2015年8月に指定暴力団「六代目山口組」より離脱し、自身が組長を務める「神戸山口組」を結成した井上邦雄さんですが、山口組分裂抗争激化により2020年現在窮地に立たされています。
この記事では、井上邦雄さんの若い頃や人柄、結婚した嫁や子供(息子・娘)、引退の噂など現在までの情報について詳しくまとめましたのでご紹介します。
この記事の目次
井上邦雄のプロフィール
本名: 井上邦雄(いのうえ くにお)
生年月日: 1948年08月22日
出身地: 大分県
井上邦雄さんは大分県立大分舞鶴高校時代に野球で注目されるような名選手でしたが、喧嘩により中退することとなりました。
その後、井上邦雄さんは「3代目山口組」の直参組織「山健組」の傘下組織である「中野会」に入る縁がありと渡世生活を始めました。
井上邦雄さんの略歴は以下のようになります。
1978年…大阪戦争で懲役17年の実刑判決を受け服役
1999年…四代目健竜会会長を襲名
2003年5月…三代目山健組若頭に就任
2005年8月…四代目山健組組長を襲名し、六代目山口組幹部に就任
2005年12月4日…六代目山口組若頭補佐に就任
2015年9月…六代目山口組離脱、神戸山口組を立ち上げ
井上邦雄の若い頃と人柄エピソード…2000年まで20年以上服役していた
井上邦雄、殺人の罪で20年以上服役
井上邦雄は「6代目山口組」で不遇な扱いを受け独立した
1978年に「3代目山口組」と「松田組」の血で血を洗う抗争「大阪戦争」が発生しましたが、これは「松田組」の傘下組織の組員が「3代目山口組」組長・田岡一雄さんを狙撃したことから報復として始まりました。
井上邦雄さんはこの「大阪戦争」で「松田組」傘下組織の組員を殺した罪で懲役17年の実刑判決を受け服役しましたが、その他の余罪を含めると合計懲役は25年ほどに及んでいたそうです。
井上邦雄さんは刑務所を2000年に出所すると「4代目健竜会」会長に就任し、さらに「3代目山口組」直参となり若頭補佐に就任しました。
2003年に「3代目山健組」組長・桑田兼吉さんが銃刀法違反の罪により実刑判決を受けると、繰り上がる形で井上邦雄さんは若頭へと昇格。また、この時に桑田兼吉さんと養子縁組をして戸籍上の親子となっています。
「6代目山口組」が発足した2005年8月に桑田兼吉さんが組長を引退したため、井上邦雄さんが「4代目山健組」組長へと就任しました。「6代目山口組」の直参となったものの、「山健組」の影響力を押さえ込むために急ごしらえされた幹部と言う地位からのスタートでした。
井上邦雄さんはその後、2005年12月に「6代目山口組」若頭補佐に昇格して執行部に入り、阪神ブロック長も兼任しました。
「6代目山口組」のやり方に異を唱えた井上邦雄さんは、2015年8月27日に「4代目山健組」と傘下組織を引き連れて離脱し絶縁となりました。そして同年9月5日に「神戸山口組」が発足し井上邦雄さんが初代組長へと就任しました。
井上邦雄、面倒見がよく人望が厚かった
井上邦雄は面倒見が良く人望が厚いと言われる
井上邦雄さんの性格や人柄について、以下のようなエピソードがあります。
舎弟が親分たちの食事会が終わるまで外で待っていると、井上邦雄さんの舎弟が出てきて「オヤジが飯食え言うてます」と伝えにきたそうです。舎弟は基本的に外で待機のためらっていたそうですが、「お宅の親分にも了解もろてます」と井上邦雄さんの舎弟が言うため仕方なくお店に入ったところ、親分同士は別のテーブルについており、舎弟のためにも別のテーブルが用意されていました。
この計らいは井上邦雄さんがしたもので、この時に井上邦雄さんは若い衆にも気遣いができる立派な人だと思ったそうです。
さらに、この食事会の後日に井上邦雄さんから直筆で礼状が届き、当時「健竜会」は泣く子も黙る天下の組織であり格下の組織になど目もくれなくてもおかしくないところ、井上邦雄さんの腰の低さにも驚いたようです。
しばらく経ってこの舎弟が再び井上邦雄さんと相対した時に「おぉご苦労さん」と声をかけてくれたそうで、下っ端の顔も覚えてくれていたことに思わず「健竜会」に入りたいと思ってしまったそう。
この証言からも、井上邦雄さんは基本的に面倒見がよく低姿勢であることが伺えます。
井上邦雄が結婚した嫁と子供について
井上邦雄さんが結婚しているかどうかなど信憑性のある情報は無いようです。当然と言えば当然かもしれませんが、子供(息子・娘)がいるのかも不明です。
しかし、井上邦雄さんほどのヤクザであれば内縁の妻や実子がいたり、愛人や外子が何人もいても不思議ではないでしょう。
井上邦雄が神戸山口組を立ち上げ…高山清司の出所で分裂抗争は激化
井上邦雄、高山清司の逮捕を機に六代目山口組を離脱
井上邦雄は「6代目山口組」組長・司忍に追いやられた
「5代目山口組」の時代は「山健組にあらざれば山口組にあらず」と言われたほどの勢力を誇っており、最大で組員数は7000人を超えていたそうです。
