2015年2月22日にJRA騎手でリーディングジョッキーだった後藤浩輝さんは自殺により命を断ちました。
後藤浩輝さんの死因や自殺の真相、結婚した嫁と子供など家族情報、そして吉田豊さんへの木刀暴行事件など生前の活躍について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
後藤浩輝のプロフィールと経歴…吉田豊を暴行し騎乗停止の過去も
身近な人すら”謎”だと言った後藤浩輝の自殺
「第62回有馬記念」でキタサンブラックに乗り見事制した武豊選手は2回のガッツポーズを見せて、ひとつは亡き父へ、そしてもう一つは故・後藤浩輝さんへの手向けで見る者を感動させました。
周囲に期待されていた一流ジョッキーの後藤浩輝さんが突如自殺した真相について詳しくご紹介します。
後藤浩輝さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 後藤 浩輝(ごとう ひろき)
出身地: 神奈川県相模原市(現:神奈川県相模原市中央区)
出生地: 神奈川県横浜市
生年月日: 1974年3月19日
死没: 2015年2月27日(40歳没)
身長: 157cm
体重: 50kg
血液型: B型
所属団体: JRA
所属厩舎: フリー
初免許年: 1992年
免許区分: 平地
騎手引退日: 2015年2月27日(死亡)
重賞勝利: 53勝(JRA)
G1級勝利: 5勝(JRA)
通算勝利: 1510勝(うち地方競馬63勝)
引用:Wikipedia – 後藤浩輝
後藤浩輝さんは決して才能に恵まれたジョッキーではありませんでしたが、努力を積み重ねて亡くなるまでに通算1447勝の勝利数を残した一流ジョッキーであり、スポーツ番組などで競馬解説者をするなどその持ち前の明るさとサービス精神旺盛な性格からタレントとしても活躍していました。
競馬人気が低迷する中で、後藤浩輝さんは自ら企画して競馬イベントを開催するなどファンサービスに務め、「ファンサービス委員会委員長」とも呼ばれた競馬界に大きく貢献していた人物でもありました。
それが突如2015年2月27日に首吊り自殺をして自ら命を絶ってしまい、多くの人が「何故?」という思いが払拭できずに現在に至っているようです。
後藤浩輝さんの自殺の真相を含め、戦前の活躍について詳しく総まとめしましたのでご紹介しましょう。
後藤浩輝、母親の勧めで競馬学校に入学
後藤浩輝の両親は離婚していた
後藤浩輝さんは両親と姉の4人家族でしたが、小学校4年生の頃に両親が離婚し、姉は母親について出ていき、後藤浩輝さんは父親に引き取られました。
後藤浩輝さんの幼少期のエピソードは多くありませんが、空手と体操を習っていたことがジョッキーになった時に反射神経や判断力などが生きていると語っています。
後藤浩輝さんは相模原市立清新中学校を卒業しており、当時は渡辺美奈代の大ファンだったことから親衛隊に入っていたそうです。
後藤浩輝さんは将来を見据えた際に当時から好きだった料理の特技を活かしてフランス料理のシェフを目指すことを考えましたが、それを母親に伝えたところ過去に観ていた競馬学校のドキュメンタリー番組を思い出した母親からジョッキーになることを勧められました。
サラリーマンよりも手に職をつけることを母親は勧めていたようで、後藤浩輝さんは当時競馬に興味は無かったものの高校受験か料理専門学校かを選択する前に、とりあえず競馬学校受験したところ受かったため入学を決意しました。
後藤浩輝さんは競馬学校に入学するまでまったく乗馬をしたことが無かったため、新入生の中で最も乗馬が下手で落馬を繰り返していましたが、海外の一流騎手であるスティーブ・コーゼンのビデオを観た時に強い憧れを抱き、一流騎手を目指すようになりました。
