして、泣く日々が続いたそうです。
菊間千乃さんはいつもその傍らにいた母親に当り散らすこともあったようで、そのことに自己嫌悪して号泣することもあったということです。
母親は看護師に「娘にこんな思いをさせるなら代わりたい」とこぼしていたそうで、菊間千乃さんは後に「一生親孝行しないといけないと改めて思った」と回想しています。
菊間千乃、高校時代からアナウンサーを目指す
菊間千乃は高校時代に報道に憧れた
菊間千乃さんは小学校時代から早稲田大学に入ることとアナウンサーになることを目標にしていたようですが、報道に憧れたのは高校時代だったことを明かしています。
菊間千乃さんはインタビューで報道記者に憧れたきっかけを語りました。
報道志望になったのは、高校生のころです。私が高校生の頃に、ベルリンの壁が崩壊したんですが、(元ソ連大統領の)ゴルバチョフさんが出てきて、ソ連が変わる、世界が変わるといった激動の時代のニュースを見ていて、私もああいう現場に立ち会ってみたい、伝えたいと思うようになりました。それで報道を志すようになりました。
両親の影響で光塩女子学院中等科・高等科時代にバレーボール部だった菊間千乃さんは見事早稲田大学法学部に入学しました。
同大学を卒業後はイギリスへ留学して英語を身に付け、国連英検B級と英検準1級を取得しています。
菊間千乃、アナウンサーデビュー
菊間千乃、フジテレビアナウンサーとして活躍
申し分無い学歴と素養を持った菊間千乃さんは、1995年4月にフジテレビに入社し、アナウンサーとしてキャリアをスタートさせました。同期には伊藤利尋さんや森昭一郎さん、高木広子さんがいます。
菊間千乃さんはフジテレビ入局後、看板番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』のテレフォンアナへの大抜擢をされ、その他にも『発掘!あるある大事典』、『2時のホント』、『FNNスーパーニュース』などの番組に起用されて活躍しました。
また、八王子実践高等学校で女子バレーボール部監督をしていた父親・菊間崇祠さんの関係で『全国高等学校バレーボール選抜優勝大会』やバレーボールワールドカップ、グランプリといったバレーボール中継のMCにも起用されて活躍しています。
華々しい活躍を続ける中で、菊間千乃さんの人生を一変させた転落事故が起きてしまいます。
菊間千乃の転落事故の真相と責任の所在
長い目で見ると転落事故は菊間千乃にとって人生を見つめ直す転機になった
菊間千乃さんは現在もなお仕事先で会う人に約20年も前の転落事故について聞かれるそうですが、この転落事故は菊間千乃さんにとって最大の人生の転機となり人生観が変わったということです。
菊間千乃さんは1998年9月2日に生放送された番組『めざましテレビ』で、約13メートルの高さにある5階の窓から転落事故に遭ってしまいました。
菊間千乃さんは当時『めざましテレビ』のコーナー「それいけ!キクマ」でリポーターを務めていましたが、この日は災害時などに高所から飛び降りることができる避難グッズの紹介を行っていました。
菊間千乃さんはこの避難グッズを装着して5階窓に身を乗り出し、同製品の社長がセットすると「これでもう大丈夫です」という言葉を聞いて窓の外にぶら下がりました。
菊間千乃さんは躊躇することもなく窓のヘリから手を離し落下をしましたが、避難グッズが作動することなく13メートル下の安全マットに叩きつけられてしまいます。
菊間千乃さんはピクリとも動かずに番組出演者に動揺が走りながらも現場からの放送は打ち切られてしまいました。
この転落事故で菊間千乃さんは腰椎圧迫骨折という全治3ヶ月の重傷を負ってしまい、当時の様子を以下のように語っています。
「落ちる瞬間に意識がなくなって、次の記憶はICU(集中治療室)の中で酸素マスクを苦しいと思って外したときです。本当に何が起こったのか自分では分かりませんでした」
菊間千野さんは翌年に復帰しましたが、完治まで1年間のリハビリを余儀なくされてしまいました。
なお、転落事故の原因について調査をした警視庁西新井署は、菊間千野さんに取り付けたフックの固定が不十分だったことを発表しています。
菊間千乃、転落事故で人生観が一変する
菊間千乃、リスクのある体当たりの仕事を辞める
菊間千乃さんは転落事故を体験したことで、それまで引き受けていた体を張った仕事はせずに、自分自身を大切にすることを身にしみて感じたようです。
菊間千乃さんは2016年6月に大阪市で開催された「WOMAN EXPO」のトークショーに出演し、転落事故に遭った当時のことを以下のように回想しています。
1998年に情報番組「めざましテレビ」のロケでマンション5階から転落する事故に遭い「ICUで10日間の治療を終え、テレビを見ると、自分の出ていた番組にもう他のアナウンサーが出ていた。自分にしかできない仕事だと思っていたが、(アナウンサーも会社にとっては)1つの駒なんだと思った」とショックを受けたことを振り返った。
「仕事のために人生をすり減らすのがばからしくなった。今は1日1日、悔いなく生きなくちゃと思っている」と人生観を変える出来事だったようだ。
また、当時の女子アナウンサー界の暗黙の定説として「35歳定年説」があったことから、いずれは司法試験を受けて弁護士になり、その能力を活かして40歳からは報道記者になる算段を立てていたことも語っています。
菊間千乃、転落事故にフジテレビ・製品会社は責任を取った?