しかし、したたかに力をつけて「5代目山口組」組長・渡辺芳則さんを脅して引退に追い込む形で「6代目山口組」組長の座についた司忍さんと若頭であり事実上の指導者と言われる高山清司さんは、「山健組」の力をそぐために多くの傘下組織を引き抜き、直系組長に据えるなどして盤石な体制を築き上げてきました。
これにより司忍さんが築き上げた「弘道会」の傘下組織は膨れ上がり準構成員を含めて4800人規模になったのに対し、組織を吸い取られた「山健組」は2000人程度にまで落ち込みました。
しかし、司忍さんと高山清司さんは「山健組」を壊滅に追い込むためにさらに直系組長を出すように迫り、井上邦雄さん自身も若頭補佐から舎弟になるように再三迫られていました。
これは事実上井上邦雄さんを引退に追い込むことに等しい措置であり、井上邦雄さんは「6代目山口組」を離反する機会を伺い耐え続けました。
「山健組は解体寸前まで追い詰められた。井上組長は辛い時期を耐えに耐えた。井上組長だから耐えられたわけで、他の組長には絶対、耐えられない。それで最後、今回の神戸山口組の旗揚げになったわけです」(山口組の内情に通じる関係者)
「司─高山路線」は家臣団を文字通り分割し、大を削って小にした上で統治しようとした。井上組長は崖っぷちに追い詰められ、最後の最後、逆転の踏ん張りを見せたわけだ。
そして、井上邦雄さんが「6代目山口組」を離反する機会がついにやってきました。2014年6月に高山清司さんが恐喝罪で実刑判決が確定し、同年12月から府中刑務所に収監されました。目の上のたんこぶが取れたことで、井上邦雄さんは「神戸山口組」を旗揚げしました。
井上邦雄、神戸山口組を立ち上げた理由
「山健組」を窓際に追いやったことは耐えられなかった
「6代目山口組」の実権を握った司忍さんや高山清司さんが「弘道会」のライバル組織である「山健組」を追いやってしまう事は自然の流れだったと思いますが、井上邦雄さんにしても長年忠誠を尽くしてきた「山健組」を無残に窓際に追いやられた事は屈辱であり、耐え難かったことから「神戸山口組」を立ち上げたとみられています。
評論家の宮崎学さんは以下のように語っています。
井上邦雄(山健組)さんたちはなぜいまここまで踏み込んだか。処分されたメンバーを見たら、年配の長老の人たちにとっては、弘道会系が進出してきてだんだん片隅に追いやられていく危機感もあったのだろうと思う。
それはポジション上の危機感ではなくて、現実のやくざの活動をしている中でずいぶん出てきていたと思う。ある競技場でもっているダフ屋の利権をめぐり、今までは平和的に共存していたが、分裂騒動が勃発したあと一方の利権一色になってしまったと聞いている。
この問題が起こってからそういうのが出始めている。斜めからみると、縄張り争いをやっているということになるじゃないですか。今までは共存してやれていた。これだけ感情的なもつれになってくると人数の多い方は少ない方をやっつけてしまおうとする。
メンバーから見ても今回の分裂は、弘道会が山健組の主導権を握って進めてきたこの何年間かの歴史の中で、自分たちがちょっと窓際に追いやられた、けしからんことだという危機感をもった人たちが反旗を翻したという構造ではないか。
「神戸山口組」が発足して以降、「6代目山口組」との間に抗争が頻発してきましたが、2019年10月18日についに高山清司さんが5年4ヶ月ぶりに刑務所から出所したことで、一気に「神戸山口組」の立場は悪くなっていきました。
井上邦雄、出所した高山清司に追い詰められる
抗争激化の末に特定抗争指定暴力団に指定される
「6代目山口組」から独立した「神戸山口組」ですが、その後さらに「任侠山口組」が分派しました。
そして、2019年末に公安より「6代目山口組」と「神戸山口組」が特定抗争指定暴力団に指定されてさらに取り締まりが強化されたため、「任侠山口組」はこの両組織と差別化を図るため「山口組」の名前を捨てて「絆會」と改めました。
「6代目山口組」と「神戸山口組」はお互いに報復合戦をするように襲撃事件を繰り返してきましたが、高山清司さんは生粋の武闘派で「やられたらやり返す」「倍返し」を徹底することから、「神戸山口組」は度重なる襲撃を受けて組員は次第に恐怖を植え付けられていきました。
「神戸山口組」が発足した事は「6代目山口組」の組長である司忍さんを侮辱したことにもつながり、高山清司さんは立ち上げに関わった重鎮に対して「他の者は許しても、あのハゲは絶対に許さん」と激怒したそうです。この重鎮とはおそらく井上邦雄さんの事であり、高山清司さんは「神戸山口組」を壊滅させるために動いていくとみられていますが、加えて警察も本格的に動き始めたようです。
井上邦雄は警察にも追い詰められ始めた
警察は「神戸山口組」壊滅の好機と見た?