後藤浩輝さんは1992年2月に競馬学校を卒業してデビュー戦を待つことになりました。
後藤浩輝、1992年プロ騎手デビュー
騎手デビュー後不遇な時代を過ごした後藤浩輝
後藤浩輝さんは1992年に美浦にある伊藤正徳厩舎に所属して騎手デビューすることになりましたが、同厩舎の伊藤正徳さんと関係を崩して不遇な時代を過ごしています。
後藤浩輝さんのデビュー戦は1992年3月1日の中山競馬第1競走で、「エンシュードラゴン」に乗って16頭中の6着でした。
そして、後藤浩輝さんが初勝利を収めたのは同期の中では最も遅い同年4月4日の中山競馬第4競走で、「タイガーリリー」に騎乗していました。
しかし後藤浩輝さんはデビュー1年目から調教師の伊藤正徳さんと折り合いが悪くなり、有力馬には乗せてくれなくなったことから3年は耐えてフリーに転身することを決意しました。
デビュー2年目で重賞初勝利を果たした後藤浩輝
後藤浩輝さんは1994年の福島記念で「シルクグレイッシュ」に騎乗して重賞初勝利を果たしました。
その翌1995年に後藤浩輝さんは伊藤正徳厩舎を離れてフリーに転身しました。
それから後藤浩輝さんは4年目で初の21勝を挙げると、1996年に急遽渡米してフロリダ州マイアミ市カルダー競馬場などを拠点としてジョッキーとして活動し、158戦7勝という辛酸を舐める結果となりました。
しかし、後藤浩輝さんは1997年に帰国すると渡米しての修行が功を奏したのか、前年の2倍となる46勝を挙げて、1998年にはさらに68勝とその実力はみるみるうちに開花して同年の関東リーディング・ベスト10で6位に入りました。
後藤浩輝、後輩騎手の吉田豊を暴行し騎乗停止の過去も
不祥事を起こし騎乗停止になった後藤浩輝
後藤浩輝さんは1999年8月19日に美浦トレーニングセンター内にある騎手寮「若駒寮」で、後輩騎手の吉田豊さんを木刀で暴行を加えて負傷させる事件を起こし、翌日のスポーツ新聞でトップ一面で報じられました。
この暴行事件により後藤浩輝さんは8月20日~12月19日までの4ヶ月間の騎乗停止処分を受けています。
その翌2000年に後藤浩輝さんはトップジョッキーである岡部幸雄さんや横山典弘さんらと関東リーディングジョッキー争いに食い込み、自身初となるGⅠ制覇をするとともに初の年間100勝越え(101勝)を挙げました。
それからも後藤浩輝さんはトップジョッキーとして活躍を続け、2007年11月4日には4度目となる年間100勝を達成しており、JRA通算1000勝を達成して関東でのリーディングジョッキーに選ばれました。
後藤浩輝、落馬による怪我に泣かされ続ける
落馬により怪我に泣かされ始めた後藤浩輝
後藤浩輝さんは2012年5月6日にNHKマイルカップで「シゲルスダチ」に騎乗して落馬し、首の頚椎を捻挫してしまいました。
しかし、実は捻挫ではなく翌日に都内の病院で診てもらったところ頚椎骨折の疑いと頚髄不全損傷と診断されてしまいました。
後藤浩輝さんは治療を続けて4ヶ月後となる9月8日に復帰を果たしましたが、同日の中山競馬第3競走で馬場入場時に再び落馬してしまい、騎乗を続けた結果首に違和感を感じ診察を受けたところ第一、第二頸椎骨折および頭蓋骨亀裂骨折だと診断されて入院することになってしまいました。
後藤浩輝さんは首の怪我からなかなか復帰できず、その間は『ウイニング競馬(テレビ東京系)』や『みんなのKEIBA(フジテレビ系)』で競馬解説者として出演するなどタレント活動に力を入れていました。
約1年ぶりに復帰できた後藤浩輝
後藤浩輝さんは首の怪我を乗り越えて2013年10月5日に東京競馬場で約1年ぶりの復帰を果たしました。