転落事故の補償について詳しく語られていない
転落事故の責任は第一に問題を起こした災害グッズを制作した会社だと思いますが、フジテレビにも事前の安全確認を入念にしなかったことに責任はあったでしょう。
菊間千乃さんが裁判などを起こしていないことからも、労災は当然として、フジテレビと災害グッズ制作会社の両方から何らかの慰謝料は支払われたのかもしれません。
この災害グッズを制作した会社の現在について検索されることが多いですが、問題を起こした災害グッズは「セイフリー・ダウン」という商品で、制作した会社はケネディ・インターナショナルという名前のようです。
この会社はすでに倒産しており、経営していた社長は別の会社を立ち上げて豆腐の製造をしているとも言われているようです。
販売を行っていたケネディインターナショナルという会社、今社名を変えて豆腐を作っってるみたいな情報を得た
— きょうもえ (@jizou) 2014年10月2日
菊間千乃の現在① 弁護士・報道記者に転職
菊間千乃は転落事故後に弁護士を目指した
菊間千乃さんは仕事復帰してから約6年後の2005年4月にロースクールである大宮法科大学院大学に入学しました。
菊間千乃さんはしばらく仕事と学業を両立していましたが、弁護士になるための新司法試験の受験勉強に専念するために2007年12月31日にフジテレビを退社しました。
そして、菊間千乃さんは2009年3月に大宮法科大学院大学を修了、2010年9月に新司法試験に合格して司法修習を経た後に弁護士になりました。
菊間千乃さんの専門分野は企業法務で、知的財産権や倒産など企業の法律に関わる事務所に所蔵しているそうです。
元フジテリビのアナウンサー 弁護士になっていたんですね~知らなかった
— しゅう~~☆ (@8ma810shu10) 2017年10月19日
フジ退社から10年…菊間千乃さん語る「主婦万引き」実態 https://t.co/hBqruGVMTt
菊間千乃の現在② 商社マンの旦那との馴れ初めと結婚!子供がいない理由は?
一般人商社マンと結婚した菊間千乃
菊間千乃さんは旦那が一般人であることから詳しい情報はブログ等でも一切表に出していないようです。
菊間千乃さんは2014年2月4日に更新したオフィシャルブログで結婚したことを報告しています。
菊間さんは「いつもいつまでもいっしょにいようね、と互いに言い合える人に出会った」とし、「ようやくそんな風に思える方に出会えて、無事入籍をいたしました」と喜びの報告をした。
菊間千乃さんと旦那の馴れ初めは早稲田大学時代の同級生だということです。
ちなみに菊間千乃さんと旦那の間に子供はもうけていませんが理由は不明で、転落事故による後遺症で不妊症になった、結婚した時点で41歳だったため子供は考えていなかったなど諸説囁かれています。
高年齢で結婚したことからも離婚する可能性は低いでしょう。
菊間千乃さんの講演会に行ってきました。
— しおり (@RKlFBoGMyrHuya4) 2017年10月20日
あのようには、なれない。けど、元気でました♡
明日から頑張ろう。
菊間千乃についてまとめると・・・
1990年代後半にフジテレビのアナウンサーとして活躍し、現在は弁護士、コメンテーターとして活躍している菊間千乃さんについて総まとめしてきました。
菊間千乃さんの転落事故の映像を見る限り、かなり適当な準備の仕方に呆れた人も多いようですが、現在弁護士として活躍していることからも何が転機になるかわかりませんね。
菊間千乃さんは現在48歳なので、旦那との間に子供を作るにはギリギリな年齢ですがそうした動きは無いようですね。