高山清司さんの三重県桑名市にある自宅に銃弾が打ち込まれた事件で、現行犯逮捕されていた谷口勇二容疑者を警察は銃刀法違反(発射)及び建造物損壊の疑いで2020年2月25日に再逮捕しました。
さらに同月28日には、大阪府警西成署が「神戸山口組」の中核組織である「5代目山健組」の若頭補佐を務める藤岡宏文容疑者を恐喝容疑で逮捕しました。
相次ぐ「神戸山口組」の関連組員の逮捕により、警察は締め付けを強化してきているとみられています。
「なんでも被害に遭ったいう男性は、もともと吉村総裁と知り合いで2億円を借りとったんやが、会社が倒産して返済が滞ったようや。吉村総裁にしてみれば、額が額やから、当然、行動に移すわな。
カタギを脅して無理に金を出させたいうんが大阪府警の見方やろが、貸した金やしな…。藤岡若頭補佐に至っては、吉村総裁を介して被害男性と知り合いだったいう程度のことらしいで。井上組長に近しい2人の名前が出たもんやから、あえて府警は事件化したんやないか」(在阪記者)
また、井上邦雄さんを逮捕する事は現状難しいことから、警察は近しい人物を逮捕することで井上邦雄さんを追い込む作戦に出ているようです。
井上邦雄の現在…引退の噂もあり神戸山口組解散も間近?
井上邦雄はついにヤクザを引退すると噂される
「6代目山口組」と「神戸山口組」による度重なる抗争によって特定抗争指定暴力団に指定されて活動が制限されましたが、両組織はそれをかい潜るように新たな抗争事件を起こすとみられており緊張が走っています。
「神戸山口組」が存在する限り「山口組」の分裂状態は継続されるため、抗争を終結させるには「神戸山口組」を壊滅させてしまうのが早い解決方法であり、警察もそうした方向に動いているようです。
なお、「神戸山口組」の組員の高齢化や資金不足が深刻化してきているようで、特定抗争指定暴力団に指定された影響で活動は苦しくなっている上、さらに「6代目山口組」による引き抜きが相次いで組員が減っていることから「神戸山口組」は窮地に追い込まれているようです。そのため解散話が既に出始めているようです。
「ひとつは九州のある組織や。もともと歴史のあるところで、分裂してから組幹部が6代目側に襲われたことがある。もうひとつは首都圏にある団体や。組長が病気のため引退を決意し、組ごと6代目の2次団体に移籍させようとしたんやが、幹部連中の猛反対におうたようで、結局、解散の道を選んだそうや」(他の団体の関係者)
山口組分裂から4年半。いよいよ追い詰められた神戸山口組は、どう出るのか。
その解散話の中に、組長である井上邦雄さんの引退もささやかれているようで、「山口組」の分裂抗争は「神戸山口組」の解散と言う幕切れで終結するのかもしれません。
神戸山口組井上邦雄組長の引退の話が、上層部で出てるようです。
— 大阪とし(ToshiOsaka) (@ts121083909) April 2, 2020
井上邦雄についてまとめると…
・井上邦雄の人柄は、面倒見もよく人望が厚かった
・井上邦雄が結婚して子供がいるかどうかなど、プライベートに関しては一切不明である
・井上邦雄は015年9月に六代目山口組離脱し神戸山口組を立ち上げたが、高山清司の出所により抗争が激化し、引退の噂や神戸山口解散説も浮上している
井上邦雄さんが立ち上げた「神戸山口組」は現在、壊滅状態のようです。
高山清司さんが「あのハゲは絶対許さん」と言っていることから、井上邦雄さんはもしかしたら生きてはヤクザを引退できないのかもしれません。