後藤浩輝さんは復帰後初となる重賞勝利を果たすとしばらくは順調でしたが、2014年4月27日の東京競馬第10競走で「ジャングルハヤテ」に騎乗していましたが落馬してしまい、再び頸椎骨折の怪我を負ってしまい戦線離脱を余儀なくされました。
度重なる落馬に後藤浩輝さんはジョッキーの引退も考えましたが、メディア出演を続けながらリハビリに励み同年11月22日に復帰することができました。
復帰2日後の東京5レースで復帰後初の勝利を挙げると、不屈の精神で復帰した後藤浩輝さんを称えるように観客から拍手が沸き起こりました。
後藤浩輝、「ファンサービス委員会委員長」として活躍
誰よりもファンサービスに尽力した後藤浩輝
後藤浩輝さんは誰よりもサービス精神が旺盛でレース後のファンサービスに力を入れていました。
後藤浩輝さんはレース後のイベントでは「日本騎手クラブ ファンサービス委員会委員長」と紹介されていつも挨拶を担当していました。
この名称は後藤浩輝さんが自称し始めたものでこうした組織はJRAには存在しませんが、後藤浩輝さんのファンへのサービス精神からイベントをプロデュースするようになりました。
後藤浩輝には2回の結婚歴~再婚した湯原麻利絵との間に子供は1人
後藤浩輝、タレントの湯原麻利絵と再婚し娘も誕生
後藤浩輝は二度の結婚をしていた
後藤浩輝さんは二度の結婚をしており、元嫁はイベントコンパニオンをしていた一般人女性だと言われています。
後藤浩輝さんと元嫁の馴れ初めはパーティー会場で、一目惚れしたことから話しかけたようです。
その後交際がスタートして結婚に至りましたが、7年間の結婚生活を経て離婚をしていたことが「ジャンクスポーツ」での出演の際に後藤浩輝さんにより語られました。
後藤浩輝さんは生前家族について語ることが少なかったため、世間的にはほとんどプライベートについてすることはできませんでした。
そして、後藤浩輝さんは2010年5月10日に『王様のブランチ(TBS系)』でリポーターを務めていたタレントの湯原麻利絵さんと結婚しました。
子供も生まれていますが、誕生日はわからないものの名前は「珠々(しゅしゅ)」という珍しい名前で、由来はフランス語の「ChouChou(かわいい)」からで、映画『リリィ・シュシュのすべて』から着想を得たようです。
後藤浩が突然の自殺~死因と自殺の真相とは?
謎の死を遂げた後藤浩輝
後藤浩輝さんは2015年2月27日の午前8時頃に、茨城県稲敷郡阿見町にある自宅の脱衣所で首を吊って亡くなっているところを嫁の湯原麻利絵さんが発見しました。
後藤浩輝、自宅で首吊り自殺
後藤浩輝さんは当時40歳と若い命を散らしてしまいましたが、管轄の牛久署によれば事件性は見られず首吊り自殺だと特定されました。
後藤浩輝さんは湯原麻利絵さんや実家の両親などに宛てた遺書などは発見されず、自殺する前日の本人のフェイスブックにはいつもと変わらない明るい様子で、「宇都宮晃の歌謡ショー」を観てきたことを興奮気味に伝えていました。
そのため、後藤浩輝さんと普段から親交のあった人でさえも突然の自殺に狐につままれたような心地がしていたようです。
池袋にある行きつけの酒場にぶらりと入ると、いつもはほとんど競馬の話なんかしないマスターが、
「違うよなあ。後藤は首が悪かったんだろ? 風呂場で首を伸ばそうとして、間違えちゃっただけだろ?」
また、突きつけられる。
「・・・だよな。そうだよ!」
後藤浩輝、最後のフェイスブックの書き込み。
<昨日は泊ってるホテルで、ずっと気になっていた“栃木のプリンス”宇都宮晃の歌謡ショーを観てきました。もちろんTシャツやうちわを買い込み応援!!>
<ズン! ズンズンズンドコ ア・キ・ラ~ッ!!ってやってきました>
私も「理由がまったくわからない」と書きたいのだが・・・。
引用:REAL HOT SPORT – 【第1回】やっぱり、書かなきゃいけないんだと思う。亡くなった後藤浩輝騎手について・・・。
