山口組の顧問で章友会会長だった石田章六さんですが、若い頃は「柳川四天王」と呼ばれた伝説的な武闘派ヤクザでもあったようです。
この記事では、石田章六さんの若い頃や伝説、息子など家族と自宅、そして晩年と死因もまとめました。
この記事の目次
石田章六のプロフィール
石田章六(いしだ しょうろく)
生年月日:1932年10月30日
石田章六、山口組顧問の極道界の超大物だった
石田章六さんといえば、山口組顧問と章友会会長を務めた大物ヤクザでした。
元々は山口組系柳川組にて「柳川四天王」と呼ばれた武闘派ヤクザだった石田さんでしたが、晩年は気の優しい大物任侠化しており、組内でも人望の厚い人物だったとか。
「石田顧問は山口組のご意見番のような存在で、いるだけで重みがありました。しかし堅気には腰が低く、声をかけると気さくに応じてくれました。神戸山口組の井上邦雄組長も、分裂前は『おじさん』と言って慕っていました。
山口組の生き字引的ポジションでもあった石田さんですが、2015年に起こった山口組分裂騒動時には、6代目山口組側についたようですね。
石田章六の若い頃と伝説…在日コリアンで柳川組結成以前からのメンバーだった
石田章六さんに関しては、本名はパク・テチュンという在日コリアンでした。
若くして愚連隊として暴れていた石田さんは、同じ在日コリアンである柳川次郎(ヤン・ウォンソク)さんと行動を共にしていたようで、1958年には「西成抗争」の当事者となっています。
「西成抗争」とは、酒梅組の客分だった柳川一派が、同じ酒梅組系鬼頭組と「あいりん地区」の利権をめぐって争った騒動となります。
当時駆け出しのヤクザだった柳川一派には縄張りがなかったため、鬼頭会が「あいりん地区」に持っていた麻薬密売所や売春宿を襲い売上金を略奪するという、何とも荒っぽいことをしていたようですね。
そのため、激怒した鬼頭会の面々より秋山大豪という若手組員が拉致されてしまったこともあり、柳川一派々は決死の殴り込みをかける決意を固めることになりました。
構成員100人を誇った鬼頭組を相手に、日本刀を片手に8人で殴り込みをかけた柳川一派は、自身も腕や指を切り落とされるといった負傷を負いながらも、鬼頭組に死者1人重軽傷者15人の大打撃を与えることに成功しています。
ちなみに、この時の決死隊は下記の面子となっており、返り討ちになることを懸念したのか、石田さんを含めた幹部級の組員は参加していない状況でした。
・柳川次郎
・福田留吉
・高信吉
・倉本広文
・斎藤登
・松田重
・武本个慧
・福成信昭
石田章六の経歴と伝説…柳川組解散後は山口組の直参へと昇格していた
柳川組、山口組の全国進出の尖兵となり「殺しの柳川」との異名を持つ
「西成抗争」により一躍名前を挙げた柳川一派の元には、近隣の愚連隊などから組員希望の若者たちが殺到したと言われております。
そんな背景も手伝い、1958年11月に大阪府北区で結成されることとなった柳川組ですが、神戸より大阪進出を図っていた山口組の目に留まり、傘下に下ることになりました。
その後、山口組の勢力拡大のための尖兵となった柳川組は、「明友会事件」などを起こし「殺しの柳川」の異名で呼ばれる武闘派集団へと成長しています。
柳川組の働きぶりは、山口組組長であった田岡一雄さんからも認められることとなり、1960年には柳川次郎さんが山口組の直参にまで出世しています。
とはいえ、あまりに狂暴すぎた柳川組は、山口組内でも利権をめぐり紛争を起こすことも珍しくなかったとか。
だがこの頃から、大阪に進出してきた他の山口組系列化の団体と柳川組との間で紛争が起こり始め、各組の利害を調整するために山口組が南道会・藤村唯夫会長(後の三代目山口組七人衆)を大阪地区の総責任者とするまでに至る。
引用:柳川次郎
石田章六、柳川組の解散以降は山口組の直参へと出世していた
山口組の全国制覇の尖兵として、近畿地方のみならず北海道や北陸にまで勢力を伸ばすようになった柳川組に関しては、武勇伝に憧れるアウトローたちが次々と門下を叩くようになり、最盛期には2800人もの構成員がいたようですね。
とはいえ、1964年になると、肝心の柳川次郎さんに恐喝事件などの容疑で懲役7年の実刑判決が下るなど暗雲が立ち込め始めます。
そのため、柳川さんが引退し、谷川康太郎さんが2代目組長に就任することとなった柳川組でしたが、石田章六さんも柳川組幹部から舎弟へと出世し、石田組を結成することになりました。
しかしながら、あまりに目立ち過ぎた弊害からか、警視庁より全国広域5大暴力団の1つに指定された柳川組は、暴力団撲滅を目指す警察の「第一次頂上作戦」の標的にされてしまいます。
その結果、幹部級を含む多くの逮捕者を出すこととなった柳川組は、1967年に組長であった谷川さんまで逮捕される事態へと陥り、1969年に解散する憂き目となりました。