後藤浩輝の自殺の真相~元々情緒不安定だった
後藤浩輝さんの自殺の報を受けてネット上では自殺の要因や死因について色々な噂が飛び交いましたが、有力だとされる原因は度重なる落馬による怪我と、情緒不安定な精神が影響したというものでした。
「確かに、落馬事故がまったく影響しなかったとは言い切れないでしょう。これが直接的な自殺原因ではありませんが、もともと情緒不安定気味なところがあった後藤騎手にとって、頚椎や頭ばかり痛めているうちに、なんらかの悪影響を受けてしまった可能性はゼロではない」
後藤浩輝さんは生前に実父から無理心中をされそうになったことがある経験を語ったことがあり、何度も殺されかけたことから自身の死生観にも強いトラウマを抱えていたのかもしれません。
ある夜、首吊り自殺を図ろうとした親父の体が、寝ていた俺の上にいきなり落ちてきて。未遂に終わったけど、それだけにとどまらず、今度は川に投げられて、その後、親父も飛び込もうとしたりしてね。寝ている時にいきなり首を絞められたこともあったよ。
後藤浩輝さんは父親に殺されそうになり、離婚して出て行った母親の元に逃げたそうですが、そこで母親は新しい彼氏を作って姉と一緒に生活していたようです。
こうした衝撃的な出来事が続いたことも後藤浩輝さんの精神に何らかの影響を与えているかもしれませんが、母親は無理心中されそうになっている息子の身を案じて彼氏と別れて姉も連れて父親の元へ戻ったそうです。
そうした想像を絶する辛い体験をしたせいなのか、後藤浩輝さんの体には強く生きる意志を刻むように派手なタトゥーが入っていました。
後藤浩輝の自殺の真相~裏社会の人間の影
後藤浩輝さんが自殺する1ヶ月前くらいから、知人の証言で様子がおかしかったことが明かされています。
人の話にも上の空で、当時後藤浩輝さんは裏社会の人間にゆすられていた可能性もあることがわかっています。
「いつもよりもガラの悪い連中が多くて、全裸の写真を撮られていましたよ。『まさか、ゆすられていたんじゃないか?』と心配する声も出始めています」
もし、後藤浩輝さんが暴力団関係者かマフィア、半グレ集団などに目をつけられて逃れられない状況に陥っていたとしたら、それが自殺の引き金となっても不思議ではないでしょう。
それでも自殺の真相は明かされてはいませんが、”謎”だと言われていた裏ではやはり自殺するに十分な問題が起きていたのかもしれません。
武豊の二回のガッツポーズ
— 長谷川 潤 (@Hasegawa54) 2017年12月26日
亡き父へ、そして後藤浩輝騎手へ
有馬記念ラストの直線に 武豊の名前でもなく、キタサンブラックでもなく、後藤!って声が…
なんだろうね…こういうのは信じない人間だけど最後の有馬記念は後藤浩輝がキタサンブラックを勝たせたように見える
ベイベインタビューでおなじみの後藤浩輝騎手が自殺してたり同郷だったりで驚いた
— 世も末 (@tsuma0222) 2017年11月9日
後藤浩輝について総まとめすると・・・
・後藤浩輝の自殺の原因として、裏社会からゆすられていた説や、情緒不安定など様々などネット上では憶測が飛び交っている。
・後藤浩輝は2度の結婚歴があり、2度目に結婚した嫁はタレントの湯原麻利絵。子供は娘が1人いる。
周囲に期待されていたトップジョッキーながら突然首吊り自殺により自らの命を絶ってしまった後藤浩輝さん。
自殺した原因について特定できる情報はありませんが、反社会性の強い人間らとのトラブルが関係していた可能性はあるようです。
元々壮絶な生い立ちを持っていた後藤浩輝さんは、人一倍明るい性格の裏に深い心の闇を抱えて生きてきたのでしょう。
後藤浩輝さんがデビュー戦を飾ったキタサンブラックに乗り、追悼勝利を飾った武豊さんの想いは天国に届いていることでしょう。