柳川組は第一次頂上作戦に当たって、警察の集中取締りの対象となり、柳川組だけで逮捕者164人を出す事態になる。頂上作戦以降も大阪府警の集中取締りの対象になり、1969年4月9日に柳川と谷川は獄中で解散を決意。これをもって柳川組および山口組に対する 第一次頂上作戦は終結することとなるが、柳川・谷川は独断で組の解散を決めたことで8月1日に山口組から絶縁処分を受ける。
引用:柳川次郎
柳川組解散以降の石田章六さんは、山口組の直参へと出世することとなり、石田組を章友会に改称し、大阪・梅田を地盤に活動していたようですね。
石田章六、渡辺芳則時代に山口組の本家執行部入りしていた
石田章六さんが率いた章友会に関しては、最盛期は800人もの構成員を誇るような巨大組織であり、後に山口組の直参に出世して自分の組を持つような組員もいたようですね。
山口組体制下では、4代目組長竹中正久さんの代に舎弟に出世することとなった石田さんは、5代目組長渡辺芳則さんの代には舎弟頭補佐の地位を得て、本家執行部入りを果たしています。
その後も6代目組長司忍さんの代に顧問に就任した石田さんは、山口組最長老の組長として生涯現役を貫き通すことになりました。
石田章六の晩年…2013年に資産凍結の憂き目となっていた
石田章六、2011年に暴力団排除条例違反で逮捕されていた
生涯現役を貫き通したヤクザであった石田章六さんですが、そのせいで2011年10月に78歳の年齢で逮捕の憂き目にもあっています。
この時の石田さんは、保育園から200m以内の距離に組事務所を開設したことが大阪府の暴力団排除条例に引っかかってしまい、事務所開設禁止の容疑で逮捕されてしまったようですね。
石田章六親分は、殺しの軍団柳川組出身の功績者 反山口組で有名なオレだけど、さすがにこれはヒドい ヤクザに自由や人権はないってか! <山口組顧問ら逮捕=保育所200メートル内に事務所―暴排条例違反容疑・大阪府警> http://t.co/g6gLS6pT #niconews
— 穴ほじり虫 (@ana_hojirimushi) October 18, 2011
ちなみに、2004年に広島県で規定されたのを皮切り全国に広まっていった暴力団排除条例でしたが、実際の逮捕例は全国でも石田さんが初めてだったとか。
石田章六、資産凍結や経済制裁の憂き目となった
石田章六さんは、2013年12月になると、今度はアメリカの財務省より国外の著名な犯罪組織とその支持者に認定されてしまい、アメリカ国内の資産を凍結されたうえ、アメリカ人との経済的な取引を禁止される制裁を受けています。
この時の騒動は、アメリカの金融システムを海外の犯罪組織の悪影響から守ることを目的としていたようで、石田さんの他にも入江禎さんや橋本弘文さんといった山口組の幹部クラスの人間が制裁対象となりました。
石田章六の自宅や組事務所は?
石田章六さんの自宅に関しては、大阪府箕面市の閑静な住宅街にあったようで、お洒落な門構えが印象的な豪邸でした。
ちなみに、現役の大物ヤクザという立場のせいか、隠しカメラなども完備されており、セキュリティにはかなり気を使っていたようですね。
一方で章友会の事務所については、大阪・梅田の繁華街に構えていたようで、黒塗りのデザイン性の高いビルだった他、殴り込みを警戒してか入口の扉は鉄製でした。
石田章六の家族情報…嫁や息子の情報は?
石田章六さんの家族情報に関しては、マスコミに私生活が取り上げられる機会もなかったため、詳しい情報は分かっておりません。
とはいえ、妻子などはいたようで、息子が大阪の有名な不良だったという話になっています。
石田さんの息子は、大阪のカラーギャングの走りのような存在だったそうで、阪急電鉄の車庫で銃を撃って遊んでいたりもしていたようですね。
一方で石田さんの息子はヤクザの道には進まなかったようで、成人後の消息などについては不明だとか。
石田章六の現在と死因…2016年に病死していた
石田章六、気になる死因は?
石田章六さんは、2016年10月23日に大阪市内の病院で病死しており、享年は83歳でした。
石田さんの気になる死因については公表されておりませんが、入退院を繰り返すなど闘病生活は長かったようですね。
神戸市北区の葬儀場で行われた石田さんの葬儀には、6代目山口組の直参が勢ぞろいした他、兵庫県警の捜査員が葬儀場を取り囲むなど、物々しい雰囲気だったと言われております。
ちなみに、石田さん亡き後の章友会は6代目山口組の若中を務める新井錠士さんが引き継ぐことになりました。
石田章六についてまとめると…
石田章六さんに関しては、伝説の武闘派ヤクザだったものの、途中暗殺されることもなく83歳の天寿をまっとうすることが出来た恵まれた人生だったと言えます。
石田さんのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。